第16話「計画解体の力学(物理スリット穿孔)」
メリメリメリッ!!! バリバリバリバキバキバキッ!!!
大剣の柄に全体重を乗せ、私が渾身の力を込めて『てこの原理』を発動させた瞬間。
神聖なる魔山の根幹から、これまでに聞いたこともないような不穏で凄まじい空間の悲鳴が鳴り響き、岩肌に巨大な亀裂が走り始めた。
「いけます! このまま接合部を起点に、全体のポリゴンを一気にひっ剥がして――」
私が歓喜の声を上げ、さらに腰を落として踏み込もうとした、まさにその時だった。
『緊急警告。テスターによる過度な物理的破壊エネルギーを検知』
真っ赤に明滅する視界の端で、サポートAIのミネルヴァさんが冷徹なアラートを割り込ませてきた。
『推論モデルを更新。このまま当該山脈オブジェクトを完全全壊させた場合、セクター内の【防風壁】が喪失します。結果、遮るものを失った広域に超巨大なビル風災害が発生し、環境パラメーターは現状よりもさらに大炎上する予測が算出されました』
「えっ……!?」
私はピタッと動きを止め、ギリギリのところで大剣にかける体重を抜いた。
あっぶな……!
危ないところだった。定時退社のタイムリミットに焦って力任せに全部更地にしたら、今度は風を遮るものがなくなって、エリア全体が暴風吹き荒れるノーガード戦法になるところだったのだ。
「チッ……これだから後先考えない突貫工事は嫌なんですよ。一つのバグを潰したら、別の致命的なバグが連鎖して起きる……まさにやっつけ仕事の典型です」
私は大剣の柄から手を離し、額に浮かんだ汗を手の甲で拭った。
ミネルヴァさんの警告はもっともだ。そもそも、この山脈がこんな無茶苦茶な位置に生えっぱなしになっているせいで気流の計算が狂ってエラーを吐いているわけだが、だからといって『邪魔だから全部消そう』とするのは、現場を知らないド素人の発想である。
「いいですか、ミネルヴァさん。解体業界や防災設計の基本は『あえて一部を残して再利用する』ことですよ!」
私は誰にともなく――強いて言えば、この無能な設計図を描いた前工程の設計者に向けて――ビシッと指を突きつけて宣言した。
「あの突貫山脈は、デザインや配置こそ最悪ですが、外から吹き付ける悪質な気流を遮る『防風フェンス』としては一応機能しています。ただ壁を高くするだけでは、風圧の逃げ場がなくなり、最終的には壁自体が根元からへし折られるか、壁を越えた瞬間に猛烈な下降気流となって地表を叩き潰します。だからこそ、やるべきことは全解体ではありません。部分改修です!」
『質問。スリット穿孔、とは』
「山を適度残して防風壁としての役割を維持させつつ、風の逃げ道となるスリットを物理的に入れてあげるんです。そうやって風圧を意図した方向へ逃がし、適切にコントロールしてあげれば、この大炎上アラートは一発で消せます!」
建築物における風圧対策の基本中の基本だ。巨大な看板や防風ネットに、あえて等間隔の隙間や穴が開けられているのと同じ理屈である。
一方その頃。
玲奈がそんな「極めて実務的かつ論理的な計画解体」の構想を練っていたすぐ側、岩陰の暗がりでは――黄金の神鳥ガルーダが、完全に白目を剥いて泡を吹く寸前まで追い詰められていた。
(ひっ、ひぃぃ……っ!)
