第十四話 豚教授VSホウキバタキ
肉団子教授一行は思いのほか早々と引き下がった。
ただそれは十色日以内には孫のライトを連れ戻すなんてミラノが大口を叩いたからだ。
教授はその一言をクラウンに言わせたかったに違いないが、ことの外あっさりと言われたものだから、言葉に詰まって荒々しく部屋を後にした。
しかしその際も、教員らしく品格が伴った対応とは程遠くて、言いたいことをぶちまけたにもかかわらず、自分の地位や権力を大いに利用して取り巻きに難癖をつけ、それでも物足りず、屋敷から出るまでの間、サイバード家の床に穴があくかと思うくらい遠慮なしに足裏を叩きつけるように歩いたり、壁を殴ったり、柱を引っぱたいたり、大人気ない仕打ちでめいっぱい気持ちを晴らしてから出て行った。
婦人は啜り泣きながら、教員たちを追って一緒に部屋を出て行ってしまった。息子が退学処分になるかもしれないことに相当ショックを受けたのだろう。
二階の窓から彼らの様子を見ていたミラノは、一行がガレージに停めていたトロッガンに向かっている際、教授がホウキバタキに平手打ちしているのを目撃して、すかさずブレイクに頼み事をした。
「ブレイクって呪術も扱えるの?」
「どうしてですか?」
ベッドに突き刺さった矢を引き抜きながらブレイクが訊く。
ミラノは、ホウキバタキの反撃を食らっている教授たちの慌てぶりを見ながら、「外来種の蜘蛛の恐怖をアイツにも味わって欲しくてさ」
「出来ないこともないですが。っあ~取れたッ」
と、やっとのことで矢を引き抜いたブレイクは、
「ただワタクシにとって呪術は畑違いであります。最級院で少し学習しただけですから」
「でも出来るんでしょ?」
「まぁ。一応は」
矢先に絡まった綿を取りながらブレイクは言う。
「じゃあお願い。アイツの身体に蜘蛛を出してよ。背中とか胸とか、直ぐに追っ払えない所に出して」
ミラノは真剣だった。クラウンの幼い声が室内に響く。
あんな奴、このまま黙って返すなんて癪に障る。教育者であろう人間があんな辛辣なことを言いやがって。自校の生徒を下劣呼ばわりして何が教授だ。結局は我欲しかないクズじゃないか。罰として少し痛い目に遭えば良いんだ。蜘蛛なんて可愛いもんだよ。
ブレイクは当惑していた。頻りにバウランの顔色を窺っている。呪術で人を懲らしめる姑息な手段に激怒されると思っているのだ。
だがそれはミラノも予覚していることだった。呪術だなんて絶対にバウランは許さない。どんな無頼漢であろうとも単純に仕返しを面白がるのでは何の解決にもならない。それこそ後ろぎたない、と。
でもねバウランさん。そんな綺麗事ばっかり並べてたら、本当のクズ野郎を誰が懲らしめるっての? やられたらやり返す。それが世俗で言う因果の小車ってやつなんじゃないの?
そんなことを思っている間にも、教授たちはトロッガンに乗り込んでしまった。ホウキバタキが五枚の大きな花弁で窓を叩く。教授の平手打ちにかなりいきり立っているようだ。
「ねぇブレイク。お願いッ」
ミラノは手を合わせた。
このまま門を出て行かれたら手遅れになってしまう。呪術は離れれば離れるほど、効果が薄い。乱用されないように距離の基準が設けられているのだ。
突如バウランが戸口へと向かった。
どこに行くの? とミラノが問うと、バウランは至って健康そうな背中でこう言った。
「トイレだ。教授と会話をしたら腹が痛み出した」
パタンとドアが閉められるなりミラノはブレイクに駆け寄った。
「お願いブレイク。早く!」
トロッガンは、ホウキバタキに攻撃されて発進出来ないでいた。「今のうちに。早く!」
ブレイクは薄い唇をへの字に曲げて考え込んでいる。バウランが出て行ったドアを何回も見たり、窓の外を見たり、どうしたら良いのか考えあぐねていた。そして、萎びたトンガリ帽を取って頭を掻く。埃が大量に舞った。
「バウランが戻って来ちゃうよ! ブレイク!!」
「は、はい! 了解しました!」
帽子を被り直したブレイクが心もとない胸板を叩いた。
「ワタクシにお任せ下さい。確かにそうです。ミラノさんの言うとおりです。あの教授をこのまま返すわけにはいきません。あの方は、ミラノさんを馬鹿にしてくれました。下衆に扱ってくれました。許せません」
お任せを。と微笑むブレイクにミラノは微笑み返した。
「ありがとうブレイク」
でも、教授が馬鹿にして下衆に扱ったのはアタシじゃなくてクラウンだよ。とは言えなかった。
