第十七話 四光日目 「無償宿」
夢見も目覚めも最悪で、無償部屋を設けている宿はもうウンザリだとクラウン・サイバードは心底思った。
石のように硬いベッドの冷たい持て成しのお陰で身体中が痛い。
ベッドから降りるまでに五回も背伸びをして凝りを解し、降りた後も膝を曲げたり伸ばしたりを繰り返し、最後には大きく腕を回してから首を回し、それからやっと脚の長さが合っていないガクガクするテーブルに歩み寄り、昨夜残しておいたミントティーを飲んだ。
罅の入った鏡に自分を映すと、灰赤色の髪に寝癖があった。ベッドに入ってから中々寝付けなくて額に手を当てたり髪を弄っていたりしていたからだ。
クラウンは手で髪を撫でつけた。寝癖は素直に寝てくれなかったが、大分マシになった。
それから外していたクロスボウとアーサーを腰に装着し、ブーツを引っ掛けた。
一通りの準備を終えたクラウンは、壁に掛けてある古めかしい光時計を見た。
赤い光と青い光が影のように伸びながら時を刻んでいる。時刻は、七光時……十五光分。
母星では“光分”にあたる計測習慣がない分、そこだけはどうしてもまだ慣れない。どっちの色が光時でどっちの色が光分なのか迷ってしまう。
0光時から一日が始まり、三十光時で一日が終わることに関しては完璧であったが。
逆算すると、ベッドに入ったのが二光時で、それから一光時間は寝付けなかっただろうから、四光時間ほどしか睡眠を取っていないということになる。もう少し眠りたいとも思ったが、何せそろそろ朝食の時刻だ。うかうか眠っていたら食事を逃してしまう恐れがある。それだけは避けなくてはならない。昨晩は夜食すら出なかったのだから。
宿を訪れたのは昨夜遅くだった。立て付けの悪い扉を開けて足を踏み入れたその瞬間から宿の方針に不満を抱いていた。
灯りは火瓶が部屋の四角に一つあるだけだったし、大きな殻を着た緑色の昆虫が土壁のいたるところを這っていたし、隙間風が容赦なく入り込んでいたし、何よりも宿主のおばさんの態度が悪過ぎて滅入ってしまいそうだった。
こちらは異国から来て慣れない長旅で疲れているというのに、「どうしてタダ部屋なのさ、ケチだねぇ」と口には出していないものの、ブスッとした表情がまんまとその胸の内を物語っていた。
その顔を見た瞬間、大嫌いな教授と重なってクラウンは宿を出ていこうとしたが、金欠病で思い止まった。有料制の宿に泊まる金がない。
オトンの書斎から持って来た金は片手ひと握り程度のものだったのだ。その金も、二光日間の夜で底をつきそうになってしまっていた。
金は簡単に手に入るとオトンの手帳で知ったから安易に考えていたのが失敗だった。
100キメルは間違いなく歩いているが、今のところ金など手に入る気配すらないし、術も知らない。今後の金稼ぎも当然だが、食料なんかも節約しなければならなかった。そんな中、安々と有料制の宿になど泊まれるわけがない。
神の国に来て三光日が過ぎたが、今回が無償宿初体験だった。
金のことを第一に考えたら野宿でも構わなかったが、夜中に活動する玻璃蜻蛉が怖くて断念せざるを得なかった。
玻璃蜻蛉とは、玻璃素材で出来た虫で、人間のホクロを餌とする奇妙な生き物である。ホクロを食べられると、皮膚に穴が開いたまま治らないと聞いた。
全身のホクロを寝ている間に食べられて穴だらけになったらと思うと恐ろしくて野宿なんか出来なそうにない。
それらを統計すると、無償部屋のお客を粗相に扱う宿主なんか可愛いものかとも思ったが、客室に通されて、改めて無料は最低なのだと心得たのだった。
至る所に蜘蛛の巣はあるし、埃はたかってるし、灯りは火瓶一つだけで薄暗いし、窓はひび割れていて、『割れる。開けるな!!』と殴り書きされた紙が貼られていた。
お客様に対して命令口調は如何なものだろう。クラウンは正しい言葉で書き直してあげようかとも思ったが、そんなことしたら『罰金』でも請求されるかもしれない。ここは触らぬ神に祟りなしだ。
相棒のライト・アリドンは、クラウンよりも贅沢な生活をしているにもかかわらず、湿っぽくて煉瓦のように硬いベッドと、藁を編んだだけのゴワゴワのシーツと、卵の殻を砕いて詰めたような、ガリガリ音がするクッションを絶賛した。
「だって、無料なのにベッド付きなんだもの。それすらないと思っていたからさ」
「それでも酷すぎる。悪夢はこのベッドのせいだ」
何者かに頭を破壊される夢でうなされたクラウンは、後頭部を摩ってから眠い目をこすった。
「クッションは避ければ良かった。夢見騒がしくて最悪だ」
突然、ドアがノックされずにガチャリと開けられた。トレイを両手にズカズカと宿主が部屋に入って来る。
