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辺獄の黒騎士  作者: シベハス
第四部
345/352

第三章 賽は投げられたⅩⅩⅩⅩ

「お久しぶりです、シスター」


 面会室に入ったイグナーツは、会釈もなしに椅子に座った。鉄格子を挟んで向かい合わせに座るリディアは、少し憔悴した面持ちだったが、非常に落ち着いている様子だった。

 リディアは、徐に視線を上げ、イグナーツを双眸に捉えた。


「何の御用ですか?」

「訊かずともおわかりでしょう。エレオノーラの件です」


 面会の時間は限られている――ヴァルターの手配でどうにか実現できたが、猶予は五分もない。イグナーツは急かすように、早口で言った。


「申し訳ありませんが、それだけは何も言えません」

「貴女が密告された事と、何か関係があるのですか?」


 はじめから期待はしていなかったものの、やはり、エレオノーラという名を聞いた瞬間にリディアは口を噤んだ。

 イグナーツはすぐに話を変えることにした。


「わかりました。もう、エレオノーラについては何も訊きません。次に、ですが、こちらからお伝えすることがあります」

「何ですか?」

「シオンが謀反を起こし、反逆者――黒騎士に認定されました。いずれ死刑が執行されるでしょう」


 リディアは少し驚いた反応を見せたが、事態をある程度把握していたのか、すぐに平静さを取り戻した。収監されている間は外の情報など手に入ることなどないのに、いったい何故――そんな疑問がイグナーツの頭に浮かぶが、まずは話を進めることにする。


「シオンが教会の意向を無視して単独で行動を起こしたのは間違いなく彼自身の意思です。しかし、亜人たちが一斉蜂起し、それをガリアが鎮圧という名目で虐殺に踏み切ったのは、貴女が捕まったことが大きな転換期でした。一触即発で緊張状態だった情勢の中、機を伺ったように貴女が捕まったことは偶然とは思えません」

「私が、世界を混乱させるためにわざと捕まったと仰りたいのですか?」

「いいえ。ガイウスと何か取引をした結果、運命的にあの騒動が起きたのではと私は考えています」


 イグナーツの推理を聞いたリディアは、視線を下に落とした。


「ガイウスと貴女の間に何があったのかは知りませんが、貴女が捕まったことを含めて間違いなくすべてガイウスが手引きしたものだと思っています。勘の域は出ませんが、違いますか?」

「……たとえそうだとして、何故、私にそれを伝えるのですか?」

「ガイウスがあの騒動を起こした直接の目的は騎士団の弱体化でしょう。我々の動きを鈍らせることができれば、それだけで教皇庁は好き放題にやりたいことをやれる。ただ、何故そんなことをしたのかが、まったく予想できないのです。大陸のパワーバランスを大きく変えてまで、いったい何を成すつもりなのか――シスター、貴女には何か心当たりがあるのでは?」


 その問いに、リディアは顔を微かに顰めた。


「彼は……ガイウスは、すべてを憎んでいます。もう、何を憎めばいいのかもわからなくなっている状態です。ただ一つ残った感情、怒りに身を任せ、自分に課せられた使命と約束を果たすためだけに動いています」


 使命と約束――今度はイグナーツが怪訝になった。


「使命と約束とは?」

「イグナーツ卿」


 途端、リディアの表情が変わった。先ほどまでの弱々しいものとは違い、何かの決意を秘めたような強い力が込められている。


「ガイウスを止めることができるのは、恐らくシオンだけです。あの子だけが、彼を行き場のない怒りから救い出すことができる」


 突拍子もない言葉に、イグナーツはさらに眉間の皺を深くした。


「シオンが? 何故です?」

「シオンが教会を敵に回してまで亜人を救おうと動いたのは、あの子が正しくガイウスの教えと矜持を受け継いだから。いわば、シオンがガイウスの良心と正義そのものです。そんなシオンのことを、ガイウスは必ず恐れます。自分が捨てたすべてをあの子が持ち続けている。だから――」


 そこで一呼吸、リディアは黙る。そして、確かな覇気がその細身の体に込められた。


「これが、正真正銘、最期の私の我儘です、イグナーツ卿。シオンの事を、よろしくお願いします」


 罪人として刑を待つばかりのシオンを託す――つまりリディアは、彼を救い出してほしいと、遠回しに頼んできたのは。


「知りたいことを知りたければ、シオンを助けろと?」


 真意を確認すると、リディアは徐に、しかし力強く頷いた。

 これには堪らず、イグナーツも天井を仰ぐ。エレオノーラの時に続いて、こうも実直に無茶なお願いをされたことに、もはや怒りどころか呆れの感情すら湧かなかった。

 イグナーツは苦笑しながら肩を竦めた。


「不思議なものですね。一度ならず二度までもそんな身勝手なお願い事をされれば、さすがの私も怒りに我を忘れると思いましたが――今回は、素直に聞き入れます。これ以上、貴女から直接情報を聞き出すことはできそうにありませんしね。それに、どのみち私もシオンを利用するつもりでいました。ただし、その扱いには期待しないでください。あくまで、彼のやったことに対して、彼自身で落とし前を付けてもらう体でいくので」


