第十六話 本当の依頼
しばらくして婦人は落ち着き、ブレイクに支えられながら椅子に腰を掛けた。
「ありがとうブレイクさん——それとバウランさん、本当によろしいのですか?」
ここまでずっと黙っていたバウランが徐に口を開く。
「どんな依頼でもその方の力になれるのであれば、喜んでお引き受けします。何も心配はいりませんよ。本来擬似屋というのは、困った人を助けるための職業でした。それがいつの頃からか、一部の心ない人間が、人を騙すために利用したり、好かない人を陥れるために使ったりしたことが原因で、今では“悪業”と定着してしまったのです」
バウランは遠い過去を思い出すように目を細める。
「ですが、あっしは思うのです。どんなに嫌忌されようとも、擬似屋だからこそ救える苦患があるのだと。たとえ良薬に頼らずしても、魔医師に頼らずしても、我々が救えることがきっとあるのだと、あっしは思っとります」
そしてバウランは改めるように口端を持ち上げた。
婦人もそれに応えるように微笑んだ。
「きっとそれが今なのでしょうね。私はあなた方に出会えて本当に救われました。一人でどうしようか悩んでおりましたから」
窓の外を白い鳥がキーキーと鳴きながら通り過ぎた。
バウランは、ベストの内ポケットから土紙の契約書を取り出してテーブルに広げた。
「ではキリエさん、こちらにサインをしていただけますかな?」
擬似屋と依頼人との間で交渉が成立すると、必ず契約書にサインをもらうことになっていた。
内容は、・代行詳細、・実施期間と日時、・規約承諾、・報酬(延滞料別)、である。
婦人は、丁寧に目を通し、最後の報酬欄でペンを止めた。やはり土紙は文字が読みづらいのかもしれないとミラノは思ったが、そうではなかったらしい。
「バウランさん、ここはこのように変更させてください」
と婦人は言って、予めバウランが書いた数字を二重線で消し、新たに書き込んだ。
「いやしかし……」
「万が一ってこともありますから。ミラノさんはまだ若干十五歳ですし、女の子です。大事な身体に傷でも付いたらと思うと——いいえ。お金じゃ解決できないこともあります。これは私の気持ちです。それに今日は、久し振りにクラウンとお話が出来て嬉しかったわ。ありがとうミラノさん」
婦人はミラノの傍に寄り、握手を求めてきた。
ジャムがついた指を舐めてからミラノは手を出した。自分の手よりも浅黒くて少し大きい。が、男の子にしては小さい手だ。
両手で包み込むようにミラノの右手を握った婦人は、再びスカイブルーの瞳を潤ませた。下まぶたの上で涙が揺れている。
「キリエさん、申し訳ないのですがこれも商売なので――本日はそろそろ終了の時間です。延滞二色時間含めて計三色時間のご利用になります」
バウランが懐中時計を見た。
「分かりました」
そうっとミラノの手を話した婦人は、
「最後に、差し上げたいものがあります。ちょっと待っていてくれますか」
「いいですとも」
快くバウランが言うと、婦人は喜んで二階へ上がって行った。
隙を狙って、ミラノは契約書をバウランの手から奪い取った。どうしても報酬額が気になる。
「コラ小娘!!」
突然のことでバウランは一歩遅れた。
すばしっこいミラノは、バウランから遠く離れたキラキラと光る魚が泳ぐ巨大な水槽の前まで移動していた。
「返すんだ小娘!!」
ピカリと頭を光らせたバウランが近づいて来る間に、ミラノは“100,000マドル”が二重線で消され“3,500,000マドル”と書き直されているのを記憶した。
「イヤッホウー!」
ミラノは飛び上がって喜んだ。「ブレイク、350万マドルだよ! 350万マドル! 凄いよね!」
「え? あ、は、はい!」
ブレイクは踝まであるモスグリーンの羽織を捲り上げ、脛の状態を見ている最中だった。掌をあてがい、喩術を施すつもりのようだったがミラノに話を振られて手を引いた。
これで10万5千マドルはアタシのものだ!
