第40話 ログアウトと完璧なシンクロ
抜けるような青空と、鏡のように澄み切った巨大な湖。
新たな創世の伝説の始まりを前に、NPCの騎士たちが歓喜の涙を流して平伏する中。
現場監督たる玲奈が、第二期工事に向けた力強い安全確認の号令を掛けた、まさにその直後だった。
『ピロリンッ♪』
突如として、世界の空気を切り裂くような、無機質なシステム音が鳴り響いた。
次いで、玲奈たちの頭上――澄み渡っていた仮想世界の空に、巨大な赤い警告ウィンドウが幾重にも重なって展開される。
【システムアナウンス:全ユーザーへのお知らせ】
【重要】サーバーの緊急メンテナンスを実施いたします。
対象エリアにおける「想定外の大規模な地形データの書き換え」および「ルート権限の予期せぬ消失」により、物理演算エンジンに深刻な負荷が発生しております。
システムの安定化を図るため、これより3分後に全ユーザーを強制ログアウトいたします。
ご不便をおかけしますが、ご理解とご協力をお願いいたします。
「……おや」
空を埋め尽くす赤い警告文を見上げ、玲奈は黄色いヘルメットの鍔をクイッと押し上げた。
一方、眼下で平伏していたNPCの騎士たちは、突然空に現れた赤い文字の羅列(彼らには神の啓示か何かに見えているのだろう)に恐れおののき、再びパニックに陥り始めていた。
「おおお、神の……いや、女神様の奇跡に、世界そのものが震えておられる!」
「我らも早く祈りを捧げるのだ! 破壊の女神様、万歳ッ!」
「あー、皆さん、落ち着いてください。ただの定期保守です。現場の安全確認のためにシステムを再起動するだけですから」
的外れな方向に信仰心を高めていくNPCたちを適当にあしらいながら、玲奈は自身の眼前にホログラムのログアウトメニューを展開した。
「それにしても、想定外の地形データの書き換え、ですか……。運営の設計見積もりが甘かったようですね。三十メートルの即席パイルバンカーで地脈を物理的に叩き直した程度で処理落ちするなんて、少し物理エンジンが貧弱すぎるのでは?」
【チケットID:SYS-9999】
【報告者:A(結衣)】
『いや、普通は30メートルの質量兵器でサーバーのメモリを物理破壊するユーザーなんて想定してないから!!』
『あんたのせいで物理エンジンが悲鳴を上げてるのよ! 自覚しなさい!』
【報告者:B(健太)】
『公式フォーラムがすげぇことになってるぞ。「隠しワールドクエストか!?」「いや、運営の用意したイベントじゃないっぽいぞ!」ってお祭り騒ぎだ。……まさか一人の現場監督が「残業代」にブチギレて神を粉砕した結果だとは、誰も思ってないだろうな……』
タスク管理ツール『Jira』の音声通話越しに、結衣と健太の呆れ返った声が響く。
「結果として現場の汚染は取り除かれ、地盤改良も完璧に終わったのです。プロジェクトとしては大成功でしょう」
玲奈は赤い警告文が点滅する空を見上げ、ふう、と満足げな息を吐いた。
「まあ、ちょうどキリが良いですね。本日の実地作業はこれにて終了としましょう。お二人とも、お疲れ様でした。残りの事務処理は、現実世界に戻ってから片付けます」
『『おつかれー』』
二人の返事を聞き届けると同時に、玲奈はログアウトのボタンを躊躇なくタップした。
視界がふっと暗転し、浮遊感と共に意識が現実の肉体へと急速に引き戻されていく。
――リンク・アウト。
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▽ ▽ ▽
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ヴン……という、PCの冷却ファンの低い駆動音が耳に届いた。
エアコンの効いた、ひんやりとした六畳間の自室。
「……ふぅ」
玲奈は頭部に装着していたVRヘッドセットを外し、デスクの傍らにそっと置いた。
ゲーム内のダボダボの作業着とは違い、現実の彼女は動きやすいパーカーにスウェットという、至って普通の女子大生(あるいは若手社会人)の姿である。
だが、その目の前に広がるデスク環境は、とても一般のゲーマーのものとは思えなかった。
トリプルモニターで構成された広大なデスクトップ空間。
左の画面には、先ほどまでVR空間で共有していたタスク管理ツール『Jira』のダッシュボードと、細かく引かれた進行管理表。
中央の画面には、膨大な数値データが入力された『Excel』の表計算シート。
そして右の画面には、作成途中の『PowerPoint』のプレゼン用スライドが開かれていた。
『ピコンッ』
手元のスマートフォンが鳴り、コミュニケーションツール『Discord』にメッセージが飛び込んでくる。
【結衣】:おつかれ! いやー、マジで凄まじいラストだったな……。
【健太】:お疲れ様。VRとはいえ、あんな規格外の重機クラフトと巨大エネルギーの衝突を間近で見せられるとは思わなかったよ。映画より迫力あったわ。
【健太】:で、玲奈。今からそっちの『本業』の資料作りか?
