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中編

 文化祭初日、とうとうこの日がやってきたかと玲士はまるで他人事のように思っていた。実際、玲士は普段生徒会の方を優先していたし、クラスの手伝いと言っても荷物運びくらいしかしていないので、余計に実感がわかない。

 休憩スペースとしているが、飲み物や菓子の準備もあるから衝立を用意して一角が見えないようにしている。

 それより気になっているのは、衣装がどうなっているのかだ。そう、玲士はまだ制服姿のままで準備を進めている。なんと文化祭当日になってもまだ玲士は衣装を一度も目にしていない。衣装に関して何度か進捗を聞いてはいたが、

 「問題無いわ‼衣装は絶対完成させるからこっちは私達に任せておいて‼」

 衣装リーダーである月野にそう言い切られてしまっては信じて任せるしかない。

 (もう三十分後には始まってしまうぞ。流石に心配になってきたな)

 玲士は教室にある時計を見て内心冷や冷やし始めた。着替えもあるし、これ以上は待てない。

 声をかけに行くかと思ったところで教室のドアが凄まじい勢いで開けられた。

 あまりの勢いに教室内にいた全員がビクッっと驚いて入り口を見る。

 扉を開けた月野の後ろには段ボールを抱えた衣装担当になったクラスメイトが何人かいるのが見える。

 「お待たせ!ようやくみんなの分の最終調整が完成したわ。早速着替えてちょうだい!」

 「ギリギリ過ぎるだろ。言ってくれたら俺も少しは手伝ったぞ」

 「いや~。ほんとはもう少し早く完成していたんだけど、途中で納得できなくて少し作り直していたらギリギリになっちゃったんだよね」

 「おいこら。なんだよその理由は」

 理由を聞いた玲士は流石に突っ込んだ。まさかそんな理由でギリギリになっているとは。

 「だって作っている途中で親戚からぴったりな布を紹介されたら、確認しないといけないじゃない」

 「実際そっちの布の方がしっくりしたし、いいじゃない」

 「流石に予算的に全員分用意できなかったのは残念だけど、その分とことん拘ったわ」

 「ちょっと待て。まさかブランド物に手を出していないだろうな⁉」

 教室の中央に段ボールを降ろしているメンバーから聞き捨てできない内容が混じっていてギョッとした玲士は慌てて月野に詰め寄った。

 いったい文化祭の衣装にどこまで拘るつもりだ。

 「も、もちろんブランド物なんて買ってないわよ。流石に予算が足りないわよ」

 詰め寄られた月野は玲士から目を逸らしながら答える。しばらくじっと見続けているが、相変わらず目を合わせようとしない。

 「まぁ、それならいいけど。確認しとくが、予算以内には抑えているんだよな?」

 「そこは安心して。あとで材料費のレシートも整理して出せるよ」

 ハァっと溜息をついた玲士とは裏腹に衣装組のメンバーは満足そうだ。どうやら余程の自信があるんだろう。とりあえずは予算以内に抑えられたことにひとまずほっと胸をなでおろした。

 瑞希から指摘されたらどうしようと悩む玲士の後ろで「布ってブランド品じゃないわよね?」「バッグとか小物じゃないんだしセーフでしょ」「レシートは目立たないように貼っておく?」など衣装組がひそひそと会話をしていたが、頭を悩ませる玲士には聞こえていなかった。


 衣装組から自分用の衣装を受け取った玲士はさっそく衝立の奥で着替えた。

 (以外にも古めかしい感じじゃないな)

 着替えた玲士が自分の姿で最初に思った感想はそれだった。ジャケットやベストなどデザインに違いはあるが、スーツっぽい感じで着替えるのに苦労はしない。衝立から顔を出すと他のメンバーも似たような衣装を着て集まっていた。

 個人差はほとんど無いような状態だが、逆に統一感が出ていいだろう。

 「玲士、ちょっといいか」

 「ん?……どうした」

 玲士と同じように執事姿になったクラスメイトから声をかけられて振り返った。

 彼は玲士の執事姿を上から下までじっくり見ている。

 「どうかしたか?」

 「いや。玲士の服って俺らと若干違わなくないか?」

 「えっ?」

 もしかして着方が間違っていたのか?慌てて下を向いて自分の姿を確認するが見た感じはどこもおかしい所は無いように見える。何か変だろうか。

 前だけでなく後ろも確認しようと左右から後ろを見ようと体を何度も捻る。その様子に何だ何だと周りも玲士の元に集まって来た。

 「どこがおかしいんだ?ちょっとわからないぞ」

 「いや。別におかしいわけじゃないんだ。ただ、ジャケットがな」

 「ジャケット?」

 その言葉に玲士だけでなく他のメンバーもジャケットを見る。う~ん。やっぱりわからない。

 頭を捻っている玲士の元に隼が「どうした」と近寄って来た。周りから説明された隼は玲士の姿を見た後、隣のクラスメイトを見た。何度か二人を見比べた隼は「あぁ」と納得した表情になった。

 「隼。なにが違うのかわかったか?」

 「おう。色だな」

 「「「色?」」」

 玲士の声が周りと被った。色と言われても全員が黒だ。違いなどほぼ無いに等しいはずだ。

 「玲士のジャケットは真っ黒じゃなくて、ちょっと色が違うな。なんだろ緑?いや青っぽさが少しあるんだよ。並んだら気がつくレベルだけどな」

 近くにいた一人を玲士の横に立たせた隼は一歩下がり、代わりに周りの男子が前に出て二人を見比べる。

 じろじろと見られている玲士はなんだか落ち着かない気分だ。俺だけが違う?もしかしてハズレを引いてしまっただろうか。

 「男子~、入るわよ~。……って何やってるの?」

 別の部屋で着替えていた女子が扉を開けたところで立ち止まっていた。いや、こっちが聞きたいくらいだよ。

 入って来た女子メンバーは全身メイド姿に衣装チェンジしている。デザインは玲士が小説の挿絵でも見たことのあるものだ。

 「月野、なんか俺だけジャケットの色が違うみたいだけど何でなんだ?」

 “執事”姿で入ってきた月野に玲士は自分の衣装について尋ねた。今はこっちの疑問を先に解決するのが先だ。

 「あぁ。それはあれよ。生地の差よ」

 「生地?一緒じゃないのか?」

 「最初に言ったでしょ。ぴったりな生地が見つかったって。全員分は用意できなかったから、ランダムで配ったの」

 そういえば最初に言っていたな。玲士は記憶の隅に追いやられていた会話を思い出した。そのあとの内容がインパクト強すぎたからすっかり忘れていた。それにしてもぴったりな生地ね……

 「みんなの黒と何が違うんだ?」

 生地の良し悪しはもちろんのこと、執事服に関して詳しくない玲士は違いが判らない。黒ければ別に問題ないのでは?

 月野は腰に手を当てて、

 「別に大した違いは無いわよ。ただ、黒だけじゃなく、深い青が入ったジャケットもあるのは事実よ。あんまり青味が強いと執事っぽく見えなくなっちゃうけど、それぐらいなら十分執事服として使えるわ。もちろん私のも田宮君と一緒の生地よ」

 そう言う彼女はものすごく自信満々だ。玲士は月野の執事服を見た。

 たしかに、じっくり見れば真っ黒ではなく少し明るめになっている。これは青というより藍に近そうだ。光に当てると違いがよく分かるだろう。

 「なるほど。それで月野はなんで執事服姿なんだ。メイド服じゃないのか?」

 「別に女子はメイド服って決まっていたわけじゃないでしょ。もしかして、メイド服の方がよかった?まだ余ってるわよ」

 「いらねぇよ!」

 玲士の突っ込みに月野はけらけらと笑っている。誰が好き好んで着るか。

 月野は男子達と一緒にお辞儀をして執事っぽい仕草をしている。執事服を完璧に着こなしている月野は制服姿よりも細く見え、まるで男装の麗人のようだ。

 (それにしても、まさか自分に特別な衣装が当たるとは思っていなかったな)

 てっきり隼達と同じ衣装になるだろうと玲士は思っていた。ランダムとはいえ完全に自分が当たる可能性を考えていなかった。

 「それより、俺がこの衣装でいいのか?もちろんできる限りここにいるようにはするが、抜けるとしばらく帰って来なくなるぞ」

 玲士はカフェだけでなく生徒会の見回りもある。一度見回りに出てしまうと、帰ってくるのはかなり遅くなってしまう。そんな人物に特別な服を着せるのは勿体なくないだろうかと玲士は思った。しかし、月野の感想は違ったようだ。

 「逆に田宮君で良かったのよ」

 「なんでだよ」

 月野は振り返りながらそう答えるが、言っている意味が分からず玲士は首を傾げた。カフェにいない玲士が着ることがなぜいいのだろう。

 「田宮君は教室にいない間、宣伝係をしてもらうつもりだから。アピールするならいい服着ていた方がいいでしょ。……え~っと、……あぁ。これこれ」

 月野は衣装組が持ってきた段ボールの一つの中を漁り、奥の方から一枚の紙を取り出した。それはクリアファイルぐらいの大きさで、真ん中には大きく「2―4 執事・メイド付き休憩所」と書かれている。

 文字の周りには各々が描いたであろうイラストがあり、手作り感が満載だ。それをどこから持ってきたのか、細長いプラスチックパイプに貼り付けて受け取れと言わんばかりに玲士に突き出してきた。

 受け取らないわけにもいかず、戸惑いながらも玲士は即席プラカードを受け取った。初めから宣伝係をやらせるつもりでこれを作ったな。それにしてもこの衣装といい宣伝用の小道具といい随分と用意がいいように思える。

 「一応聞いておくが、この服になったのは本当に偶然なんだよな?」

 頭に引っかかったことを月野に聞いてみるが、月野は「さぁね~」と言うだけでそれ以上は何も言わなかった。



 「つ、疲れた」

 二時を過ぎた頃、玲士は机に突っ伏していた。玲士が疲れているのは自分たちのカフェが原因だ。歩き疲れた人を相手にするだけだから楽だと思っていたが、そんな考えは簡単に吹き飛んだ。

 なぜなら手の空いている学生がひっきりなしに教室に訪れるのだ。相手をする時も、いつもの話し方ではなく「ご主人様」「お嬢様」などコンセプトにあった話し方にしなければならない。それを面白がって別のクラスの生徒がひっきりなしに訪れている。

 意外にも接し方で疲れてしまうのは玲士にも予想外だった。明日は噂を聞きつけて今日より人も増えるからさらに忙しくなるだろう。

 当初は生徒会の仕事で何も手伝うことは無いだろうと思っていた玲士だったが、誰かが生徒会に頼みに行ったのだろう。昨日に連絡を取り合う為と言って瑞希と連絡先は交換していたのだが、その瑞希から「初日だから田宮君はクラスの出し物に専念しなさい」と連絡を受けた時は驚いた。二日目からは本格的に生徒会の仕事を手伝わないといけない。

 とりあえず、午後からはメンバーが変わるから玲士はフリーだ。休憩も兼ねて玲士は現在生徒会室で一人過ごしている。

 (これがあと二日も続くと考えると気が滅入るなぁ)

 見回りとなると行く先々で多くの生徒から声をかけられることは避けられないだろう。宣伝も兼ねているのである程度はその場で演技をしなければならない。玲士は顔も上げず突っ伏したままだ。シワになったら困るから今はジャケットを脱いで椅子に引っ掛けてある。

 うつらうつらと眠気に負けそうになっていると玲士の背後でドアノブが回って誰かが入ってきた気がした。

 (誰だろう?気になるけど、今は休ませてくれ)

 眠気でうまく頭が働かない。とりあえず呼ばれないなら気にしなくてもいいだろう。

 ぼんやりとした意識の中、不意に背中に何かがふわりとかけられた気がした。

 そして玲士の隣の椅子が引かれ、誰かが座る音がした。眠気に負けそうになりながら頭だけ動かし、入ってきた人物を見た。

 「う~ん。誰ですかぁ」

 「……随分と疲れているみたいね。大丈夫?」

 少し間延びした玲士の声に反応した人物は思ったよりも近くにいた。視線の先には玲士の隣に座り、背もたれに身体を預けリラックスした状態の瑞希がいた。

 しばらくぼ~っと瑞希を見つめていた玲士だったが、目の前に誰がいるのか理解がようやく追いついてきて、完全に理解した瞬間一気に眠気が吹っ飛び、玲士は慌てて上体を起こした。

 「か、会長⁉す、すみません。勝手に休憩場所で使っていました」

 「ふふっ。別に謝ることじゃないわよ。私も田宮君と同じ理由よ」

 いきなり起き上がった玲士に最初は驚いた様子の瑞希だったが、そのあとはクスリと笑って玲士を見ている。

 どうやら瑞希しか入ってきていないようだ。辺りを見回そう思った玲士の肩から何かが背中に向かって滑り落ちた。後ろを振り返れば、玲士がこの部屋に入ってきた時に脱いで椅子に引っ掛けておいたジャケットがあった。

 玲士の記憶では椅子に引っ掛けておいたはずだ。

 「もしかして会長、俺にジャケットをかけてくれたんですか?」

 「ええ。流石にそのまま眠るにしては薄着だと思ったから、とりあえずそれだけでもと思ったけれど、必要は無くなったわね」

 「それでもかけてくれたのはうれしかったです。ありがとうございます」

 礼を言いながら玲士はジャケットに袖を通していた。室内で締め切っていたとはいえ、ジャケットを脱いで居眠りするには少し寒い。あのまま眠っていればもしかすると風邪をひいていたかもしれない。

 「田宮君のクラスって休憩場所になっていたわよね。どうしてそんなに疲れているのかしら?」

 ジャケットを着ている玲士を見ながら瑞希は首を傾げていた。確かに、玲士のクラスは休憩場所となっているので激しく動き回るようなことはしていない。事情を知らない者からすればここまで玲士が疲れ切っているのは不思議に思うだろう。

 「体力的に疲れたっていうよりも、精神的に疲れた感じですね。ほら、俺のクラスって喋り方もそれっぽく変えないといけないので」

 「あら。田宮君はその辺り普段から慣れていると私は思っていたのだけれど、違うのかしら?」

 そう。意外にも疲れる要因になったのは相手との会話だった。カフェのコンセプトからそれほど相手と話すことは無いが、全く話さないわけではない。

 お嬢様やご主人様、旦那様など呼び方はそれほど多くないが、最後まで呼び方に合わせた対応をするのが以外にも大変だった。

 相手と年齢が近いこともあってふとした時に素の話し方になりそうになる。別のクラスの生徒がニヤニヤとしている時は恥ずかしさも重なって何度軽口を叩きたいと思ったことか。

 「へぇ。ここでの田宮君を見ていると苦手そうなイメージが浮かばないわね」

 瑞希は意外そうに目を丸くしている。それは玲士自身も同じだ。まさかこんなに気疲れするとは思わなかった。

 玲士は気分を切り替えるように背伸びをした。その傍らで瑞希は顎に手をやり何かを考えている。そして、おもむろに口を開き、

 「ねぇ田宮君。私に一度やってもらえないかしら」

 「えっ?」

 瑞希の言葉に玲士は背伸びをしたままの姿勢のまま瑞希を見た。瑞希が何を希望しているかはわかるが、それでも聞き返してしまった。

 「そこまで聞くとどんな感じか興味が出たわ。私も休むためにここに来たわけだから、条件はそろっているわよね。」

 「いや。俺も休憩しに来たんですが……」

 自信満々に言う瑞希に思わず突っ込んだ。休憩しに来たのにまさか生徒会室でもすることになるとは。

 「気になるなら教室まで顔を出したらいいじゃないですか。誰でも入れるから、別に会長が来ても何も問題は——」

 「嫌よ」

 「えっ?」

 とりあえず教室に来てもらおうかと玲士は提案しようとすると、言葉を遮るように瑞希が拒絶した。なんで嫌なんだ?

 「田宮君のクラスに行ったら田宮君が相手してくれるかわからないでしょ。私は田宮君のしているところを見たいのよ」

 プイっと顔を背ける瑞希の姿はまるで駄々をこねる子供のようだ。頼りになるお姉さんのような印象を持っていた玲士だったが、今の瑞希を見るとそのイメージは無く、見た目よりも幼く見えてしまう。見た目よりも幼い仕草がなんとも可愛らしい。——いやいや。今考えるのはそこじゃない。

 「私がお願いしているのに、田宮君はそのお願いも聞いてくれないのかしら」

 黙ったままのの玲士の様子から拒否と受け取ったのだろう。先ほどまで顔を背けていた瑞希が眉を寄せてこちらを睨んでいる。

 今日の瑞希はころころと表情が変わるなぁ。普段は感情があまり表情に現れないのに、今日は感情が分かりやすいくらいだ。何かあったのだろうかと思わずにはいられない。

 さも当然というように俺を指定しているけど、そんなシステムは採用していないのに。

 (これはやるしかないのか?)

 内心冷や汗を垂らしながら玲士は必死に頭をフル回転させていた。重要なのはこのまま断った場合、瑞希がどんな行動をするかだ。

 さっきまでの言動からおそらくクラスに突撃してくる可能性は低いと思うが、それでも絶対とは言い切れない。


 「生徒会長として生徒会メンバーの働きぶりを見に来たので私に田宮君を付けてください!」


 教室の入り口で腰に手を当てながらクラス全員に宣言する瑞希の姿を想像し、

 (あ、ありえる!)

