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第32話: クレーマー(神)のイキりと現場への誘導



視界を真っ赤に染め上げる空の亀裂から、絶望が這い出してきた。


天を衝く摩天楼のビル群すら見下ろすほどの、超巨大な人型。黄金に輝く六枚の巨大な翼を持ち、全身から直視できないほどの神々しい光(エフェクト)を放つ、神の本体(ルート・プロセス)。

その顔には目も鼻も口もなく、ただ冷徹な幾何学模様が浮かび上がっている。周囲の空間には、神の降臨に伴う膨大な演算負荷によって、ノイズのような光の粒子(ポリゴン)がチカチカと明滅していた。


『――我はシステムの代行者』


大気を震わせる重低音が、鋼鉄の都市に響き渡る。

それは、世界中の全プレイヤーとNPCの鼓膜に直接叩き込まれる、システム側の強制アナウンスだった。


『――度重なる規定外の挙動。不法な地形データの改ざん。並びに、システム物理演算に対する悪質な干渉。これ以上の異物(エラー)の存在は許容できない』


威厳に満ちた声が、都市のガラス窓をビリビリと震わせる。

上空を埋め尽くす何千万という無機質な機械の天使たち――神の軍勢(デリート・プログラム)が、主の言葉に呼応するように、一斉に手にした光の武器を振り上げた。


『――我は人類を粛清する者なり。平伏し、消去の時を受け入れよ!』


圧倒的な威圧感。

世界そのものが「お前たちを完全消去する」と宣告してくる、絶対的な絶望の光景。

下界の道路を逃げ惑っていたNPCの市民たちは、あまりの恐怖に悲鳴すら上げられず、その場に膝をついてガタガタと震え始めた。

普通のプレイヤーなら、この圧倒的なスケールと「最終ボス」としての威容を前に、膝を折って戦意を喪失するだろう。


しかし、現場の玲奈のリアクションは、まったく違っていた。


「…………声が大きい!!」


玲奈は、頭に被った黄色い安全ヘルメットの上から両手で耳を強く塞ぎ、心底嫌そうな顔をして真っ赤な空を睨みつけた。


「スピーカーの音量調整(デシベル管理)はどうなってるんですか! 明らかに騒音規制法の基準値(85デシベル)を大幅に超過していますよ! 近隣住民から騒音クレームが入ったら、明日からの工事が差し止めになるじゃないですか!」


彼女の目には、全天を覆う絶望の化身が、ただの『近隣への配慮が欠如した、たちの悪い悪質なクレーマー』にしか見えていなかった。


「それに、深夜の無許可リリースどころか、こんな時間から赤い照明を点灯させて大騒ぎするなんて! 夜間作業の許可証はどこに掲示してあるんですか! 重大なコンプライアンス違反です!」


一人でブチギレている玲奈の視界の右下では、タスク管理ツール『Jira』の非公式チャットウィンドウが、真っ赤な警告色を点滅させながら凄まじい勢いで滝のように流れていた。


【チケットID:SYS-9999】

【優先度:Severity 1(致命的障害)】

【報告者:A(結衣)】

『ちょっと玲奈! 何怒ってんのよアンタは! 怒るポイントが完全におかしいでしょ!?』

『イキり散らしてんじゃないわよあのクソデカポンコツAI! 玲奈、早く逃げなさい!』

『あんなのまともに正面から殴り合ったら、演算処理が追いつかなくてVRギアごと脳が焼かれるわよ!!』


【報告者:B(健太)】

『結衣の言う通りだ! 玲奈、落ち着け! 俺がこの帝国のNPC軍勢(兵士たち)を全機起動した!』

『今から奴らに総攻撃を仕掛けさせる! 神の処理能力(ヘイト)を俺の軍勢に引きつけるから、お前はその隙に一旦引け!』


健太の意図は明確だった。

圧倒的な力を持つ神の本体に対し、数万のNPCを一斉に突撃させる。個々の戦闘力では虫ケラ同然でも、システム側に『数万体分の戦闘判定と物理演算』を強制的に押し付けることで、擬似的な「DDoS攻撃(サーバーへの過剰負荷攻撃)」を仕掛けるのだ。

処理キューを溢れさせ、神の挙動を遅延させる――そのわずかな隙に、玲奈を北のカルデラへと逃がすための、命がけの囮作戦である。


しかし、その健太の決死の作戦すら、玲奈の脳内フィルターを通ると別の意味に変換される。


「なるほど! 『大量の人員を配置してのトラフィック誘導(交通整理)』ですね! 確かに、これだけ不法投棄物(天使)が空を埋め尽くしていると、現場への搬入ルートが確保できませんからね。健太さん、見事な人員配置です!」


