第10話 時間のズレと、始業のココア
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます!
フェーズ1、堂々の完結編です!
「ふぅ……今週も無事に会社に着きました。やっぱり月曜日の満員電車は、物理エンジンのバグ(押し合い圧し合い)が多くて疲れますね」
時刻は【09:40】。
私は本業である商社のオフィスに到着し、自分のデスクに荷物を置いた。
所属は『持続可能な社会の実現に向けて・SDGs推進室』。環境への配慮と社会貢献を第一に考える、私にぴったりのクリーンな部署だ。
始業時刻の十時までは、まだ少し時間がある。
私は給湯室で淹れてきた温かいココアを一口すり、デスクのPCを立ち上げる前に、ふと自分のスマートフォンを取り出した。
「そういえば、さっき電車の中で提出した『作業報告書』、ちゃんと運営さんに受理されたかな?」
VRデバッグのコンパニオンアプリを開く。
マイページを開くと、私が提出した【チケットC‐001】のステータスは無事に『送信済み』となっていた。
「よしよし、これで今週のバイト代は安泰です。……ん?」
アプリを閉じようとした私の目に、通知欄に表示された見慣れないアイコンが飛び込んできた。
それは、システムからの自動通知だった。
『システムアップデート:相互フィードバック共有機能(CC共有)が開通しました。同一セクターにおける、他ユーザーのバックログが同期されました』
『新着メッセージ:【User‐B】より、環境PM(User‐A)宛てのチケットがCC共有されています』
「あ、他のデバッガーさんの日報も見られるようになったんですね! えーっと、Bさん……私と同じ『第7セクター』を担当してる人みたいです」
私はココアのマグカップを片手に、興味本位でそのチケットを開いた。
自分以外のプレイヤーが、あのファンタジー世界でどんな風に活動しているのか、単純に気になったのだ。
しかし、画面に表示されたその文面は、私の想像する「楽しいゲームのプレイ日記」とはかけ離れた、血気迫るような悲痛な叫びだった。
『件名:極端な環境変動(大豪雨)に関する改善要求(抗議書)』
『宛先:環境プロジェクトマネージャー(User‐A)様』
『内容:現在、当方が担当するエリアにおいて、事前の環境設定資料に存在しない【局地的な大豪雨および、大規模な鉄砲水】が発生しています。
これにより、構築中であった防衛インフラおよびサプライチェーンが完全に崩壊。備蓄していた食料(農作物)も水没し、当方のNPCロストの危機に瀕しています。
そちらの環境パラメーターの調整ミス、もしくは上位レイヤーによる無通告の環境変動が原因と思われます。直ちにロールバック、または雨天の解除による救済措置を要求します』
「えっ……」
私は絶句し、ココアを飲む手をピタッと止めた。
大豪雨? 鉄砲水? サプライチェーンの崩壊?
「な、なんかBさんのやってるゲーム、私のと全然ジャンルが違くないですか……?」
私がプレイしているのは、魔法のCADを使ってお豆腐(岩)を切ったり、丸太を綺麗にお片付けしたりする『ほのぼの土木・スローライフ』だ。
しかし、Bさんの文面から伝わってくるのは、泥水にまみれながら飢えと水没の危機に瀕している『超ハードコア・サバイバル』の緊迫感である。
「なるほど……理解しました! これ、最近よくある『他作品とのクロスオーバー・イベント』ってやつですね!」
私はポンッと手を打った。
平和なスローライフ系の世界に、突如としてダークファンタジーやサバイバル系の別タイトルのキャラクターが迷い込んでくる、あの定番のコラボ企画だ。
なるほど、運営さんも粋な計らいをする。同じマップ(第7セクター)に、まったく別のプレイスタイルのユーザーを配置して、どう化学反応が起きるかテストしているに違いない。
「お米が水没して困ってるなんて……Bさん、変なお天気のせいで大変ですね。お気の毒に」
私はSDGs推進室のOLとして、困っている人を見過ごすことはできない。
なんとか彼を助けてあげる方法はないかと、私はBさんのチケットをもう一度読み直した。
「……でも、おかしいですね」
そこで、プロの解体屋(現場監督)である私の脳裏に、強烈な違和感がよぎった。
「私が作ったあの巨大なすり鉢(山を消したクレーター)、水がちゃんと抜けるように、ちゃんと『暗渠(水抜き)排水溝』を設計しておいたんですよ? 丸太をポイした、あの地下へと続く深い地割れです」
あそこは、周囲の水を一手に吸い込む天然の排水口だ。
私の完璧な計算によれば、どれだけ大雨が降ろうと、あのすり鉢の底にさえいれば、水はすべて地割れに吸い込まれていくはずなのだ。
「あそこに避難すれば、水なんか溜まらずに、ちょっとした温水プールみたいに安全に過ごせたはずなのに……どうしてBさんは、わざわざ水没するような場所にいて、サプライチェーンを崩壊させてるんでしょう?」