 十分にあり得る。まるで一度目にしたことがあるように想像できてしまう。ちらりと瑞希に目をやると期待した目でこちらを見ている。

 逃げることは無理そうだと玲士は諦めた表情になった。万が一玲士のクラスに来てそれを許してしまうとカフェの目的が歪んでしまいかねない。

 「いいですよ。ここだと大したものは用意できないですから、飲み物を提供するぐらいしかしないですよ?それにあくまでもそれっぽい感じで演技をするだけですから、期待するほど代わり映えしないかもしれないですよ?」

 「構わないわ。飲み物は特に指定しないから、田宮君が飲みたいのと一緒でお願いするわね」

 お願いが叶うと知った瑞希はなんだか嬉しそうだ。

 渋々立ち上がった玲士は部屋の隅にあるポットに向かい、肩越しに瑞希と会話をしながら慣れた手つきで準備をする。最初に目に留まったのがアップルティーだったので特に悩まず、それに決めた。

 お湯が準備できるまでの間にカップを用意していた玲士はふと違和感なく準備をしていた自分に気がついた。

 (そういえば、普段会長達にしていることとあまり変わらないな)

 何が飲みたいのかを相手に聞いて、梨恵達がいる場合は多数決で飲み物を決めて人数分を用意する。言葉遣いに違いはあれど、やっていることは普段とあまり変わり無い。

 それでも普段慣れている生徒会の方が気持ちは楽だ。いつも通りのことをすればいいのだから。

 カップは玲士自身の分も用意したが、とりあえず瑞希の分だけ紅茶を入れて瑞希の元に戻った。

 いつの間に用意したのだろう。テーブルの上には生徒会でストックしておいた小分けされているクッキーの詰め合わせが置かれていた。瑞希にずっと見られているのはなんだか気恥しい感じがしたが、感情には出さずぐっとこらえる。「失礼します」と声をかけた。

 「お嬢様お待たせいたしました。今回はそちらの菓子に合うようアップルティーを選ばせていただきました。ゆっくり堪能ください。私は傍で控えていますので何かあればお呼びください」

 もちろん、クッキーと合わせたわけではない。それでもあえて言ったのは、普段と違うのだという意味も込めてあえて付け加えた。

 笑顔で瑞希の前にカップを置いた玲士はそのまま瑞希の右斜め後ろに下がった。

 とりあえずここまでにはなるが、玲士自身特に気負わずにできたと思った。あとは瑞希がどんな反応をするかだ。静かにカップを持ち上げアップルティーを口にした瑞希は何も言わなかったが、ほぅと吐息を漏らした後微笑んだ。

挿絵(By みてみん)

 「っ!」

 斜め後ろからでもわかる。それはあの時の、看病した瑞希からお礼を言われた時のように目を少し細めて優しげな表情をしている。

 「っと。あぁ、ごめんなさい。ありがとう、座ってちょうだい」

 しばらく余韻に浸っていた瑞希だったが、ようやく満足したのか振り返って座るように促してきたので、すぐには座らず自分用に用意していたカップに紅茶を注いでから席に着いた。

 「どうでしたか?大体こんな感じでやっていますね」

 「そうね。正直なところ、ここで田宮君がしていることとあまり変わりがないように思えたわね」

 「そうですね。俺もそう思いますよ」

 それに関しては玲士も同感だと頷いた。やっていることは今までしていたことと変わらないのであまり真新しさというものが感じられなかったのは事実だ。

 「それでも……」と瑞希は言葉を続け、

 「やっぱり私は、ここで気兼ねなく紅茶を用意してくれる田宮君の方がいいわね。別に田宮君のクラスでやっていることに不満があるわけじゃないのだけれど、お嬢様って言われたこともないしなんだか田宮君との距離がいつもより離れたように感じてしまったわ」

 そう言いながら背もたれに軽く体を預けた。まるで自分の気持ちを代わりに言ってくれているみたいだなと玲士は少し驚いていた。

 いつもは瑞希のことを会長と呼んではいるが、梨恵達と軽く雑談を交わしたりのんびりと一緒に菓子を食べたりしているので、友人としての距離感で接してきている。

 今回、玲士は瑞希のことを「お嬢様」という役割に合った接し方で演技をしていたが、その時は玲士と瑞希の間に見えない壁のようなものがあるような気がしていた。決してそれ以上は決して縮まることはない距離感。生きる世界が違うのだと実感させるような印象だった。

 実際執事という立場ではそう簡単に相手との線引きを変えてはならないだろうし、職務に忠実にならなければならないのだから昔はそれが普通だったのだろう。

 それでも友人感覚での距離感から始めた玲士にとっては、相手と間に明確な線引きをしてそれ以上踏み込まない関係には寂しさを覚えてしまう。これまではそんな気持ちすら持ったことが無かったのに……

 「そうですね。俺も会長のことをお嬢様って呼ぶのはなんだか違和感がありましたよ」

 「……それって私が雑な人間って思われているのかしら?」

 「なんでそうなるんですか⁉」

 玲士の言葉に冗談めかして聞いてくる瑞希に慌てたりしながらも、二人だけの楽しい時間が穏やかに過ぎていった。



 「それじゃあ、何人かでいいからゴミ出しに行ってもらって溢れないようにしてくださいね」

 「「うい~っす」」

 「ごめんね~」

 相手からの返事を聞いた玲士はそばに立てかけていたプラカードを手に取ってその場をあとにした。

 文化祭二日目の昼前、玲士はプラカードを持ちながら敷地内のあちこちに点在しているクラスのいくつかを訪れていた。

 初日とは違って皆、するべきことが分かっているので準備に手間取ることはなくなったが、その代わりに苦情やトラブルの報告が生徒会に届くようになっていた。

 先程のクラスは正門近くで鯛焼きを作っていたのだが、その過程で発生するごみに関して生徒会に意見が届いていた。

 本来ならある程度の量になったら廃棄場に捨てに行くだけなのだが、他のクラスの出し物を見に行ったりして人出が減ってごみ捨てまで手が回らなくなり、結果大量のごみ袋が正門近くに置かれ続けていた。

 学校の玄関口である正門に大量のごみが放置し続けるのは、訪れた人からいい印象を持たれないだろうと近くで出し物をしていた別のクラスから生徒会に意見が届いていたのだ。

 とりあえず、生徒会で内容をまとめて今日は対象になっているクラスを一つ一つ回らなければならないので、玲士は今日宣伝係として一日フリーに動き回れるようになっている。

 「これでとりあえず、食べ物系は全部か。あとはどこだったかな?」

 歩きながら手元のメモに目を落とし、行く場所を確認する。クラスの出し物はあちこちに点在しているので、どうしても時間がかかってしまう。

 あまりのんびりし過ぎるとまた苦情に繋がってしまうから玲士はメモをポケットに突っ込んだ後、足早に次の目的地に向かった。



 「ん?なんだあれ」

 校舎の立ち並ぶ敷地の中央にある中庭に訪れた玲士は、ある一角に人が集まっているのに気がついた。

 何かを見ているようで、円状に集まりその中心を見ている。後ろの生徒はよく見えないのかその場でジャンプをして何とか見ようとしている。近くを歩いていた生徒もその集まりに興味が出たのか次々とそちらに向かって歩き始めている。

 「すみませ~ん。生徒会です。この集まりは何ですか~」

 「さぁ?とりあえず気になったから来たけどよく見えないんだよ」

 玲士は近くにいた生徒に声をかけたが困惑した表情でいい返事はない。後ろの方にいる人達は何かわからないままとりあえず集まっているだけだろう。

 (このまま放置するのは良くないな)

 中心に何があるのかわからないが、このまま放置していると押し合いになって怪我をしてしまう人が出てくる可能性もある。

 あの集団の中に割り込みたくないなと玲士はうんざりするが、そうも言っていられない。意を決して玲士はよくわからない集団の中に入っていった。

 「すみませ~ん。ちょっと通してください」

 玲士は人込みをかき分けながら中心へ進む。周りから押されて苦しいが何とか少しずつ前には進めている。中心に向かうにつれて人の密度が高くなって中々前に進めないが今のところ問題はない。

 かき分けながら玲士は中心に何があるのか気になっていた。玲士は何度か見回りも兼ねてこの場所は通り過ぎてはいるが、これほど人が集まるよう何かは無かったはずだ。

 昨日も同じようなことがあったなら少なからず玲士や瑞希の耳には入っているはず。そうなると昨日は実施していなかったのだろう。予告も無しに当日これほどの規模になるなら余程の何かがあるのだろう。

 玲士はもみくちゃにされながら中心へ進んで行く。

 「ようやく……って、うわっ!」

 ようやく抜け出せたと思った玲士だったが、押し合いが無くなったことで逆に弾き出されるように前に押し出されてしまった

 躓きそうになるのを何とか堪え、ようやく周りを見る余裕ができると、生徒の視線の先に一人の人物が立っているのに気がついた。

 「えっ⁉」

 予想外な人物に玲士は目を丸くした。

 「あぁ、田宮君。騒がせてごめんなさいね」

 噴水の前に瑞希が一人立っていた。瑞希は人混みでもみくちゃにされてきた玲士を初めは目を丸くして驚いていたが、そのあとは眉を下げ申し訳なさそうにこちらを見ている。

 この騒ぎの中心に瑞希がいることにも驚いているが、玲士が驚いているのは瑞希の格好だった。

 「会長。その姿はどうしたんですか?」

 「私のクラスの出し物よ。呼び込みのためにこの格好で外に出たのだけど、見ての通り人が集まりすぎて困っていたのよ」

 瑞希もこの事態は予想外だったのか苦笑しながら玲士に経緯を説明した。

 瑞希は全身ドレス姿で立っていた。白と青の二色な長袖のドレスだ。袖口と裾周りにレースやフリルなどの装飾はされているが、あまり派手過ぎずどちらかというとシンプルな部類に入るのかもしれない。

 それでもシンプルな分、瑞希の美貌と肩に流れる黒髪がよく似合っており瑞希自身の魅力がより強調されている。

 右手に持っている閉じられた日傘と背後の噴水が見事にマッチしており、散歩に訪れた令嬢のようでそれだけで十分絵になる。

 その美しさに目を奪われた玲士だったが、同時にこれだけの人混みになったことに納得もした。

 普段学生がドレスを校内で着ることはまず無い。着る機会があるならば、今日のような文化祭など特別な行事で着るぐらいだ。玲士のクラスも瑞希のドレスとは違い執事やメイド服を着ているが、あくまでも教室内でしか活動はしていない。

 汚したくないのと周りに絡まれるのが嫌だという理由でクラスメイトの大半が外に出ていない。

 その代わり、休憩組が校舎内のあちこちで自慢したりして騒いでいるらしいが……。

 さて、話を戻すがこれでこの人の集まりようは理解した。理解したところで、玲士はこの後どうするべきか頭を悩ませた。

 「そうだったんですね。それなら会長はここにいますか?見る限り宣伝効果は十分あるみたいですし」

 初めは生徒会に申請を出さずに一部の生徒がパフォーマンスを始めていたのかと玲士は思っていた。だから説明をして一旦解散してもらおうと思っていたのだが、真相は玲士と同じ宣伝活動。自分達のクラスの出し物を知ってもらおうと活動しているから止めろとは言いづらい。

 瑞希のドレス姿でこれだけの人が集まっているのだ。今頃瑞希のクラスの元には大勢の人が押し寄せて溢れかえっているんじゃないだろうか。ドレス効果恐るべし。

 玲士と一緒に周りを見渡す瑞希は若干引いているような気がしているが今は気にしない。

 「そうね。もう十分宣伝になったと思うから、私は一旦教室に戻るわ。これ以上集まるとさすがに周りの人の移動の妨げにもなるわ」

 「いいんですか?」

 意外な答えに玲士は目を丸くした。てっきり瑞希はここに残るものだと思っていた。その際は瑞希のクラスから何人か人を回してもらって、人の整理を頼もうと思っていたところだったからだ。

 瑞希は気にした様子もなく「構わないわよ」と答えるだけだ。

 付き添いはいなかったのかと一応瑞希に聞いてみると、初めはいたのだがどうやら服の装飾が外れてしまったらしい。急遽教室へ帰ることになってしまったため瑞希が一人残ることになったようだ。

 とりあえず瑞希が帰るにしてもこの場を何とかしなければ動けない。無理に押し通ろうとすればドレスが破れてしまう。

 玲士は瑞希から視線を外し、二人の周囲を取り囲んでいる生徒に目を向けた。

 「みなさ~ん!ここでの集まりは解散です!メイン会場は……えっと、四階にあるのでそちらまでお願いします~!」

 玲士はできるだけ周りに聞こえるように大声で解散を伝えた。もちろん周りからはブーイングが上がるが気にしない。周りからの不平不満に動じずにいると諦めたのだろう。しばらく残り続けていた人も徐々に散り始め、ようやくこの人混みから抜け出せそうだ。

 撤収しようと瑞希が近くに立てかけていたプラカードを取ろうとする前に、横から玲士がそれを先に手に取った。

 「俺が持ちますよ。会長はそのまま教室に行ってください」

 横取りされた形なので瑞希はプラカードに手を伸ばしたままの姿で固まっている。何をしているんだと言わんばかりの表情でこちらを見上げている。

 「わざわざ持ってもらわなくてもいいわよ。教室に帰るだけだから」

 「特にすることもないので付いて行きますよ。俺たちのクラスの宣伝にもなりますからね」

 「そこまでしなくてもいいわよ。いいから返しなさい」

 「いえいえいえ。遠慮しなくてもいいんですよ」

 すぐに玲士が手にしたプラカードを取り返そうと手を伸ばすが、玲士も譲るつもりはない。何度も迫ってくる瑞希の手をさりげなくひょいひょいと躱していく。

 見回るクラスはまだ残っているが、一つくらい寄り道しても問題ない。玲士はニコニコと笑顔のまま二つのプラカードをしっかりと持ち直し、暗に渡しませんよと意思表示をしているのだが果たしてわかってくれるだろうか。

 二人のやり取りに「何をやっているんだ」と周りが不思議そうな視線を向けてくる中、瑞希は恨めしそうな目でこちらを睨んでいたが、はぁ~と諦めたように溜息をつきながら手を下した。

 「……言っても返してくれないなら、持ってもらおうかしらね」

 どうやらこちらの意志の強さを理解してくれたようだ。玲士もこれ以上説得をしなくて済むので何よりだ。それならこれからすることも納得してもらおう。

 瑞希と入れ替わるように今度は玲士が瑞希に右手を差し出した。意図が分からず訝し気に瑞希は玲士の手を見ている。

 「……これはなにかしら?」

 「俺の手を持ってください。今の姿だと会長歩きにくいでしょう」

 「な、なにを言い出すの!そんなことをしてもらわなくても私は歩けるわ!」

 瑞希は両手を胸元に寄せ一歩下がった。恥ずかしいのか顔は赤くなっている。

 「せっかくのドレスなんですから、躓いて汚したら大変じゃないですか。ちょうど俺の衣装も会長のドレスと設定が似ていますから問題ないでしょう」

 「問題があるとか無いの話じゃないでしょう。わざわざ田宮君に手伝ってもらわなくても大丈夫よ!」

 「でも、ここに来るまではもう一人に手伝ってもらっていたんですよね?」

 「うっ。そ、それはそうだけど……」

 冷静な玲士の指摘に瑞希はたじろぎながら視線をきょろきょろと動かしている。

 瑞希のドレスは引きずるほど長くはなくそれほど裾周りが広がっているわけではないが、制服と違って足元はいつもより見えにくいはずだ。だからこの場所に来る際は一人ではなく誰かと一緒にいたのだろう。

 その点、玲士の服は動きやすい格好でドレス姿の瑞希と執事服の玲士はぴったりな組み合わせだ。

 「ねぇ、あの二人ものすごく似合ってるんじゃない?」

 「だよね。私もあんな風にリードしてもらいたいなぁ」

 「会長が羨ましい~」

 実際玲士たちのやり取りを見ていた女子からは好印象なのか何度も頷いていたり、何人かが騒いでいる。

 瑞希にも当然周りの反応には気づいている。恥ずかしいのかさっきからそわそわして落ち着かなさそうにしている。

 「会長、早くしないとまた人が集まってきてしまいますよ?」

 「だ、誰のせいだと思っているの」

 もちろん俺だ。わかってはいるが引くつもりはない。じっと瑞希を見つめ、手を差し出したまま待つ。

 その場をあとにしようとした人もどうなるのかが気になって、歩みを止めて瑞希の動きに注目している。

 しばらくは何かを言いかけては何も言わないを繰り返し、パクパクと口を動かしていた瑞希だったが、ようやくその手が動き始めた。

 「た、田宮君がそこまで言うなら仕方ないわね。なんだか周りの雰囲気に負けたような気がするけど、ついて来てもらおうかしら」

 「ええ。いいですよ」

 瑞希のほっそりとした手が玲士の手に置かれる。周りの女子からは「キャーッ」と黄色い声が上がって嬉しそうにはしゃいでいる。いつから外にいたのかわからないが、瑞希の手は少し冷たくなっているのが掌を通してわかる。

 その手を優しく握ると、瑞希はプイっと顔を背けてしまった。明らかに恥ずかしさを紛らわせようとしているのが分かるから、玲士もその様子に笑ってしまう。

挿絵(By みてみん)

