第十三話 “馬鹿げた世界”
「そんな格好してどこに行こうとしていたんだね? またあの“馬鹿げた世界”か? えぇ?」
教授がミラノに詰め寄り、邪悪な目で笑う。
「違うんですアリドン教授。息子はそんな野蛮な世界に行くような子じゃありません。きっと何か理由があるのですわ」
婦人がすがるように言うが、教授は聞く耳持たずだ。代わりに、二人の教員が軽視したように肩を竦める。
ミラノは何も言わなかった。豚教授にも側近にも強い不快を抱いたが、今はクラウンである。ミラノ・アウディラではない。状況を飲み込むまでは黙って耐えるのみ。
教授が更に近づいた。と、年のせいで視界が定まらなくて見えなかったのか、ここでようやくバウランとブレイクに気づいた。大仰にのけぞって二重あごを揺らす。
「な、何だね君たちは。いつからここにいたッ」
「きょ、教授。その二人は初めからいたじゃないですか」
と、連れの教員が囁くように言うが、ミラノにも筒抜けだった。
ウェッヘン。と汚らしい咳払いを一つした教授は、「そんなことは知っとる!」と唾を飛ばしながら怒鳴った。
「ワシが言いたいのは、君らもあの“馬鹿げた世界”から来たのかと言うことだ。うん? どうだ?」
しばしの間があり、バウランが口を開いて弥縫策を連ねた。
「紹介が遅れました。手前はクラウンの伯父のバウラン・ジェングスと申します。こっちは倅のブレイクです」
「伯父だと?」
訝しげに教授が見上げる。バウランよりも背の低い教授は、愉快なことにミラノよりも小さい。
「ええ。左様です。今日はクラウンが日頃お世話になっている先生方がお見えになると聞いたものですから、伯父である手前も一度ご挨拶をと思いましてね。ハーバス市からさっき到着したのです。まさか先生方がこんなに早く来られると思いもしなかったので。約束の時間は十色時と聞いてましたが?」
再びウェッヘンと教授が咳払いをする。
「約束の時間より0.五色時早く来るのが常識だ」
「それは失礼致しました」
バウランが頭を下げる。
「まったく。伯父も伯父だったら甥も甥だな。馬鹿は遺伝か。可哀想にな!」
「教授、そ言ういう――」
もう我慢ならなくなってミラノが口を挟んだが、すかさずバウランが掌を突き出して制した。教授に分からないようウィンクをする。
「アリドン教授、一つ聞いてもよろしいですかな?」
「何だね」
室内を物色しだした教授がぶっきらぼうに返事する。
「先程から気になっていたのですが、“馬鹿げた世界”とは一体何のことで?」
そう。ミラノもそれが気になっていた。教授が発言した“馬鹿げた世界から来たのか”と非難するその言葉の意味が理解出来なかった。婦人も“野蛮な世界に行くような子じゃありません”なんて必死だったし、連呼される“馬鹿げた世界”が知りたいところだ。
どうやらクラウンと言う少年は、その“馬鹿げた世界”が引き金となって、教員(特にアリドン教授)の反感を買っていると見える。だからより一層、“馬鹿げた世界”が気になって仕方ない。
ブレイクを下から上まで無遠慮に見ていたアリドン教授は、バウランに向き直った。
「それは伯父である君が一番よく知ってるんじゃないか? はん? ワシの孫まで悪影響を与えよって! 孫を返せ疫病神が! このクソォオオオオ!!」
飛びかかるようにバウランの胸倉を掴んだ教授だったが、背が低いもので、思い通りに力が入らなかったようだ。子供が親に駄々をこねているようにしか見えない。あの玩具買ってー! ね~買ってよー! と。
バウランは冷静に教授の腕を引き剥がした。
「落ち着いてください。お孫さんがどうかなさったんですか?」
「何と白々しい! おたくの甥が、ワシの孫に、エデッ……エデッ……」
「エデ?」
バウランが小首を捻る。
ミラノは笑いそうになるのを堪えていた。この豚教授、興奮し過ぎて言葉が出てこないじゃないの? ぷぷぷっバカだね。
「エディータです」
と、側近が囁く。
「分かっとる! エディータなんて聞いたこともない国とやらに行って一緒に夢を叶えようと誘ったそうじゃないか。何だ、その世界では自分の神を探す旅が出来るとかで、自分の神を見つけることができたら、神から慈愛を受けることが出来て、願いが一つ叶うとかなんとかって――くだらん話で孫を騙したのだ。そうだろ、クラウン!」
ミラノに太った指を突き出し、なお続ける。
「貴様のおかげで、孫は家を出て行ったっきりだ。十二色日間音沙汰なしだ! なのに貴様は家に居る。なぜだ? どうして貴様だけ帰って来たんだ! 孫は、ライトはどうした! 馬鹿げた世界に置き去りにしたのか! 貴様だけ神を見つけることができたから帰って来たというか! そんな格好して神は見つかったのか! そして願いも叶ったか! ははははは! クラウン、お前は優秀だな!」
ミラノはやっとのことで教授のおさまらない腹の虫を突き止めることができた。
クラウンと共に消息が分からなくなった孫のライトが心配でならないのだ。しかし事の発端がクラウンだからと言って、それを八つ当たり同然、罵詈雑言を浴びせるのは、教育者としていかがわしい限りだ。
「ともかく、今すぐライトを連れ戻さなければ、貴様は退学だ!!」
その瞬間、キリエ婦人が悲鳴にも似た声で泣き崩れた。
ミラノは、邪な目で睨むアリドン教授をただただ眺めていた。この人は、孫に依存しているだけじゃなく、全てにおいて、他の生徒より劣る孫が許せないのだ。どんな手を使っても、孫を優秀生に仕上げたいのだ。大成したいのだ。
教授は、してやったりの表情を描いていた。クラウンが“馬鹿げた世界”から一人だけ戻ったと本気で思っているのだろう(別世界が存在するかは定かではないけれど)。彼の目の色を読む限りでは、期待を裏切らなかったクラウンが可愛くて仕方ないといった感じだ。可愛さのあまり憎たらしいんだよ、と双眸が語っている。
ミラノは腹の底でほくそ笑んだ。
馬鹿げたのはアンタだよ教授。
実孫の友人を無慈悲に扱うなんて、最低の人間がすることだよ。
馬鹿げた世界はあんたの脳みそだ。退学? イイじゃない。受けて立つよ。
「十色日くれたら連れ戻す」
ミラノは無自覚に発していた。
バウランが小声で「馬鹿めッ」と戒めたのが聞こえたが、ミラノは聞こえないふりをした。
依頼者を無視して勝手気ままに発言するのは擬似屋として失格であるし、規約に違背することだった。けれど、そんなの構っていられない。とにかく、誰が何と言おうと、どんな仕打ちが待っていようと、ミラノは潰れた肉巻きみたいなアリドン教授を絶対に許さないと誓った。




