第21話「無許可の火気使用とKY(危険予知)」
視界を覆っていた転移エフェクトの光が晴れると、そこは赤黒い岩肌が剥き出しになった巨大なすり鉢状の空間だった。
空はどんよりと濁り、足元からは陽炎が立つほどの熱気が立ち昇っている。見渡す限り、草木一本、NPCの一人すら存在しない、完全な静寂と孤独の空間。どうやら、ここが新たな工区らしい。
「うわぁ……すごい熱気ですね。サウナみたいでデトックスには良さそうですけど、作業服での長時間の立ち仕事には不向きな現場です」
私は思わず顔をしかめ、見えないヘルメットのツバを押し上げた。じわじわと靴底から伝わってくる地熱。ファンタジー世界特有の『瘴気』や『魔力溜まり』といったロマンチックな表現で誤魔化す気にはなれない。これは純粋に、物理的な熱だ。
『ユーザーC、現在地の環境データをお知らせします』
脳内に、私のサポートAIであるミネルヴァの無機質な声が響く。
『外気温六十二度、地表温度九十度オーバー。WBGT(暑さ指数)は、労働基準法が定める重作業の限界規定値を完全に逸脱しています。直ちに涼しい場所への退避、および水分・塩分の補給を推奨します』
「ですよねぇ。空調服がないと、十分で熱中症になって倒れちゃいますよ。ミネルヴァ、インベントリに塩飴のストックはありましたっけ?」
『塩飴(レモン味)が3ポーション、経口補水液が5スロット残存しています。ですがユーザーC、ここは塩飴で解決するレベルの労働環境ではありません』
「わかってますよ。まったく、どこの誰ですか、こんな劣悪な環境を放置している元請は……」
私が周囲の環境整備タスクを頭の中でリストアップしていた、その時だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!
カルデラの中心、最も赤黒く輝いているマグマ溜まりが、突如として不自然な盛り上がりを見せた。周囲の熱が一箇所に収束していく。空気が歪み、バチバチと火の粉が舞い散る中、マグマは次第に人型のシルエットを形成していった。
現れたのは、全身が溶岩と炎で構成された、見上げるほど巨大な魔獣だった。
『警告。超高熱源体の動的オブジェクトがスポーンしました。システム照合……神の尖兵【イフリート】と推定されます』
「……動く熱源? ああ、あのバグの塊みたいなのが、この異常気象の原因ですね」
私が冷静に環境アセスメントを行っていると、イフリートはマグマの海から半身を乗り出し、天に向かって両腕を広げた。
『——我は業火の化身!! 大地を焼き尽くし、罪深き者どもを浄化する神の炎なり!!』
大気を震わせるような、エコーのかかった野太い咆哮。本来ならば、ここで周囲のNPCたちが絶望の悲鳴を上げ、プレイヤーが颯爽と武器を構える……という王道の展開なのだろう。
だが、私はその仰々しいセリフが終わるのを待つほど、工期に余裕を持っていなかった。
「あの、すみませーん! そこの業者さーん!」
私は、現場に響き渡るよく通る声で張り上げた。イフリートが「えっ?」というように、ピタリと動きを止めてこちらを見下ろす。
「こんな場所で派手に火を燃やしてますけど、『火気使用許可証』はちゃんと監督署に提出してるんですか!?」
『……は? 許可、だと? 貴様、矮小な人間風情が、我に向かって何を——』
「それに、そんな高所に登っているのに安全帯もヨシじゃない! 上からポロポロと火の粉を落とさないでください! 下で作業してる人間が火傷したら、労災の事務処理をするのはこっちなんですよ!?」
『労……なんだと? 我は神の——』
「だいたい、さっきからWBGTの基準値を超過しっぱなしです! 今すぐその炎を消して、現場の温度を下げなさい!」
私の正論(現場の安全基準)による機関銃のような指摘に、イフリートは完全に虚を突かれていた。神の威厳を振りかざしたいボスモンスターと、労働安全衛生法を遵守させたい現場監督。両者の会話は、一ミリたりとも噛み合っていなかった。