 ようやく瑞希が折れてくれたんだ。これ以上からかってヘソを曲げられても困るからさっさと移動しよう。

 そう思って口を開こうとした瞬間、

 カシャカシャカシャカシャカシャ

 「ん?」

 その場の音を裂くような機械音がやけにはっきりと耳に届いた。何の音だと思い左に顔を向けると一人の学生がカメラをこちらに向けてシャッターを切りまくっていた。

 「二人ともそのままでいてください!あと三枚、いえ二枚は撮らせてください」

 一眼レフのカメラを覗き込みながら一心不乱にシャッターを切っているのは玲士と同学年か一つ上の学年だと思われる女子生徒だった。

 最前列から一歩前に出てカメラを構えているので、明らかに目立っている。

 玲士は瑞希の前に出るようにして女子生徒に向き直った。玲士の体に隠れるような形になったので、背後の瑞希は撮影できない。

 女子生徒が「あぁ」と残念そうな声を上げているが玲士は気にしない。玲士は眉を寄せ一歩踏み込んだ。

 「すみませんそのカメラはいったい何ですか?相手に断りもなく写真を撮るのはどうかと思うのですが」

 問い質す言葉には自然と非難する気持ちが混ざってしまう。相手の許可があるならまだしも、何も言われないまま勝手に写真を撮られるのは気分がいいものではない。

 「あわわ、すみません。私は決して隠し撮りするつもりはなかったんです。部活の一環で写真を撮っていたんですよ」

 せっかくの雰囲気をぶち壊した張本人を見るギャラリーの目と玲士の態度から流石にこのままだとまずいと感じ取ったのだろう。女子生徒は先程までの真剣さを微塵も感じさせないぐらいに慌てて目的を話した。——あわわってリアルで初めて聞いたな。

 「部活?」

 「はい。私は写真部に所属しているんですが、文化祭の写真を撮らないといけないんです。文化祭期間中に撮影した写真を最終日に全員が一か所に貼り出して、皆さんに投票してもらってベストショットを決めるんです」

 そういえばと玲士は昨年の文化祭を思い出した。確かに玲士も見たことはある。

 教員棟の廊下壁一面にずらっと写真がびっしりと並べられ、それが一階から三階まで続くものだからその光景は圧倒される。文化祭最終日にその場所を訪れて思い出を振り返る生徒も多いことで有名だ。

 「それなら声をかけてくれてもいいでしょう。なんで黙って写真を撮っているんですか」

 「私はできる限り自然な表情を撮りたいんですよ。写真を撮りたいですなんて言ったら作り笑いみたいでいまいちしっくりこないですし」

 熱心に語っている写真部員に玲士は半ば呆れたような視線を送った。熱心なのは感心するが突き詰め過ぎだろう。

 「会長どうしますか?流石に俺の一存で決めるわけにはいかないんですけど……」

 玲士は背後にいる瑞希に意見を求めた。玲士一人だけなら玲士の判断で決めてもいいが、今回は瑞希も撮影されている。彼女の意見も聞かなければ勝手なことはできない。

 瑞希は真剣な面持ちで考え、その反対側では写真部員が祈るような目で瑞希を見ている。

 「そうね。隠し撮りされたような感じだったけれど、今回は事情を説明してくれたから私はこのままでも構わないわ。田宮君がもし嫌ならこの場でデータは削除してもらいなさい」

 さっきまでの頬を赤らめていた弱弱しさは感じさせないはっきりとした意見だ。この切り替えの早さはやっぱり瑞希らしいなと思ってしまう。

 「そ、それで……」

 おっと、早く返事をしてあげないといけない。さっきから心配そうな目でこちらをずっと見てきている。

 「とりあえず、今回は消さなくてもいいです。それでも、また同じようなトラブルがあっても困るので、次からは必ず相手に一言声をかけてから撮影してくださいね。……言っておきますけど他の人には言ったつもりはありませんので勘違いしないように」

 玲士は仕方がないといった風に伝えながらも、最後はしっかり釘を刺しておく。後半は事の成り行きを眺めていた周りに向けて言ったものだ。

撮影が許可されたのを知ると何人もの学生がポケットからスマホを出そうとしたが、玲士の最後の一言でその動きは止めざるをえなくなった。写真部員は何度も頭を下げながらお礼を言ってきたので、流石に同じことはしないだろうと信じたい。

 「それより、どんな感じに写真が撮れたんだい?ちょっと見てみたいんだけど」

 「駄目ですよ。今見たら楽しみがなくなるじゃないですか。明日の夕方には貼り出されているんで、それまで楽しみにしておいてください」

 少しは見せてもらえるかなと思ったが、駄目らしい。どんな感じに撮られているのか少し気にはなるが、明日になれば見ることができるのでそれまでは待っておこう。

 まだ撮るものだと思っていた玲士だったが、どうやら満足する写真が撮れたらしくそれ以上は長居せずに「それでは明日楽しみにしていてくださいね~」言いながら笑顔で去ってしまった。

 (なんだか慌ただしい子だったな。熱意があるのはいいことだけど)

 突然やってきて目的が終わればさっさとまた別の場所に行ってしまう様子はまるで嵐のようだ。

 そこでようやく玲士は写真を撮られる直前にしようとしていたことを思い出して、慌てて振り返った。せっかく瑞希が手を取ってくれたのに、写真騒動のせいでいったん瑞希の手を放してしまっている。

 振り返った先にはまだ瑞希が立っており、玲士の方をじっと見ている。手を取った時の恥ずかしさを押し隠した表情はすでになく、生徒会長としての顔がそこにはあった。

 「あ~。え~っと……じゃあ行きましょうか」

 気まずい。今更また「手を取ってください」なんて言えないし、言ったとしても今度は断られるだろう。

 とりあえず瑞希の教室までは付いて行くことに変わりはないので、玲士は若干引き攣った笑顔で瑞希に声をかけた。

 瑞希は黙ったまま歩き出そうとはしないその様子に玲士は頭を抱えた。これはまた説得するところから始めないといけないではないか。さっきの写真部員が恨めしく感じてしまう。

 「――。」

 「えっ?」

 ぼそりと口を開いた瑞希の言葉がよく聞き取れなかった。次は聞き逃すまいと瑞希に近づくと、玲士だけに聞こえるように改めて口を開いた。

 「手……」

 「手?」

 「田宮君が言い出したことでしょう?連れて行ってくれるなら早く手を出してちょうだい」

 瑞希が動こうとしなかったのは機嫌が悪くなったわけでも気が変わったわけでもなく、玲士がもう一度手を差し出すのを待っていたようだ。うやむやになってしまったのではと気がかりだったがそれは杞憂だったようだ。

 玲士は改めて瑞希の前に右手を差し出して「会長、行きましょうか」と声をかけると、瑞希はためらいもなく玲士の右手に手を重ねた。

 軽く握った玲士の手を瑞希がきゅっと握り返したような気がしたが、歩き始めていた玲士は気のせいだと思って気に留めなかった。



 翌日、玲士は瑞希と共に文化祭のまとめをしていた。まとめと言っても各クラスの活動内容と、その際にどんな不具合があったかを生徒会へ寄せられた意見と一緒に提出するぐらいである。

 そのまとめが次回以降の文化祭で参考資料として使われることがあるから、できる限り細かく書かなければならない。どんなトラブルがあり、どんな風に解決したのかが重要になってくる。

 単純な作業だがクラス数が多いとそれなりに時間がかかってしまうため、できる範囲を最終日の早い段階から進めないといけない。

 「わかっていたことですけど、やっぱり舞台関係と屋台でのトラブルが多いですね」

 「仕方ないわね。特に舞台は毎年似たようなことが必ず出てしまうから、毎年注意するしかないわね」

 演奏や演劇で使う舞台は今のところ一番多くトラブルが発生していた。内容の大半は準備や撤収作業で思ったよりも時間がかかってしまい、定められた時間通りに終わることができず、結果タイムスケジュールが大幅にずれてしまうことだった。

 中には他のクラスの出し物を見に行ってしまって予定時間になっても帰って来ず、クラスメンバーが探しに行くという出来事もあった。

 確かに瑞希の言った通り事前に注意しておき、それぞれが守ってくれることを信じるしかないだろう。

 報告書はあと何クラスあるんだろうなと遠い目をしていると玲士の背後にある扉が勢いよく開け放たれた。

 飛び上がりそうなほど驚いた玲士は「何事か⁉」と思いながら背後を振り返った。

 扉を開けたのは梨恵で、走ってきたのだろうか肩で息をしている。

 「やっぱり、ここ、に、いたわね」

 「笹苗先輩、何があったのか知らないですけれど一旦落ち着いて息を整えてください」

 玲士の言葉をよそに梨恵はずんずんとこちらに歩いてきて、玲士の隣を通り過ぎ瑞希の隣に立った。

 「な、何かしら?」

 何か瑞希に用があるのかと思うが本人は全く心当たりがないのか戸惑った表情をしている。梨恵は「ちょっと来て」と言うと瑞希の腕をつかんでそのまま生徒会を出ようとする。

 しばらくは帰って来れなさそうだなと一人考えていた玲士だったが、再び梨恵が玲士の横を通り過ぎようとした際に玲士の腕もつかまれてしまった。

 「ちょっ⁉笹苗先輩、俺もですか⁉」

 まさか自分も連れて行かれるとは思わなかった玲士は、梨恵と同様に困惑しながら梨恵に連れ出されてしまった。

 ずるずると梨恵に引きずられるように歩かされている玲士は何が何だかわからない。玲士は同じように困惑顔の瑞希と歩きながら顔を見合わせていた。

 「会長何か知っていますか?俺、全く心当たりがないんですけど」

 「それは私も同じよ。ねぇ梨恵。いったいどうしたのよ」

 瑞希だけでなく玲士まで連れ出されているということはおそらく二人が関係していることだと思うが、共通したこととなると生徒会関係だろうか。

 生徒会に来てから詳しいことを何も言ってくれなかった梨恵だったが、二人を引っ張りながらようやく口を開いた。

 「どうしたじゃないわよ。二人とも今とんでもなく有名になっているわよ。学校中が今その話題で持ちきりなんだから」

 「「ええっ⁉」」

 あまりの驚きに瑞希と声がハモってしまった。なんだそれは。そもそも何故瑞希と一緒に有名になっているのだろう。

 驚きと困惑が隠せないまま連れてこられたのは、生徒会のある建物の隣にある教員棟だった。

 壁一面には写真部員が撮影した文化祭の写真がずらりと貼り出されている。写真には一枚一枚番号が振られており、何人かの生徒はその番号をメモしていた。

 写真部が撮影した写真は購入することが可能である。もちろんスマホでそれぞれ撮っているだろうが、記念として写真部が撮影した写真を購入する者も多い。

 生徒は購入申請用紙に欲しい写真の番号を記入して担当教員に渡せばいい。

 金銭のやり取りが発生することから担当教員以外が手続きを行うことはない。転売などが横行しないようにとの意味合いもあるので、写真部員はもちろんのこと生徒会もこの件には関わることはない。

 (そういえば、写真部って……)

 玲士があることを思い出そうとした矢先、玲士達の進む先で人が集まっているのに気がついた。

 どうやら貼り出された写真を見ているようで、じっと静かに見ている者もいれば騒いでいる者もいる。

 騒ぎの中心に近づいてくると、騒ぎの中から玲士の知った顔が抜け出してきた。

 「隼?」

 玲士の声が聞こえたわけではないだろうが、玲士がぽつりと呟いたタイミングで隼とばっちり目が合った。

 「れ~い~じぃ~~!」

 恨めしそうな声を出しながらこちらに突撃してきた隼は玲士の肩をがしっと掴んだ。

 「な、なんだよ?」

 「お前、いつの間にあんな写真撮ってもらってるんだよ!羨ましすぎるだろ!」

 「は?はい⁉」

 血の涙を流しそうな表情の隼に肩を強く揺さぶられる中、玲士は隼が何を言っているのかわからない。

 隼の言葉が聞こえたのだろう。何人かの生徒が玲士達の方を振り返ってきた。

 「あの二人よね?」

 「こうして見るとあの二人には見えないわよね」

 「写真じゃなくて直接見たかったな~」

 「私実際に見ちゃったわよ。物凄くお似合いだったんだから!」

 さっきまで写真を見ていたはずなのに、今は玲士達の方を見ながらあちこちで話している。

 女性組はにやにやとしているが、男子組からは恨みがましい視線が「玲士だけ」に注がれている。……俺が一体何をした。

 そんな視線の中、玲士は人混みの中を突き進んでいく。……こんなことが最近もどこかであったような気が。

 玲士がその記憶を手繰り寄せる前に目的の場所に着いてしまった。

 「これよ。瑞希も後輩君もいつの間にこんなことしていたのよ」

 びしっと梨恵が指さした写真を見た玲士は息をのんだ。

 そこには一枚の写真が貼られていた。そこに写っている光景は玲士も覚えている。

 噴水の前で玲士と瑞希が立っている。少し意固地になっているドレス姿の瑞希が顔を背けながら左手を差し出し、執事姿の玲士が笑顔でその手を取っていた。舞台の演出でもなく、写真を撮られることを想定していたわけでもない純粋な二人のやり取りの一場面が写っていた。

 しかも、あれだけ人が集まっていたはずなのに、写真には玲士と瑞希しか写っておらず他の生徒は一人も入り込んでいない。その技術はさすが写真部と言わざるを得ない。

 (こ、これは少し恥ずかしいな)

 あの時は特に深く考えもしなかったが、こんな風に写真を撮られていたとは思わなかった。いざ目にしてみるとこれが大勢の生徒に見られると思うとなんだか恥ずかしい。顔が何だか熱くなってきた。

 ちらりと隣にいる瑞希を横目で見ると、何も言わず静かに写真を見ていた。その表情からは瑞希がどう感じているのかは読み取れない。

 それでもと玲士は視線を目の前の写真に戻しながら思った。

 (いい写真だな)

 後ろでは「会長のドレス姿……」「あいつが写っていなければ……」など悲痛な声が聞こえてきており、その中に隼も混じっていたような気がしたが玲士は何も言わず無視した。

 この後玲士が梨恵から質問攻めにあったのは言うまでもない。



 「とうとう文化祭も終わりだね~」

 梨恵はそう言いながらジャムクッキーを口の中にポイっと投げ入れた。

 文化祭最終日。後片付けが終わった夕方、玲士たちは生徒会室で打ち上げをしていた。打ち上げと言っても、ストックしてある菓子と飲み物を用意しただけの簡素なものだ。

 今日は梨恵と真司も参加しているので騒がしくなっている。

 「いや~。まさか瑞希と後輩くんがあんな格好で一緒にいたのも驚いたけど、まさか二人の写真がグランプリまで取るとはね~」

 「だから言ったでしょう。あの時は偶然その場にいただけですし、そもそもグランプリを取ったことは俺も驚いているんですから」

 そう。玲士達が写真を見に行った後も噂を聞き付けた生徒が話題の写真を一目見ようと教員棟に絶えず人が訪れ、ようやく落ち着いたころに写真部での人気投票が終わった。

 投票結果を確認してみれば、玲士と瑞希の写真がぶっちぎりのトップで見事グランプリの座を獲得した。

 撮影した本人は「やっぱり私の直感は正しかった」と満足げに玲士達に報告しに来たのがついさっきだ。写真部でも打ち上げのようなものがあるのだろう。報告を済ませるとさっさと帰ってしまった。

 「後輩くんも今日で最後だからね~。ここも寂しくなるね~」

 「……まぁ、文化祭の助っ人みたいな形でしたしね」

 梨恵が残念そうにしているのを玲士は苦笑しながら相槌を打った。瑞希が梨恵の言葉にぴくっと反応し手を止めたが誰も気がつかない。

 もともと、玲士は文化祭で人手不足になっている生徒会の補助要員で一時的に生徒会メンバーとなっている。文化祭が終わろうとしている今、これ以上玲士が手伝うことは何もない。

 明日からは生徒会に来ることもなくなり、また三人に戻る。三人と言っても内二人は毎回いるわけではないので実質瑞希一人になってしまう。

 「これからどうなるんですか?また忙しくなったら募集する感じですか?」

 玲士は気になって問いを投げかけた。瑞希達は受験生だ。あまり生徒会に時間をかけすぎていては試験に支障が出てしまう。

 「特に何もすることは無いわ。残りの期間でやることが全く無いわけではないけれど、文化祭みたいにバタバタするようなイベントはもう無いから楽よ」

 瑞希は特に気にした風でもなくカップに口を付けた。

 「まぁ、やることと言えば来年に向けた引継ぎの資料と今年のまとめを作ることぐらいだな。膨大な量になるわけじゃないが、少しずつ進めておかないと後々しんどくはなるな」

 瑞希の言葉を補足するような形で真司が具体的な内容を教えてくれた。

 たしかに瑞希が普段こなしている作業は相当な量だ。来年生徒会になる人間はそれをこなさなければならなくなるので、内容を整理しないと絶対に手が回らなくなるか忘れてしまうだろう。

 まだ見ぬ未来の生徒会メンバーの苦労している姿を想像しながら玲士は心の中で手を合わせた。お疲れさまと。

 「なら安心ですけど、会長は無理しないでくださいね。また前みたいに倒れるのは厳禁ですよ」

 「問題無いわ。自分の体調管理くらいは自分でできるから」

 「……倒れた本人が言っても全く説得力がないですよ」

 「……。」

 さも当然という瑞希を玲士はジト目で見た。その自信はいったいどこから来るのだろうか。

 「受験があるんですから、せめて誰か募集かけたらどうですか?」

 「長続きしないと意味ないんだけどね~」

 梨恵の指摘に玲士は黙り込んだ。玲士が生徒会に来るまでに何人かは入ったらしいが、結局長続きせず離れて行った者ばかりだ。到底今後も同じようなことが起こらないとは考えにくい。でもそうしなければ瑞希の試験勉強に当てる時間が減ってしまう。

 どうしたものかと考えていたら、瑞希がこちらを見ているのに気がついた。何かを言おうとしているのか口を開けるが、そのまま何も喋らず口を閉じてしまった。

 その行動に玲士は内心首を傾げた。何を言おうとしていたのだろう。瑞希の行動に疑問を持ったが、結局追及はせず気にしないことにした。



 「それじゃあ、俺はこれで失礼します」

 生徒会室を出たところで玲士は振り返った。後ろには瑞希や梨恵、真司がドアの前で立っている。

 「本当に助かったわ。短い間だったけどありがとう」

 「本当だよ~。後輩くんに手伝ってもらってよかったよ」

 「確かにそうだな。来てくれて感謝する」

 三人がそれぞれお礼を言ってくれることに玲士は気恥しさを感じながらも嬉しさも込み上げてきた。彼女達の手助けをすることができて本当に良かった。

 普段の玲士が関わることのない作業で悪戦苦闘したが、それでも楽しさの方が勝っていたのは事実だ。途中でハプニングもあったが、今となってはそれもいい思い出の一つになった。

 そんなことを考えていると、また瑞希が何か言いたそうにこちらを見ている。

 「会長?どうかしましたか」

 「……いえ。えっと……」

 「?」

 瑞希にしては珍しく口ごもっている。何か言い忘れていることがあるのだろうか?

