第2話 有難う
魔物や魔族と戦うのが本領の言魂士にとって、座学の時間はどちらかと言うと休憩に近いです。
それでも歴史を知ることや現在の情勢を把握するのは大事ですし、魔物たちへの対処法も学ばなければなりません。
もっと言えば、野営の知識やサバイバル能力など、直接戦闘とは関係なくても、必要な知識は多いです。
だからこそ座学は、体を休めつつ自身を高める時間だと、わたしは考えていました。
他の個性豊かな特務組のメンバーも、基本的には真面目に授業を受けています。
一色くんですら、積極的ではないにしろ、話を聞いているのはわかりました。
そのことをなんとなく嬉しく思っていたわたしですが、橘先生が取り上げた内容を聞いて、気を引き締めました。
「次に現在の情勢だけど、全体的には大きな動きはないわ。 ただ……北端と南端に、また魔物が現れたそうね」
「え? また? いい加減、落ち着いたと思ってたのに」
「気持ちはわかるけど事実よ、九条さん。 それを受けて学院長は、九条陣営と神代陣営の待機を続行する判断をされたわ」
「仕方ないですね……。 彼女たちには、もう少し頑張ってもらいましょう」
「そうね、神代さん。 不幸中の幸いなのは、魔物の実力自体はさほど強くないことよ。 『参言衆』なら、油断さえしなければ大丈夫ね」
「そうとは限りません、橘先生。 エニロたちのような奇襲の危険性は、常に警戒するべきだと思います」
「えぇ、天羽さん。 その件については連絡鳥を使って、既に伝えているわ。 あとは、本人たちが上手く立ち回ってくれることを、祈るのみね」
そう言って、優しく微笑んだ橘先生。
どこか掴みどころのない人ではありますが、生徒を案じているのは嘘じゃないと思います。
あ、ちなみに、連絡鳥と言うのは、遠く離れた仲間たちに手紙を届けるときなどに使われる、訓練された鳥です。
連絡用の言魂や道具は存在しますけど、有効範囲には限界があるので。
それにしても、また魔物が出現したんですか……。
わたしが入学する前から、ヒノモトの北端と南端に大量の魔物が現れるようになり、それぞれの鎮圧に向かったのが九条陣営と神代陣営の『参言衆』です。
最近は目立った侵攻がなかったので、そろそろ戻って来られるかもしれないと話していたんですが……残念ですね。
まだ見ぬ同級生の無事を願っていたわたしが横目で一色くんを窺うと、ほんの微かに目を細めていました。
はっきりとしたことはわかりませんけど、何かを警戒しているように見えます。
気になりましたが、今は授業中。
大人しく黙っていると、橘先生がもう1つの問題に着手しました。
「黒咲領に関しては、相変わらずと言ったところね。 今も不眠結界が張られているから、黒咲さんは動けなさそうよ。 こっちもかなりの長期戦になってるけど、頑張ってもらうしかないわ」
黒咲領の不眠結界。
最後の『肆言姫』である黒咲夢愛さんが、釘付けにされている理由がこれです。
領内の人々を不眠状態に陥らせると言う、一見地味ですがかなり辛い効果を持っています。
効果の内容自体には、対抗出来そうな言魂士は他にもいますけど、結界の強度が相当高いんだとか。
『肆言姫』でなければ、太刀打ち出来ないほど。
その事実から、結界を張っているのは『十魔天』の可能性もあると、わたしは考えています。
だとすれば、援護が必要じゃないかと思うんですけど、勝手に動く訳には行きませんし……もどかしいですね。
他の人たちも似たようなことを考えているのか、僅かに教室の空気が張り詰めました。
しかし、橘先生は気にした素振りもなく授業を続けます。
正直なところ心配ではありますが……今は先生を信じましょう。
その後は順調に授業が進み、やがてお昼休みになりました。
笑顔で教室を出て行った橘先生を見送ったわたしは、2つの弁当箱を取り出します。
1つは自分用で、もう1つは……い、一色くんに作ったものです。
これは別に深い意味はなく、入学当初からの約束を守っているに過ぎません。