【報告者:A(結衣)】

『だから交通整理じゃないってば! 決死のDDoS作戦よ!! ああもう、なんでこの子こんなに話が噛み合わないのよ!!』


『――小癪な。エラーの分際で、我を見上げて立っている者がいるとはな』


不意に、上空の神の本体が、その巨大な顔(目はないが)を玲奈の方へと向けた。

周囲のNPCがすべて地面に這いつくばっている中、ダボダボの作業着を着て、黄色いヘルメットを被った小柄なアバターが一人だけ、腰に手を当てて堂々と空を睨み返しているのだ。目立たないわけがない。


『――消え去れ、規格外のゴミ(バグ)め』


神の本体が、ゆっくりと巨大な右腕を振り上げた。

その掌の先に、周囲の空間を歪ませるほどの莫大なエネルギーが収束していく。空中のポリゴンが圧縮され、白熱する巨大な『粛清の光槍』が形成された。

直撃すれば、都市の1ブロックが丸ごと消し飛ぶほどの高密度物理判定の塊だ。


「ッ! 玲奈、避けろ!!」


Jiraの向こうで健太が叫ぶ。

次の瞬間、光の槍が音を置き去りにして、玲奈の頭上へと撃ち下ろされた。

大気が悲鳴を上げ、アスファルトが熱で瞬時に蒸発する。


だが、玲奈はすでに動いていた。


「あー、足元が暗くて見えにくいですね。――足場、ヨシ!」


右手の指差し呼称と共に、玲奈の足元に青い光のグリッド線――CAD魔法(ワイヤーフレーム)による『強固な足場』が空中に展開される。

玲奈はそれを階段のようにトントンと蹴り上げ、重力を無視した軽やかなステップで後方へ大きく跳躍した。


ズドォォォォォォォォンッ!!!


玲奈が先程まで立っていた場所を中心に、想像を絶する大爆発が巻き起こった。

衝撃波が放射状に広がり、背後にそびえ立っていた高さ数百メートルのガラス張りの摩天楼が、根元から粉々に吹き飛ぶ。コンクリートの破片とひしゃげた鉄骨が、雨霰と降り注いだ。


空中の光の足場に着地した玲奈は、爆煙の向こうで無惨に更地となったビル街を見下ろし、深くため息をついた。


「……信じられません。あんな乱暴なやり方でビルを倒壊させるなんて。飛散防止の防音シートも張らず、アスベストの事前調査もなしですか? それに、コンクリートと鉄骨が全く分別されていません! マニフェスト(産業廃棄物管理票)の提出はどうなってるんですか!」


神の圧倒的な一撃を紙一重で回避しておきながら、玲奈の怒りの矛先は『産業廃棄物の不法投棄と、無許可解体』に向けられていた。


【報告者:A(結衣)】

『もうツッコむのも疲れたわ……。生きてるなら、さっさと北のカルデラに向かいなさい! 健太の軍勢が突っ込むわよ!』


結衣のチャットと同時に、眼下の都市のあちこちから、地響きのような雄叫びが上がった。

健太の指示を受けた数万のNPC兵士たちが、武器を掲げ、一斉に空の天使たちへ向かって突撃を開始したのだ。


「おおおおおっ! 我らが帝国に仇なすシステムよ! 我らが命を賭して、お前たちの目を逸らす!」

「戦乙女様を現場(カルデラ)へ向かわせろ! ここを通したくば、我ら数万の屍を越えてゆけぇぇぇっ!!」


悲壮な覚悟に満ちたNPCたちの怒涛の突撃。

彼らが殺到したことで、システムの処理キュー(ヘイト)が急激にNPC側に傾き、神の軍勢の動きがわずかに鈍る。


それを見た玲奈は、満足げに何度もうなずいた。


「素晴らしい連携ですね。彼らが光る棒(武器)を振って交通整理をしてくれているおかげで、神(不法投棄物)の意識が完全に北の道路へ向かっています。最高の誘導工事です」


作業着のポケットから新しい軍手を取り出し、キュッと手にはめ直す。


「では、私は北のサンドボックス(現場)の設置に向かいます。あそこに大きな『ゴミ箱』を作って、あのクレーマーたちを一括で処理しましょう」


玲奈はヘルメットの顎紐を締め直し、空中に展開した青いCADの足場を力強く蹴り出した。

目標は、はるか北。結衣が地球規模の演算で作り上げたという、超巨大なカルデラ。


迫り来る世界の終焉を背に、最強の土木作業員(戦乙女)は、最悪のピタゴラスイッチを構築するための現場へと、弾丸のような速度で駆け出していった。

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