第17話「定時直前の最終コミット(進捗バーの邪魔者)」
盛大な煙霧が風に流され、視界がクリアになっていく。
そびえ立つ無骨な山脈の中腹には、私が物理的にバールで抉り開けた『直径三百メートルの巨大な風穴』が、見事な円形を描いて貫通していた。
向こう側の夕焼け空が、ポッカリと空いた穴の向こうに顔を覗かせている。
「ふぅ……っ! まずは第一段階、物理的な解体は完了です!」
私は息を整えながら、すかさず空中に透過画面を展開した。
画面の端に表示されたシステム時計の時刻は、ちょうど『十八時〇〇分』を指している。
「現在の時刻は十八時ジャスト! 私の定時退社まで、残された時間はあと三十分です。ミネルヴァさん、今私がバールで抉り開けた風穴の3D座標をスキャンして、システムが読み込める『環境修正の差分データ』として出力してください!」
『了解。テスターによる物理変更ログを解析中……。データ変換処理完了まで、約十分を要します』
「じゅっ、十分!?」
ミネルヴァさんの無機質な合成音声に、私は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「長い、長すぎます! いいですか、定時直前の私にとっての一分一秒は、前工程のうっかりさん(A)が優雅にお茶を飲んでいる一時間よりも価値があるんですよ! もっと機敏に動いてください、サーバーの余剰リソースを全部こっちに回して!」
『回答。現在のリソース割り当ては最適化されています。処理完了までお待ちください』
「くっ……お役所仕事みたいな対応を……!」
私は地団駄を踏みながら、空中でジリジリと進む変換処理のバーを睨みつけた。
ここで焦ってシステムを強制終了させたりすれば、元も子もない。大剣の柄に寄りかかりながら、私はただひたすらに十分間、じっと耐え忍んだ。
――十八時十分。
『物理変更ログのデータ変換完了。これより、メインサーバーへの送信準備に移行します』
「来ましたね……っ!」
私の視界の正面に、【サーバーへのコミット(送信)準備:90%】を告げる巨大な進捗バーがホログラムとして出現した。
あとはこれが百パーセントになり、最終的な送信ボタンを押せば、私の仕事はほぼ終わりだ。
しかし。
その最も重要なプログレスバーのちょうど真下に――とんでもなく邪魔な障害物が重なっていた。
「……ちょっと」
私は、視界の中央でガタガタと激しく震えている『黄金の塊』を冷ややかな目で見下ろした。
恐怖で完全に腰が抜け、白目を剥いて硬直している黄金の神鳥ガルーダである。
彼の背中から生える無駄に派手で豪華な黄金の羽根が、夕日に反射してピカピカと輝き、あろうことか進捗バーの最も重要な『パーセンテージの数字』を完璧に隠してしまっていたのだ。
「ちょっと! そこのあなた、どいてください! 一番大事な進捗バーの数字が、あなたの無駄に派手な羽根のせいで見えないじゃないですか! 邪魔です!」
「ヒィッ……!? ア、アアア……ッ!」
私が声を荒らげると、ガルーダはビクゥッ!と跳ね上がったものの、恐怖のあまり足に力が入らないのか、その場から一歩も動こうとしない。むしろ、縮こまってさらに羽根を広げる始末だ。
「もうっ! 言っても動かないなら、実力行使です!」
私は躊躇なく、先ほどまで山脈をへし折るのに使っていた初期大剣を手に取った。
そして、その重厚な刀身をくるりとひっくり返し、幅広で平らなブレードの『腹』の部分を地面にピタリと押し当てた。
「武器としては重すぎて使い物になりませんけど……この幅広さと平らさ、素晴らしいですね。現場で散らばった瓦礫をまとめて片付けるための、『ジャンボ塵取り』に最適です」
「……ギェ?」
ガルーダが、信じられないものを見るような目で私を見上げた。
私は大剣の腹を地面に滑らせ、丸まったガルーダの巨体の下にスッと潜り込ませる。
「どかないなら、物理的に掃き出します!! ふんっ!!」
私はレバーを引くような動作で、力任せに大剣を振り抜いた。
ズザァァァッ!!という音と共に、ガルーダの巨体は地面を滑るようにスライドし、視界の端の安全な岩陰(画面外)へと綺麗に追いやられた。
(……な、何ということだ……)
岩陰にゴミのように掃き出されたガルーダは、ついに精神の限界を迎えようとしていた。
(あの魔王……因果を捩じ切る凶器『ばーる』を今度は平刃に構え、我が神聖なる肉体を、まるで価値なき『塵芥』のように掃き清めおった……!)
剣の切っ先を向けられることすらなく。
ただ画面を遮るだけの「邪魔なゴミ」として扱われた事実。
それは、かつて空の覇者として君臨し、数多の冒険者を震え上がらせてきたエリアボスにとって、死よりも屈辱的な仕打ちだった。
(命を奪う価値すら、今の我にはないというのか……。そうか……我は、神の鳥などではない。ただの……少し輝いているだけの、燃えないゴミなのだ……)
ガルーダの心の中で、誇り高き神威が完全にマイナスへと振り切れた。
彼はもはや抵抗する気力すら失い、膝を抱えるようにして背景の岩と同化し、虚無の瞳で空を見つめることしかできなかった。
「よし! これで視認性はクリアです!」
邪魔な障害物を片付け、スッキリとした画面を確認した私は、力強く頷いた。
時刻は十八時二十分。進捗バーの数字は、無事に『100%』に達している。
「行きますよ! 修正データ、本番環境へコミット!!」
ターンッ!と、私は空中の決定キーを勢いよく叩きつけた。
直後、画面の表示が【データ適合処理中】へと切り替わり、歯車のアニメーションが回転し始める。
『メインサーバーへのアップロード成功。これより、現行システムへの動的適合処理を開始します。……完了予定時刻、十八時二十九分五十秒』
「……はい?」
私は、ミネルヴァさんが告げたその無慈悲な数字に、さーっと血の気が引くのを感じた。
「に、二十九分五十秒ぉ!? 定時まであと十秒しかないじゃないですか! 猶予がゼロですよ!? もしここでサーバーが重くなって一秒でも遅れたら、私は定時退社を逃してサービス残業の泥沼に沈むってことですか!?」
『回答。現在のサーバー負荷状況から算出した最短の予測値です。祈ることを推奨します』
「AIが神頼みを推奨しないでくださいよぉぉっ!!」
私は頭を抱え、空を仰いで叫んだ。
――十八時二十五分。
【75%……80%……】
視界の中央で、運命の進捗バーがじわじわと進んでいく。
それと同時に、私が力技で穿孔した『直径三百メートルの風穴』の周囲で、環境パラメーターの再計算が始まった。
ヒュォォォォォォ……ッ!!!
これまでに溜まりに溜まっていた巨大な空気の壁(負圧)が、新たに生まれた逃げ道へと殺到し、凄まじい風切り音がエリア全体に鳴り響き始める。
世界の再構築(バグ修正の適用)を告げる前触れだった。
「頼みますよ、サーバー室の皆さん……っ!」
私は祈るように両手を組み、コンソール画面を血走った目で凝視していた。
「ここでエラーを吐いて落ちる(ビルドエラーになる)のだけは、絶対に勘弁してくださいね! 私の定時と、今日の美味しい晩御飯の運命は……この進捗バーにかかっているんですから!!」
風の音が激しさを増す中、私の祈りを乗せた進捗バーは、ジリジリと百パーセントへ向かって這い進んでいった。