困っている仲間を放っておけない私の親切心と、現場を預かるプロとしてのロジックが、ひとつの結論を弾き出した。
「……あ、わかりました! Bさん、もしかして図面が読めないタイプのお馬鹿さんなんですね!」
これならすべての辻褄が合う。
Bさんは、私がせっかく作ってあげた「完璧な安全シェルター(※巨大クレーター)」の地形構造を理解できず、排水の仕組みに気づかずに、見当違いの場所で溺れかけているのだ。
「仕方ないですね。同じ現場で働く仲間として、先輩である私が優しくアドバイスしてあげましょう! これも持続可能な開発目標(SDGs)における、パートナーシップの精神です!」
私はふふっと微笑むと、Bさんの悲痛な抗議チケットに対し、【コメントを追加】というボタンをタップした。
そして、100%の善意と、先輩としての責任感を込めて、文字をフリック入力していく。
『お節介コメント(User‐C):
User‐B様、お疲れ様です。同セクター担当のCです。
大豪雨での作業、大変でしたね。でもご安心ください。あのすり鉢の穴は、私が完璧に水勾配を計算した暗渠排水仕様になっています。
そこに逃げ込まなかったということは……B様は、もしかして図面が読めないのですか?(にっこり)
地形のレベリングは完了していますので、次回からは慌てずに、一番低い安全な場所を探してみてくださいね! ご安全に!』
「ふふっ、完璧なアドバイスです。これできっとBさんも、次からは水没せずに済みますね!」
私は満面の、それはもう慈愛に満ちた笑顔を浮かべ、なんの迷いもなく【送信(コメント追加)】のボタンをタップした。
――時刻は【09:45】。
私がそのボタンを押した、まさにその瞬間だった。
『―――ッ!?』
突如として、私の持つスマートフォンの画面全体に、激しい砂嵐が走り抜けた。
それと同時に、耳をつんざくような警告音が鳴り響く。
「きゃっ!? な、なんですか!?」
私は驚いてスマホを取り落としかけた。
画面には、血のような真っ赤なダイアログが、無数にポップアップしては消えていく。
『FATAL ERROR』
『警告。時間軸流速の差、および提出されたレポート間の相互矛盾により、データの論理整合性が破綻しました』
『【User‐C(現在)】から【User‐B(200年後)】への直接干渉を検知』
『【User‐A(100年後)】における【チケットC‐001】の展開とコンフリクト(データ衝突)が発生』
『非同期マルチスレッドの構造崩壊の危機。相互排他制御を回避するため、メインサーバーへの通信を強制遮断します』
「え? 流速? 200年後? デッドロック?」
画面に次々と表示される、意味不明なエラーメッセージの羅列。
そして、最後に『コネクション・ロスト』という文字が虚しく表示されたかと思うと――プツン、とスマホの画面は完全にグレーアウトし、アプリは強制終了してしまった。
「あーあ、切れちゃいました。やっぱり運営さんのアプリ、バグが多くて不安全ですね。リリース直後だから仕方ないんでしょうけど」
私はため息をつきながら、真っ暗になったスマホの画面をタップしてみたが、アプリは二度と立ち上がらなかった。
キーンコーンカーンコーン。
その時、オフィスの天井から、十時の始業を告げる爽やかなチャイムが鳴り響いた。
「あ、お仕事の時間ですね! アプリのことは一旦忘れて、本業に集中しましょう!」
私はスマホをデスクの引き出しにしまい込むと、目の前のパソコンのモニターに向き直った。
画面に表示されているのは、私の本職の業務ファイルである『持続可能な社会の実現に向けて(SDGs推進室)』のプレゼン資料だ。
「よし、現実の現場も、安全第一で頑張りましょう!」
清々しい表情で、キーボードに手を乗せる玲奈。
下界のB(健太)の胃を粉砕する「煽りコメント」を放ち、未来のA(結衣)のシステムをデッドロックの嵐に巻き込んだ『元凶(台風の目)』は、自分が時空を超えた大惨事を引き起こしたことなど微塵も気づかぬまま――週明けのクリーンなお仕事を開始するのだった。
【あとがき】
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
これにて『フェーズ1:開拓とすれ違いの月曜日』は完結となります!
「玲奈の煽りスキルが高すぎるw」「3人の対比が最高!」「結衣ちゃんと健太くんの胃が心配……」と思っていただけましたら、ぜひページ下部の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけますと幸いです! 次章の執筆の大きなモチベーションになります!
第一章までお付き合いいただき、本当にありがとうございました! 現場ヨシ!




