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第35話 キルゾーンへの誘導と指差喚呼

すり鉢状に大きく抉り取られた、直径数十キロメートルにも及ぶ超巨大な陥没地形(カルデラ)。

その果てしなく深い底へと向かって、黒と白の凄まじい雪崩が押し寄せていた。


空を覆い尽くしていた禍々しい赤紫色の亀裂から溢れ出した、数千万、数億ともしれない神の軍勢(デリート・プログラム)たち。純白の翼を持ち、無機質な単眼レンズを不気味に光らせる機械の天使の群れが、羽音というよりはシステムノイズのような耳障りな駆動音を響かせながら、斜面を滝のように下っていく。

彼らが執拗に追いかけているのは、黒い甲冑に身を包んだ帝国の兵士たち――健太(ユーザーB)がこの世界に築き上げた、数万のNPC軍勢だった。


「ひるむな! 盾を構えろ! 少しでも奴らの足を引っ張り、底へと引きずり落とすのだ!」

「我らが皇帝陛下(ユーザーB)の御為に! この命、世界の礎とならん!」


NPCの将軍が血を吐くような絶叫を上げ、兵士たちが決死の覚悟で天使の群れに突撃していく。

しかし、圧倒的な物量と個体性能の差の前に、黒い装甲の波は白い光に飲み込まれ、次々と光の粒子(ポリゴン)となって消滅していく。

彼らは自らを捨て駒とし、自身の命(データ)と引き換えに敵の敵対心(ヘイト)を稼ぎ、神の軍勢をカルデラの最深部――あらかじめ玲奈が【発破マーカー】を仕掛けた巨大な『キルゾーン』へと文字通り「流し込んで」いるのだ。


視界の右下、タスク管理ツール『Jira』の音声チャット機能から、健太の悲痛な叫びが響き渡った。


【チケットID:SYS-9999】

【優先度:Severity 1(致命的障害)】

【報告者:B(健太)】

『ぐっ……! 第一軍団、全滅! 右翼を支えていた第二軍団も、損耗率が八十パーセントを超えた……!』

『だが、奴らのシステム的なヘイトは完全にカルデラの底に固定した! 俺の兵士たちも……最後まで一歩も退かずに、敵を押し込んでくれている……ッ!』


キーボードを叩く音の合間に、健太のギリッと歯を食いしばる音が聞こえてきそうだった。

自らが何千時間もかけて育て上げ、共に戦い、築き上げてきた王国と兵士たちが、世界の初期化を防ぐために次々と散っていく。正真正銘の、王道RPGのクライマックスにおける、胸を打つ自己犠牲のドラマがそこにはあった。


だが。

その壮絶な戦場を、カルデラの中腹――神の軍勢の進路から外れた安全圏に構築した青いCAD(キャド)の足場の上から見下ろしている一人の少女の目には、その光景はまったく違ったものに映っていた。


「……素晴らしいですね」


ダボダボの作業着を着て、頭に黄色い安全ヘルメットを被った玲奈は、作業着のポケットから片手を抜き、深く感心したようにつぶやいた。

彼女の視線の先では、数万の兵士が命を散らし、世界を滅ぼす天使の群れが渦を巻いている。


「あのように大量の粗大ゴミ(神の軍勢)が、途中でつっかえることもなく、焼却炉の底へと非常にスムーズに搬入されていきます」

「健太さん、見事な動線確保です。現場の作業員たちが命綱もつけずに体を張ってくれているおかげですね。まさに完璧なトラフィック誘導(交通整理)――まるで巨大なベルトコンベアの美しい流れを見ているようです」


【報告者:A(結衣)】

『ベルトコンベアって言うな! あいつらは命懸けで戦ってんのよ!? ちょっとは感動しなさいよ!』


Jiraのチャット画面で、結衣(ユーザーA)が血相を変えて激しいツッコミのタイピングを連打してくる。


【報告者:A(結衣)】

『それより玲奈! 下を見てよ、カルデラの底のオブジェクト密度! 控えめに言って地獄よ!?』

『何千万体っていう天使のモデリングデータが一箇所に密集しすぎて、サーバーの描画限界が完全に突破しかけてるわよ!』


結衣の悲鳴は、決して大げさなものではなかった。

カルデラの底は、いまや隙間なく押し込められた純白の天使たちによって、地面のテクスチャが一切見えないほどの「超高密度なエラーデータの塊」と化していた。

玲奈の視界でさえ、天使たちが動くたびに処理落ちによるブロックノイズが発生し、空間全体がカクカクと不自然なコマ送りのようになっている。


【報告者:A(結衣)】

『サーバーからの警告(アラート)が鳴り止まないわ! VRAMの許容量も限界! 早く、早く処理しないと、ラグどころかシステムがフリーズして、私たちのVRギアごとメモリが焼き切れるわよ!! 起爆マーカーはもうセットしたんでしょ!? 早くスイッチ押しなさいよ!!』