画面越しの二人の労いに対し、玲奈は手元のキーボードを軽快に叩いて返信した。
【玲奈】:お疲れ様です。はい、先ほどの最終決戦で、必要な環境データとエネルギー変換効率のログはすべて取得できました。
【玲奈】:記憶が鮮明なうちに、明日のゼミ(あるいは定例会議)で提出する企画書を完成させてしまいます。
玲奈がVRMMOの世界で、ひたすらCADで足場を組み、土木作業に勤しみ、しまいには即席パイルバンカーで神を物理粉砕していたのには、明確な理由があった。
彼女はあのゲーム世界を、自身の専攻する「プロジェクトマネジメントと環境工学の融合」をシミュレーションするための『巨大な実験場』として利用していたのだ。
玲奈は手元のマグカップに入ったブラックコーヒーを一口飲み、頭を完全に「現実のプロジェクトマネージャー」の思考へと切り替えた。
カタカタカタカタッ……!
タァンッ!
六畳間に、猛烈なスピードでキーボードを叩くタイピング音が響き渡る。
玲奈は、ゲーム内で回収した『イフリートの超高熱セラミック核』や『バグデータの圧縮残骸』、そして『神の本体の出力係数』のシステムログを、淀みなくExcelの計算式へと落とし込んでいく。
「……よし。熱エネルギーから振動エネルギーへの変換ロスは規定値内に収まっていますね。水神の心臓をシリンダーとして使った際の耐久限界も、理論値通りです」
玲奈は独り言を呟きながら、中央の画面で弾き出したデータグラフを、右の画面のPowerPointスライドへと次々にコピペしていく。
スライドの表紙にデカデカと打ち込まれたタイトルは、こうだ。
『持続可能な社会の実現に向けて
〜クリーンな環境整備と、無駄なエネルギー(神の炎)の再利用〜』
一見すると真面目な学術論文か企業の新規事業企画書だが、その中身は、先ほどまで異世界で繰り広げていた【神殺し】のプロセスを、徹底的にロジック化したものだった。
【第1項:現状の課題分析】
『世界の根幹に居座るレガシーシステム(神の本体)が、不要なタスク(即死ビーム等の仕様外攻撃)を乱発することで、膨大なリソースの浪費と環境破壊(マップの焦土化)を引き起こしている』
【第2項:解決アプローチ(資源の再利用)】
『現場に放置された産業廃棄物を回収・マージし、超高振動削岩機をクラフト。既存の無駄なエネルギー(イフリートの熱コア)を、物理的な破砕力へと100%変換する』
【第3項:実行プロセスと結果】
『地脈に対する物理的な超高振動アクセス(ロウハンマー攻撃)により、レガシーシステムを安全かつ完全に解体。副産物として地下水脈を誘発し、焦土を自浄作用のある鏡面湖(クリーンな環境)へと再構築した』
【結衣】:……玲奈。あんた、あのファンタジー感ゼロのえげつない神殺しを、完全に『持続可能なエコ事業の成功事例』としてプレゼンする気!?
【健太】:しかもスライドの構成が完璧すぎる……。読めば読むほど、「確かに古いシステム(神)は物理で破砕して更地にした方がエコだな」って説得されてしまう自分が怖い……。
画面共有でスライドの仕上がりを見ていた結衣と健太が、ドン引きを通り越して感嘆の声を漏らす。
「当然です。私たちが費やしたあの膨大な作業時間(工数)と、最後に強いられた理不尽な残業。これらを単なる『ゲームの思い出』で終わらせるわけにはいきません。しっかり現実の成果物として昇華してこそ、プロの仕事です」
玲奈は迷いなくマウスを操作し、完成した全30ページに及ぶ企画書のPDFファイルを、提出先のアドレスへと添付した。
宛先は確認済み。件名ヨシ。添付ファイルヨシ。
「送信完了、と」
タァンッ、と小気味よくエンターキーを叩き、玲奈は大きく背伸びをした。
「……ふふっ」
やり遂げた充実感と共に、玲奈の口元に自然と笑みがこぼれる。
VRの世界であれ、現実のデスクワークであれ、問題の根質を見極め、適切な手順を踏んで解体し、新たな価値を創造する。その根幹はまったく同じだ。
「やっぱり――悪質なゴミ(神)は、迅速に分別・処分しなきゃダメですね」
六畳間のPCモニターの青白い光に照らされながら、玲奈は手元のマグカップを傾けた。
世界を救った破壊の女神の伝説は、仮想世界のNPCたちに任せておけばいい。
こちら(現実)にはこちらの、次なるプロジェクトが待っているのだから。
――プロジェクト【世界の初期化バグの破砕と環境整備】。
これにて、全タスク完了である。




