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第15話「仕様調整の猶予なし」

「――ああもう、とにかく時間がありません! 泣いても笑っても、定時退社と美味しい晩御飯まではあと四十五分! 一秒たりとも無駄にはできないんです!」


私が頭を抱えたまま、真っ赤に大炎上している空中ディスプレイに向かって叫んだ、まさにその時だった。

空間にプカプカと浮遊する半透明の球体――サポートAIのミネルヴァさんが、いつも通りピクリとも動じない淡々とした合成音声で、実にお堅い不具合修正手順を案内し始めてきたのだ。


『提案。テスター権限による直接的な環境修正を行う前に、公式なトラブルシューティング手順に則り、前工程の設計担当者(A)へ『仕様変更チケットしようへんこうチケット』を起票・提出することを推奨します。その後、設計変更の承認アプルーブを得るのが、本システムの正規プロセスとなります』


ミネルヴァさんの無機質で、現場の緊迫感をミリ単位も理解していないセリフを聞いた瞬間、私の脳内で何かの血管がブチッと音を立てて弾け飛んだ。


「チケットの起票手続きぃぃぃ!? そんなのやってられるわけないでありませんか! あの上層部――前工程の間違った設計ミスの尻拭いのために、なんで現場の私が書類仕事に追われなきゃいけないんですか! ただでさえタイムリミットが迫っているんですよ!?」


『回答。規定の手続きです。テスターがチケットを起票し、それが運営のシステム管理部に受理され、前工程の担当者にアサインされて修正パッチが当たるまで、通常三〜五営業日を要します』


「さん、三〜五営業日ぃ!? 遅い! 遅すぎますよ! そんなお役所仕事みたいな正規の手続きをのんびり待っていたら、週明けの本番稼働を待つまでもなく、あと四十五分でこのセクターがクラッシュして私の給料が消し飛びます! 何より、今日の私の晩御飯が深夜になっちゃいます! お腹が空きすぎて私が餓死したら、運営は責任を取ってくれるんですか!?」


『否。テスターの健康管理および食事のタイミングは、自己責任の範疇となります。また、未承認のオブジェクト変更は規約違反に該当し、アカウント停止処分となる恐れがあります』


ミネルヴァさんは冷酷にシステム的な正論を突きつけてくるが、これだから現場を知らない本部の人間は困るのだ。

上の人間がエアコンの効いた快適な部屋で、机の上だけで引いたお気楽な図面のせいで、現場がどれだけ血の涙を流して辻褄を合わせているか、この融通の利かないAIの胸ぐらを掴んで一時間ほど説教してやりたい気分だった。


「規約違反だろうが減給されるより一万倍マシです! だいたい、普通に社会人として働いてたら、こんな不条理な手続き論を優先して現場を崩壊させるなんてあり得ないでしょー! 今まさにここでバグが発酵して世界が壊れかけてるんですよ!? これは現場判断による『緊急避難措置』です! 前工程の人間との仕様調整(書類のやり取り)なんて、全部事後報告で叩きつけてやりますよ!」


私はキッと空中を見見据え、ぐっと拳を握りしめた。


「上の間抜けた設計ミスのせいで、私のシフト実績に傷がつくのは絶対に御免です。前工程の人間にお伺いを立てる時間があるなら、その時間を使って力技でエラーをねじ伏せます! まずは現場の安全(エラー解消)を確保して、私の定時と晩御飯を死守するのが先決です! 本部の人間は、現場の執念をナメないでください! 構造計算の狂った欠陥建築は、一度綺麗に『取り壊す』のが一番手っ取り早くて確実なんですよ!」


『警告。承認なきオブジェクトの破壊行為は、システムログに不正変更として記録されます』


「記録したければいくらでも記録しなさい! 私は私の道(定時退社)を行きます!」


一方その頃、山の中腹の暗い岩陰では、黄金の神鳥ガルーダ(しんちょうガルーダ)がガタガタと全身の羽を激しく震わせ、今や泡を吹いて卒倒する寸前まで追い詰められていた。


前日の夜、自身の全生命力と神威を賭した最大最強の最終奥義(切り札)、あらゆる生命を灰塵に帰すはずの『終焉の劫雷(ジ・エンド・サンダー)』を完全に無効化されたエリアボス。一晩のハングを経てようやく目覚めた彼が耳にしたのは、赤く染まった破滅の世界の空に響き渡る、電脳の魔王(玲奈)と、その眷属ミネルヴァの恐るべき会話だった。


