第八話 初体験のワイプ②
用心玉の並木通りを抜けると景色はさらに一変した。爽やかな氷色のブロックが敷き詰められたフロアーがずっと奥まで続いている。
動く階段と飛び跳ねるランプはここでも大忙しだった。
階段は高台にあるホーンルームの入口を追ったり放れたりしていて、ランプは階段が移動するごとに影が生まれる暗がりを照らしたり、ホーンルームに付着して明滅したりしていた。
階段とランプはとにかく休む暇なく動いていて、そんなにせせこましく働かなくても誰も叱らないのに。と、ミラノは羨ましさ半分以上に思ったりした。
今日は時期的なこともあるのか、瞬間移動利用者は少ない。もっと行列が出来ていたり、トロッガンの渋滞があったりするんだろうなぁと予測していたミラノには少々退屈な光景だった。
やっぱりワイプは割高だし、特別なことがないと使わないよね普通は。利用しちゃうアタシってちょっとカッコイイかも。
氷色の煉瓦に尖った屋根のホーンルームは、道を挟んで両側に隙間なく建っている。
高台に建てられたホーンルーム(高所のホーンルームはスペシャルルームなんだって。値段が倍以上するとか。せっかくだからそっちが良かったな)も合わせると50ルームは下らない数がある。
ホーンルーム自体には扉が設置されておらず、一辺の壁をそっくりそのまま外した造りとなっている。光の滝のような支柱が中で揺れているのがとても幻想的だ。
「あの光の輪に入って瞬間移動するのだ」
バウランが顎をしゃくった。
ミラノが後部席から身を乗り出してよくよく見ようとしたその時、丁度、目にしたホーンルームの壁に飛び跳ねるランプが付着し、点滅を始めた。
と思った次の瞬間、光る支柱が波打ち、一台の赤いトロッガンが滝の波と同化するように揺れながら現れた。
トロッガンはそのまま前進し、係員とのやり取りの末、出口へと向かった。
どこか別の瞬間移動場から飛んで来たのだ。ミラノはその瞬間を見たのは当然初めてのことで、心臓が高鳴った。
「すっげぇ。アタシたちもああなるんだよね」
「そのとおり。心の準備は良いかね?」
「いつでもかかってこい。瞬間移動なんてどんな感じかなんて想像もつかないけどさ」
痛い? とミラノは最後に付け加えた。だって痛いのは嫌だし。誰だって極力は味わいたくないでしょ。まぁ痛かっとしてもここまで来たんだから逃げようなんて思っちゃいないけど。
「痛くはない。ちょっとくすぐったいだけだ」
「くすぐったい? 何かそれもどうかなぁ」
到着するまでずっと笑ってなきゃならないのも疲れる。
「大丈夫。1000キメルくらいの瞬間移動時間はあっという間だ」
どれくらい? と訊こうと思ったら、一足先に外からドアをノックされた。
門衛と色違いの制服を着た係員だ。門衛は藍色と黒だったが、ホーンホールの係員は水色と白である。
バウランが窓を全開にする。どうしておっさんの席だけ窓が自由自在なのだ? とミラノは思う。それってとてもズルイ。
「チケットを拝見します」
係員が白いグローブを嵌めた手を出して来た。
バウランがその手に最後のチケットを置くと、係員は特に調べる様子もなく、国のシンボルマークの極印を押してバウランに戻した。
シンボルマークは霹靂神の手形がモチーフとされていると言う人もいれば、三舌蛇がモデルとなったと言う人もいる。どちらが本当なのかは分からない。
「そちらの方は、気分でも悪いんですか?」
係員がブレイクを指す。
「あぁいやいや。ちょっと風邪気味のようで」
「そうですか。瞬間移動が苦手と言うことではないんですね?」
「大の得意なヤツです。気になさらんでください」
バウランはにんまりとした。
バウランの行き過ぎた笑顔を係員はどのように受け取っただろうか。
まさか影狩中ですなんてアタシだって言えっこない。面倒なことになったらワイプを禁止される可能性だって無きにしも非ずだ。
係員はブレイクのトンガリ帽子から足下までじっくりと見た。
「魔法使いか何かされている方ですか?」
「えぇまぁ」
小刻みに頷く。にんまりは維持したままだ。「魔法使いです」
「そうですか」
「えぇそうです。国館在籍中の魔法使いですよ」
国館の二文字に、係員が目に見えて反応した。
首を伸ばしてブレイクを再度観察する。
やはりブレイクは魔法使いに見えないらしい。
「ま、今回は良いでしょう。身分証を提示してもらいたいところですが、気分が悪いなら無理にとは言いません――そこの27ルームに入ってください」
「はいどうも」
バウランはにんまりの仮面で了解する。
