第39話 神殺しの伝説
どこまでも澄み渡るような、見事な青空だった。
昨日まで、世界の終わりを告げるような赤紫色の亀裂が走っていた空は、今は嘘のように穏やかな朝日に照らされている。
涼やかな風が吹き抜け、足元でサラサラと心地よい水音が鳴った。
「……うん。見事な水質ですね。地盤改良の結果としては、百点満点と言っていいでしょう」
黄色いヘルメットを小脇に抱えた玲奈は、インベントリから取り出した微糖の缶コーヒーをプシュッと開け、静かな湖畔で一人、朝日に向かって乾杯した。
彼女の目の前に広がっているのは、周囲数十キロに及ぶ広大な『鏡面湖』である。
元々は、数千万の神の軍勢を巻き込んで引き起こした超・水蒸気爆発によって穿たれた、すり鉢状の超巨大カルデラだった場所だ。
超高熱で地表の岩盤がドロドロに溶けた後、玲奈が放った『超高振動削岩機』による物理メモリ破壊の余波で、大地は極めて均一に、そして強固にプレスし直された。
結果として、クレーターの底面は滑らかな硝子体となって固まり、そこに砕かれた地脈から湧き出した清浄な地下水が一晩かけて溜まったのである。
太陽の光を反射し、まるで空を映す鏡のようになった巨大な湖。
かつて世界のバグ(神の本体)が巣食っていた汚染地帯は、たった一夜の突貫工事によって、世界で最も美しい絶景スポットへと整地されていた。
「おはようございます、お二人とも。昨日の残業、本当にお疲れ様でした」
玲奈が缶コーヒーを啜りながら空中のウィンドウに話しかけると、タスク管理ツール『Jira』の音声チャットがオンになった。
【チケットID:SYS-9999】
【ステータス:Closed(対応完了)】
【スプリント・レビュー(振り返り)】
【報告者:B(健太)】
『……おう。おはよう、玲奈。いや、なんかもう、色々規格外すぎて昨日はぐっすり寝落ちしたわ……』
『改めてJiraのログを確認したけどさ。お前、マジで【物理的な超高振動でメモリ配列を叩き壊してルート権限をデリートした】んだな……。サイバーセキュリティの講義で習った「ロウハンマー攻撃」を、異世界ファンタジーの神様相手に物理で実行する奴があるかよ……』
【報告者:A(結衣)】
『健太の言う通りよ……。私、あの後システムログの残骸を解析してみたんだけどね』
『神の本体、完全に【破損データ(garbage)】扱いになって、システムの自動クリーンアップ機能でゴミ箱に直行してたわ。魔力で倒すとかそういう次元じゃなくて、存在そのものを「バグ」として処理するなんて……うちのPMは、ハッカーよりえげつないわね』
結衣と健太の声には、深い疲労と、それ以上の呆れが混じっていた。
「人聞きの悪いことを言わないでください。私はただ、仕様書にない悪質なクレーム(即死ビーム)に対し、現場にある廃材を有効活用して、物理的に『差し戻し』を行っただけです」
玲奈は心外だというように肩をすくめた。
「そもそも、タスクキルを受け付けない古いレガシーシステムが現場のど真ん中に鎮座していたら、今後の基礎工事の邪魔でしょう? 地盤が固かったので少し大掛かりな重機を使いましたが、無事に撤去できて何よりです。おかげでこの通り、地ならしも完璧に終わりましたし」
【報告者:A(結衣)】
『その地ならしの規模が、地図を書き換えるレベルなんだけどね……』
結衣がため息をついた、その時だった。
ガシャ、ガシャ、ガシャ、ガシャ……ッ!!
