第2話:システムログの超解釈
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いきなり理不尽な水棲ボス(ヘビさん)に吹っ飛ばされてしまった玲奈。
痛覚設定に涙目になりながらも、彼女が見つけたものとは……?
「……なるほど。なるほど、なるほど」
深い。実に深い意味が込められている。
すり鉢状になった不自然な山脈の麓。
つい数十秒前、山頂の巨大な湖に陣取る水棲の神獣(ヘビさん風)から、理不尽極まりない尻尾アタックを喰らってここまで転がってきた私は、じっと足元を見つめたまま、深く腕を組んで頷いていた。
私の視線の先、剥き出しになった赤茶色の岩肌に、それはあった。
周囲の薄暗い影を弾き飛ばすように、どろりとした赤黒い光を放つ不気味な文字列。
まるで、鋭利なサバイバルナイフで狂ったように岩を抉ったような、あるいは、この世の終わりを呪う血で擦り付けられたかのような、酷く乱暴でイライラした筆跡の文章だ。
『Message:剣とか効率悪すぎ。地形使え。クソゲーが』
それが、システム画面と同じ明朝体のフォントで、物理的に地面に刻み込まれている。
ゲームとしてこの世界を見るならば、この禍々しい文字列は「この先は初見殺しの罠があるぞ」という絶望のメッセージだと受け止め、慎重に周囲を索敵し始めるのが正しいプレイスタイルなのだろう。
だが、実家の特殊解体業で幼い頃から「安全第一」の安全学を叩き込まれて育ち、現在は大手ゼネコンのSDGsの企画を担当している私にとって、このログから読み取れる真実は全く異なっていた。
「――ハッ! 運営さん、もしかしてこれって……そういうことですかっ!?」
私はポンと勢いよく手を打つと、満面の笑みを浮かべた。
「『地形を使え』……なるほど、分かりましたよ! つまり運営さんは、この不安全極まりない凸凹した山脈を『地形ごとまるっと解体してヨシ!』って、攻略のアドバイスを書いておいてくれたんですね! 最初はなんて労働安全衛生法を無視したゲームなんだろうって怒っちゃいましたけど、実はすっごく環境への配慮に満ちた、親切な設計じゃないですか!」
これなら段取りの組み甲斐があるというものだ。
そう一人で感動していると、ヘッドセットの向こう、鼓膜の奥から冷徹な電子音声が響き、私の思考を遮ってきた。
『ユーザーC、あなたの解釈を却下します。それは開発側が用意したアドバイスではありません。先達のデバッガーであるユーザーが、本ゲームの理不尽なゲームバランスに激昂して遺した、純然たる呪詛……すなわちバグ報告用のログです。環境への配慮とも一切関係ありません。速やかに大剣を構え、山頂のターゲット討伐に戻ることを強く推奨します』
サポートAIであるミネルヴァのナビゲーションは、相変わらず血も涙もない。
「えっ? これ、開発じゃなくて、同じテスターの人が書いたんですか?」
『肯定します。私と同じく、システムを監査するために配置された別個体のサポートAIと、その担当プレイヤーの記録です』
「……同じテスター。同じ、現場の仲間……。――はっ! 先輩の引き継ぎってことですか!」
『……はい?』
ミネルヴァの怪訝そうな声など気にせず、私はさらに深く納得した。
「なるほど! これ、現実の建設現場でもよくあるやつです! 壁の裏側とか、コンクリートを流し込む前の見えない基礎のところに、前の職人さんがこっそり書いておく『引き継ぎの落書き』と同じですね! つまり、先に入った先輩職人さんが、『剣なんて効率悪いから、この山脈を丸ごと解体して安全通路を作れ!』って、後任の私にヒントを遺してくれたんですよ! なーんだ、やっぱりすっごく親切な現場じゃないですかー!」
『……理解不能。ユーザーCの精神的認識フィルターに、著しい現実逃避の兆候を検出。重ねて警告します。速やかに支給された大剣を――』
「大剣なんて、あんな重くて危ない鉄の塊、私には振り回せません! あんなの『えいっ、やぁっ』てやったところで空振りするだけですし、万が一自分の足に落としたら労災案件ですよ? そんな野蛮な得物より、お仕事の基本は『適切な道具選び』と『環境整備』です!」
私はミネルヴァの度重なる警告をスルーすると、さっそく目の前に半透明の仮想パッドを展開した。
空中に浮かび上がる、淡いブルーのホログラム画面。
先ほど山頂で、私がボスを消そうとしてエラーに弾かれた、いつものデバッグ用の削除ボタン。そのすぐ真横に、普段はグレーアウトしていて使わない機能が、今はなぜか控えめにチカチカと点滅している。
そこには、細い文字でこう書かれていた。
――『設計モード(テスター用補助機能)』。
「先輩職人が『地形を使え』と言い残したなら、使うべき道具は絶対にこれです。よし、ポチッとな!」
私は人差し指を伸ばし、その地味なアイコンを勢いよく押し込んだ。
――キィィィン!