トロッガンを27ルームへ入れようと前を向いて操縦するバウランの肩は、ホッと安堵した動きをしていた。
進む先の27ルームは勿論階下のスタンダードだった。
しかしそんなことよりも、とうとう、念願の瞬間移動初体験だ。
今日アタシは大人になりますお母さん。
ミラノは胸に手を当てて、光のベールへと吸い込まれる瞬間の情景から目を離さない覚悟をしていた。
絶対に瞬きはしないんだからッ。
と、その時だった。
静かに瞑想をしていたブレイク・コーリーが、突然、黒い布を顔から剥がし、悪夢から覚めたようにガバッと上体を直立させた。
呼吸が荒い。ハァハァと肩で息をしている。
バウランはハンドルをグッと引く。ガクンと大きくバウンドしてトロッガンは止まった。
「どうしたブレイク!」
「も、申し訳ございません……」
「ちょっとぉ邪魔しないでよブレイクッ。初めての瞬間移動が台無しじゃんかよッ。もしかして影法師、失敗したの?」
ミラノはシートに背を預けた。腕を組む。
ったく。ブレイク様様は取り消すよ。
「あ、いや……本当に申し訳ありません。取り乱しました。ただ、クラウン様の影法師は順調に引き寄せています。大丈夫です」
ハァァァァと長い息を吐いたブレイクは、薄い胸を摩る。
係員が窓を強めに叩いてきた。視線の先は目覚めたブレイクだ。
「どうしました?」
「いやいや。悪夢を見たとかで。気になさらず」
バウランがにんまりとなだめる。「ちょっと待ってもらって良いですかね?」
一瞬、係員の目が不快に動いた。
「今日は混雑してませんから。少しなら」
「恩に着ます」
とバウランは笑顔で言って、窓を静かに閉める。
そしてブレイクに向き直って声のトーンを落とした。
「ではどうした? えらく苦しそうじゃないか」
「はい。申し訳ありませんバウランさん。ただ、ワタクシの思い違いって言いますか、見間違いかもしれませんので」
「何だよそれ。意味不明。分かるように言ってよね。何も隠さないで失敗なら失敗って言えば良いじゃんかッ」
「慎め小娘ッ」
バウランがミラノに吼える。
「ワタクシが悪いのですバウランさん。ミラノさんが怒るのも当然ですから。申し訳ありませんミラノさん」
ブレイクはフゥゥゥゥと再び息をつくと、シワシワの黒い布を手の中で丸め、背をシートに戻した。
「まぁなんでしょうね、クラウン様は予想よりも遠くにいらしたものですから、でも、なんでしょうね、この禍々しさは……初めてのことでして」
「何か悪い予感がするのかい?」
係員を気にしながらバウランは訊く。
「ええ。まぁ……しかしワタクシの思い違いかもしれませんし、依頼をキャンセルするほどのことでもないかもしれませんし、先方様はバウランさんとミラノさんのことを信頼して依頼されたのでしょうし、今ここでお断りするのはいかがなものかと……」
「で? どうすりゃ良いのさッ。えぇ? えぇ? 戻るっての?」
ミラノはじりじりする気持ちを前面に出した。ここまで来て初体験が保留になったら、ブレイク、アンタを一生恨む。口もきかない。太腿も見せない。
そんなミラノの気持ちを察してか、ブレイクはゴシゴシと垢が出るくらい目を擦って、黒い布を広げて顔に掛けた。
「ここまで来たのですから戻るなんてことあってはなりません。行きましょう。今言ったことはどうか忘れてください。急ぎましょう。先方様もお待ちですし時間がもったいないです。ワタクシは続きを行いますから」
「本当に大丈夫かね?」
バウランが念押しする。
ミラノは頭をボリボリと掻いた。
ったくぅ、素直に行こうよおっさん!
「いやいやいや、大丈夫だって言ってんだから大丈夫っしょ! でしょ、ブレイク?」
「ええ。ええ。ええ。大丈夫ですとも。さぁ行きましょう!」
布を掛けたまま強く頷く。
その首の動きがわざとらしいんだってッ、とミラノは思ったが、何も言わないでおいた。ふりだしに戻るのは勘弁。
バウランはまだ何かを警戒しているようにブレイクを見ていたが、しばらくして「よし。ブレイクを信じて行くとするか」と意気込んでトロッガンを再始動させた。
ずっと監視していた係員にバウランが愛想笑いをしている間、ブレイクは重いため息を何度も吐いていたのをミラノは気づいていた。
気づいていたけれど、今のミラノには目の前の初体験の方が何倍も重要だった。
早くワイプの感覚をこの肌で感じたい! くすぐったいのを体感したい! 一瞬のことなのか、それともジワジワと時間がかかるのか、どうなのか! 早く、早く、早くぅ!