古代の神獣たるガルーダの、恐怖によって限界まで歪んだ認知フィルターを通すと、その会話は以下のように劇画調に翻訳されていた。


『(ガタガタとくちばしを鳴らしながら)な、何ということだ……! あの電脳の魔王、神界の最高法規チケットすら『生ぬるい』と鼻で笑い、一蹴したぞ……! 上位神(運営)からの正規の手続きの要請すら、すべて後回し――『事後報告で叩きつける』と宣うた……! 天上の創造主たちに真正面から宣戦布告をするなど、正気の沙汰ではない……!』


ガルーダの鋭い眼球から、チョロチョロと情けない涙が流れ落ちる。

玲奈が放っているのは、ただの「残業したくない、早くご飯を食べたい」という労働者の切実な叫びなのだが、ガルーダにとっては神々に挑む絶対的な覇王の、冷酷非道な進撃の足音にしか聞こえなかった。


『見よ、あの怒りに満ちたギラギラのネオンドレスを。神界の法すら不服として牙を剥くあの姿、まさに天上の理を総べる創造主をも屠らんとする、絶対的な破壊の権化だ……! しかも、我が聖なる魔山を『欠陥建築』と呼び、根元から『更地』にする(世界を完全消滅させる)と言い放った……! 慈悲はないのか、あの悪魔には……!』


神界への反逆。世界の破壊。

かつて空の覇者と恐れられた神鳥は、完全にプライドを粉々にへし折られ、一本の哀れな焼き鳥のように小さく丸くなって、世界の終焉をただただ涙目で待つことしかできなかった。


「よし、方針は決まりました。残り時間はあと四十分を切りました、一秒も無駄にできません。ミネルヴァさん、CAD画面の『ポリゴンの結合エラー箇所』を強調表示ハイライトしてください」


『了解。当該セクターの構造不具合箇所、ボルト締め忘れポイント(座標エラー)を赤色で強調表示します』


私の指示に従い、空間のディスプレイに映るワイヤーフレームの山脈の一角が、ピカピカと不気味に赤く点滅し始めた。

中腹の、ちょうど岩石データ同士の結合がガバガバになって浮いている、まさに「施工不良」の象徴のような場所だ。


「ここですね。前工程のうっかりさんが適当にアサインした、データの噛み合わせ不良ポイント……。ふふふ、画面上でポチポチと削除(Delete)の操作をして仕様変更を待つなんてスマートな真似、もう時間がなくてやってられません。現場のトラブルは、現場にある道具で直すのが一番です!」


私はフッとキレたような笑顔を浮かべると、ドサリと足元に転がっていたオブジェクトに目を向けた。


それは、ログインした瞬間から私の初期装備として支給されていた、重くて、長くて、持ち上げることすらできずに地面をずるずると引きずることしかできなかった――あの邪魔な大剣だった。


ゲームのシステム的には「攻撃力の低い初期武器」なのだろうが、今の私にとっては、これ以上ない最高に頑丈な『工具』に見えていた。


「これ、武器として振るうには重すぎて使い物になりませんけど、この適度な長さ、そしてびくともしない鉄の頑丈さ……。素晴らしいです。まさに、現場で使うための最高スチール製の『バール(てこの原理用工具)』じゃありませんか!」


私は大剣の柄を両手でギチギチと音を立てて握りしめると、力任せにそれをずるずると引きずりながら、赤く点滅するバグ箇所の岩肌へと向かってスタスタと歩き出した。


私の定時退社への強い執念(と空腹による怒り)に呼応するように、着用させられているネオンドレス『ミライネオン』が、昨日以上にギラギラと周囲を五色に大炎上させるように発光し始める。


「見てなさいよ前工程のうっかりさん……。下請けテスターの力技(物理デバッグ)ってやつを、その目に事後報告として叩きつけてあげますからね!」


バグの発生している岩石オブジェクトの隙間に、私は大剣の切っ先をグイッと力強く差し込んだ。

ガチィィィン! と、激しい金属音が周囲に響き渡る。


「構造計算の基本中の基本ですよ。どれだけ巨大なオブジェクトだろうと、接合部のデータが浮いてるなら、そこに適切な方向から外力を加えてあげれば――『支点・力点・作用点』の力学法則によって、一発で全崩壊を導けるんです!」


大剣の柄に両手をかけ、私はぐっと腰を落として体重をかける姿勢をとった。

残り時間はあとわずか。私の美味しい晩御飯を守るための、命がけの計画解体工事が幕を開ける。


「一般社会の鉄則を見せてあげます!――安全第一、施工開始システム・オンです!!」


私の魂の叫びとともに、てこの原理を利用して、大剣の柄へと一気に全身の体重をへし折るようにかけた。


メリメリメリッ!!! バリバリバリバキバキバキッ!!!


次の瞬間、神聖なる魔山の根幹から、これまでに聞いたこともないような不穏で凄まじい空間の悲鳴が鳴り響き、山脈全体に巨大な亀裂が走り始めたのだった。

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