「バカもんが!」
バウランの強烈なゲンコツがミラノの脳天を貫いた。
契約書を取り返したバウランは、四つ折りにして上着の内ポケットに忍ばせた。
「まだ仕事を成し遂げていないタワケが何を言う。捕らぬ狸の皮算用だぞ!」
「いってぇな〜。別に良いじゃんか減るもんじゃないし」
「報酬ってもんは無事に任務を終了したら頂けるんだ」
バカたれが!
バウランが何度目かわからない“バカ”を発した直後、キリエ婦人が二階から戻った。
「良かったらこれを持って行ってください」
と差し出してきたのは、カップの取っ手のような形をした白い石のような物だった。
「これは犬笛です。犬と言っても、ギャーメス専用です。この笛を吹くと、ギャーメスを呼び寄せることが出来るんです。夫が神の国からこっそり持って来た貴重な代物です」
「え? ギャーメスって確か瞬間移動場で見回りしてるあのギャーメス?」
トラブルに巻き込まれた場合、大声で「ギャーメス」と叫ぶと見回りのギャーメスが助けに来るとか説明があったのを覚えている。
ギャーメスって犬だったんだ。てか、神の国まで駆けつけてくれるとは、大したワンコロだ。
「ええそうよ。ギャーメスは空を飛べるだけじゃなくて自由に異空間を移行できるの。これまで我が星から神の国へ渡った人は数人いると言われているけど、この犬笛は、過去の冒険者が魔力を吹き込んで特別に作ったものらしいわ。この他にも霹靂神専用の扇があるそうよ——彼らの力を必要とするってことは、やはり加勢がないと厳しい世界なんだと思う……」
翳りを落とした婦人は、顔色を改めるように笑った。そしてミラノの左耳に犬笛を装着した。
「ピッタリだわ。良かった」と言って、クラウンの赤灰色の髪の毛を撫で、抱きしめた。
「あなたがどうして異世界へ行こうとしたのか、お母さんに相談して欲しかったわ。でも信じている。無事で戻って来てくれることを。そしたら神の国であった色んなこと、話して聞かせてね——そしてミラノさん、あなたが心優しい方で本当に良かった。あなたのような正義感を持った方なら、絶対にクラウンを見つけてくれると信じています。クラウンがあなたを見たら、もしかしたら好きになっちゃうかもね——依頼を受けてくださって感謝しますわミラノさん。本当にありがとう」
そうっと身体を離し、それから婦人はブレイクに歩み寄った。
ブレイクはどうにか脛の治療を終え、しっかりとした足で立ち、婦人に一礼をした。
「ブレイクさんには大きな負担をかけてしまうことになりました……ですが、これほどまでに力強く正確な魔法を私は見たことがありません。ブレイクさん、あなたは実に優秀で誠実な魔法使いなのですね。あなたに会えて本当に良かったわ。ありがとうございます」
「いいえ、恐縮です。ワタクシなんてまだまだの身です。キリエ様のご期待に添えるように頑張らせて頂きます。ワタクシは魔法使いですから、我が身にのしかかった負担は、自らの力で回復できます。ご安心ください」
「ええ。そうでしたわ。そうですとも」
そして二人は懐抱し、離れた。
最後に婦人は、バウランに歩み寄った。
「バウランさん、あなたはきっと私の願いを聞き入れてくださると信じていました。あなたの気立ての良さは、これまでに——夫の次に、惹かれてしまうくらい信頼できます。こんな危険な依頼を了承してくださって本当にありがとうございます。何度お礼を言っても足りないくらいです。どうか息子たちを、宜しくお願い致します」
そして婦人は、手帳と一緒に一通の封筒を差し出す。
「手帳は必ず役に立つと思いますので持って行ってください。それとこの封筒には延滞料金と、神の国のお金が入っています。少しばかりですが、足しになればと思って」
「わざわざありがとうございます。助かります」
バウランは手帳と封筒を受け取った。
「無事に任務を遂行出来たその暁には、この小娘と魔法使いに美味しい料理でも拵えてあげてください。母の手料理が恋しいはずですから」
「ええ。喜んで。お二人の大好物を拵えて待っていますわ」
最後に、二人もまた最後に懐抱し合った。
ミラノは頭をポリポリと掻いた。大好物は沢山あるよ? 良いの? しかも異世界に行ったらさらに増えるかもしれないし。
「さて、そろそろ行くとするか」
「待ってよ」
ミラノは一つ、気がかりなことがあった。
「黒い虹ってどこに出るの? いつ出るのさ?」
するとブレイクも「確かにそうですよね」と同調を示した。
ははは。とバウランが笑う。
「それはその時の楽しみにしておくんだ」
「はぁ? 楽しみって……遊びじゃあるまいし」
何を言ってくれてるんだかおっさんは。
けれどバウランは、まるで幻想的な世界にでも旅行するかのように笑うだけだった。
ま、異世界に行くんだから普通の旅行とも違うけどさ、もっと緊張感を持った方が良いのではないかい?