それにもかかわらず、毎回渡すときは緊張してしまいますね……。
軽く呼吸を整えたわたしは、大きめの弁当箱を手に持って、隣席の一色くんに差し出しました。
「ど、どうぞ」
「あぁ、有難う」
頬が赤くなるのを感じているわたしをよそに、一色くんは欠片も気負いなく、ひょいと弁当箱を受け取ります。
むぅ……いつもながら不公平ですね。
若干不満に思ってしまいましたが、彼はすぐに弁当箱の蓋を取りました。
そして、数秒間だけ見つめてから、箸を手に取って食べ始めます。
こ、この瞬間が、1番緊張するんですよね。
思わず胸に手を当てて様子を窺っていると、卵焼きを咀嚼した一色くんがこちらを見て、小声ながらはっきりと言葉を口にしました。
「今日も美味しい」
「……! あ、有難うございます……」
何度も聞いている称賛ですけど、どうしてもにやけてしまいそうになります。
以前は「美味しい」の一言でしたけど、最近は「今日も」と付けてくれるようになりましたしね。
安堵と喜びから笑みを漏らしたわたしは、自分も食べようとして――
「うぐぐ……!」
「む~~~!!!」
「……やってられないわ」
尋常ではないほど殺伐とした、天羽さんと一葉ちゃん、光凜さんを目にしました。
反射的に口元が痙攣してしまいましたが、対する一色くんは余裕たっぷりに言ってのけます。
「何か文句があるのか? 言っただろう? 俺に勝てたら、無明の弁当を食べる権利を譲ると」
「むぐぐ……!」
「う~~~!!!」
「……本当に、生意気な後輩ね」
「まぁ、精々頑張るんだな。 もっとも、少なくとも暫くは無理だろうが」
などと言い捨てた一色くんは、食事を再開しました。
天羽さんたちは、殺傷能力のありそうな眼差しで睨んでいますけど、どこ吹く風です。
いえ、一応わかっているんですよ?
一色くんは、ああやって天羽さんたちを煽ることで、成長を促そうとしているんでしょう。
事実として躍起になった彼女たちは、実技の授業などで彼に挑み、実力を伸ばして来ました。
特に光凜さんは一色くんの剣術を参考にしている節があって、元々のスピードや技に加えて、力強さも備わりつつあります。
まぁ、勝敗に関しては、あれですけど……。
と、とにかく、天羽さんたちが強くなっているのは間違いないんです。
ただ……一色くんが彼女たちをからかって遊んでいるのも、確かなのではないかと……。
完全に対立している訳じゃないですし、むしろ以前に比べて距離が近付いているとも感じますが……何とも言い難い複雑な気分ですね。
などと感じていたわたしが、どうしたものか迷っていると、早乙女さんと白河さん、桐生さんが歩み寄って来ました。
これに関しては珍しく、何事かと思ってしまいました。
すると、わたしの席の正面に立った桐生さんが、こちらを見下ろしながら居丈高に声を発しました。
「無明夜宵」
「は、はい」
「午後の実技、何をするか決まっているのか?」
「え? いえ、今のところ何も……」
「ふん、計画性がないな。 1日のスケジュールくらい、組んでおけないのか?」
「うぅ、すみません……」
高圧的に言われたわたしは、俯いてしまいました。
桐生さんとは早朝訓練で一緒になるようになりましたが、直接関わったことはないです。
やっぱり、嫌われているんですね……。
出来れば仲良くしたかったですけど、わたしが『無字姫』であることは覆りませんし……。
悲しみのあまり、涙が溢れそうになりました――が――
「もう、桐生くん。 頼み事をする側が、そんな態度じゃ駄目でしょ? ちゃんと、お願いしなきゃ」
「早乙女……。 わたしは別に……」
「オッケー。 じゃあ、桐生くんはあっち行ってて。 あたしと白河ちゃんだけ、相手してもらうから」
「ま、待て! わかった、言い直す!」
「まったく、最初からそうしなさいよ。 ほら」
そう言って早乙女さんは、わたしを手で示しました。
それを見た桐生さんは、不満そうに口を引き結んでいます。
な、何の話をしているんでしょう?