「朝飯だよ。おかわりはないからね。したいんなら果物が300ガッド、麦菓子が200ガッド、飲み物が100ガッドだよ。ちなみに肉は500ガッドだ」
おばさんは二人の寝ぼけた顔を見るなりブツブツ言って部屋を出て行った。どうせおかわりはしないんだろうとでも思ったのだろう。
朝食はとても質素なメニューだった。
アプゴと言う甘酸っぱい果物が三切れと、麦菓子(クラウンの住む国で言うと菓子パンのようなもの)の拳サイズが一つと、カーチャと言う砂糖ミルクのような甘い飲み物である。
「ベッドは取り上げられても良かったから朝食をもっと豪勢にして欲しい。せめて肉が食いたかった」
クラウンは麦菓子をかじった。硬かった。
「クラウンは我が儘だよ。無料なのに朝食まで出してくれるんだから我慢しないと」
ライトが果物を頬張る。
「それはそうだけど。でもなぁもっとお金持ってくりゃ良かった」
「でもそれって、君のお父様が神の国から持ち帰ったお金なんでしょ? 一度に消えてなくなったらお母様が怪しむ。少額で正解だったよ」
「そうなんだけどさ。こんなに金が必要と思わなかった。寝床なんてどうにでもなると思ってたし。神の国でも金が物を動かしてるなんてガッカリだな」
クラウンはカーチャを飲んだ。もの凄く甘い。
「ごめんねクラウン」
ライトが麦菓子をトレイに置いた。
「やっぱり僕は付いて来るべきじゃなかったよね。クラウン一人だったらそんなにお金もかからなかっただろうし。二人分も君が出してるんだ。申し訳ない」
「よせやライト。顔上げてくれよ」
クラウンは相棒の肩を触れた。
「誤解しないでくれ。オイラがライトを旅に誘ったんだ。消えた家族を一緒に探そうって、無理に誘ったんだ。逆に申し訳なくてさ。こんな飯しか食べさせてあげれなくて」
「クラウン……」
「水臭いんだよライトは。オイラたち親友なのにさ」
クラウンは鼻の下を指でこすった。
「目指すものは一緒だろ? オイラはオトンを探しにこの国に来た。そしてライトはカカァを探すためにこの国に来た。金がどうのこうのってことじゃない――オイラこそごめん。ちょっとイライラしてた」
やっぱり乏しい扱いをされたり、差別されるとどうしてか心が苦しくなってしまう。これは宿のおばさんに限ったことじゃない。この異国に来て優しい人もいたけれど、大概は冷酷な人ばかりだった。よそ者に構ってる暇などないのかもしれないけれど、そんな人にぶつかると、無性に気が滅入ってしまう。特に相手が大人であるとなおさらだ。
「分かるよクラウン。僕も同じさ。気持ちに余裕がないと気分が乗らないから」
ライトはパープルの瞳を細めた。
「さ、食べてここを出よう。今日こそ君のお父様が見つかるかもしれない。そして僕の母もね」
親友の微笑みは、クラウンにとって癒しだった。親友が笑うと楽しくなるし、豊かになる。
ただ、彼の祖父のアリドン教授は大嫌いだ。ライトを自分の理想像に仕上げようとする魂胆が見え見えで気味が悪い。
ライトの好きなことはクラウンと同じ洞窟探しだけれど、これまで賛同してくれたことがないだけじゃなく、クラウンとは一生話をするなと激怒すらした。
趣味は勉強と読書で塗り固め、べらぼうにつまらない経済学や養育学を強制的に専攻させて将来は自分と同じ教授にさせようとしている。
高院は主席で卒院するのは当たり前だし、最級院だってトップで入院だ。ライトの成績がこのまま持続されれば主席卒院は叶うだろう。けれど万が一、二番の成績だったら教授はどうなってしまうのだろうか。体調を崩すあまり、あのまん丸の身体が夢だったように痩せコケてしまうだろうか。それはそれで見ものかもしれないけれど。
それにしても、とクラウンは思う。
教授があんなにチビでデブなのに、ライトは長身で細い。さらに教授は面白い妖怪みたいな造作をしているけれど、ライトは女子が見とれてしまう程の美形の持ち主だ。
柔らかそうな艶やかなブラウンの頭髪と、透き通ったパープルの色を覗かせる、何事も許してしまいそうな穏やかな目元が印象的で、異性問わず吸い込まれてしまいそうになる。
肌の色は、白過ぎもせず程よい透明感をしていて、面長ですっとした輪郭に、繊細な画家が描いたような優しいタッチの鼻と唇をしている。
綺麗な言葉だけが出てきそうなその唇で「おはよう」と声をかけられただけで女子は惚れてしまうだろう。
それだけじゃなく、クラウンのニタッと笑った時に見える尖った八重歯などない綺麗な歯並びのライトを、とても羨ましく思う。
「ともかく教授に似なくて良かったな、ライト」
クラウンは思わず口に出してしまった。
カーチャを吹き出しそうにするライトは、「突然何をッ――ゲホッ。ゲホッ」
「あ、悪い。でも本当のことだし」
