第38話 物理メモリ破壊(ロウハンマー)と完全解体
キュイィィィィィィィィィィィィン……ッ!!
それは、空間そのものが悲鳴を上げているかのような、甲高い超高振動の音だった。
カルデラの中腹に突貫工事で組まれた青いCADの足場。
その先端で、黄色い安全ヘルメットを被り、ダボダボの作業着を纏った少女――玲奈は、両手で握りしめた超高振動削岩機(即席パイルバンカー)のグリップにぐっと力を込めていた。
初期装備の鉄の剣を芯材とし、水神の心臓、神風の嘴、そして|イフリートの熱変換コア《プラグ》を強引にマージ(接合)して組み上げた、全長三十メートルにも及ぶ【漆黒の巨大な杭】。
イフリートの熱源が爆発的なピストン運動を開始し、重機の先端から解き放たれる目に見えない振動波が、周囲の空気と空気中のテクスチャ(空間データ)を波紋のように歪ませていく。
――ピピ、ピピッ。
その時、玲奈の視界の右隅に浮かぶ、システム標準のデジタル時計の表示が切り替わった。
『18:01』
定時である十八時を、わずか一分、過ぎた瞬間だった。
「……あ」
玲奈の口から、氷点下よりも冷たい吐息が漏れ出た。
『ガハッ……! ガ、アアアアアアアアアッ……!!』
すり鉢状のクレーターの底――先ほどの超・水蒸気爆発によって融解し、ツルツルに硝子化してしまった灼熱の大地の上で。
半身を溶かした【神の本体】が、黒焦げの腕を天にかかげ、おぞましいバグノイズ混じりの絶叫を上げていた。
『愚カナル……エラー……ドモ、ヨ……! 我ガ……意地……ッ! 我が……ル、ルート権限ノ……誇リニ……懸ケテ……ッ!!』
顔面の幾何学模様から真っ赤なエラーウィンドウを無数に撒き散らしながら、神の本体は胸のコアに全世界の初期化プログラム――即死級範囲攻撃『粛清の光』のエネルギーを狂ったように集束させ始めていた。
通常の攻略プロセスであれば、形態変化(第二形態)による最後の発狂モードだ。
神の周囲の空間が赤黒く変色し、世界の物理法則そのものを上書きしようとする高密度のデータ領域が巨大な球体となって膨らんでいく。
【チケットID:SYS-9999】
【報告者:A(結衣)】
『ちょっと玲奈! ダメよ、早く退避して!!』
『神の本体の出力係数が天井を突き破ってるわ! あの即死ビーム、システム上の絶対死判定が重複してる! ガードも回避も絶対に不可能な、完全な仕様外の攻撃よ!!』
【報告者:B(健太)】
『くそっ……! 最後の最後で、システム権限によるチート攻撃かよ……!?』
『玲奈、逃げろ! 命綱(安全帯)を外して後ろへ跳べ!!』
タスク管理ツール『Jira』の音声チャット機能から、結衣(ユーザーA)と健太(ユーザーB)の悲痛な悲鳴が響き渡る。
しかし。
足場の先端でパイルバンカーを構える玲奈の反応は、二人の予想とはまったく異なるものだった。
玲奈の半目が、さらにジト目へと深まる。
ヘルメットの下の瞳には、世界を滅ぼす神の威圧感に対する恐怖など微塵もなかった。
そこに宿っていたのは――「定時を過ぎて残業を強いられた現場監督の、底知れない怒り」であった。
「……もう定時過ぎてるんですけど」
玲奈の低く冷ややかな声が、チャットの回線を伝っていく。
「十七時半の進捗確認(進捗ミーティング)の時点で、作業はほぼ完了していたはずです。それなのに、終業時間を過ぎてからこんな仕様書にない突発障害(不具合)を発生させるなんて……」
玲奈は、作業着のポケットからタッチペンを取り出すと、目の前に広がる神の攻撃予兆(赤いエリア表示)を不機嫌そうにコツコツと叩いた。
「事前の要件定義にも入っていませんし、変更管理の手続き(チケットの発行)も通していません。仕様書にない非同期攻撃を連発して現場を荒らすなんて……悪質なクレーマー以外の何物でもありませんよ」
『消エ……去レェェェェェェッ!!!』
神の本体が、最後の力を振り絞って巨大な腕を振り下ろした。
胸のコアから解き放たれたのは、世界そのものを白紙へと書き換える、純白と漆黒が入り混じった極太の『粛清の光(即死ビーム)』。
それはカルデラの中腹に立つ玲奈を目掛けて、空間を溶かしながら一直線に迫る。
「納期(定時)遅延は、現場監督として絶対に容認できません」
玲奈は腰の安全帯がCADの支柱にしっかりロックされていることを指差しで再確認した。
「安全帯ヨシ! グリップ保持ヨシ!」
「仕様外のクレーム(攻撃)は――物理で受発注を差し戻します!!」
ズドォォォォォォォォォォォォン……ッ!!!
