第三章 賽は投げられたⅩⅩⅩⅩⅡ
「あれで僕が死んでいたらどうするつもりだった?」
地下の聖域から戻ったガイウスを待っていたのはパーシヴァルだった。執務室のデスクに腰を掛け、さも他人事のような素振りを見せる。
ガイウスはひと睨み利かせたあと、淡々と椅子に座った。
「本体は別にあるんだろ。少なくとも脳は」
突き放すように言われたパーシヴァルは床に立ち、肩を竦めた。
「だからってあそこまで躊躇いなく叩き壊すとは思わなかった。少しだけ驚いたよ」
「断片の方はどうなる?」
「そのまま使えると思うよ、多分。聖王のインターフェースは僕の意識が繋がってなくても勝手に動くようにしてあるから。ただ、写本本体に蓄えていた情報はもう引き出せない。歴史の真実も、創世の魔術も。僕も全部覚えているわけじゃないから、写本がないと説明できない」
その回答に、ガイウスは満足そうに目を瞑った。
「ならいい」
「それはそうと、そろそろ騒がしくなるころだ。さっきの衝撃、かなり凄かったからね。地上にまで響いたよ。ランスロットあたりがここに駆け込んでくるはず」
「お前が聖王であることは、あいつらには伏せておく」
しかし、ガイウスはパーシヴァルの警告をそう無視して話を変えた。
パーシヴァルは怪訝に眉を顰める。
「言っても別に構わないけど? 写本が無くなったのならなおさらだ」
「お前の正体はあいつらに余計なノイズを植え付けることになる。知って得することもない」
「君がそう言うならお好きにどうぞ。僕も今まで通りの振る舞いでいられるなら、それはそれで楽でいい」
直後、執務室の扉が勢いよく開かれた。
慌てて飛び込んできたのは、パーシヴァルの予想通り、ランスロットだった。
「ガイウス様! こちらから大きな揺れがありましたが、何事ですか!?」
ランスロットは、落ち着いた様子のガイウスたちを目にし、少し呆気に取られた顔になる。
パーシヴァルがそれを面白そうに小さく笑う隣で、ガイウスは徐に口を開けた。
「写本を破壊した。これで世界は、聖王から歴史を知る術を失った」
それを聞いたランスロットの目が大きく見開いた。
「……ということは、ついに決行されるのですね?」
「ああ。トリスタンとガラハッドをここに呼び戻せ。創世の魔術を発動させるための最終調整をする。十字軍の今の備えについての情報も用意しろ」
ガイウスの指示を受けたランスロットは背筋を伸ばす。
「かしこまりました」
ランスロットが早足で退室し、部屋にはまたガイウスとパーシヴァルの二人だけになる。
ふと、パーシヴァルが口元を微かに吊り上げた。
「――黙示録の始まりだ」
※
シオンの部屋で、彼はエレオノーラと共にイグナーツからガイウスの話をすべて聞き終えた。人づてに聞いても凄惨かつ壮絶だと思えるその人生に、シオンとエレオノーラは揃ってソファの上で言葉を失う。
「ざっとこんなところですか、私が知っているガイウスの身の上話は」
開けた窓の傍で、吸い殻で山積みになった灰皿を片手に、イグナーツがそう締めくくった。
しばしの沈黙のあと、エレオノーラが耐えかねたように口を動かす。
「……アタシが生きているの、リディアさんのおかげだったんだ」
震える声で、まるで自戒するかの如く、ぽつりとそう漏らした。
イグナーツは新しい煙草に火を点け、頷いた。
「そうですね。彼女の必死の懇願が無ければ、私も動くことはありませんでした。この話は墓の下に持っていくつもりでしたが、せっかくなので伝えておきました」
淡白に言って、イグナーツは次にシオンを見遣る。
「それで、シオン。最後の覚悟を決めると言っていましたが、話を聞いて何か心境の変化はありましたか? ずっと喋って喉を少し痛めたので、それなりに面白い返答を期待したいところですが」
滞留した紫煙が晴れた先に、なんとも言えない表情をしたシオンの顔が現れる。
