第四話
お屋敷生活初日の夕刻。
陽が陰り始めたためやや薄暗くなってきたこの部屋に近づく足音を耳が捉えた。
まだここの人間の歩調を把握しきれてはいない。よってどういった相手かの判断が付かず、警戒のため少しばかり四肢へ力を蓄える。
訪れた者は扉の前で一度足を止めた。そしてコンコンと優しいノックと共に「失礼いたします」とこちらに声をかける。
その声に俺は警戒を緩めることにした。何故なら少し前まで一緒にいたアミーの声だったからである。
アミーによって運ばれてきた食事は、今まで野良として過ごしてきた俺にとっては豪華なものであった。
陶器の皿に盛られたのは鳥の蒸し焼き。その白い身は食べやすい大きさに解されており、気遣いが感じられる。しかしそれによってどこの部位なのかがわからない。綺麗に割けているところを見ると、むね肉やササミあたりだろうか。
台を用意され、目の前に皿が置かれた状態で「どうぞお召し上がりください」と言われれば「ミャ!」と一鳴きし、いただきますと顔を近づける。
味の感想は濃厚といったところ。ソースもない蒸された鳥肉にそんな感想が出るとは……。人間としての生活がメインであった頃ならばこんなことを思うことはなかったであろう。
こちらでの猫生活で何度か鳥肉を食したことはある。けれどそのどれもに若干の味気なさを感じていた。それらと比較してこれは別格。言うなれば食べ放題の肉と、高級店の肉くらい違う。
ハグハグと美味しく頂いたあと、しゃがんだままの状態でずっとこちらの様子を窺っていたアミーへご馳走様と伝えるため「ミャ!」と伝えると表情は若干綻んだ。
なんだか良いものを見た気がする。
日が暮れ館内の足音が少なくなった頃、昼間会った双子たちのことを思い出す。
実は二人からの語り掛けにより、こちらでの名前が無かったことに気付かされたのだ。人間としての名前はあるので、そのことを意識していなかった。
人との関りは僅かながらもあった。しかし名前を付けられるほどの関係性を構築することは少なかった。一番接する時間が多かったと思われる人間。たまに食べ物をくれていた初老の女性はこちらに名前を付けていなかったし。
『吾輩は猫である。名前はまだ無い』
日本で義務教育を終えた者であれば、誰もが一度は耳にしたであろうこの有名な小説の冒頭。まさかその言葉を適切に用いる機会が自分に訪れるなどと誰が思うだろうか。
くだらない。
あまりにも現実離れした状態に久しぶりに呆れが混じった笑いが出てくる。
腹も満たされている。温かい寝床も用意された。
そしてここは安全な場所のようだ。
寝てしまおう。
そうして初日は終わりを迎えた。
二日目の昼過ぎ。
今日も双子とその母親、この屋敷の奥様との対面。
昨日と違い妹のルーの表情は晴れやかだった。
「私が勝ったの!」
嬉しそうに語る彼女は、猫である俺に語り掛けてくる。
よかったな。
素っ気ないかもしれないが「ミャ」とだけ返しておいた。
毛づくろいで忙しいのに返事をするだけでも十分のはず。先程行われた彼女たちの挨拶のせいで、毛並みが乱れてしまっているのだから。
視界の端に映る兄のスーは、昨日のルーとは違い泣いたりはしていない。双子といえど、違うということか。
「でね。『アンバー』ってなまえにしたんだよ!」
ルーから唐突に告げられたここでの名前『アンバー』は、子供が決めたわりには真っ当なものだった。むしろオシャレな感じさえある。
おそらく瞳の色をそのまま付けたのだろうが悪くない。黒猫に「クロ」や、白猫に「シロ」と名付けようとする俺に比べればずいぶんとハイセンスだ。
双子たちとの対面を終えると、アミーによって自室へと送られる。するとベッドの上に部屋を出る前とは違う小さ目な布団が増えていることに気付いた。猫は環境の変化に敏感なのである。俺は人間でもあるけど。
それはさておき、これは使えってことでいいのだろうか。確認のためアミーへ視線を送る。
「そちらアンバー様のために用意させていただきました」
まるで打ち出の小づちのように、求めれば出るアミーの言葉。さすが立派な屋敷で働くメイドさんである。
そういうことならば乗りましょう。俺は意外と布団にうるさいですよ?
評論家気取りで体をあずけた小さな布団は優しい感触。しっかりと干したのだろう、陽だまりの匂いがする。うん。合格。
ほんのりとした温もりのせいか欠伸がでる。何だか眠い。
体をクルリと丸め、腹の辺りに顔をうずめる。
「おやすみなさいませ。アンバー様」
アミーの優しい声が少し遠くに聞こえる。
アンバー。ここでの俺の名前。
可愛い女の子に見守られながら名前を呼ばれる。
悪くない。
我が名はアンバー。
今日からここの一員だ。