『ミネルヴァより推測。対象オブジェクトは、火気使用の申請手続きを理解していない、無許可のモグリ業者の可能性が高いです』
「やっぱり! どおりで安全管理がなってないと思いました。最悪ですね」
『——ええい、黙れェェェッ!! 狂人め、神の炎の前に灰と化せ!!』
ついに話の通じない人間に激怒したのか、イフリートは咆哮を上げ、その巨大な腕を振り下ろした。ボウッ!! という爆音とともに、軽トラックほどの大きさがある火炎弾が、私めがけて連続で射出される。
「わわっ、熱い熱い熱いっ!? だから無許可の火気使用はダメだって言ってるじゃないですか!!」
私は慌ててステップを踏み、カルデラの底を右へ左へと逃げ回った。ドカン! ドゴォォォン!! 私が直前までいた場所に着弾した火炎弾が、周囲の岩盤を吹き飛ばし、溶岩の飛沫を撒き散らす。
『ユーザーC、心拍数の急上昇を検知。回避行動は適切ですが、このままではジリ貧です』
「わかってますよ! でも、あんなのどうやって消火すれば……ん?」
逃げ回りながらも、私の『土木作業員の目』は、イフリートそのものではなく、周囲の地形の変化を冷静に捉えていた。火炎弾の凄まじい熱膨張と、物理的な着弾の衝撃。それらを受けるたびに、カルデラの斜面——むき出しの鉄鉱脈と岩盤——に、ピキピキと巨大な亀裂が走り始めているのだ。
……マズい。非常にマズい。
私は頭の中で、瞬時に危険予知《KY》活動と、それに伴うリカバリーのWBS(作業分解構成図)を展開した。
(このままだと、斜面の地盤が緩んで大規模な崩壊が起きます! 今はこの工区には私しかいませんが、もし後から他の作業員が入ってきたら、巻き込まれて生き埋め事故になる。これは見過ごせない重大インシデントです!)
「ミネルヴァ! 現在のカルデラ斜面の剛性率と、崩壊リスクを計算!」
『了解。……計算完了。対象の無差別な熱攻撃により、岩盤の結合が急速に劣化しています。現在の斜面角度では、あと百二十秒以内に大規模な土砂崩れが発生する確率が98%を超えます』
「やっぱり! 逃げてる場合じゃありませんね。安全第一! まずはマイルストーン1、地形修復による斜面安定化工事の開始です!」
私はピタリと足を止め、くるりとイフリートの方へ向き直った。迫り来る火炎弾の熱風を正面から受けながら、インベントリから一本の魔法杖を取り出し、天高く掲げる。
「システム起動! 魔法CAD、展開します!」
ピピッ、という電子音と共に、私の目の前の空間に、青く発光する半透明のホログラムウィンドウ——オーバーテクノロジーな操作画面——が幾重にも展開された。
『——小賢しい真似を! その程度の幻影で、我の炎を防げると思ったか!!』
イフリートが嘲笑いながら、さらに巨大な炎の塊を口元に収束させ始める。だが、私の目は空中のホログラムに釘付けになっており、ボスの挑発など完全にBGM扱いだった。
「ミネルヴァ、対象エリアの摩擦係数を強制上書き! 土質パラメーターを『粘土質』に変更!」
『承認。パラメーターの上書きを実行します』
「続いて、土砂が自然崩落しない最大の角度……『安息角』を割り出します! 斜面剛性率、固定!」
私の指示を受け、魔法CAD上で猛烈な勢いで数式が弾き出されていく。青い光線がレーザーポインターのようにカルデラ全体を走り回り、空中に完璧な『すり鉢状』のガイドライン(青写真)を描き出した。
『ユーザーC、設計図の出力が完了しました。必要な土砂の推定充填量は、約三百万トンです』
「上等です! サーバーの容量の底が抜けるまで、土砂を流し込んでやりますよ!」
イフリートが極大の火炎弾を放つべく、大きく息を吸い込んだ。私はワクワクとした笑顔を浮かべ、CADの空中に浮かぶ『実行』キーのホログラムに、指を乗せた。
「さあ、恐怖の残業(土方)の始まりです!」




