第八話
なぜか目の前で突然跪く怖い人。
「アザー様……」
とか言いながら泣き始めた。
猫的半身状態に体を捻っての威嚇状態へ移行しようとしていた場面で、警戒していた相手による不可思議な行動。吾輩非常に驚いております。
縋るような目つきでアザー様と呼ばれたわけなのだが、俺の名前はアンバーであってアザーではない。それ他人です。アザーだけにってね。
あと手が小刻みに揺れている。もしかすればこちらに触れようとでもしているのだろうか。まだ警戒を解くわけにはいかない。何せお触りは禁止ですので。
冗談はさておき、バカなことを考えていたので少々心に余裕が生まれてきた。
俺が間違えられるとすれば、普通に考えて先代様ということになる。
そういえば今まで「先代様」としか耳にしてこなかったので、お名前を存じ上げなかった。なるほど。アザー様とおっしゃるのか。もしかしたら尊い存在なので名前を呼んではいかない方なのかと勝手に想像していたが、別にそういうわけではないようだ。
それにしても目の前の光景、彼の態度から想像するにこの怖い人は先代様ラヴ勢だったというところであろうか。料理人であれば接点はありそうなので不思議ではない。
ともかくとして、どうすれば、どうしてあげればよいのかわからずオロオロとしていると俺の耳が近づいてくる足音を感じ取る。
「アンバー様。お呼びになられましたか?」
振り向けばアミーちゃん。さすが! 来て欲しい時に来てくれる。
まさか先ほどの心の叫びを感じ取ったわけではないだろうが、なんともナイスなタイミングである。
アミーは俺と怖い人の一瞥した後、呆れたように一つ息を吐き、いつものように適切な対処を行っていく。
「ラーナツさん立ち上がって下さい。アンバー様が困っておいでです。それにまだ仕事の途中なのでは?」
「アンバー様……?」
怖い男ことラーナツは、アミーに声をかけられてすぐは朧げな様子だったが次第に意識がはっきりとし始めたのか立ち上がり、俺とアミーへと交互に視線を揺れ動かした。
「アザー様?」
「ですからアンバー様です。アザー様ではありませんよ」
「アンバー様」
「はいそうです。わかったら仕事に戻って下さい」
「あ、ああ。わかった」
納得したのかしてないのか。まだ若干動きが怪しく見えるがラーナツは大人しく厨房の方へと帰って行く。
そうして彼が去った後の廊下で、俺はホッと息を吐く。まだ部屋を出て少しなのに精神的にドッと疲れてしまった。やはり身の回りの変化というのは猫ボディには負担が大きい。これでは気晴らしのための散策が逆効果である。
「さて。アンバー様。次はどちらへ行かれますか?」
その言葉を受け、アミーの顔を見上げる。
「先ほど許可を頂いて参りましたので、本日はこのまま同行させていただきます」
にゃんと。
それは非常に助かる。この優秀なメイドさんはこちらの意図を汲むのが上手い。言うなれば通訳のようなことをやってもらえる。
助かりますと伝えるため「ミャ!」と一鳴きし、厨房を離れることにする。美味しそうな匂いを確認することができず残念ではあるが、ここからはアミーと一緒に移動することになった。これはいうなればデート! デートと言っても過言ではないはず。
ルンルンと軽い足取りで前を歩く。自然と尻尾が凛々しくピンと上へと延びる。時折後ろを振り向きアミーが付いてきているか確認。これもジェントルメンとしては当然の行為だ。たぶん。
「先ほどの料理人の態度が気になりますか?」
そんな俺の態度に珍しくアミーが俺の心を読み間違えた。しきりに振り返る姿が彼女にはそう見えたらしい。
「あの者。ラーナツでございますが、過去、先代様に命を救われたということで、非常に敬愛しておりました。ですので先代様のお姿にそっくりなアンバー様を見て心を乱したようでございます」
説明されればなんとなく理解できる。
あれだよね。街中で昔飼ってた動物を見かけると違うとわかっててもハッとなって見ちゃうみたいな。勝手に身体が反応するやつ。
さすがに彼のあれはちょっと普通ではない気もするけど、そういう人だと思えば受け入れることもできるか。多少警戒は続けるべきだろうけど、ちょっとだけ優しくしてあげてもいいかもしれない。彼と先代様の思い出を俺が汚すわけにもいかないしさ。