 「何でもないわ。来てくれたことは本当に助かったわ。ご苦労様でした」

 「……いえ。こちらこそ本当にお世話になりました」

 何か引っかかるような感じがしたが、これ以上は何も聞かず玲士はそのまま生徒会をあとにした。



 生徒会をあとにした玲士は隣の教員棟に来ていた。辺りはすでに夕焼けに染まっており、窓から夕陽が差し込んでいる。文化祭の賑やかさはすでになく、今は風の音と風に揺られている木々の音しかしない。

 玲士はそんな中、写真部が撮影した写真を眺めていた。前回来た時は梨恵に連れられて瑞希との写真しか見れなかった為、今度はゆっくりと一枚一枚眺めている。

 写真に写っているのは様々だ。撮影者に気がつかず、目の前の焼きそばを料理している者。記念撮影のように仲間同士集まって笑顔でカメラにポーズを決めている者、写真を撮ろうとしている撮影者を撮った写真などそれぞれが撮りたいと思ったものが溢れていた。

 中にはもちろん玲士達のクラスの写真もある。着慣れていない服に戸惑った表情の者もいれば、カメラに撮られることを意識しているのか明らかに自分の全身が見えるように移動している者までいる。

 月野に関しては教室の前で仲間と一緒に撮ってもらっているのもある。これは写真部にお願いして取ってもらったな。自由過ぎるメンバーの行動に玲士は思わず笑ってしまう。

 今年はこれまでと違った楽しみ方ができたような気がする。隼以外では「名前も知らない」クラスメイトとも関われたような気がするので新鮮だった。

 時間をかけてゆっくり眺めていた玲士はある所で足を止めた。それは一度目にしたことのある写真。今回グランプリとなった瑞希との写真だ。

 改めて見てもこの写真だけ他とは違い目立っている。この時だけ撮影者が違うのでは?と思わずにいられないような見事なタイミングだ。

 (本当に楽しそうにしているな)

 じっと玲士は写真に写る自分自身を見続けた。写真の中の玲士は笑顔で瑞希の手を取っている。撮られていると気づいていなかったが、あの時はこんな表情で瑞希と話していたのか。

 自分自身を見続けていた玲士は、しばらくするとその場を離れ真っ直ぐ目的の部屋まで歩いていく。

 扉に手をかけ、開けた先にいるであろう人物を見つけるとそのまま歩み寄った。

 「すみません。ちょっといいですか?」



 数日後、瑞希はいつも通り生徒会室に居る。文化祭もひとまず落ち着き今は急いで処理する仕事もなくのんびりと過ごすことができていた。

 それでも変わったことはある。ちらりと向けられた視線の先には誰も座っていない椅子がある。

 数日前までは田宮君がそこに座っていた。多くのことができたわけではなく、あくまで補助として瑞希達を支えてくれた。

 時には生徒会と関係ない所にまで首を突っ込んでいた。お菓子を持ち込み、休憩時間と言ってさりげなく作業を止めたりもした。

 (一人……か)

 改めて実感すると何故だか寂しく感じてしまうのは何故だろう。文化祭最終日、生徒会を去ろうとしていた田宮君に言うべきかどうか悩んでしまった。このまま生徒会に残ってはどうかと。

 正直どうしてそんなことを言おうと思ったのか瑞希自身もよくわからなかった。その時、急に頭の中に浮かんだような感じだった。

 彼は文化祭が終わるまでの条件で入ってくれたのだ。それ以上は瑞希のわがままなので田宮君に言うのを躊躇ってしまい、結局は言えずじまいになってしまった。

 田宮君には田宮君の都合がある。そう自分自身に言い聞かせることで瑞希は納得しようとした。

 (さぁ。少しは受験勉強をしないと)

 瑞希は気持ちを切り替えて鞄から勉強道具を取り出そうとした時、生徒会のドアが開いた。



 「あ、会長。やっぱりここにいましたね」

 扉を開けて玲士が中を覗き込むと予想した通り瑞希が部屋の中にいた。机には何もないのは瑞希も来たばかりだろうか。

 するりと中に入った玲士は真っすぐ瑞希の元へ歩いていく。瑞希は目を丸くしたまま固まっている。

 「どうしたの田宮君。何か私に用かしら?」

 「そうですね。会長に用があってきました」

 心当たりがないように首を傾げているが、瑞希の疑問はもっともだ。生徒会から離れた玲士は瑞希と関わることはほとんど無いに等しい。玲士自身文化祭の助っ人になるまで瑞希の元を訪れるような用事は今まで無かった。

 玲士は瑞希の隣まで来ると、鞄から一枚の紙を取り出し瑞希の前に置いた。

 「会長。これにサインかハンコを押してもらってもいいですか。先生に聞いたら生徒会の許可が必要だと言われたんで」

 「私の?許可がいるっていったい何……を?……」

 瑞希は手元の紙に目を落とし、固まってしまった。目は大きく見開き、目の前の紙を凝視している。

 「えっと、田宮君。これはいったい」

 「何って入部届ですよ。入部って言っても部活じゃないと思いますけど」

 「そうじゃないでしょ。なんで田宮君が『生徒会』への入部届を出そうとしているのよ!」

 こちらに向かって問い詰めるような瑞希に玲士はどう説明したものか悩んだ。確かに生徒会での役目を終えて挨拶まで終わらせたのにも関わらず、数日後にはまた生徒会に入りたいなんてどうかしている。

 文化祭最終日、写真を見ていた玲士はそのまま真っ直ぐ職員室まで向かい生徒会に入りたいと申請をしに行ったのだ。すぐに申請が通るものだと思っていた玲士だったが、それに待ったをかけたのがその時玲士の相手をした教員だった。

 回りくどい言い回しがあったりオブラートに包んでいるところがいくつかあったが、長々と話していた教員の話を要約すると、

 「無理して文化祭の後も手伝う必要は無い」「内申点を上げるために生徒会に入っても、これまでチャレンジした生徒のように短期間で抜けると逆に大学受験時に印象を悪くしてしまう可能性がある」「無理に続けるように言われているなら教員側から注意をする」と大まかには三点になった。

 それでも玲士は意思を曲げることなく必死に頼み込み教員側も初めは考え直すよう粘っていたが、ついに教員側が根負けするような形で申請用紙を渡してくれたのだ。そもそも内申点を上げるために生徒会に入ると決めたわけではない。

 玲士も勢いで決めるべきではないと考えていたので、文化祭が終わって昨日まで申請用紙に手を付けず自宅に置いたままにしていた。今日になっても自分の意思に変わりはないと分かった玲士は改めて休み時間に書き上げ、生徒会まで来たわけだ。

 「もし先生達から続けるように言われたのなら正直に言ってちょうだい。本人の意思を無視して続けさせるつもりなら私が直接抗議します」

 「ええっ⁉」

 怒りを滲ませている瑞希の様子に玲士は慌てた。なぜそのままの意味で受け取ってもらえないのだろう。ただ承認してもらうだけのはずが何だかややこしい事態に発展しようとしている。

 教員側は瑞希が続けさせようとしているのだと思っており、瑞希は教員側が玲士の意思を無視しているのだと勘違いしている。

 「違いますよ会長。俺は自分の意思で続けたいと思ったからこうして来ているんです。誰かから強要されたわけでもありませんし、もちろん脅されてもしていません」

 玲士は本心を瑞希に必死に説明した。このまま勘違いさせたままだと瑞希が職員室に乗り込んで教員との口論に発展しかねない。

 「……私のことを心配しているなら大丈夫よ。今は仕事も落ち着いてゆっくりできるほどの余裕はあるし、受験勉強にも支障が出ないようにしているわ」

 未だに玲士の言葉が信じられないのだろう。玲士の説明を聞いても瑞希は疑いの目をこちらに向けてきたままだ。流石に玲士も頭を抱えたくなる。まさかここまで疑われているとは……。

 「もう一度言いますけど、俺は生徒会を続けたいから自分の意思でここに来ているんですよ。別に誰かから言われたわけじゃありません。先に職員室に行って話はしましたけど、先生達も今の会長みたいなことを言っていましたよ。会長が俺を無理に引き留めようとしていると」

 「……そんなこと私は言わないわ!」

 激高した瑞希が立ち上がろうとするのを玲士は「わかっていますから」となだめ、椅子に座らせる。一瞬反応が遅れたのは少し気になるが多分何を言われたのか理解できなかったのだろう。

 それでも怒りが収まらないのか瑞希は険しい表情のままだ。

 「会長。俺が生徒会に入るのはふさわしくないですか?」

 「っ!そんなことないわ。田宮君はこれまでしっかりと生徒会の仕事をこなしてきてくれたし、私達も助けられたわ。梨恵も真司もそう言っていたでしょう?」

 「だったら別に構わないんじゃないですか?」

 「そ、それはそうだけど……」

 瑞希は視線を彷徨わせ何か言おうとしていたが、結局何も言うことなく黙ってしまった。

 玲士はそんな瑞希を黙って見守る。さらに言葉を重ねることもできるが、最後は瑞希が納得してくれないと玲士の生徒会入りは果たせない。ここは彼女が納得するのを待つしかない。

 「……本当にいいの?さっきも言ったけど無理して入らなくてもいいのよ」

 見上げてくる瑞希は不安そうな表情をしているが、一方でどこか期待しているようにも見える。

 素直に入って欲しいと言えばいいのに。そう思いはするが玲士は決して口にはしない。それでまた意固地になられても面倒だ。きっと誰かに頼りたくはないという瑞希のスタンスが判断に待ったをかけているのだろう。

 「大丈夫ですよ。そんなに深く考えないでください」

 玲士の返答に安心したのか瑞希は肩の力を抜き、引き出しを開けて目的の物を取り出した。

 申請用紙の空欄になっている部分に生徒会の承認印が押され、玲士に申請用紙を差し出しながら「これからもよろしくね」と瑞希は微笑んでいた。



 「会長。この部とこの部はどうして部費が削られているんですか?」

 「あぁ。その二つはね部費を部活には活用せず、飲食に使ったりゲームセンターで遊ぶのに使っているのが分かってね。発覚した後は最低限しか割り振っていないのよ」

 「それはまた酷いですね。……そもそもなんでバレたんですか?部費の使用明細はちゃんとしていたんですよね?」

 「明細はきっちり誤魔化していたわ。でも調べてみると毎年適当な理由を付けて部費を増やせと言ってきているのに備品がそんなに変化していなかったのよ。それでそれとなく探りを入れたら、部活動はろくにせずに遊びまわっていると分かったの。だから部費の割り振りは慎重にしないといけないし、内容もよく確認しないといけないわ。必要以上に高価な材料や道具を購入しているようなら要注意ね」

 「なるほど」

 ふむふむと頷きながら玲士は手にしたメモ帳に要点だけを書きこんでいく。

 助っ人要員ではなく正式に生徒会メンバーになった玲士は瑞希から仕事のレクチャーを受けていた。

 受験勉強もあり、玲士の都合ばかり優先するわけにもいかないので週末の金曜日に集まると瑞希と決めてある。

 生徒会の仕事を引き受けるにあたって玲士が覚えることは山のようにあった。部費の割り振りから毎年行われる行事の参加内容、決して少なくはない生徒会への意見書の対応内容など慎重にならないことなどがあり玲士の頭はパンクしそうだ。

 (よく会長は一人でこなせているな)

 そもそもここまで仕事量が増大したのは瑞希本人なのだが、当の本人はいつも涼しい顔で作業をこなしている。

 今は瑞希が大半を引き受けてくれるが、来年からは玲士が引き継がなければならない。

 果たしてここまで涼しい顔でいられるだろうかと今から嫌な汗が出てきそうだ。

 「ねぇ後輩く~~ん。そろそろ甘いものが食べたいよ~」

 そんな空気とは無縁な間延びした声が聞こえてきて、玲士は声の主に視線を向けた。

 視線の先には梨恵がノートに顔を埋め突っ伏している。

 「……あぁ。それなら休憩にしましょうか。会長もいいですよね?」

 「そうね。こっちもきりがいいし丁度いいわね」

 ちらりと壁に掛けられた時計を見ながら玲士は立ち上がって菓子を用意しようと戸棚に歩み寄った。

 「あれっ?」

 いつものように中にある菓子を大皿に移し持って行こうとしていた玲士は戸棚を開けたところであることに気がついた。

 (菓子がもうこれだけしかない)

 戸棚の中には玲士が買い込んでおいた菓子や紅茶、緑茶などいろいろな種類が入っているのだがそれらがもう僅かしか残っていない。

 念のため隣の戸棚も開けてみるが中には何も入っていない。すっからかんだった。

 とりあえず全員分の飲み物を用意して盆に載せた後、残っている菓子を全部大皿に移して瑞希達の元へ戻った。

 「あれっ?後輩くん。今日は種類が多いね」

 「どれも残り少なかったんで一つにまとめたんですよ。ストックも尽きちゃったので、今日辺りまた買ってきますよ」

 「そうなんだ~。まぁ文化祭でずっとバタバタしていたし、最終日にパーっと使っちゃったもんね」

 梨恵はそう言いながら手近な一口クッキーの包装を開けて中身を口に放り込んだ。

 瑞希も大皿の中から小分けされた一口バームクーヘンを手にしており、その傍らで玲士は二人の前にカップを置いていく。

 確かにこれまで文化祭の準備で大忙しだったし、文化祭中はそれぞれのクラスにいることが多かったが、打ち上げの際はかなり豪勢にしていたような気がする。

 消費していたにも関わらずその後の補充をすっかり忘れていた。

 ちなみに真司は不参加だ。受験勉強のラストスパートをかけたいということで受験終了まではよほどのことが無い限りは顔を出さないらしい。

 「それより笹苗先輩はここで勉強なんて大丈夫なんですか?自習室の方が静かで集中できると思うんですけど」

 「あ~、ダメダメ。確かに勉強するなら一番なのでしょうけど、今の時期は人が多くて逆に集中できないわ。一人になりたいわけじゃないけど、いても数人ぐらいが私は落ち着いて集中できるわね」

 「そんなもんですか?」

 人が多くても静かな空間の方が勉強に集中できそうなものだと思うが、梨恵は「そんなもんよ」と言って紅茶を飲んで一息ついた。

 梨恵は広いテーブルに参考書や教科書を出せるものは全てテーブルに置いてその広さを余すところなく使っている。

 「そういえば、笹苗先輩ってどこの大学に進むんですか?」

 「ありっ?言ったことなかったっけ?」

 「少なくとも俺が生徒会で出会ってからは聞いたことはないですね」

 瑞希は以前に聞いてはいたし知ってはいるが、梨恵については聞いたことが無く、玲士の方からも今まで聞こうとはしなかった。

 「私はね~ファッション関係の仕事に憧れているんだよね。だから他県になっちゃうけど専門的な大学に行こうと思っているのよ」

 「ファッションって言うとテレビとかで見るファッションショーみたいな感じですか?」

 その道に詳しくない玲士は記憶の中からファッションっぽい職業を思い浮かべると、最初に出てきたのはファッションショーだった。

 大勢の前でかなり派手な衣装を着て女性が歩いていく姿は何度かテレビで見たことはある。玲士が思い浮かべているのが分かったのだろう。梨恵は「違うよ」と言いながら否定した。

 「私の目指しているファッションっていうのは後輩くんが考えているようなのじゃないの。私は普段私服として着られるような服を作って売り出していきたいのよ。そこまで目立ったことはしたくはないわね」

 どうやら一口にファッションと言ってもジャンルが違うようだ。その業界の知識が無いためどうしても一括りにしてしまう。

 そんなことを考えている玲士だったが「でもね~」と言葉を続けたことで意識を戻して梨恵の話を聞く。

 「第一志望の大学ってなんだかハードルが高いのよね~。模試の判定もなんだか微妙だったし~」

 玲士は反応に困った。玲士自身がまだ受験生でないこともあるが、受験生相手への言動には気を遣う。下手なことを言ってモチベーションが下がっても困るし気を抜きすぎてしまっても困る。

 「ん?あ~、そんなに気を使わなくてもいいわよ。言葉の一つ一つで反応していたらきりが無いわよ」

 こちらの反応に気がついたのか梨恵は安心させるように手をひらひら振る。それどころか鞄の中から封筒を取り出し玲士に届くように投げてきた。すでに一度開封されておりわずかな隙間から封筒の中には何枚かの紙が入っていることは分かった。