頭の奥を心地よく震わせるような、高く澄んだ鋭い電子音が鼓膜を突き抜けた。
直後、私の網膜に映る世界が、劇的な変化を開始する。
「わあ……っ! すごいです、さっき見たやつだこれ、とっても綺麗……!」
思わず、ほうっと感嘆の息が漏れた。
私の視界の端から端、天地左右の全天におよぶ空間に、一面の「青白い光のグリッド線」がぶわぁっと一瞬で常時展開されたのだ。
それだけではない。私の目の前にそびえ立つ、天を突くほどに巨大で威圧的だったはずの山脈が、まるでデジタルデータのように完全に見える化され、内奥まで綺麗に透過されていく。
大地を走る光の等高線、空間を規則正しく区切る無数の青白いマス目。見渡す限りの大自然が、精密な光の網目で編み直されたかのような、圧倒的なスケール感の幾何学世界。
...…そして何より、透過された山脈の構造をじっと見つめていた私の目に、ある重要な情報が飛び込んできた。
立体的な三次元グラフィックとして表示された山脈の内部に、まるで人間の血管のように、はっきりとした『鮮やかな赤色に光る筋』のマーカーが、いくつかの座標でピコピコと点滅しているのだ。
その光景を見た瞬間、私の胸の中に、じわじわと熱いものが込み上げてきた。
怯えや困惑なんて微塵もない。私の中に深く眠る、実家の特殊解体業の事務所で、毎日毎日、お父さんたちの背中を見ながら培ってきたプロとしての血が、一沸きに沸き立ったのだ。
「あ、やっぱり! これ、実家の事務所でいつもお父さんや設計のおじさんたちが、お弁当を食べながら睨みつけてる『3D-CAD』の作業画面にそっくりです! しかも、あの一度フリーズしたら保存してないデータが全部消える使いにくいマウス操作じゃなくて、自分の指先で直感的に線を引いたり消したりできるなんて……! むしろ現実のオフィスより、こっちの方が圧倒的にお仕事しやすいですよ!」
私には、剣を振るう運動神経も、魔法を唱えるファンタジーな才能もこれっぽっちもない。
けれど、画面上で建物の歪みを見抜き、どこに負荷がかかっているかを計算し、最も安全で、最も効率的な解体プランを組み立てるシミュレーション能力なら、そこらのベテラン職人さんにも絶対に負けない。
世界は今、私にとって不慣れな高難易度アクションゲームから、完全に慣れ親しんだ建築シミュレーターへとその姿を変貌させたのだ。
『警告。ユーザーC。起動された機能は戦闘用のアクションスキルではありません。それはマップオブジェクトの配置を微調整するための、デバッグ用の簡易建築ツールです。攻撃力はゼロであり、山頂で待機する水棲神獣に対して一切のダメージを与えることはできません』
「ミネルヴァは本当に心配性ですね。攻撃力なんてなくても、安全に障害物を撤去できればそれでいいんですよ」
私は光のグリッド線が美しく走る山脈を愛おしそうに見つめ、人差し指をちょこんと顎に当てると、楽しそうにクスクスと笑った。
「あー、なるほどなるほど。あの山脈、外見は立派ですけど、構造的にかなり無理してますね。ほら、見てくださいミネルヴァ。この辺りの『赤く光ってる筋』の支持層……ここを何本か、指先で『スコンッ』と抜いてあげれば、上に乗っかってる何万トンもの重たい岩盤が自分の重さに耐えきれなくなって、全体が『ドドドンッ!』と勝手に内側に向かって崩れてくれる造りになってますよ」
私には、大学で習うような難しい土質力学の専門用語なんてちっとも覚えられない。
けれど、幼い頃から解体の現場や図面を見て育った者特有の、直感と感覚で、私は一瞬にしてこの巨大な山脈の大まかな構造的弱点を正確に見抜いていた。
「うん、これなら高い火薬をたくさん使う必要もありませんし、破片が飛び散ることもないですから、周りの環境にもとっても優しいです! さすが私、最高の節約精神ですね」
私は大きく背伸びをして、遥か上空、山頂の湖のあたりを見上げた。
あそこにはまだ、私を理不尽に吹っ飛ばした不安全な神獣さんがふんぞり返っているはずだ。待っていなさい、今すぐ現場の安全指導をしに行ってあげるから。
「よーし! 先輩職人さんからの引き継ぎも受け取りましたし、さっそく山を登りながら、詳しい環境整備計画を練っちゃいましょう!」
まだ私の右手には、持ち上げることすらできずに地面をずるずると引きずることしかできない、初期装備の邪魔な大剣が握られたままだが、そんな野蛮な鉄の塊のことはもう意識の隅に追いやっていた。
私は目の前に広がる青白いグリッド画面に向かって、わくわくとした環境デザイナーのような笑顔を浮かべ、足取りも軽く山頂への道を歩き始めた。
不気味な怨念の血文字を、まさかの「前任の職人さんからの粋な引き継ぎメッセージ」と超解釈した玲奈。
ミネルヴァの正論ツッコミもどこ吹く風、彼女の手によってゲームの世界が完全に「CAD画面」へと変貌してしまいました。
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