彼は両翼で頭を抱え、ガタガタとくちばしを鳴らしながら、ただひたすらに震えていた。
かつて神々の戦いにおいて天に雷鳴を轟かせた黄金の翼は今や見る影もなく縮こまり、恐怖のあまりごっそりと抜け落ちた羽毛が周囲に散乱している。
彼にとって、電脳の魔王が口にした言葉は、あまりにも恐ろしく、そして邪悪な響きを持っていた。
『な、何ということだ……! あの悪魔、神の山をただ滅ぼすだけでは飽き足らず、わざと生殺しにして弄ぶつもりか……!』
ガルーダの耳には、玲奈の「一部を残してスリットを入れる」という至極真っ当な施工計画が、「神の創造物をあえて半殺しにし、自らの手で漆黒の風穴を穿つという消えない屈辱を刻む」という極悪非道な拷問宣言にしか聞こえていなかった。
『なんという恐ろしき執念……! 正式な手続きすら生ぬるいと吐き捨て、上位存在すら事後報告で済ませるあの魔王が手にしている聖なる大剣……あれを先程、なんと言い表した? 『ばーる』……?』
ガルーダは、先程玲奈が口にした「バール」という単語を、神話の時代から伝わる呪われた禁忌の武具、あるいは因果の糸すら捩じ切る恐るべき凶器の真名だと思い込んでいた。
『あの『ばーる』なる凶器を使い、世界の縫い目を直接引き裂こうというのか……! 物理法則が、神の秩序がへし折られる……! 終わる……我らの世界が、あの魔王の気まぐれな『すりっと』とやらで終焉を迎えるのだ……!!』
もうだめだ。
かつて空の覇者として君臨した誇り高きエリアボスは、完全に心が折れ、ただの怯える黄色い小鳥と化して岩陰で一筋の涙を流すことしかできなかった。
そんな哀れな神鳥の勘違いなど露知らず、私は再びCADモードの視界を重ね合わせ、目の前の巨大な岩壁を睨みつけていた。
「……見えました。ここが狙い目です!」
私の視界には、構造データの『シーム』がくっきりと赤く浮かび上がっている。
ポリゴンの結合バグでデータが浮き上がり、計算上の強度が極端に落ちている「施工不良」のポイントだ。
私は再び、重すぎる初期の大剣を引きずり上げ、その鋭利な先端をバグの隙間へと正確に狙い定めた。
「行きますよ……! 私の定時退社を阻むエラーなんて、根こそぎ抉り開けてやります!!」
ガチィィィン!!
激しい金属の激突音が周囲に響き渡る。
隙間に大剣の切っ先がガッチリと食い込んだのを確認した私は、そのまま柄を両手で握りしめ、全身の体重と、腹底からの気合を乗せてぶら下がった。
「ふんぬっっっ!!!」
バリバリバリッ! メギャギャギャギャァァッ!!
数百万ポリゴンで構成された巨山が、凄まじい悲鳴を上げる。
岩石データが次々と破断し、火花のような発光エフェクトとポリゴンの破片を撒き散らしながら剥がれ落ちていく。
「それにしてもこの初期装備、本当に良いスチールを使っていますね! 適度なしなりと、絶対に折れないという安心感! 現場の職人が愛用する最高級のバールと遜色ありませんよ!」
武器を振るうスタイリッシュな剣技など欠片もない。
ただひたすらに、硬質岩盤の結合部にバールをねじ込み、支点・力点・作用点の力学計算に基づき、テコの原理で物理的にデータを『剥がす』という、地道で力強い泥臭い解体作業。
「まだまだぁ! こんなもんじゃないですよ! 私の、今日の美味しい晩御飯への執念を舐めるなあああっ!!」
私の運動量とテンションの爆発に呼応するように、着用を強制されている悪趣味なドレス『ミライネオン』が、五色のド派手な光を放ってピカピカと大炎上する。
その姿はさながら、工事現場に舞い降りた荒ぶる光の破壊神だった。
ガコンッ! バキイィィン! ズバババババッ!!
山脈の中腹。
計算し尽くされた力学的アプローチによる、連続バール攻撃。
テコの原理を全力で連発し続ける私の手によって、巨大な岩肌が、まるで豆腐でもくり抜かれるかのように、次々と抉り取られていく。
「……ふぅっ!」
最後の一撃。
最も分厚い岩盤のジョイント部分にバールをねじ込み、思い切り体重をかけてへし折った瞬間。
ズォォォォォ……ッ!!!
盛大なポリゴンの煙霧と共に、視界を覆っていた巨大な壁の一部が、完全に崩落した。
「やりました……!」
私は額に浮かんだ汗を手の甲で拭い、荒い息を吐きながら、自らの仕事의成果を見上げた。
穿孔完了の煙が晴れた向こう側。
そこには、そびえ立つ突貫山脈の中央をぶち抜くように、見事な『直径約三百メートルの巨大な風穴』がポッカリと貫通していた。向こう側の空がはっきりと見える。
計算通り、これなら防風壁としての機能を残しつつ、溜まっていた過剰な風圧を綺麗に逃がすことができるはずだ。
「よし、計画通りの位置にスリット穿孔完了! これで風の逃げ道は確保しました!」
私は左手首の腕時計型インジケータに目を落とした。
時刻は――『十八時〇〇分』。
「残り三十分……! 間に合います! あとはこの物理変更の差分データをサーバーにコミットして、適合処理を通すだけです!」
私の美味しい晩御飯の時間は、すぐそこまで迫っている。
私は気合を入れ直し、大剣を地面に突き立てると、目の前の空中に巨大なコンソール画面を展開した。
「超特急でデータ処理を終わらせて、絶対に定時で帰りますよ!!」
私の定時退社をかけた、最後の仕上げの攻防が始まろうとしていた。