「見ていてください。ミラノさん」
窓を開け放ったブレイクは目を閉じた。スーッと空気を吸い込み、スーッと吐き出す。その行為を二度繰り返し、瞼を上げる。
深緑のブレイクの双眸は、陽光が射し込んだことによって青に近い緑色を作り出していた。とても綺麗な色だ。
ようやくホウキバタキの反撃から解放された黒のトロッガンが、急発進した。
その光景を、ブレイクは瞬きせずに凝望し、唇を動かす。
「シェッ∽|*~=&%デュハ@$#=☆+&ダムウェイ」
傍にいたミラノの耳にも微かにしか届かないほどの小さな声だった。所々の言葉が聞き取れない。
ボソボソと呪文を唱えるブレイクの唇の動きは、瞬間移動場で見かけた「ランディ・パール」という門衛ととても似ていた。やはりあの時、呪術をかけられたのだ。
とその時、門を通過しようとしたトロッガンが急停車したかと思うとドアが開き、中から教授が転がるように出てきた。
教授はギャーギャーと騒ぎながら、急いで上衣を脱ごうとしている。が、中々脱げないで何度か尻餅をついた。
呪術は大成功だ。
ブレイクを見上げると、彼は親指を立ててニカッと笑った。
取り巻き二人が慌ててトロッガンから出て来た。しかし暴れる教授に近づけないようだ。どうして良いのか分からないと言うよりも、一体全体何がどうしたと困惑しているのだろう。
「貴様ら、何をボーッと見てる! 早く脱がせぇええええ!」
と教授が声を荒げた。ここまではっきりと聞こえる立派なガラガラ声だった。
服を脱がせてもらった教授は、上半身裸でさらに振り立てた。
「ワシが大の虫嫌いって分かっとるだろ!! 服を見てみろ!! 何かいる!!」
取り巻き二人は懸命に上着を確認するも、蜘蛛を見つけられないようで、バサバサと払った。
「うぎゃぁああああああ」
教授が地団駄踏みながら絶叫した。
どうやら上着を払った時に蜘蛛が吹っ飛んで、教授の顔に付着したようだ。
自分の顔面をひたすら平手打ちをする教授は、背後からこっそり近づいたホウキバタキの存在に気づくことなく叩き続けている。
ホウキバタキが大きい花弁で教授の後頭部を引っぱたいた。
その刹那、教授は前のめりに倒れた。大の字になって芝に突っ伏すその姿は、とても陽気で気持ちの晴れ晴れとする光景だった。
「ざまぁ。人を馬鹿にすると自分に返ってくるんだよ」
ミラノは外に向かって言った。
「そのとおり。ミラノさんを馬鹿にすると、ただじゃおきません」
「アイツ、大の虫嫌いだったなんて笑っちゃうよ。虫料理とか食べてそうなツラしてんのに」
「本当ですね。いやいや我ながら上出来です。元気な蜘蛛のはずですよ」
初めは乗り気じゃなかったブレイクも、教授の慌て振りにミラノと一緒に笑った。
「どうした?」
バウランの声がした。
振り向くと、バウランはキリエ婦人を伴って戸口に立っている。「随分と楽しそうじゃないか?」
「あ~いや。その。た、楽しくなんかありませんよバウランさん。ちょっと外の……ホウキバタキの仕事振りを関心していたところです」
苦笑いを浮かべたブレイクは窓を閉め、そして余計なレースまでも閉めた。
「まぁいい。それより、キリエさんが二人にお話があるそうだ」
と、バウランは婦人を差添えするように室内に入って、後ろ手でドアを閉めた。
「あっしは先に伺った――特にミラノ、判断は任せる。真剣にキリエさんの話を聞くんだ。そして真剣に考えて結果を出すんだ。良いな?」
「何? 改まって何の話だよ?」
ミラノは肩を上下させた。
婦人は、萎縮するように背を丸めている。顔を上げてミラノ――クラウンと目が合うと、優しさの中に悲壮感を含んだ表情を滲ませた。
「今日は私の不注意でこんなことになってしまってごめんなさい」
小さく頭を下げた婦人は、か細い声で話を続けた。
「ミラノさん、ブレイクさん……私は、嘘をついていました。実は、皆さんに依頼をしました本当の理由は別にあるんです。教員たちとのやり取りをお願いしたくて依頼したんじゃないんです。騙すつもりはなかったの……ごめんなさい。本当にごめんなさい」
「さっぱり分からない」
ミラノはバウランを見た。「どういうこと?」
けれどバウランは、「とにかく最後まで聞くんだ」と、眼力で訴えてきた。
ブレイクも困惑の色を隠せずにいた。手袋の解れた毛糸を毟っては床に落としている。
しばらくの間があり、窓の外から教授の怒号が聞こえた。
「貴様らは首だ!!」