玲奈は躊躇なく、三十メートルの漆黒の杭を迫り来る即死ビームの真っ芯に向かって振り下ろした。
本来であれば、システム上の「絶対死」の判定を持つビームに触れた瞬間、プレイヤーキャラのデータは消去されるはずだった。
しかし、玲奈が繰り出したのは魔法でもスキルでもない。
毎秒数万回という規格外のピストン運動によって生み出された『超高振動エネルギーの物理塊』である。
バツンッ! という、データが断絶したような奇妙な不快音が響いた。
なんと、神が解き放った絶対死のビームが、三十メートルの漆黒の杭の先端に触れた瞬間、物理的な衝撃波によって『ガラスのように粉々に砕け散った』のだ。
【報告者:A(結衣)】
『はぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?!?』
『即死ビームが……物理的な振動で弾かれた(割れた)!? 意味が分からないわよ! どんな物理エンジン積んでたら概念攻撃が割れるのよ!?』
【報告者:B(健太)】
『弾いたんじゃない……! 打ち砕いて、押し返してやがる……!?』
健太の叫びの通りだった。
イフリートの熱変換コアと水神の心臓が爆発的な推進力を生み出し、神風の嘴が空気抵抗をゼロに固定する。
玲奈が突き立てた漆黒の杭は、神の即死ビームを先端から力任せに破砕しながら、光の束を左右へと押し開き、そのまま一直線に落下の加速度を増していく。
「地盤が固いなら、直接【破砕】するまでです!」
玲奈は空中足場から身を躍らせ、パイルバンカーの質量そのものとなって上空から垂直落下した。
ターゲットは、カルデラの底で開いた口が塞がらない神の本体――その頭頂部から胸のコアにかけて。
ズガァァァァァァァァァァァァァンッッッ!!!
絶妙な精度で狙われた三十メートルの漆黒の杭が、神の本体の頭蓋を易々と貫通し、胸のコアを破壊しながら、その下の硝子化した硬質大地へと深々と突き刺さった。
『ガ……ッ!? ゴ、ボ……ッ!? ナ、ニ……ガ……ッ!?』
神の本体が、巨体を激しく痙攣させる。
神の体内に完全にめり込んだパイルバンカー。玲奈はその重機のグリップの上に両足で着地し、ヘルメットの顎紐を指でギュッと締め直した。
「残業時間の延長は認められません。これより、物理的な強制シャットダウンを行います」
玲奈は重機のスロットルレバーを、限界を超えて『フル開口』の位置まで押し倒した。
ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッッッ!!!