一歩間違えば世界そのものがクラッシュしかねない、文字通りの危険水域。

しかし、現場監督たる玲奈はまったく慌てる様子もなく、ダボダボの作業着の裾をパタパタと払った。


「結衣さん、慌てないでください。現場の基本原則を忘れていますよ」


【報告者:A(結衣)】

『基本原則!? こんな世界の終わりに土木作業の基本とか言われても困るんだけど!』


「ゴミ箱(キルゾーン)というものは、容量の限界ギリギリまで詰め込んだ方が、圧倒的にエコ(リソース節約)なんです」


玲奈は空中に展開した青いホログラムの測量尺(スケール)を指で弾きながら、実に堂々とした態度で言い放った。


「考えてもみてください。ゴミが少し入るたびにいちいち焼却炉(ボイラー)を稼働させていたら、燃料代(サーバー負荷)の無駄遣いでしょう? バッチ処理(一括処理)はシステム運用における基本中の基本です。中途半端に処理を走らせると、後で焼け残ったゴミの分別が面倒になりますからね。全員が綺麗に一箇所へ集まりきるのを待ちます」


その、あまりにも冷徹すぎる主婦的エコ思想と、業務効率化のロジックを前に、結衣は完全に絶句して言葉を失った。


ザッ……ザッ……ザッ……。


やがて、悲壮な足音と剣戟の音が途絶えた。

NPC軍勢が最後の突撃の果てに全滅し、カルデラの底から、黒い装甲の兵士たちの姿が完全に消え去ったのだ。

彼らの尊い犠牲によって、健太の目的は百パーセント達成された。


カルデラの底――地下水脈とマグマ溜まりの真上に位置する極大のキルゾーンに、数千万の神の軍勢が、文字通り「すし詰め」状態で押し込められている。


そして。


――ズウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン……ッ!!


大気が悲鳴を上げ、カルデラ全体が激しい地震に見舞われたかのように揺れた。

黄金の六枚羽を広げた、超巨大な【神の本体(ルート・プロセス)】。

すべての異物を排除し、世界を初期化すべく降臨したラスボスが、カルデラの最深部――玲奈が仕掛けた爆破トラップの、まさに『ど真ん中』へと、その巨体をゆっくりと降り立たせたのだ。


『――愚かなるエラーどもよ』


神の本体が、全天を揺るがすほどの凄まじい大音量で、再び宣言を開始した。

その顔のない幾何学模様の頭部が、カルデラの中腹の足場にぽつんと立つ玲奈を正確にとらえる。


『――袋小路に逃げ込んだつもりが、自ら墓穴を掘ったな。その矮小な存在ごと、この空間のデータを完全初期化(フォーマット)してくれる!』


神の本体の周囲に、空間を粉々に引き裂くほどの莫大なエネルギーが収束していく。

黄金の光が渦を巻き、カルデラの底から天を突くような巨大な光の柱が立ち昇り始める。世界そのものを消滅させるための、最終段階の即死級範囲攻撃のチャージ(詠唱)だった。


画面の向こうで、健太と結衣が息を呑む気配が伝わってくる。

常人であれば、その圧倒的な威圧感と、逃げ場のない絶望的なスケールの前に、腰を抜かして死を覚悟するだろう。


だが。

玲奈は、そんな神の仰々しい大演説と必殺技のチャージエフェクトを、完全に『無視』した。


「さて……」


玲奈は作業着の胸ポケットから、ゴツい黒色の小型デバイスを取り出した。

それは、ファンタジーの魔法の杖でも、聖剣でもない。重機や産業用の大型破砕機を遠隔操作するための、極めて無骨でシンプルな『|起爆用ホログラム・コンソール《リモコン》』だった。

中央には、赤と黄色で彩られた、無駄に大きなボタンがついている。


玲奈は足を肩幅に開き、ヘルメットの顎紐を確認すると、神の本体が必殺技のチャージを完了させようとしているその最中に、淡々と最終の安全確認(指差喚呼)を始めた。


「第一項。対象オブジェクト(ゴミ)、処理場中央への密集率、百パーセント確認」


ビシッ! と右手をカルデラの底へ向けて振り下ろす。


「第二項。味方ユニットの退避、および全滅確認……ヨシ!」


健太の兵士たちが一人残らず消滅したことを、事務的なクリア条件として右指で空間を突く。


「第三項。周囲数キロメートル圏内における、延焼リスクおよび民間人被害の可能性……ゼロ確認、ヨシ!」

「第四項。地下水脈およびマグマ溜まりを隔てる岩盤層……発破マーカーの同期および、破砕スタンバイ状態……オールグリーン、ヨシ!」


ビシッ、ビシッと、空中で力強く指差し呼称を決めていく。

その洗練された無駄のない動きは、幾度となく過酷な現場を乗り越えてきた、熟練の現場監督そのものだった。


『――消え去れ、異物めっ!! 世界に平穏を!!』


神の本体が、全エネルギーを込めた破滅の光線を解き放とうと、巨大な腕を玲奈に向けて振り下ろした。

視界が真っ白に染まりかけるほどの、絶対的な死の光。


その瞬間。


「――最終安全確認、すべて良し!!」


玲奈は、迫り来る神の攻撃速度など一切気にする素振りも見せず、持っていたホログラム・コンソールの大きなボタンに、親指をそっと添えた。


「それでは、定時(サスペンド)前の突貫工事を再開します」

「――水回りの修繕工事(意図的メルトダウン)、開始!」


迷いなく。

ためらいなく。

現場の作業員が、ただ日常の業務として重機のスイッチを入れるかのように。


玲奈は、世界の命運を分ける起爆ボタンを、「ポチッ」と軽やかに押し込んだ。

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