 「一応確認しますけど笹苗先輩。これは何が入っているんですか?」

 「もちろん、この前の模試の結果よ。見てもいいわよ」

 「見ませんよ!」

 すぐさま玲士は手にした封筒を梨恵に突き返した。たとえ本人がいいと言っても「はい。そうですか」と言って見るものではないと玲士は思っている。

 「真面目ね~」と言いながら突き返した封筒を受け取ると梨恵は「B判定よ」と答えた。見るつもりはないと思って突き返したのに、言ってしまっては意味がないではないか。

 確かにまだ油断できない結果だ。確か玲士の記憶が正しければ、B判定は合格率が六十%ぐらいで、A判定は合格率が八十%ぐらいだったはずだ。

 「まだ四十%近くもあるのはさすがに心配だけど、なかなか縮めれないんだよね~」

 「四十%?」

 梨恵の言葉に玲士は引っ掛かりを感じた。そこは六十%ではないだろうか。

 「あぁ。後輩君はそっちの考え方なんだ。私は合格する可能性を見るんじゃなくて落ちる可能性の方を見ているの。どう勉強すれば落ちる可能性を減らせるか。どうすればこの数値を減らせることができるのかって考えるのよ」

 「そうなんですか。俺だったらやっぱり合格率の方を見ちゃいますね」

 「別に後輩くんの考え方が間違っているわけじゃないよ。判定結果を全部信じているわけじゃないけど、Aにすることを目標にしていたらAをもらった時に安心しちゃってそれ以上頑張らなくなるのが嫌だったの」

 説明を聞いた時、玲士は梨恵の心構えの強さに驚かされた。基本的に模試の判定基準は受験生にとっては無視できない指標となる。

 判定結果を確認した後でさらに努力を重ねていく者もいれば、何度模試を受けても判定結果が低いままなら選ぶべき進路を変える選択も必要となってくる。

 A判定を受けた後も変わらず努力を続ければ、——倍率は一旦無視して——当日に大きなミスをしない限りはおそらく試験は突破できるだろう。

 しかし中には判定結果で安心・満足してしまい努力を怠ってしまう者も少なくはない。その結果周りとあっという間に差をつけられてしまい受験に失敗してしまう話は後を絶たない。

 その点、梨恵の考え方は最後まで気を抜きにくいだろう。

 今のままだと「四十%も落ちる可能性がある」と常に悪い面を考えさせられる。模試ではA判定以上の結果は存在しないため、最低でも失敗する可能性が「二十%も残ってしまう」結果となる。

 常に自分自身を追い込むような形となり、モチベーションが長期間維持できるかは本人次第だろう。

 「あっ。ちなみに宮っちも同じ考え方みたい。いつだったか模試の結果を見せ合った時にそんな話になったから」

 「宮川先輩らしいですね。それじゃあ会長も同じですか?」

 玲士は瑞希の方を見たが瑞希は首を横に振った。

 「確かに梨恵や真司の考え方と同じだけど、判定に関しては見ていないわね。私はできる限り点数を伸ばすように努力しているわ」

 「判定より点数ですか?」

 「前にも言ったと思うけど私は特待生として大学に入りたいの。だからできる限り点数を伸ばさないといけないのよ」

 特待生は大学にただ合格するのとは難易度が圧倒的に違う。大学によって判断基準は多少変動するが、入学試験での正答率が九割近くなければ選ばれることは無い狭き門だ。

 人数も制限があり全員が特待生になれるわけでもなく、特待生となっても在学中は成績を維持し続けなければならない。

 厳しい条件が常に課せられるが特待生に選ばれた際のメリットは大きい。

 それは授業料の免除である。学部によって違いはあるが四年間の授業料は平均三百万から四百万ほどでかなりの額である。

 それが免除されるのは経済的にかなり助けられることになるだろう。それを瑞希は狙っているようだ。

 「そうなんですか。俺は何もできないですけど応援していますね」

 瑞希はクッキーを齧りながら「ありがとう」と口にした。そんな二人を見ていた梨恵が「私も応援してよ~」とごねてしまったのは余談だ。



 「ふぅ。とりあえずこんなもんか」

 玲士は手に持ったレジ袋を見て呟いた。

 瑞希からレクチャーを受けた帰り玲士は駅前のショッピングセンターに消費しつくしてしまった菓子などの買い出しに来ていた。

 あれから玲士はへそを曲げてしまった梨恵の機嫌を直すのに苦労し、梨恵が希望する菓子をできるだけ用意することで何とか納得してもらった。レジ袋の中は詰め込んだ菓子でパンパンになっている。

 玲士のやるべきことは終わった。終わってはいるのだが玲士は帰れない。その理由は玲士の背後にあり、振り返って後ろにいる人物に声をかけた。

 「俺の方は大丈夫ですよ。それじゃあ行きましょうか会長」

 「ええ。二階の文具屋で買えると思うからそこまで時間はかからないと思うわ」

 玲士の背後では瑞希が当然のように付いて来ていた。

 瑞希の隣を歩きながらどうしてこうなったのかと頭を悩ませていた。

 もともと玲士は一人で買い出しをするつもりだったのだが、そこで待ったをかけたのが瑞希だった。玲士だけに任せるのは申し訳ないということでついて来ようとしたのだが、買うのは菓子や飲み物のパックぐらいでそれほど荷物にならない。

 一人で大丈夫だからとやんわり断っていたのだが、瑞希は遠慮しなくてもいいと言って頑なについて来ようとした。

 受験勉強を優先してほしいと思っていたのだが、最終的に生徒会で使用する消耗品も補充するという名目で一緒に買い物をすることになって今に至る。

 (そういえば校外で会長と二人で出かけるのは初めてだな)

 ちらりと隣を歩く瑞希を横目で見ながら玲士はそんなことを考えていた。そもそも校外に二人で一緒に出かける用事がこれまで無かったのである意味当然と言えば当然である。

 「田宮君ってここにはよく来るの?」

 「そうですね。買い物するならまずここに来ますね。店も品揃えも十分なので便利ですから」

 玲士が今いるショッピングセンターは周辺で一番大きな商業複合施設であり、中には書店やドラッグストア・ファッション専門店など日常生活で必要になりそうな店舗の大半があるので玲士自身買い物の際はかなり助かっている。

 もちろん複合施設の為専門店と比較すると差は出てしまうが、一つの敷地内で用事の全てを済ませることができるので玲士は特に不満も持たずに利用し続けている。

 「会長もここを利用しているんじゃないんですか?」

 「確かに何度も利用するけど、食料品はここだけじゃなくて他にもいくつかの店で買っているわ。他の店の方が安く帰る時もあるから」

 「いくつも店を回るのって面倒にならないんですか?」

 「確かに面倒だと思うけれど、日々の生活のことを考えたらこれぐらいのことは苦にはならないわよ。時々、行った先で売り切れていてまた最初に入った店に戻らないといけない場合もあるけどね」

 流石にそれは瑞希も二度手間になり過ぎて嫌なのだろう。笑ってはいるが嫌そうなのが言葉の端々から伝わってくる。

 雑談を交わしながら文具屋に到着すると、瑞希は玲士に入り口で待つように言い残しあっという間に店の中に消えて行ってしまった。

 一人店の前で待っている玲士はほぅっと息を短く吐いた。二人で出かけることは無かったため今回の瑞希と二人きりの買い物はなんだか緊張する。誰かと一緒に買い出しに出たことが無いのでこんな時どう相手と接すればいいのか()()()()()

 (とりあえずはこのまま流れで進めて行こう)

 瑞希の買い物はそれほど多くなかったのだろう。数分後には少し大きめのレジ袋を持って戻ってきた。

 「会長随分と早かったですけど、買ったのは……コピー用紙ですか?」

 「そうね。あとは個人的に買っておきたかったノートとかかしらね」

 瑞希は玲士に見えるようにレジ袋を持ち上げて見せる。中にはコピー用紙が三束とノートが数冊入っている。

 それぐらいならついでに買ってあげても問題ないような気もしたが、瑞希個人で使用する物もあり玲士では瑞希の好みに合わせられるかどうかわからないし、ここまで一緒についてきた瑞希の性格から決して意地でも付いて来そうだったので何も言うことなくその場は流した。



 「あっ!会長ちょっと寄り道していいですか?」

 「え?それは構わないけど」

 エスカレーターでゆっくりと下りていた玲士は一階のホール辺りに気になるものを見つけて思わずそれを視線で追った。

 瑞希に断りを入れた玲士は視線の先にあるものに向かって歩き出す。そこには移動式の小型ショーケースが設置されており、その隣には玲士の身長より少し高いぐらいののぼり旗が設置されており、そこには大きく「パティスリー プレリー」と書かれている。

 ショーケースの中を覗き込んだ玲士は肩を落とした。ショーケースの中にはケーキの名称が書かれたプレートだけが残っており、商品自体は全て無くなっており売り切れになっていた。

 「あっ、ごめんね。もう売り切れちゃったから撤収しようと思っていたところなのよ」

 この場所で売り子をしていたのだろう。玲士に気づいたのかショーケースの奥からひょっこりと女性が顔を出した。

 玲士達より少し年上の印象があり、おそらく大学生ぐらいだろう。髪を後ろでまとめた上からバンダナをつけている。せっかく足を運んだ玲士を申し訳なさそうな表情で見ている。

 「あぁ気にしないでください。もうこんな時間ですからしょうがないですよ」

 玲士がショッピングモールに着いた時点ですでに辺りは暗くなり始めていた。ちらりと腕時計で時間を確認すると六時半を過ぎたところだ。流石にこの時間まで売れ残ることは無いだろう。

 それでも玲士が足を運んだのは何が売られていたのか気になったからだ。

 「すみません。この期間限定ってやつはまたここに来れば買えますか?」

 暗くなりそうな雰囲気を振り払うように玲士は気になっていた二つのプレートを指さした。プレートには手作りで「期間限定!」「おすすめ」と追加で装飾されていて興味を引くようになっている。

 一つは梨のケーキ。もう一つはレモンを使ったケーキのようだ。

 期間限定と書かれていると他よりも特別感があり、一度は食べてみたくなってしまうのはこの言葉の力だろうか。

 一方で聞かれた女性の表情は芳しくない。

 「あ~。確かに売ってはいるけど、数はそんなに多くは無いよ。売れ残っちゃうと困るからあくまでも最低限の量しかないし、この二つは人気だからすぐに売り切れちゃうね」

 「じゃあ、放課後俺がここに来る頃には……」

 「まぁ無くなっているでしょうね」

 いつからこの場所で売り始めているのかわからないが、この大型施設内で玲士が来るまで人気商品が残っていることの方が稀だろう。

 「でもでも、店まで来てくれたらここよりも数はあるから、この時間でもそっちに行った方が残っているかもしれないですよ」

 流石にこのまま帰らせるのは気が引けるのだろうか背後の荷物からチラシを取り出してこちらに渡してきた。

 いつの間にか玲士の隣に近寄ってきた瑞希にも渡している。

 チラシには色とりどりのケーキの写真が並べられており、見た感じワゴン販売では扱っていないケーキもあるようだ。

 裏をめくってみればかなり簡略化されているが店の地図が載っており、地図によるとどうやらここから駅を二つほど離れた場所に店はあるようだ。徒歩では流石に遠すぎるため電車で移動しなければならない。

 「どうするの?今から行くなら営業時間ギリギリになりそうだけど」

 「流石に今からは行きませんよ。また今度都合のいい時に行きますよ」

 瑞希が聞いてくるが、玲士は行かないことをすぐに決めた。今から行くにしては遅すぎるし、今日の目的は果たしているから十分だ。菓子を持ってこれ以上うろうろすることはせずにおとなしく帰った方がいい。

 売り子の女性と別れ自動扉を抜けて外に出ると辺りはもう真っ暗で景色は夕焼けの赤から電球の白さに今は彩られている。

 帰宅の途につくため玲士と瑞希は申し合わせたわけでもなくほぼ同時に足を踏み出した。

 「そういえばさっきは言い出せなかったのだけど、田宮君ってケーキが好きなの?なんだか以外ね」

 瑞希を送っている途中、歩きながら瑞希はずっと気になっていたのかそんなことを言ってきた。

確かにワゴン販売しているショーケースに突撃し、中を眺めて気を落としたり期間限定商品が入手できるか質問している姿を見られているわけだからそう思われても不思議ではない。

 「確かに好きですけど、ケーキだけが好きなわけじゃないですよ。今は俺の中でスイーツブームが来ているんですよ」

 「スイーツブーム?」

 なんだそれはと瑞希が首を傾げた。

 「特に深い理由は無いんですけど、俺の中で無性にこれが食べたいって思うことがあるんですよ。それで、しばらくはそればっかり食べたくなるんですよね。今はそれがスイーツになっているってわけですよ」

 「なんだか変わっているわね。今がってことはスイーツ以外にどんなブームがあったのかしら」

 「いろいろありましたよ。スムージーブームだったりミカンの缶詰ブーム、カレーブームとかコロッケブームなんて時もありましたね」

 「聞いている限りだと身近な料理だったり手軽に買えるものばかりね」

 瑞希の意見はもっともだ。玲士がこれまでマイブームにしてきたのはどれも簡単に食べられるものばかりだ。

 コロッケブームは学校帰りにあるコロッケ専門店で、文字通りコロッケしか販売していない小さな販売所である。スーパーで売られているコロッケとは違い種類が圧倒的に多く、揚げたてを食べられることが多かったので毎日とはいかなかったがよく何個も買いこんで歩き食いをしていた。

 カレーブームの際は作り置くことを考えたが授業があるため昼間に温めることができないので傷むのを避けてレトルトカレーで満足していた気がする。数日間ずっと夕食がカレーだったが特に苦にはならなかった。

 他のブームもほぼ似たような感じで数日、長い時で数週間にもわたって食べているような感じである。

 「そうですね。準備に手間がかかるようなのは今のところ挑戦していないですね。あっ。あそこにあるパン屋もブームの時に全種類食べつくしたことはありましたよ」

 「ふふ。そんなに食べてばかりだと体が丸くなってしまいそうね。田宮君と一緒に食べ歩きをすると大変なことになりそう」

 瑞希は隣でくすくすと笑っている。普段見せない瑞希の笑顔を見られていることもなんだか嬉しいと思うが、生徒会とは違う穏やかな時間を過ごせているのが何だか新鮮な感じだ。

 「田宮君は今までに和菓子ブームは来たことはあるのかしら?」

 「ありますね。おはぎブームでしばらく夜食がずっとおはぎだったことはありますね」

 「……なんとなく聞いてみたけど、まさかもう実施しているとは思わなかったわね。それじゃあ洋菓子と和菓子なら田宮君はどっちの方が好きなのかしら?」

 瑞希からの質問に玲士は考え込んだ。どちらが好きなのかこれまで考えたことが無かったが、いったい俺はどっちの方が好きなんだろう。

 「そうですね~。どちらも好きですけれど、どっちかなら俺は洋菓子ですかね。ケーキのバリエーションも多いですし、ケーキだけじゃなくてタルトも個人的には好きですしね」

 「期間限定って言葉が田宮君は弱そうだから毎年新作が出ると大変そうね」

 「新作はできる限り食べようとはしていますね。会長って新作とか期間限定って言葉には影響されないんですか?」

 「私も期間限定って言葉には弱いわね。ただ、期間限定でも毎年出ているような定番メニューは買うかどうか躊躇ってしまうわね」

 瑞希の言葉に玲士は少し意外に感じた。瑞希なら普段から意志が強くて誘惑に負けないようなイメージがある。そんな彼女が期間限定の言葉に負けて順番待ちしている姿は想像できない。

 そんなことを聞いてしまうと嬉しそうにケーキを頬張る瑞希を見てみたいと思ってしまうのはきっと玲士だけではないはずだ。

 街灯の光に照らされながら雑談で盛り上がっていると、目的地である瑞希のマンション前にたどり着いてしまった。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうがこんな雑談でも時間が過ぎるのは早い。

 「それじゃあ、今日はわざわざ付き合ってもらってありがとうございました」

  マンションの入り口で瑞希に向き合った玲士はお礼を言った。

 「こちらこそ付いて行っただけじゃなく、私の買い物に付き合ってくれたからこちらこそお礼を言うわ。帰り道はとても楽しい話であっという間だったわ。ありがとうね」

 玲士の心配をいい意味で裏切るようで玲士は一安心した。瑞希から話題を振ってくれたことも助けとなり玲士の話で楽しんでくれたのはよかった。

 (俺だと話題のネタが絶対に尽きてしまって話が続かなかっただろうな)

 なかなか瑞希が興味を持つような話題を持ち合わせていなくて内心冷や冷やしていたが、玲士自身の話も混ぜることで以外にも話が盛り上がったような気がする。

 「今日はケーキが買えれば良かったんですけど、残念でしたね。また買いに行った時には生徒会まで差し入れするので楽しみにしておいてください」

 「それは楽しみだけど、私も気になるから行ってみたいわね。気分転換で田宮君より先に行ったときは私が買ってきてあげるわ」

 瑞希は顎に手を当てて悪戯っぽい笑みを浮かべこちらを見返してきており、その仕草は大人っぽく妖艶な雰囲気を醸し出していて見ているだけでもなんだか鼓動が早くなってくる。

 鼓動が早くなっているのを感じ、名残惜しいが玲士は「また来週」と声をかけた後瑞希と別れ自宅に向かって歩き始めた。



 休日が明けて木曜日の朝、ホームルームを待っている騒がしい中玲士は教室の自分の席で文庫を開いて担任の教師が入ってくるのを待っていた。

 しばらくすると担任が入ってきて教壇の前に立ち全員を見回した。

 「はい。それじゃあホームルームを始めますよ~。まず最初に文化祭の写真を注文していた人は写真が用意できたのでこの後取りに来てくださいね。あとは全員に進路調査のアンケートも配ります。卒業後みんながどんな道に進むのかを再確認する意味もありますので忘れず受け取ってくださいね」