「祖父は、まぁ、昔、悪さをして豚にさせられてるからね」
「本当かい!? 罪人だったってこと?」
信じられない。そんな話し、初めて聞いた。
「まさかそれ以来、あの醜怪なの?」
と言ってからクラウンはしまったと思った。まるで妖怪扱いだ。いや、妖怪っぽいんだけど。
「悪い。言い過ぎた」
「ハハハハ。悪いなんて思ってないだろ」
ライトは声高に笑った。
「今のは冗談だよ」
「冗談?」
「ああ。悪さしたのも豚にさせられたのも冗談」
「何だ、冗談か」
クラウンは幾ばくか安堵し、麦菓子の最後のひと切れを口に入れた。けれど本当だったら面白かったのに。
ライトは微笑みながら言う。
「実は、祖父と僕は血が繋がってないんだ。これは事実だよ」
「どうして?」
当然、この話も初耳だ。
「いつかはクラウンに話そうと思ってたんだけど――母は、父とは再婚なんだ。母は妊娠中に離婚して、僕が一歳のころ今の父さんと結婚したんだ。実父は探検家だったから、僕にその血筋が流れているのだと分かって、祖父はそれが気に入らないんだろうね」
「だからってライトの好きなことを取り上げる権利はないよ」
探検家なんてカッコイイじゃないか。そう簡単になれるものじゃない。強い精神力と探究心が必要とされる。
「祖父は自分が教授であることで随分と特恵を得てきた人物なのは違いない。鶴の一声で好きなように人を動かせるし、それこそ報酬だって文句はない。贅沢な暮らしは生涯保証されているし、他人よりも有意義に生きていられる。それが祖父にとっての幸せなことなんだ」
「ライトもそう思うの?」
クラウンはアプゴを頬張って訊いた。
ライトは静かにかぶりを振る。
「僕はお金や名誉を手に入れたから幸せとは思えない。祖父を見ていてそう思うんだ。他人の前で優越感に浸る祖父の顔は、神の仮面をした悪魔に見える。他人を見下しているように見えてしかたないんだ。周囲の人たちも祖父を本当に慕っているとも思えないし、教授である祖父に嫌われないように上辺だけ良い顔しているだけなのが分かる。けれど、祖父にはそれが分からないみたい。そういう祖父を全否定する訳じゃないけれど、僕は将来、教授なんてお堅い仕事をするつもりはないし、好きなことをすると決めてるよ」
しっかりとした口調でライトが言ったから、クラウンはそれだけで満足だった。
以前からライトは教授にはならないと話していたけれど、そんなことが背面に存在していたとは……。
「好きなことって、やっぱり――」
「そうその通り。世界探検だよ」
少々照れくさそうにライトは言った。
クラウンはいやが上にも喜悦した。
「本当のオトンの職を継ぐんだね? 大正解だ。カッコイイよライト!」
「どうもありがとう」
とライトは言って、遠い目をする。
「この世の中にはまだまだ知らない世界がある。神の国だってその内に一つさ。僕はこの世界に来て確信したんだ。僕と言う人間は、不可思議で奇妙な物が好きなんだって。それを教えてくれたのは紛れもなく君、クラウンさ。洞窟探し、楽しかったよ!」
面と向かって言われると、妙に緊張すし、恥ずかしい。
クラウンは鼻の頭を掻いた。
「別に。オイラだって楽しかった。それに、オイラだって夢は冒険家だ。危険な所へ行くと血が騒ぐんだ」
「ハハハ。正にそうだね。クラウンは普段クールだけど、好きなことにはとことん熱くなるタイプだし、合っていると思うよ」
とその時、再びドアがノックなしで開け放たれた。
宿主のおばさんが太った木のような足で入って来る。
「もう食べた? 洗わなきゃならないから持ってくよ。いいね? それと、そろそろ光時間切れだよ。延長料金は一光時間につき5,000ガッドだからね。いいね?」
まだ食べ終わっていなかったが、一も二もなくトレイは片付けられてしまった。
おばさんの心のない対応に怒りがこみ上げてくるが、これも旅の醍醐味だとクラウンは思った。
結局おばさんは最後の最後まで不機嫌のままだったがしかし、クラウンは親友との楽しい会話で気分が晴れやかになっていた。今はどんなことでも柔軟に対処が出来る。
例えば教授に「このクソガキが!」と怒鳴られても許せる自信があった。
クラウンとライトは、荷物をまとめて宿を後にした。当然、おばさんは見送りなどしてくれなかった。代わりに、猫が外まで付いて来た。ライトがご褒美に母国から持参したクッキーを一枚あげた。
水筒の水を入れ替えたかったが、この宿では水ごときに100ガッドも取られそうだったから、最寄りの“憩いの森”を探すことにした。
憩いの森には涌き水もあるし、蜜花と言って食べられる花も咲いているし、運が良ければ大鳥が卵を落としてくれている。大鳥の卵は濃厚で美味しいらしい。是非食べてみたいものだ。