シオンは、赤い双眸に力を込めた。
「覚悟は決まった。ガイウスを止める」
「それは、ガイウスを殺すということですか?」
「それも選択肢に含めて」
なるほど、と、イグナーツは微笑した。
「創世の魔術を使わせない事を第一の目的にすると。復讐の方は?」
即答しないシオンに、イグナーツは小首を傾げる。
「同情したんですか?」
シオンは、組んだ両手に小さく力を入れた。
「まったくしていないと言えば、嘘になる。それに、リディアと俺を陥れて利用したことも赦せない。だけど――」
そこで一度黙り込み、項垂れるように頭を下げた。
「これ以上、あいつを苦しませておくこともできない」
「……今のガイウスを、苦しんでいると表現しますか。貴方もだいぶ大人になりましたね」
イグナーツは感慨深そうに唸り、煙草の火を消した。
「まあ、どちらにせよ、騎士団はガイウスの企みを阻止します。当然、貴方にも参戦してもらうことになるので、いい返事といえばいい返事ですね。存分に力を発揮してください。それはさておき――」
灰皿をテーブルに置いたあと、イグナーツは封筒を手に取った。ステラから送られてきた、生存対象の人選リストだ。
「ステラ女王陛下がこのリストの返却を渋って時間を稼いでくれているのを、無駄にはできません。急ぎ、総長を通じて今後の動きを決めていきましょう。任務の報告書をこれから出しにいくので、貴方も一緒についてきてください、シオン」
言われて、シオンは素直に従った。頷き、静かに立ちあがる。
「わかった」
エレオノーラを部屋に残し、シオンとイグナーツは総長のいる円卓の間に向かって歩いた。
道中、イグナーツがシオンに語り掛ける。
「今後の動きを決めると言いましたが、肝心なことがまだわかっていないですよね」
不意な問いかけに、シオンは首を傾げた。
「肝心なこと?」
「ガイウスたちが、どうやって創世の魔術を使おうとしているのか、という点です。大陸全土を巻き込んだ巨大な印章、それを今からコツコツと大地に描くとは考え辛い。我々の妨害ですぐに破綻してしまう。いったい、どんな策を使って――」
そこでイグナーツは黙った。バタン、という音が廊下に響くのと同時に、シオンがその場に前のめりに倒れたのだ。
「シオン!?」
シオンは床から体を引き剥がそうと全身に力を込めていたが、思うように動かせないでいた。そればかりか、呼吸困難のように表情を強張らせ、胸のあたりを強く押さえている。
イグナーツは駆け寄り、すぐにその症状が何であるかを察した。
「やはり、ずっと無理をしていましたね? “悪魔の烙印”の抑制を無視して“帰天”を使い続けたツケが、よりにもよって今来ましたか」
シオンと最初に戦った時から感じていた、無理をしてまで“帰天”を使い、体を酷使しているであろう予想が、まさにこれからガイウスとの決戦を控えるタイミングで当たってしまった。
「大丈夫だ……少し痛んだだけ――」
苦しみながら強がるシオンの右袖を、イグナーツは強引に捲った。すると、シオンの右腕は肘から手首の間が石膏のように白くなり、一部がひび割れていた。
「劣化……」
険しい顔でイグナーツが呟くと、シオンは右腕を払って振りほどいた。それからゆっくりと立ち上がり、大きく肩を動かして呼吸を整える。容体が落ち着いたのと同時に、右腕の変化も元通りになった。
「今はすぐに治るようですが、今後どうなるかわかりません。エレオノーラが解呪を進めてくれたおかげで幾分か負荷は軽くなっているはずですが、それを当てにするのもリスクが高すぎます。シオン、これは副総長命令です。私と総長の許可がないうちは、絶対に“帰天”を使わないこと。いいですね?」
しかし、イグナーツの忠告にシオンは返事をしなかった。
「……言って話を聞く子なら、今ここにはいませんか」
先行するシオンの背を見ながら、イグナーツは嘆息して顔を顰めた。