 アンケートが配られていく中、写真を注文していた生徒が順番に担任から写真の入った封筒が渡されていく。玲士も写真の入った封筒を受け取った。封筒の表には間違えて渡さないように名前がはっきりと記載されている。

 玲士は封筒から写真は取り出さず封筒の口を開けて中に入っている写真を覗き込んだ。玲士はあまり購入しておらず、クラスメイト全員が写っている集合写真が何枚か入っている。

 その中に一枚だけ集合写真ではないものが混じっており、その写真に視線が吸い寄せられる。

 「おーい玲士。お前も写真買ったのかよ。何買ったんだ?」

 「買ったのはクラスの集合写真だよ。せっかくみんなが着飾ったんだから記念にな。お前は買わなかったのか?」

 後ろから隼に話しかけられた玲士は顔を上げ封筒の口を閉じながら気になったことを口にした。見れば隼の机には進路調査のプリントだけで写真の入った封筒は無い。

 「ああ。俺はわざわざ写真なんて部屋に飾ったりはしないからな。飾らなくても写真はしっかりここに入ってる」

 隼はポケットからスマホを取り出し写真フォルダを開いて写真を見せてくれた。画面には玲士が購入した写真とほぼ一緒でクラスメイトが集合した写真が映っている。

 「集合写真だけか?他には何も買わなかったのかよ」

 「……俺だって必要以上に写真を飾る趣味は無いよ。それより他に何を買うと思っていたんだよ」

 隼から疑惑の目を向けられているが記念写真以外そもそも玲士は買うつもりが無い。だから写真選びもそれほど時間をかけることはしなかった。

 「他にって……。気になる写真とか少しは無かったのかよ」

 「気になる写真?」

 「あ~。ほら、気になる女子の写真とか一枚ぐらい欲しいって思ったりするだろ。どうなんだ?それぐらいは一枚ぐらいあるんじゃないか」

 「……」

 周りに聞こえないように声を落としてニヤニヤと笑っている隼に玲士は何も言えなかった。こいつは真面目な顔でどうしてこうしょうもないことしか言えないのだろうか。

 「なにアホなこと言ってるんだ。そんなことで買うわけないだろ」

 玲士の言葉に隼は信じられないものを見るような目でこちらを見た。……何故そんな目でこちらを見るんだ。

 「おいおい嘘だろ⁉今年は他のクラスも比較的コスプレ率が高かった。それなら一枚ぐらい持ちたいと思うだろ。」

 「思わねぇよ!そもそもそれを防ぐために撮影は二人以上と決められていたはずだぞ。それでも買うやつがいるのか?」

 「甘いな玲士。ツーショットぐらいじゃ何の障害にもならねぇよ。ツーショットぐらいだったら周りの男子は気にせずに買っているぞ」

 玲士は隼の言葉におもわず手で顔を覆う。どうしても自分の写真が不特定多数の男子に持たれるのは嫌だという理由で撮影の際は最低でも二人以上と決められており、できる限り女子の意見を取り入れていたつもりだったが、まさかこんなことになっているとは……。

 (これは会長に知らせておかないとまずいな)

 今年はもうどうしようもないが、来年からは対策をしないと発覚した際に男女間でいろいろと問題が発生しそうだ。男子生徒全員から恨まれそうな気がするがそんなのは関係ない。トラブルを起こされるよりかはましだろう。

 かといって規制しすぎると今度は記念写真を撮りたいと考えている女子側からや写真部からクレームが来そうなのでその辺りは瑞希に判断してもらおう。

 「それでどうなんだ?やっぱり誰かの写真は買ったのか?」

 「買ってない!」

 いい加減しつこい友人だな。少し声が大きくなり周りにいた何人かが玲士の声に振り返ってくるが愛想笑いで何とか誤魔化した。

 「なら玲士は文化祭中誰にも興味を持たなかったのか?一人ぐらいいるだろ。そんな女子ぐらい」

 「気になった女子ねぇ」

 隼の言葉に玲士は誰かいたかなと文化祭を思い出してみる。とりあえず印象に残っている人物が誰だったかと記憶を掘り起こしていると、ある人物が自然と思い浮かんだ。

 普段の彼女からは想像もできないような衣装に身を包み、周りから注目されて困惑していたのは……。

 「ちょっとそこの二人、無駄話は止めなさい。進路のことだから後から聞いていませんでしたなんて困るのはあなた達なんだからね」

 頭の中が文化祭一色になっている玲士だったが、自分に向けられた注意に気づいて思考の海から抜け出した。

 玲士に詰め寄るような形で体を傾けていた隼は「やべっ」っと一言口にした後慌てて体を元に戻した。若干「いい所だったのに」と残念がっていたのは気にしなくてもいいだろう。

 「それじゃあ説明するわね。今回配ったアンケートはこれまでとほとんど変わらない内容だから代わり映えしないと思うかもしれないと思うけど、もう十月も残り少ないです。数か月後には進級して本格的に進路について考えないといけないですし、実現に向けて大学受験も対策していかないといけません。だから、これまで曖昧にしか考えていなかった人も一度真剣に自分は将来どうしたいのか、どうなりたいのかを考えて書いてください。期限は今月まででお願いしますね」

 担任の言葉に対する周りの反応は様々だ。真剣に悩む者もいればまだ決まっていないのかあるいは決まっているのかあまり気にしていない者。そんな中玲士はどちらかというと悩む側にいる。

(どうなりたい……か)

 玲士は窓の外を眺めながらぼんやりとそのことについて考えていた。今のところ玲士は将来どうなりたいかという明確な目標があるわけではない。とりあえず大学には進学するつもりだが、その先に関しては完全に決まっていない。

 早く決めてしまわないといけないが、どう決めていいのかよくわからない。これからの人生に関わることだから安易には決められない。どうするべきなのか答えの出ない悩みは一限目の教師が入ってくるまで続いた。



 「ケーキ?」

 「そうなんですよ。このあと会長と行こうってことになっているんですけど、笹苗先輩はどうしますか?一緒に行きます?」

 翌日の放課後いつも通り三人が生徒会に集まってそれぞれやるべきことを進めている中、梨恵は受験勉強をしていた手を止めて不思議そうな顔をしている。もちろん梨恵の近くには玲士が買ってきた菓子が広げられている。

 「そもそもなんで後輩くんと瑞希が一緒にケーキを食べに行くことになっているのよ。私としてはそっちが物凄く気になるんですけど⁉」

 「そんなに気になることですか?」

 説明しろと言わんばかりに梨恵は玲士達の方に座ったまま身を乗り出している。説明と言っても実は玲士自身誘われる側なので経緯ぐらいしか説明できない。ケーキを食べに行こうと誘ってきたのは驚くことになんと瑞希の方からだった。

 昨日いつものように食堂で昼食をとっていた玲士はズボンのポケットに入れていたスマホが震えているのに気がつき、受信していたメールの差出人が瑞希だと分かった時はいったい何事だと思った。

 連絡先は交換していたが交換しただけでメールのやり取りは最低限で、何かあれば生徒会で会った時に伝えてくるのが普通だった。そんな瑞希がわざわざメールを送ってくるのだからいったいどんな要件だろうと思いながらメールを開いてみれば、まさかのケーキを食べに行く誘いだった。

 まぁ、まだ玲士も行けてはいなかったので今回の誘いはありがたい。

 とりあえず玲士はきっかけを梨恵に話した。先週の買い出しの際にワゴン販売していたケーキ屋を見つけたこと。その日は売り切れで買えずじまいで、放課後に買おうとするならワゴン販売じゃなく店舗まで行く方がいいと教えられていたことや日を改めて店舗まで行ってみようと考えていたこと。まだ行けていなかったところで昨日瑞希から誘われたこと。

 「ふぅん。そんなことがあったんだ」

 「だから、今日は早めに切り上げて買いに行こうかなと思っているんですよ。電車での移動になるんであまり遅くまで残っているとまた買えなくなりますからね」

 「それはそうね。期間限定なんて一番に売れていくものだから、のんびりしているとあっという間になくなっちゃうわね。それよりも瑞希、あなたがケーキを食べに行くなんて珍しいわね。今までそんなことに興味なかったのに」

 「……別に。ずっと勉強ばかりしていると息が詰まりそうだったのよ。気分転換に甘いものが食べたくなっただけよ」

 「わざわざ電車で移動してまで買いに行くなんて珍しい。本当に瑞希が食べたくなっただけなの?」

 「……それ以外に何があるっていうのよ」

 訝しむ梨恵の視線も瑞希はどこ吹く風と言ったように特に気にした様子もなく答える中、玲士は玲士で「あぁ。やっぱり」という感想があった。

 今回瑞希が誘ってきた時、玲士自身も彼女の行動を意外だと感じていた。玲士の中の瑞希は買い食いや食べ歩きをしているイメージが思い浮かばない。瑞希なら買ったケーキを自室で一人静かに食べている方だと思っていたがどうやら玲士の想像は正しいようだ。

 なら、今回何故行こうと思ったのだろう。行くと決めるきっかけとなった何かがあったのだろうか。

 「とりあえず笹苗先輩はどうしますか?俺と会長はそろそろ行こうかなと思いますけど一緒に来るならそろそろ片付けないとまずいですよ」

 梨恵はどうしようかと天井を見上げながら「う~ん」と唸っていたが、ふと天井を見上げていた梨恵の視線が玲士達に向けられた。梨恵は並んで座っている玲士と瑞希をじっと見ているがいったいどうしたのだろうか。

 「あ~~。私は今回遠慮するわ。私はこのままここで勉強するから瑞希たちは二人で行って来なさい。ここを出るときは私が戸締りしておくから気にしなくてもいいわよ」

 「そう?ならお願いするわ。田宮君そろそろ行きましょうか。急がないと電車の時間に遅れてしまうわ」

 「わかりました。でも笹苗先輩本当にいいんですか?たまには先輩も気分転換してもいいと思いますけど」

 「変な気を使わなくても私は大丈夫よ。勉強に集中できないときは諦めて帰るから心配しないで。それより早く行きなさい。せっかく瑞希が誘ってくれたんだから、それを破らないようにするのが後輩くんの今やるべきことよ」

 念のため梨恵にもう一度声をかけるが、意思は変わらずのようで逆に玲士の方が注意されてしまった。玲士は急いで机の上に広げていた筆記用具を鞄の中に放り込み準備を整えた。

 瑞希が「それじゃあね」と言って退室し、それに付いて行くような形で「笹苗先輩、無理しないで下さいね」と言って玲士が退室した後静かに生徒会室の扉が閉まった。



 二人の足音が遠ざかり一人になった生徒会室で梨恵は試験勉強を中断して立ち上がった。「ん~~」と声を出し背伸びをしていた梨恵は体を伸ばした後立ち上がり、そのまま窓際まで近づき窓から見える光景を眺めた。見下ろせば生徒達が帰宅のために正門へ向かう姿がちらほらと見える。

 その生徒達の中に先程別れたばかりの瑞希と玲士が歩いているのが見えた。二人並んで正門へ向かう姿を目で追いかけ続け、正門を出たところで二人の姿が見えなくなると何も言わず先程まで勉強していた席に戻った。

 「あの瑞希が後輩くんをわざわざ誘うか~。あの様子じゃ二人ともわかってないんでしょうね~」

 梨恵以外誰もいない生徒会室で発せられた独り言は呆れたような感情がこもっていたが、嬉しさも少しは入っていた。そんな梨恵の言葉は誰にも聞かれることなく外の騒がしさの中に消えていった。



 梨恵と別れた玲士と瑞希は乗り遅れることなく予定の電車に乗ることができ、数分電車に揺られた後目的の駅に着いた。改札を抜け駅の外に出ると空はまだ夕焼けで明るいが、この時期は日没まであっという間だ。のんびりしているとすぐに辺りは暗くなってしまうだろう。

 「それじゃあ、行きましょうか」「そうですね」瑞希に促された玲士は鞄から以前にもらった店のチラシを出しながら答え、瑞希は玲士が隣に並んだのを確認してから二人並んで歩き始めた。

 「会長って結構知らない場所でも迷わずに行けるタイプですか?」

 「流石に調べずに毎回行けるわけじゃないけど、ある程度目的地までの道を覚えておいたらそれほど迷うことは無いかしらね。もしかして田宮君は道に迷いやすいのかしら?」

 瑞希は駅を出てからこれまでスマホも地図の書かれたチラシを取り出しもせずに迷いなく歩いている。

 一方で玲士はチラシを片手に周りをきょろきょろと見渡しながら進んでいた。正反対の行動をとる二人が並ぶとお互いの行動の差がよりはっきりとわかる。

 「そうですね。普段からそれ程寄り道しないってのもありますけど、初めて行く場所だとどうしても迷ってしまうんですよね。たまに案内板があったりしますけど、それを見てもいまいちうまく進めないんですよね」

 玲士は恥ずかしそうに答えた。実際これまで何度か街中で迷っていたことがあるのは事実だ。

 「迷うって、この辺りはそれほど学校周りと変わらないわよね。環境が似たような場所でもダメなのかしら?」

 「一人暮らし始めた当初はよく迷っていましたよ。流石に住む街ぐらいはもう迷わずに移動できますけど、街から離れるとスマホの地図が無いと目的地にたどり着けるかわからないですね。時間かければスマホを使わなくても行けるときもありますけどね」

 瑞希は意外そうに玲士を見ている。まさか玲士がここまで方向音痴だとは思わなかったのだろう。

 「田宮君って初めて行くような場所にはいつもどんな風に向かっているのかしら?」

 「どんな風に……ですか?」

 「ええ。例えば曲がらないといけない交差点周りの建物を覚えておくとか、できる限り真っすぐ進めるようにルートを調整したりとかあるでしょう。あとは迷った時はいつもどうしているのかしら」

 瑞希に聞かれて玲士は歩きながらこれまでの自分の動きを思い出していた。いったい自分はいつもどんな風に動いていただろう。

 「そうですね。基本的に駅から目的地までの最短ルートで細道には入らずに大通りばかりを進むようにはしていますね。あとは目印になるような建物を覚えておいて、わからなくなったらひたすらその建物に向かうようにはしていますね。毎回その段階で見失うんですけど」

 「見失う?」

 瑞希は玲士の言っていることが分からず首を傾げた。建物が分かっているのに見失うとはどういうことなのだろう。

 「建物がすべて同じように見えて違いが判らないんですよね。気がついたら目的の建物を通り過ぎていて、また引き返したりとかを繰り返してようやく着く感じですね」

 もともと玲士が住んでいた実家は何もない田舎だ。コンビニもなく田畑に囲まれ生活必需品を買うにしても徒歩では行けないような場所なので自転車やバスなどを利用するしかない。

 店舗もそれほど多くなく一か所にある程度まとまっているからそれほど移動する必要もなかった。

 しかし、一人暮らしをする際田舎から街中に移り住んだ時は環境の違いに戸惑った。周りは林のようにビルが建ち並び、店の指し示す看板は壁面に小さく掛けられているだけ。実家のように遠くから目的地を確認してそれを目指して進もうにも建ち並んだビルが邪魔で目的地が見えない。まるで自分が小人のようになってしまったのではないかと思わずにいられなかった。

 駅では出口が複数に分かれており、天井から吊り下げられている案内板を頼りに進んでいたはずなのになぜか同じ場所をぐるぐる回ったりもしていた。

 買い出しが便利になった分玲士は意外なところで苦労をすることになったのは玲士本人にも予想外だった。

 「そうだったの。ルートは問題ないのだとしたらポイントを認識する方が重要ね。問題は何を目印にするか……」

 玲士の話を聞いた瑞希はブツブツと呟き始めているが、それには玲士は困惑するしかなかった。ただ単に「方向音痴なんですよ~」「あら、そうなの。以外ね~」程度の軽い話で終わる予定だったのになぜか隣で真剣に考え始めている。

 「会長⁉今はマシになりましたからね。確かに未だに自信のない時はありますけど、同じ場所をグルグル歩き回るようなこと今はしていないですからね!」

 「そうなの?てっきり今も田宮君が迷子になっているなら何とかしないとって思っていたんだけど」

 「迷子……。とりあえず俺は大丈夫です。昔はそうだったという笑い話ですから気にしないでください」

 キョトンとした顔で瑞希は玲士を見返してくる。「迷子」という単語が玲士の心にグサリと刺さりその場で崩れ落ちそうになるが何とか耐える。高校生にもなって迷子扱いされるのも十分ダメージがあったが、さらに瑞希から本気で心配されるのはキツイ。これだと瑞希が玲士の保護者のようではないか。

 まぁ、もう迷わないと言い切れないところが残念だが事実なので玲士にはどうすることもできない。



 二人が向かっている場所はたいして駅から離れていたわけではない。おそらく十分くらいは歩いていただろう。大通りから細い脇道に入りしばらく歩くと少し開けた場所に出たところに店はあった。

 「思っていたより大きな店ね。てっきりもう少し小ぢんまりした店だと思っていたわ」

 「それでも俺はこんな店好きですね。なんていうか静かで落ち着いた雰囲気ですし、この辺りだけ別世界に思えてきちゃいますよ」

 二人は店の前で佇み思っていたことを口にしていた。目的の店「パティスリー プレリー」は二階建ての白い店だった。二階建てでも広さ的には一軒家よりかは少し小さいがそれでも十分な広さを持っていると思う。