静かな湖畔の空気を切り裂くように、無数の重厚な金属音が響いてきた。
玲奈が振り返ると、カルデラの縁を越えて、フルプレートの銀鎧に身を包んだ一団が姿を現したところだった。
王国の紋章を掲げた盾、そして血走った目をしている屈強な男たち。決死の覚悟で最終決戦の討伐支援に駆けつけた、王国騎士団の精鋭NPCたちである。
「おお……なんということだ……!」
部隊の先頭を走っていた、豪華なマントを羽織る騎士団長らしき男が、目の前に広がる光景を見て息を呑んだ。
彼らが覚悟していたのは、神の軍勢によって蹂躙された凄惨な死地である。
しかし、そこに広がっていたのは、一切の穢れがない澄み切った鏡面湖と、黄色い奇妙な兜を抱え、作業着姿で缶コーヒーを飲んでいる小柄な少女の姿だけだった。
「……あ、おはようございます。王国軍の皆さんですね。ご苦労様です」
玲奈は現場を訪れた視察団に対応する現場監督のように、ペコリと軽く頭を下げた。
その瞬間。
騎士団長は武器を放り出し、ガシャンッ! と大きな音を立てて、玲奈の目の前で大地に膝をついた。
それに続くように、数百人の騎士たちが一斉に武装を解除し、平伏する。
「お、おおお……! これぞ、これぞまさしく神話の再来! 我らが到達するより早く、あのおぞましき邪神を一人で浄化し、この荒れ果てた死の大地を、かくも美しき聖なる湖へと造り変えられたというのか……!!」
「……はい?」
感極まったように声を震わせる騎士団長に対し、玲奈はキョトンと首を傾げた。
「あの、浄化というか……ただ不要物を破砕して、安全に整地しただけですよ? 地下水が湧いたのは、少し地脈を叩きすぎた結果の副産物ですし」
「おお、なんと謙虚であられることか! あれほどの巨悪を『不要物』と一蹴なされるとは! 我ら矮小な人間には想像もつかぬ、圧倒的なる御力……ッ!」
「いえ、ですから。現場の安全確保のために、粗大ゴミ(バグ)を撤去して更地にしただけでして。むしろ、これからが本番の工事なんですけど」
「聞け、総員! 古き悪しき神は滅びた! 今ここに、新たな大地を創世せし【破壊の女神】様が降臨されたのだァァァァァッ!!」
『『『うおおおおおおおおおおっ!! 破壊の女神様、万歳ッ!!』』』
騎士たちの熱狂的な歓声が、鏡面湖にこだまする。
涙を流して拝み倒してくる屈強なNPC兵士たちを前に、玲奈は完全に置いてきぼりを食らっていた。
【報告者:B(健太)】
『……ぶっ!! あっははははははっ!! おい玲奈、お前NPCから【破壊の女神】として信仰され始めてるぞ!!』
『あいつら、お前が「定時を過ぎたから」ってブチギレて、物理でシステムを叩き割っただけだって知ったらどんな顔するんだろうな!!』
【報告者:A(結衣)】
『笑い事じゃないわよ健太。これ、完全にNPCの信仰心パラメータがバグ(オーバーフロー)を起こしてるじゃないの。……神話と土木のアンジャッシュ現象ね、これ』
Jiraの向こう側で、腹を抱えて笑う健太と、呆れ果てる結衣。
「笑わないでください。非常に困ります。私は神でも女神でもなく、一介のプロジェクトマネージャー兼、現場監督です」
玲奈は深いため息をつき、騎士団長に「とりあえず立ってください、危ないので」と手を差し伸べようとした。
その時である。
玲奈の視界のど真ん中に、システムからのファンファーレ音と共に、ド派手な金色のウィンドウがポップアップした。
『ピロリンッ♪』
『システムアナウンス:ワールドクエスト【レガシーシステムの強制終了】を単独で達成しました』
『条件を満たしたため、特殊称号【神殺しの破壊女神】を獲得しました!』
『※称号効果:NPCからの絶対的な畏怖と信仰、土木系スキルの物理破壊力に莫大なボーナスが付与されます』
「…………」
玲奈の目が、スッと虚無になった。
「……結衣さん、健太さん。チケットの発行をお願いします。タイトルの変更要請です」
「【神殺しの破壊女神】だなんて、物騒すぎて安全衛生に完全に違反しています。私は破壊したいのではなく、建設したいのです。運営にクレームを入れて、すぐに【優良・現場監督】などの無難な称号に修正させてください」
【報告者:B(健太)】
『無理言うなよ! 称号システムは完全自動化されてんだから、カスタマーサポートに文句言っても絶対に通らねぇって!』
『諦めて破壊の女神を名乗れよ、玲奈!』
「断固拒否します。名刺にそんな肩書きを書いたら、まともな下請け業者が寄り付かなくなります」
玲奈はポップアップした金色のウィンドウを、忌々しそうにスワイプして不可視化した。
「……まあいいです。称号の件は後でゆっくりJiraの課題リストに積んでおくとして」
玲奈は手にした黄色いヘルメットを被り直し、顎紐をキュッと引き締めた。
そして、平伏し続ける騎士団長たちに向かって、パンパンと柏手を打って注目を集めた。
「王国軍の皆さん! 感激しているところ申し訳ありませんが、感傷に浸るのはそこまでにしてください!」
「ここからがプロジェクトの真のスタートです。旧システムの残骸は綺麗に除染され、ご覧の通り、完璧な更地が完成しました」
玲奈は、太陽の光を受けて輝く美しい湖と、その周囲に広がる広大な更地を指差した。
「これより本プロジェクトは、【第1期:バグ除去・地盤改良工事】を完了とし――【第2期:新たな街づくり(サーバー構築)の基礎工事】へと移行します!」
「NPCの皆さんも、タダで泣いている暇はありません。信仰心などというあやふやなリソースを割くくらいなら、シャベルとツルハシを持ってください。労働力としてガッツリ働いてもらいますからね!」
神殺しの偉業を成し遂げた直後だというのに、少女の瞳はすでに、次なる建設スケジュールのガントチャートを見据えていた。
「それでは! 第2期工事も、ゼロ災で行こう、ヨシッ!」
「ヨ、ヨシッ……?」
意味も分からず復唱する騎士団長たち。
かくして、世界を救った破壊の女神による、前代未聞の『超・土木建築ファンタジー(第2フェーズ)』の幕が、美しき鏡面湖のほとりで静かに、そして力強く上がり始めたのであった。