 その回答に、リディアは満足したように微笑んだ。


「……ありがとうございます」

「エレオノーラにも協力してもらうつもりです。ガイウスと親子の血縁関係を持つ彼女は、罷免に向けての切り札になります。無論、彼女が混血であることは伏せておくので安心してください」


 これが潮時だろう――リディアからは、もう有益な情報を聞き出すことは叶わないと、イグナーツは諦めた。あまり当てにはしていなかったが、最後の最後で、シオンがキーパーソンであるとわかっただけでも収穫であった。


「それでは、私はこれで失礼します。貴女とは色々ありましたが、こんな結末になってしまい、大変残念です」


 イグナーツは立ち上がり、面会室の出入口に向かって踵を返した。

 その時、


「イグナーツ卿」


 不意に、リディアが呼び止めた。振り返ると、彼女はかなり切迫した面持ちで、目つきを鋭くしていた。


「ガイウスの不都合な真実は、禁忌の匣です。開けた瞬間に、世界は分水嶺に立たされます」


 不可解な言葉に、イグナーツは眉根を寄せる。


「どういう意味ですか?」

「貴方がすべてを知った時には、すでに世界の命運はガイウスの意思に委ねられている状態のはずです。それを阻止できるのは、きっと彼の弟子であったシオンだけ」

「そこまで言うのなら、いっそここですべてを教えていただけませんか? 何故、そこまで頑なに話してくれないのです? ガイウス、それとエレオノーラとの間に、いったいどんな関係があるのですか?」

「……すべてを話せないのは、大事な家族の尊厳と約束を守るため、そして、ささやかな贖罪です。それに――」


 ここで、面会時間の終わりを告げる音が扉から鳴らされた。


「もう、時間のようです」


 少しだけ意地の悪い笑みを見せたリディアに、イグナーツは軽く首を横に振った。


「ズルいヒトですね、本当に」


 最初から最後まで手ごわい女だった――リディアをそう評価しながら、イグナーツは面会室を後にした。







 リディアの処刑は、イグナーツの面会から二日後に執り行われた。場所はマリアと同じ刑場で、執行人はイグナーツとヴァルター、そして、ガイウスが立ち合うことになった。本来であれば、騎士以外の者が教会の執行する刑に同席することは極めて稀なことであり、ましてそれが教皇ともなると前例がなかった。建前としては、内紛を引き起こした騎士団の失墜に伴う第三者的な監視であるとのことだったが――実のところは、ガイウスの個人的な事情が絡んでいるのではと、騎士たちの間では噂されることになった。


 刑場の尖塔内に描画された巨大な印章――その中央に、リディアは静かに立った。

 イグナーツとヴァルターが受刑者に向けた最後の言葉を言い終え、魔術を発動させる。


「最期に何か言い残すことは?」


 印章を中心に室内が淡く輝きだした時、リディアの前に立つガイウスがそう訊いた。

 リディアは顔を上げ、じっとガイウスを見つめる。


「……すべて、貴方の言う通りだった。世界はとても残酷で、私もこうして理不尽によって殺される結末になった。貴方がずっと憎しみに心を痛めているのも、身に沁みてわかった。後悔しきれないほどに。そして――本当に救われるべき存在が誰なのかもわかった」


 冷たい仮面を被ったようなガイウスに対し、リディアは温かみのある微笑を見せた。今まさに命を散らす間際だというのに、その顔には恐怖や怯えはなく、慈母を彷彿させるほどに穏やかだった。


「ガイウス、これだけは覚えておいて。貴方が“本当の悪魔”になる前に、きっと救い出してくれるヒトが現れる。貴方が抱いていた教えと矜持は、正しく受け継がれているから」

「シオンが俺をどうにかすると? 黒騎士になったあいつが、今さら?」


 それを聞いたリディアは小さく笑った。


「それがシオンだなんて、私は一言も言ってないけど?」


 ガイウスの金色の双眸が、ほんの少しだけ細められる。


「たとえ貴方が世界を見捨てても、世界が貴方を見捨てることはない――それが、貴方の先生からの最期の教え」


 リディアの身体が徐々に光の粒子と化し、姿を消していく。


 そして――


「シオンは必ず貴方の前に戻ってくる。どれだけ苦しんでも、どれだけ負けても、勝つまで諦めない。かつての貴方がそうだったように――あの子も頑固で意地っ張りだから。師弟揃って、本当に手を焼かせてくれた」


 ガイウスの目に映ったリディアの最期の表情は、ここでマリアが見せたものと同じだった。

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