 その店を囲う様に花が植えられており、色とりどりの花が店を綺麗に飾り立て周りは芝生になっておりコンクリートに囲まれた街中でここだけが周りと切り離されているかのような自然がそこにはあった。

 大通りから離れている分行き交う車がなく、周りにそびえ立つビルが大通りからの音を防ぐ壁のような役割をしているので、比較的静かな環境になっている。こんな店は玲士の周りでは見たことが無かったのでとても印象的だ。

 大きめのガラス扉に付けられているベルが「チリーン」と音を立てる中、玲士と瑞希が店内に入ると駅前で見たワゴンとは比べ物にならないほどにショーケースが並んでおりその中にはそれに見合うほどの数多くのケーキが並べられていた。

 店内にはすでに何人もの客がショーケースの中にあるケーキをじっくりと見ながらどれを注文するべきか真剣に悩んでいたり、友人達とワイワイ話しながら選んでいる。

 どうやらこの店は店内で食べることも可能なようで店内の奥の方を見ればいくつかのテーブルと椅子が用意されており、何組かは買ったケーキを美味しそうに食べている。

 「思っていたよりも種類が多くて迷ってしまいそうですね。会長はどれにするんですか?」

 「そうね。せっかく来たのだからここでしか食べられないような特別なものを食べてみたいわね。どれくらいあるのかしら?」

 玲士と瑞希は前の客の背後からショーケースの中を覗き込んでいるが、時間も時間なので所々売り切れになっている種類もいくつかある。玲士としては駅前で買えなかった梨とレモンのケーキを狙っているが、果たして残っているだろうか。

 ショーケースの中にあるプレートと現物を見ながら玲士は一つずつ見ていく。瑞希も数あるケーキの中から食べたいと思うものを静かに見定めている。

 一段ずつ視線を動かしていた玲士だったが、ある所でその視線がピタッと止まった。ショーケースの左端の最上段。レジに一番近い所にあった。プレートにはワゴン販売していた時のように手作りでアピールコメントが付けられている。

 梨とレモン、どちらのケーキも幸運なことに残っている。せっかく残っているのだからこれを選ぶしかないだろう。

 「ご注文はお決まりでしょうか~。ってあれ?この前買えなくてしょぼくれていた人じゃない」

 「え?」

 聞き覚えのある声がしたので顔を上げると、レジ前には先週ワゴン販売をしていた大学生の女性がいた。相手も直前まで玲士に気がついていなかったのか驚いたように目を丸くしている。

 「久しぶりだね。まさか本当にこっちに来るとは思わなかったよ。わざわざ電車で移動しないといけないからこっちには来ないと思っていたんだけどね」

 「先週ぶりです。せっかくなのでいろいろと種類も見たかったのでこっちに来ることになりました。今日は買えそうなので良かったですよ。えっと、藤沢さんですね。今日はこっちなんですね」

 玲士は胸元にある名札を見ながら答える。ワゴン販売の時は私服姿だったが、今日は店舗内での仕事の為制服姿だ。

 「私は基本ここで働いているわ。先週はたまたま外で販売することになっただけで毎回なわけじゃないもの。それよりも良かったわね~。今日はちゃんと買えそうだからしょぼくれなくて済むわよ」

 「しょぼくれてなんていません!っていうか俺のことより他のお客さんの対応をしたらどうですか。仕事をサボっちゃ駄目ですよね?」

 「大丈夫よ。私の他にもスタッフはいるし、それにあなたの対応をするために私は今絶賛仕事中よ!」

 ニヤニヤとからかうような口調で開き直る藤沢。言い返そうにも仕事中と宣言している彼女はこの場から離れる気はなさそうだ。

 それよりもしょぼくれていたとは一体どういうことだろうか。確かに前回は買えないことに関して残念だと思ったがあの時の自分はそこまで落ち込んでいたのだろうか。

 「お待たせ田宮君。……どうかしたの?」

 眉を寄せて当時のことを思い出そうとしている玲士の元へ瑞希がやってきた。

 「会長。先週ケーキが買えなかった俺ってそんなに落ち込んだ表情していましたか?」

 自分のことながら不安になった玲士は瑞希に問いかけた。瑞希は「先週?」と呟いた後顎に手をやりしばらく考え込んだ。出来れば玲士の望む答えであってほしい。

 「私はそれほど田宮君が落ち込んでいたようには見えなかったわね。」

 「……落ち込んでいたことは否定しないんですね」

 正直な瑞希の答えに玲士はがっくりと肩を落とした。自分自身はそれほど気にしていないつもりだったはずだが、周りからするとそうではなかったようだ。

 藤沢は二人のやり取りをニコニコと笑顔で聞きながら「やっぱりそうでしょう?」と瑞希に同意している。

 「それより、二人とも来てくれたのは嬉しいわ。ここのケーキは私も何度か食べているけど、とっても美味しいからどれもおすすめよ。そこの君は何を買うか予想着くけど、貴女はどれにするのかしら?」

 「そうね。私は田宮君と同じ期間限定の梨のケーキとあのミルクレープにするわ」

 「わかりました。こちらは持ち帰りですか?それとも店内で食べられますか?」

 さっきまで気軽に話しかけていた藤沢はスイッチが切り替わったように対応している。こちらが本来の対応なのだろうが、それなら初めからそうしておけばいいのにと思っても口には出さない。

 それにしても、ケーキはどうするべきか。店内で食べられるとは思っていなかったから玲士は持ち帰るつもりだった。

 (せっかくだからここで食べようかな。でも俺だけ残って会長だけ帰すのもさすがに悪いな)

 せっかくだからと瑞希に店内で食べようかと提案しようと口を開きかけた玲士だったが、提案を口に出す前に瑞希から「店内で食べるわ」と先に言った。

 「田宮君、私はせっかくだからここで食べて帰ろうかなと思うのだけど田宮君も一緒にどうかしら?もちろん田宮君が良ければだけど」

 「そうですね。俺もせっかくだからここで食べたいなと思っていたので会長に聞こうかなと思っていたんですよ。俺も店内で食べます」

 「そう。なんだか事後承諾みたいで悪いわね。私としてはできれば美味しく感じられる場所で食べたいと思っていたのよ」

 少し申し訳なさそうにしている瑞希だったが、玲士は逆に感謝している。持ち帰るとなるとどうしても自宅に着くまでに多少形が崩れてしまったり、細かなチョコ細工などは外の気温で溶け始めたりする。今の時期だとそれほどまで影響は出ないと思うが、それでもいい状態で食べられるのならその方がいいだろう。

 玲士がこれまでに食べたケーキの中には見た目はしっかりとしているように見えて実はほんの小さな揺れでも形が崩れてしまうようなケーキもあった。玲士が帰宅するまで綺麗な状態のままいられるか判断できない。

 何よりこの店の落ち着いた空間の中で食べてみたいと店内で食べている人達を見た時から思っていた。

 瑞希は会計を済ませた後、「先に行っているわね」と言い残してテーブルの確保に向かった。玲士も瑞希の後に続いてケーキを注文し藤沢からお釣りを受け取る。

 瑞希は窓際に一番近くに設置されたテーブルにいた。窓の外は植えられた色とりどりの花や芝生が広がっておりとても綺麗だ。

 「いい場所ですね」

 「そうでしょ?せっかくなら眺めのいい場所で食べたくなるじゃない。偶然空いていたから迷わずここにしたわ」

 素直な感想を口にした玲士に瑞希は嬉しそうに、そして「どうだ!」と言わんばかりの自慢げな表情で答える。

 「それにしても思っていた以上にバリエーションがあったわね。どれにしようか中々決まらなくて悩んでしまったわ」

 「そういえば会長は結構時間かかっていましたね。まぁ、あれだけ種類があるなら悩むのはわかる気がしますね」

 瑞希の視線につられるように玲士もついさっきまでいたショーケースの方に視線を向けた。そこにはどれにしようか中々決められず眉を寄せている客が何人もいた。

 玲士は最初から何を買うのか予め決めていた為それほど悩むことは無かったが、決めずに訪れたのならばあのバリエーションの多さだ。すぐに決めろと言われると難しいだろう。

 「そういえば、会長はレモンの方は買わなかったんですね。てっきり期間限定だからどっちも食べるのかと思っていましたよ」

 「確かに興味はあったけど、私はそんなに酸っぱいのは得意じゃないのよ。最初から失敗はしたくは無いわ」

 「まぁ、レモンですからね」

 肩をすくめる瑞希に玲士は同意した。そもそもレモンを使用したケーキを実際に販売している店は玲士が知る限りではここが初めてだ。

 ただ単に玲士の周りでは扱っていないだけで売っている所はもちろんあるだろう。しかし、どの店でも積極的に作ってはいないだろうと玲士個人ではそう思っている。

 何せメインで使用するのがレモンだ。甘さを求めるイチゴやブドウなどと言ったフルーツとは違い、レモンは酸っぱさが際立つ。人によって好き嫌いが分かれてしまうだろう。

 あの刺激的な酸っぱさを想像するだけでなんだか口をすぼめたくなってしまう。



 話をしている内に「お待たせしました」と言いながら店員が玲士と瑞希のケーキを同時に運んできた。瑞希の次に注文をしていたのでそれほど間隔が空いたわけではないが、同時に運んできたのを見るともしかしたら藤沢が何か指示を出していたのかもしれない。ケーキと一緒に注文した紅茶も一緒だ。

 店員にお礼を言った玲士は目の前に置かれたケーキを見た。白いプレートの上に玲士が注文したケーキが二つ並べられている。ケーキ一つ一つが分けられているのではなく、一枚のプレートにまとめてあるのはこの店のこだわりなのだろう。

 プレートの隅には花柄の装飾がされており、この店の雰囲気とよく合っている。

 梨のケーキは一見するとショートケーキのように見える。スポンジの間には梨が挟まっているのが断面から見え、生クリームで覆われた部分には薄くスライスされた梨が敷き詰められている。

 レモンのケーキはタルトのようで、玲士は気になっていたレモンの方から口にした。

 (思っていたより酸っぱくないな)

 しばらく食べ続けていた玲士は意外に思った。

 さすがにレモンの酸味がそのまま残っているはずはないと思っていたが、玲士の予想よりも酸味が抑えられている。クリームにもレモンが使われているが、そのクリームの上にレモンの輪切りも酸味はあるがそれと同じくらいに甘みもあった。

 ケーキを作ったことのない玲士だったので、専門的なことは分からないし作り方も素人目線でしかわからないがおそらくレモンを甘く煮たりしたのだろう。

 (これなら会長も食べられるんじゃないか?)

 そう思って顔を上げると瑞希はミルクレープを食べていた。食べていることは当然と言えば当然なのだが、普段の感情が読めない真顔ではなく、今は表情が緩み幸せそうに食べている。

 しばらく瑞希の食べる姿を見ていた玲士だったが、不意に視線を上げた瑞希とばっちり目が合ってしまった。

 「どうしたの?」

 「ああ、いえ。このケーキですけれど、思っていたよりも酸っぱくは無かったので会長も食べれるんじゃないかなって思ったんですよ」

 「そうなの?でも、レモンが薄めに切られていたわよね。田宮君まさかそれも食べたの?」

 瑞希は信じられないと言った風に驚いている。食べていないと思っていたのだろう。

 「酸っぱさはありますけど、甘く煮たのか浸けたのかしているので食べられないことは無いと思いますよ。会長がどの程度までの酸っぱさまでならいいのかわからないのであくまで俺の感想ですけど」

 「そうなの。じゃあ次来た時に一度食べてみようかしら。このミルクレープもとっても美味しくておすすめよ。これだと他のもどんなのか気になってしまうわ」

 少し興奮気味に話す瑞希の意見に玲士も同意見だ。今回は期間限定の物しか手を出さなかったが、瑞希のミルクレープも気にはなっている。他の物もどんな味なのか気になってしまうからまた食べに来ることになってしまうと思う。

 「それは俺も同意見ですね。ただ、また来るにしても頻繁に行けそうもないですね。生徒会の仕事もありますし、何より会長も試験対策で忙しいでしょうし」

 瑞希は「そうなのよね」と言いながらも諦めきれないのか眉を寄せ思い悩んでいる。

 どうやら相当この店のケーキが気に入っているようだ。

 しばらく思い悩んでいた瑞希だったが名案が思い浮かんだのか、ぱっと顔を上げた。

 「そうだわ。それなら日を決めてここに来ましょうよ」

 「日を決めるんですか?次はいつ行くつもりなんですか?」

 「流石に週に何回も行くのは経済的にも現実的じゃないわ。だから週に一回、もしくは二週間に一度行くのはどうかしら。行くのは生徒会のある週末なら翌日は休みだから問題ないでしょう」

 「毎週行くのも十分頻度的には多い気がするのですけど、どれだけここに通うつもりなんですか⁉もう少し頻度減らしましょうよ」

 自信ありげな瑞希に玲士は思わず突っ込んでしまった。確かに頻繁に行くのはお金がかかりすぎるのはわかるが、瑞希は自分が受験生だという自覚があるのだろうか。

 「ずっと試験勉強ばかりだと効率が悪くなってしまうわ。たまには息抜きも大切だからそれも兼ねて週末に行くのよ。休日にわざわざ外出するよりよっぽどいいと思うわよ」

 瑞希の返答に玲士は黙るしかない。おそらく瑞希の中で週末の予定はすでに決まっているようなものなのだろう。息抜きをしたいという言い分も否定できないので彼女の方が優位だ。

 「行くのは構わないですけど、年内だけにしましょうよ。流石に年明けも行くのは俺が気になってしまって落ち着かないです」

 ここだけは譲れないと玲士は条件を付けた。瑞希は気にしなくても問題ないと言うが、大学受験はそんな簡単なものではない。瑞希には不安要素を少しでも減らした状態で受験に臨んでもらいたいし、玲士自身も気になってしょうがない。

 ケーキ巡りをしていて受験に失敗しましたなんて目も当てられないし、そんなことになって欲しくない。

 瑞希は不満そうな顔でこちらを見ているがこれが受け入れないなら年内も諦めてもらうというつもりだが、果たしてどうだろう。

 「……いいわ。気を遣わせたまま食べるのはなんだか申し訳ないわ。年内だけを条件に行きましょうか」

 瑞希の答えに玲士はほっと安堵の息を漏らした。とりあえずは納得してもらえたようで何よりだ。

 安堵していた矢先、「別の店も探さないといけないわね」と瑞希の声が聞こえ、ギョッとした。

 「あの~会長。まさかここ以外の店にも行くつもりなんですか?」

 「当然よ。今年も残り少ないのに、週末となると回数も限られてくるわ。できるなら他の店も行ってみたくなるじゃない」

 「俺、この店以外はほとんど知らないですよ?他の店って会長は知っているんですか?」

 恐る恐る聞いてみた玲士に瑞希は何を言っているんだと言わんばかりの表情だ。

 そもそも玲士としてはこの店に年内は通い続けると思っていたが、まさか別の店も行くことになるのは予想外だ。

 「それほど多くは無いけれど、いくつかは知っているわ。行く機会が無かったのだけど、ちょうどいい機会だからそっちも行ってみたいわ」

 「……会長にお任せします」

 どうやら瑞希の中ではどんどん計画が立てられているようだ。もう瑞希にすべて任せてもいいのではないだろうか。

 それにしても、と玲士はずっと気になっていたことがある。

 「会長がここまで積極的なのは初めてですね。何か理由でもあるんですか?」

 そう、瑞希がここまで積極的に学外で行動するのは珍しい。普段は生徒会が終われば真っ直ぐ帰宅の途に就くはずなのに、今回のケーキの一件で放課後を外で楽しむようになっている。

 学生なら放課後に友人と遊び回ったり食べ歩きをするのは特段おかしくは無いが、これまでの瑞希を見ているとあまり身近なことではなかったと玲士は思う。何かきっかけでもあるのだろうか。

 「そうね。やっぱり生徒会の仕事が忙しかったからの理由が大きいわね。あとはそれほど必要だと思わなかったから周りに言わなかったせいもあるわね。梨恵も今年は受験勉強で何かと忙しいから誘いにくかったのもあるかしら。それに、」

 「それに?」

 「せっかく一緒に食べに行けるのだから、行かないと損じゃない」

 素直に口にする瑞希に他意は無いのだろう。そう言う瑞希の言葉に玲士は「そうですか」としか返せず、手元のカップを口に運んだ。紅茶を一口飲んだ後もしばらく玲士はカップを口元から離せなかった。離せば抑えきれなくてにやけてしまっている自分の表情を瑞希に見られてしまうのだから。



 ケーキを食べ終えた玲士と瑞希はそのまま店をあとにし、電車に乗り込んで駅まで戻ってきた。

 改札を出たところで玲士は買おうと思っていたものを思い出した。

 「あっ、会長。俺はこの後少し買い物があるんですけど、会長はどうしますか?ちょっと雑貨屋に寄りたいんですけど」

 「別に私は構わないわ。いったい何を買うつもりなのかしら?」

 「え~っと。……写真立てですね」

 玲士は瑞希の問いかけに少し言い淀んだ。別におかしなことは無い。瑞希は写真立てで玲士が何を言いたいのか理解したようだ。

 「そういえば文化祭の写真を購入希望していた学生への配布があったわね。それじゃあ、田宮君も文化祭の写真を買っていたのかしら」

 「そうですね。せっかくの記念なのでクラスの集合写真を何枚か買いましたけど、会長は買わなかったんですか?」

 「もちろん私もクラス写真は買ってはいるわ。クラス写真以外は特に買ってはいないわね。せっかくだから私も買って帰ろうかしら」

 瑞希もどうやら買ってはいるみたいだ。買ったものを聞いた玲士は内心少し落ち込みはしたが、表情には出さない。瑞希も玲士の様子に気づいた様子もなく話している。

 瑞希が買ったのはクラス写真だけなのか。

 瑞希の同意も得られた玲士はそのまま駅内にある雑貨に立ち寄った。

 雑貨店内の写真立てが並べられているコーナーの一角で玲士はどれを買うべきかとりあえず見て回っていた。

 シンプルなものや少し装飾が派手なものなど数多くある中、どれにしようか考えていた。瑞希もどれにするべきか玲士から少し離れた棚に置かれているサンプルを見ている。

 (とりあえず一つはこれでいいか)

 玲士はサンプルの中から装飾のないシンプルな写真立てを一つ手に取った。透明なアクリルプレートで挟み込むタイプだ。写真を挟み込んだプレートの四方をこれもまた装飾が一切ないネジで止める簡素なものだ。

 特に写真立てにこだわりを持っていないし、あまり派手なのは好きじゃないからこれで十分だろう。これで一つは決まった。あと一つを選ぶだけ、選ぶだけなのだが……

 (できれば少しデザインを変えたいな)

 今選んだのはクラス写真用だ。あともう一枚はできればもう少し代わり映えのある方がいい。しかし、何が写真と会うのかいまいちわからない。

売り場全体をうろうろとしていた玲士だったが、これと言ってしっくりくるものが無い。あまり自分に合わないのを選ぶのもらしくないと思っていた玲士は、一個目と同じデザインにしておこうと引き返し始めたが視界の隅に気になるのを見つけた。

 (あれは……)

 玲士のいる場所から少し離れた場所、少し開けた場所に特設ブースができている。玲士が来た方向からは周りの棚が少し邪魔になっていて気がつかなかった。

 気になって近寄ってみると栞やリボンといった小物や筆記具、玲士達が買おうとしている写真立てなど様々なものが並べられている。

 いったい何のブースかと思っていた玲士だったが、並べられている物にある特徴を見つけた。

 (花や植物ごとに分けられているってことは、それぞれをもとに作られた小物特集なのか?)