その瞬間、世界を揺るがす地鳴りが巻き起こった。
超高振動削岩機から発せられたのは、単なる打撃音ではない。
毎秒数十万回におよぶ、高密度な連続超音波振動。
それが、神の体内のデータ構造、そして神が足場としているカルデラの地脈(サーバーのメモリ領域)へ向けて、ダイレクトに叩き込まれたのだ。
サイバーセキュリティの世界には、一つの有名な攻撃手法が存在する。
『ロウハンマー攻撃』。
メモリ(DRAM)の特定のアドレス(行)に対して、物理的に超高速でアクセスを繰り返すことで、漏れ出た電荷が隣接するメモリセルの電荷を狂わせ、データを書き換えて(ビット反転させて)しまうというハードウェアの脆弱性を突いた手法である。
玲奈が今、行っているのは、まさにそれの『超・物理版』であった。
毎秒数十万回の物理的な激震が、神の内部のワイヤーフレームを揺らし、構成データを物理的に振動させる。
その結果、神のプログラムが記憶されているメモリ領域の隣接セルに強烈なノイズが伝散し、データが次々と書き換わっていった。
――『1』だったビットが、『0』へと反転する。
――『ルート権限(管理者)』のデータ領域が、振動によるノイズで『破損データ( garbage )』へと上書きされていく。
『カハッ……! ア、アババババババババババババババッ……!?』
神の本体の全身から、無数のエラーウィンドウが噴き出した。
絶対の存在であったはずの神の体が、チカチカとノイズを立てて点滅を始める。
自己修復プログラム(リストア)を走らせようとする神だったが、修復に必要なメモリ領域そのものが物理的な振動で「0」と「1」の濁流と化して破壊されているため、修復処理そのものがエラーを起こして失敗する。
「よし、ビット反転を確認」
玲奈は冷徹に重機のメーターを見つめていた。
「物理メモリ破壊、完了。システム構造の完全解体に入ります」
『我ハ……神、ダ……! 世界、ノ……規律、ナノ……ダァァァァァ……ッ!!』
断末魔の叫びを上げる神の本体。
しかし、その巨体はすでに、つま先から順に巨大なブロックノイズとなって崩れ落ちていた。
もはや魔法の爆発すら起きない。ただ、存在そのものが「処理しきれないゴミデータ」として、システムから弾き出されていく。
ズズズ……ッ、ドカンッ!!
最後に、三十メートルの漆黒の杭がカルデラの底を完全に破砕した瞬間、神の本体は一粒の光も残さず、画面がバグったような大きなノイズ音と共に、跡形もなく消滅(フリーズ落ち&デリート)した。
跡に残されたのは、削岩機によって綺麗に平坦にならされた、静まり返る巨大なクレーターだけだった。
…………。
静寂が、カルデラを包み込む。
空を覆っていた赤紫色の亀裂は綺麗に塞がり、澄み渡った青空が広がっていた。
世界的危機であった「世界の初期化」は、こうして完全に回避されたのだ。
「ふぅ……」
玲奈はパイルバンカーのエンジンを切り、停止した重機をスッとインベントリへと格納した。
そして、黄色いヘルメットを脱ぎ、額の汗を作業着の袖でサッと拭う。
「……作業完了です。これにて本日の突貫工事を終了します」
タスク管理ツール『Jira』の画面を開き、玲奈は音声入力でテキパキと最終処理を行った。
【チケットID:SYS-9999】
【ステータス:Closed(対応完了)】
【作業内容:障害原因(神の本体)の物理破砕およびメモリ領域の完全除染】
【報告者:C(玲奈)】
『結衣さん、健太さん、お疲れ様でした。現場の初期化バグは完全に除去されました』
『18時05分。これより現場の撤収作業に入ります。なお、超過した5分間につきましては、後ほど残業申請(15分単位切り上げ)を出しておきますので、承認をお願いします』
【報告者:A(結衣)】
『……残業申請のことしか頭にないのかアンタはぁぁぁぁぁぁぁッ!!!』
【報告者:B(健太)】
『いや……でも、勝ったんだな……俺たち……』
結衣の絶叫と、健太の脱力したような声がJiraから聞こえてくる。
玲奈は二人からの応答を「了解」と受け止めると、足元に広がる綺麗に整地された大地を見下ろし、満足そうに小さく頷いた。
「よし。これで明日からの基礎工事(第2期)も、予定通り進められそうですね」
青空の下、現場監督の少女はヘルメットを再び被り直し、安全第一の足取りで現場を後にするのだった。