顔を上げたわたしが、頭上に疑問符を大量生産していると、大きく溜息をついた桐生さんがポツリと呟きました。
「……実技の時間に、わたしと訓練して欲しい」
「え……? く、訓練ですか……?」
「勘違いするなよ? わたしは、貴様と馴れ合うつもりはない。 そもそも――」
「桐生くん?」
「ぐ……! と、とにかく、要求は以上だ。 返答を聞かせろ」
尚も桐生さんは上から目線でしたが、早乙女さんには強く出られないようです。
なんだか、意外ですね……。
そんなことを思いつつ、既に答えは出していました。
「わたしで良ければ、是非お願いします。 精一杯、頑張りますね」
「……ふん。 では、失礼する」
言うが早いか、踵を返した桐生さんは教室を出て行きました。
何と言いますか……意外とわかり易い人なのかもしれません。
苦笑を浮かべたわたしが、微笑ましい気持ちになっていると、それまで沈黙を保っていた白河さんが口を開きました。
「わたしも、お願い」
「あ、はい。 よろしくお願いしますね」
「……」
「……? あの、何か?」
無言でジッと見つめて来る、白河さん。
うぅ、なんだか落ち着きません。
それでも逃げることはなく、黙って返事を待っていると――
「一色透真は、わたしがもらう」
「へ……!?」
一方的に告げた白河さんが、スタスタと教室の出口へ向かいました。
ビ、ビックリしました……。
もらうも何も、一色くんは誰のものでもないと思うんですけど……。
突然のことに胸が高鳴り、こっそりと一色くんの顔を盗み見てしまいました。
聞こえていないはずがないんですけど、マイペースにお弁当を食べていますね……。
彼らしいと言えばらしいですが、もう少し反応しても良いのでは……?
取り乱した自分が馬鹿のように思いましたが、ひとまず忘れましょう。
内心でわたしが頭を切り替えていると、最後に残っていた早乙女さんが、楽しそうに言い募って来ました。
「あはは、ごめんね? 桐生くんも白河ちゃんも、悪気はないと思うんだけど」
「い、いえ、気にしないで下さい。 わたしとしても、一緒に訓練出来るのは有難いです」
「無明ちゃんは優しいねぇ。 じゃあ、ついでにあたしも混ぜてくれる?」
「ついでなんて、言わないで下さい。 勿論、一緒に頑張りましょう」
話の流れから、この展開はおおよそ読めていました。
だからこそ、すぐに応じたんですけど、何やら早乙女さんは考え込んでいます。
どうしたんでしょうか?
疑問に思ったわたしが小首を傾げていると、彼女の口から放たれたのは予想外の言葉。
「無明ちゃんって、本当に無字なの?」
「え……!? ど、どうしてですか?」
「うーん、どうしてって言われると困っちゃうんだけどね。 四季様たちに負けないくらい、強いのもそうだけど……」
言葉を切った早乙女さんは、自分のお腹に手を当てました。
そこはかつて、エニロの長剣によって貫かれた場所。
今でこそ完全に癒えていますが、かなり危険な状態でした。
そして、その手助けをしたのがわたし。
まさか、【一筆魂書】に気付かれたんでしょうか……?
緊張したわたしは、椅子に座ったまま膝の上で両手を握り締めました。
早乙女さんはいつになく真剣な様子で、ますます緊張が強くなりましたが――
「まぁ、いっか。 ごめん、気にしないで」
「あ……わ、わかりました」
「じゃあ、あたしも行くね。 実技の時間は、よろしく!」
「は、はい、よろしくお願いします」
クルッと背を向けた早乙女さんは、手をヒラヒラさせながら歩み去りました。
ふぅ……良かったです。
【一筆魂書】の存在は一色くんと学院長、橘先生しか知らないはずなので、なるべく秘密にしないと――
「有難う」
背中越しに早乙女さんから声を投げられて、目を丸くしました。
彼女はそのまま振り向かず、教室をあとにしましたが……もしかしたら、気付きつつ詮索しないでくれたのかもしれません。
早乙女さんの心遣いに感謝したわたしは瞑目し、薄く笑みを浮かべました。
そうして午後の実技授業で、わたしは早乙女さんや白河さんに桐生さんと、充実した時間を過ごしたのですが……放課後に、思わぬ事態が待ち受けていました。