 ブースに並べられた商品は栞やリボンといった品物のジャンルで分けられているのではなく、それぞれの商品の中にデザインされている植物ごとに分けられていた。リボンは元となっている植物の花や葉のデザインが小さくプリントされており、ペンに関してはキーホルダーのように付けられている。

 写真立てに関してはあまり派手なデザインではなく、木枠のフレームにワンポイントの花が付けられていたり、小さな花に関してはフレーム全体に散りばめられていたりする。

 桜やヒマワリ、イチョウなどの知っている種類もあれば玲士が知らないような花もあったりしており種類は豊富だ。

 せっかく見つけたからこの中から選ぼうかと思ったところで、背後から瑞希の声が聞こえた。

 「田宮君、私の方は決まったけど……ってなんだか気になるものがあるわね」

 瑞希も来るときは気づいていなかったのだろう。玲士と同じように棚に並べられた数々の品物を見て回っている。

 「せっかくなのでこの中から一つ選ぼうかなって思っているんですよ。もう少し待ってもらってもいいですか?」

 玲士がそう言うと瑞希は視線を落とし、自分の手元にある写真立てを見た。そして「ちょっと待っててくれる」と言い残してさっきまで玲士や瑞希が選んでいた棚の方に戻って行ってしまった。

 瑞希はすぐに戻ってきたが、さっきとは違っていることがあった。手元にあった写真立ての箱が一つ減っている。

 「田宮君はこの中から一つ選ぶのよね」

 「ええ。まぁそのつもりですけれど、会長もここで買うことにしたんですか?」

 「そうなのだけど、せっかくだから自分で選ばず、お互いの分を選ぶなんてどうかしら?」

 瑞希の提案を聞いた玲士は思わず「ちょっと待ってください⁉」と待ったをかけた。瑞希は特に気にした風には見えないが、玲士は違う。

 (普通、お互いに何かを贈り合うって恋人同士でするものじゃないのか?それとも俺だけ変に意識しているだけで普通のことなのか?)

 物語の中ではプレゼントの贈り合いをするようなシチュエーションはたいてい恋人同士かそれに近しい間柄で行われることが多かった。玲士もそれが一般的だと思っていたし、玲士自身には無縁のようなことだと思っていた。

 しかし、そんな玲士の常識を覆すかのように今、目の前でそのシチュエーションが発生しようとしている。

 玲士の頭の中はなぜこの状況になったのかという疑問と、瑞希のこの提案はどんな意味があるのかという疑問でいっぱいになっている。

 「え~っと、会長はそれでいいんですか?俺ってそんなに物を選ぶセンスに自信が無いので後悔しないように会長自身で選んだ方がいいのでは?」

 とりあえず、遠回しに改めて確認を取ってみる。ストレートに「プレゼントを贈り合いみたいですね」とはなんだか気恥しくて聞けない。

 「誰かに選んでもらうのがいいのよ。私が選ばないようなものがあると気になるし、写真も含めてその時の記念になるし思い出になるわ」

 「そんなもんですか?」

 「そんなものよ」

 そこまで言われると尚更真剣に選ばないといけない。玲士は数ある中から瑞希に合いそうなものを探し始めた。

 しかし、花を誰かに贈ったこともない玲士にとってはこの中から選ぶのは一苦労だ。そもそも、相手にどんな花が似合うかなんて実際瑞希と花を交互に見比べても何が似合っていて何が似合わないのかよくわからない。

 (とりあえず珍しいものでいったん考えてみるか)

 桜やチューリップ、ヒマワリなどのよく見るものはありきたりなような気がするので一旦選択候補から外すことにした。せっかくならあまり目にしないような植物を選んでみたい。

 しばらく棚をゆっくり移動していた玲士は途中でその歩みを止めた。そして視線の先にある写真立てを手に取りじっくりと見る。

 淡い色の木製フレーム右上に赤い花が二つか重なるようにある。大きな赤い花びらが広がっている中心にさらに小さな白い花が二つ三つほど付いていているのが特徴的だ。花は「ブーゲンビリア」と言うらしく玲士は全く知らない。玲士が手にした赤以外にもピンクや紫などブーゲンビリアだけでも色は様々なようだ。

 じっくりと見ていた玲士はふと思った。この花は瑞希に合っているのではないかと。

 ブーゲンビリアの花は単体ではそれほど大きくはない。紹介用として実際の写真が飾られているがどれもブーゲンビリアの花が密集している状態である。

 離れて見ると集まったブーゲンビリアの赤い花びらだけが見える形になり、中央の白い花は見えない。逆に近寄ってみると白い花がよく見える形となり、同じ花なのに見え方が二通りも存在する。

 瑞希のことを深く知らなければ、自分にも周りにも厳しい表情があまり変わらない生徒会長でしかないが、身近に接していると実は甘いものが好きで、表情がころころと変わる意外な一面を知ることができる。

 お互いの距離で相手の印象が変わるブーゲンビリアはまさに瑞希らしい花だと言えるのではないか。

 玲士はそのままサンプルを棚に戻した後、その下にあるブーゲンビリアの箱を手にした。まだ見ていない棚もあるが、瑞希にはこの花が一番似合うと確信めいたものが玲士の中にはあったので他を選ぶようなことはしない。

 レジ前で待っていると瑞希も決まったのだろう。手に一箱持ってやってきた。

 「待たせちゃったわね。誰かとこうして買うものを交換したことないから何がいいのか悩んでしまったわ」

 「俺もですよ。自分の部屋に置くものならそれほど悩まないと思いますけど、誰かに贈るようなことはこれまでしたこともないので、かなり悩みましたよ。でも会長が贈り合いをしたことが無いなんてなんだか意外ですね。てっきり笹苗先輩や宮川先輩達と似たようなことをしていると思っていましたよ」

 玲士は意外そうな表情で返した。真司はともかく梨恵なら似たようなことをしてそうな気がした。「せっかくだからプレゼントの交換会しようよ~」と言っている姿が簡単に想像できるが、実際は違ったようだ。

 どうやら瑞希自身があまり小物を買ってこなかったのもあるが、梨恵もそういったことは言わなかったようだ。



 それぞれレジで支払いを済ませた後、玲士は瑞希に持っていたブーゲンビリアの写真立てを渡し代わりに彼女が選んだ写真立てを受け取った。お互い相手の選んだものが気になっていたので、自然とその場で開けることになった。

 瑞希が選んだ花は箱の表記を見るとペチュニアのようだ。中身を取り出すと鮮やかな色が目に飛び込んできた。赤や白、紫やピンクといった色とりどりのペチュニアがフレームの下部に並べられていて、置いた時にまるで写真がペチュニアの咲き乱れている中にあるような印象を受ける。

 これには玲士も嬉しさで思わず笑みがこぼれた。玲士自身では選ばなかったデザインでもあるし、なによりこれに入れる予定の写真ともよく合いそうだ。

 瑞希も玲士が送ったブーゲンビリアをじっくりと眺めている。

 「見たことのない花ね。ブーゲンビリアって言うのね。初めて見る花ね」

 「そうなんですよ。会長に似合う花は何かなと探していたらそれが目につきまして、これだって思ったので選びました」

 「選んだ理由は何かしら?」

 「それは秘密です」

 玲士はニコニコと笑いながらはぐらかした。さすがに理由を言うのは恥ずかしいので瑞希には教えない。玲士が瑞希に抱いた印象であり、わざわざ教えるようなものでもない。

 「そう。でもとても綺麗な花だわ。ありがとう」

 「俺もですよ。選んでくれてありがとうございます」

 玲士はもらった写真立てを箱の中に戻し、壊さないためにも肩にかけていた鞄を開けた。とりあえず箱が入るだけのスペースを作ろうと中身を動かしていた玲士だったが、背後から声が掛けられた。

 「すみません。後ろを通らせてもらいます」

 「あっ、すみません」

 おそらくは店員だろう。玲士は背後を確認せずに慌てて前へ移動し十分背後に空間を作ると再び箱を入れなおした。

 「これでよし。……ってあれ?」

 箱を入れ終えた玲士が顔を上げると隣にいた瑞希がいなくなっていた。いなくなっていたと言っても少し離れたところにいる。どうやら男性店員が抱えている玲士の身長近くもあるスタンドパネルを凝視していているようだが、ここからだとパネルに何が書かれているのか見えない。

 「会長どうしたんですか?」

 瑞希は玲士の言葉にビクッと反応しこちらを見た。いったいどうしたのだろうかと近寄ろうとしたところで逆に瑞希が慌てたようにこちらに歩いてきた。

 「べ、別に何でもないわ。行きましょう」

 「えっ。でもあのパネル見ていたんじゃ……」

 「ただ見ていただけよ。それより、あまり遅くなってもいけないわ。早く帰りましょう」

 玲士の言葉を遮るように瑞希は言葉を重ねた。そして足早にエレベーターへ向かって歩き始めた瑞希を玲士は「えっ⁉ちょっと待ってください」と慌てて追いかける形になった。いったいどうしたのだろうか。



 玲士と瑞希がエレベーターで降りて行ってしばらく経ったころ、玲士の後ろを通り過ぎた男性店員はレジのカウンター内に戻ってきた。

 「お~い。とりあえずパネルは修理してブースに戻しておいたぞ」

 「あ、ありがとうございます先輩。そういえばさっき女子高生がパネルをじっと見ていましたね」

 「そうそう。あの女子高生何していたんですか?」

 レジで作業していた女性店員二人からもその様子は見えていた。見えていただけに彼女はいったい何を見ていたのか気になっていた。

 「あ~。それがな、俺もよくわかんなかったんだよ。いきなり近寄ってきて『ここに書かれているのって、もしかしてこのブースにある物のことを指しているんですか?』って聞かれたんだよ。一緒にいた男子とブースにある物を買っていたのに何で改めて聞いたんだろうな?」

 男性店員は意味が分からないと言ったように首を傾げた。買った後に買った物のことを聞くなんて順番が逆だ。

 男性店員の言葉に女性店員は「もしかして」と顔を見合わせた。

 「あの二人、もしかしたらブース内容を知らずに買いに来たのかもしれないですね」

 「そうよね。あの慌てようはそうとしか見えないわね」

 なぜか嬉しそうに話す二人の話が理解できずにいた男性店員だったが、ようやく理解した。それでも彼の表情は微妙なままだ。

 「あ~。もしかして二人はそういう意図が無いまま買ったのか。確かにそれだと気まずいし相手に知られたくないな」

 何せ今回のブース内容が「あれ」である。青春真っ盛りな高校生にとっては意図していなくてもそれを買ってしまうのは恥ずかしい。どうやら男子生徒は見ていなかったようで、そのまま女子生徒を追いかけて行ったから女子生徒の内心はともかく気まずいことにはならないだろう。

 女子生徒の気苦労に内心でエールを送っていた男性店員を女性店員はジト目で見ていた。じ~っと二人から見られていることに気づいていない男性店員。

 「先輩はもう少し女心を理解した方がいいですよ」

 「えっ?」

 「そうですね。あの様子を見てそう思うのは先輩だけですよ」

 「えっ。ええっ⁉」

 いきなり二人に非難されてしまった男性店員は意味が分からず、狼狽えるしかできなかった。



 非難されている彼が運んでいたスタンドパネルはブース正面にわかりやすく置かれている。目立つパネルには大きく「大切な相手と贈り合おう!花言葉で選ぶプレゼント特集」と書かれていた。



 自宅に戻ってきた玲士は荷物を降ろした後ベッドに腰かけた。今日はとても長いようで短かったようなどちらとも言えないような一日だったと思う。放課後に瑞希と共にした時間は玲士がこれまで経験したことのないような内容ばかりですべてが新鮮だった。

 放課後に友人と一緒に寄り道をすることは数える程度しかないが、誰かと一緒に行動し楽しかったと心から思えたのは今回が初めてだろう。

 (そういえば会長は最後様子がおかしかったな)

 二人で写真立てを買った時の事である。瑞希は何でもないと言っていたがいったいどうしたのだろうか。パネルに何が書かれてあったのか気になるが、瑞希がすぐにその場を離れてしまったので結局見ることはできなかった。おそらく何か瑞希にとって気になることが書かれていたのだろう。

 (まぁ、いっか)

 必要なことなら瑞希から話してくれるだろう。そう考えた玲士はそれ以上考えることを止め、鞄から必要なものを取り出した。一つは学校で購入した写真、もう一つは瑞希が買ってくれたペチュニアの写真立てだ。

 裏板を外し、写真を中に入れた後再び裏板を取り付けた玲士はそれをパソコンモニターの傍に静かに立てておき、台所へと向かった。今日は何を作ろうか。

 台所へ向かう玲士の背後では、ペチュニアの花の上で執事服を着た玲士とドレス姿の瑞希が二人手を取り合っていた。



 時は少し遡り——帰宅した瑞希は着替えもせずそのままベッドに倒れこんだ。枕に顔を埋めたまま瑞希はじっと動かない。

 (なんで私はあんなに焦ったのかしら)

 思い出すのは自分自身の行動についてだ。それはお互いに写真立てを交換し合った後。男性店員が運んでいたパネルに見覚えのある花が写っていたのがきっかけだった。そういえば何の特集だったのかと興味本位で近寄って確認してから鼓動が早くなったのは感じた。

 どうして鼓動が早くなったのか瑞希自身も分からない。分からなかったが胸の奥から何かが湧き上がってくるような感じがして顔が熱くなっていたのは覚えている。

 もちろんお互いパネルに書かれていたことを意識していたわけではない。

 田宮君がこちらに近寄ってきた時、瑞希は何故かこのパネルから離れてほしくて慌ててエレベーターに歩き始めたけど明らかに不自然だし、自分らしくないのは理解している。

 理解していてもそうせずにはいられなかった。彼はあのブースの意味を知らなかったし、純粋に瑞希に合うような写真立てを選んでくれたのだろう。

 それでも瑞希は見てしまった。田宮君から贈られたブーゲンビリアの花言葉、その内容を。

 ブーゲンビリアは花の色で花言葉が変わってくる。今回玲士が選んだブーゲンビリアの花は赤。赤いブーゲンビリアの花言葉は「情熱」、そして「あなたしか見えない」。

 彼にその意図は無いはずだし私だけが変に意識しているだけだ。そう自分に言い聞かせていた瑞希はふとあることを思った。

 (そういえば私が選んだのはなんて花言葉なのかしら)

 瑞希はベッドの上でうつ伏せのまま手を伸ばし、鞄からスマホを取り出す。何か変な花言葉を選んでいないだろうかと少し心配になりながらも操作を続けていき、画面に表示されたペチュニアの花言葉を読んだ瑞希はほっと安堵した。

 ペチュニアの花言葉は特におかしなものではない。逆に違和感がないくらいだ。

 「あ~。変な心配をしてしまったわ」

 そう呟いた瑞希はベッドにスマホを置いたまま起き上がった。このままの姿でずっとはいられない。シワにならないようにと着替えるために脱衣所へ向かっていった。

 ベッドの上に残されたままのスマホは画面が消えておらず明るいままだ。先ほどまで瑞希が調べていた画面のままになっており画面の隅にはペチュニアの写真が少しだけ映っている。

 ペチュニアの花言葉は「心のやすらぎ」、そして「あなたと一緒なら心がやわらぐ」。

 しばらく誰もいないベッドの上で花言葉を表示し続けていたスマホだったが、しばらくすると自動消灯されスマホの画面は真っ暗に切り替わった。

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