——その後、影法師を取り除く際も、やはりどうしてか、いつもよりも身体に痛みが走り、頭痛も酷かった。ブレイクもスムーズではなかったと呟いた。
そして三人は、ミラノの部屋と同じくらいの広さのあるエントランスから大扉を開けて芝を通ってトロッガンへと向かった。
ホウキバタキはしばしの休息と言わんばかりにガレージの下で眠りこけていた。今日はへんてこりんな客が来たから疲れたのだろうとミラノは思った。
トロッガンに乗り込む所まで婦人は見送りに来てくれた。
けれど、エンジンがかからない緊急事態が発生して、ブレイクが魔術でどうにかこうにか直そうとすると、婦人がガレージを指した。
「もしよろしければ、使ってください。燃料も満タンのはずですから」
「ヤッター!!」
バウランが返事をするよりも早く、ミラノは飛び上がって歓喜を表した。
「やかましいわい小娘!!——良いんですか?」
ふふふと婦人は笑って、「私は操縦できませんし、ガレージで眠っているだけですから」
「それはそれは恩に着ます」
バウランは手を合わせてつるぴか頭を下げた。
三人はまだ新しい匂いのするトロッガンに乗り込んだ。
乗り心地はオンボロと比べ物にならないくらい見事だった。それ意外にもエンジンは一瞬でかかるし、走り出しはスムーズだし、何よりも窓が全開に出来るこの素晴らしさ! 最高!!
「それでは三十色日後、またお伺いします」
「お気を付けて。どうか宜しくお願い致します」
深々と頭を下げる婦人の前をトロッガンは動き出した。
バウランが窓を閉め、トロッガンを発進させる。
門をくぐりぬけ、長い長い坂道を下ろうとしたその時、ミラノは「ちょっと待って!」と大声を出した。
「何だってんだいきなり」
バウランが急停車し終わらないうちに、ミラノはトロッガンを飛び降りて婦人の下へ駈けて行った。
婦人が目をパチクリさせる。
「何か、忘れ物でも?」
「ううん。影狩で影法師入れてもらうと、その人の気持ちが分かったり、言葉が聞こえてきたりする時が希にあるんだよね。で、クラウンだけど、一言だけ聞こえたんだ——オイラはカカァを幸せにするんだ、ってさ。だから安心して待っててよ。アタシも頑張るからさ! じゃあね!」
急いでトロッガンに戻ると、バウランは報酬の件で無作法な頼み事をしたのかと小突かれたが、ミラノは「別に」とだけ答えて外の風景に目をやった。
何故か笑がこぼれてくる。堪えきれなくてミラノは歯を全開にしてニヤリと笑った。
その様子にバウランとブレイクが同時に肩を竦める。
黄色いトロッガンは爽快な音をたてて、強い日差しを浴びながら長い下り坂を下って行った。




