第十二話 予想外の小型クロスボウと珍客
ミラノには呼び鈴が聞こえなかった。それくらいの衝撃が身体を支配していた。
「あぁぁぁ……今日は何だか余計に酷い。ブレイク、ちょっと失敗でしょッ。あ~いてててえ」
頭がガンガンする。影法師入れて頭痛なんて初めてだよ。
「申し訳ありません。いつも通りに入れたつもりだったんですが……」
とブレイクは尺取虫のような人差し指で頬を掻く。
「ただ、少々硬かったのは事実です。何かこう違和感と言うかなんと言うか」
「ったくぅ」
左右に頭を傾いで、ミラノはこめかみを抑えた。
「あ~ちょっと和らいできたかな」
「クラウン……」
うっすらと瞼を上げた婦人が呟いた。ミラノに近寄る。
「クラウンなのね。よく顔を見せてちょうだい。あぁクラウン。十二色日間も見ない間に髪の毛が伸びたようだわ。それに肌の色も焼けたようね」
「キリエさん気持ちはお察ししますが、教員たちがお見えです。早くお迎えしないと」
バウランが促すと、婦人はハッとしたように固まった。
「そうですね。ごめんなさい、私としたことが……」
「あっしたちはどうにでもなります。けど、息子さんにとっては今しかないのです。苦しいかと思いますが、気持ちを切り替えていただきたい限りです」
「ええ。ええ。そうですとも」
婦人が頷く。
「そのためにバウランさんにお願いしたのですから」
「ですが服装はこれではいかんでしょう」
バウランに指摘され、婦人は慌てる。
「そうでした。今日は制服を着用と義務付けられていたんだわ――」
と独り言を言いながら、大きな収納棚を開いて豊富にある洋服の中から白と黒の清潔感ある制服を取り出してミラノに渡す。
「これに着替えてくれる? ミラノさん」
母の目は、愛息を労わるような可憐な輝きをしていた。
ミラノは一瞬、自分の母と重なって彼女を見入ってしまった。実母もまた青系の瞳をしている。
二度目の鐘が鳴り響く――キリンコン。
「さ、早く。何を言われるか分かったものか」
「ええ。ええ。そうでした」
先に失礼します。と忙しなくお辞儀をした婦人は、パタパタと足音を鳴らし、一階へと下りて行った。
大きな鏡が部屋の隅にあった。制服に着替える前にミラノは、自分の姿を鏡に映した。これは擬似屋として最低限の確認事である。相手がどんな風貌でどんな表情をするのか、認識しておく必要があった。
ただ、どうしてか服装よりも先に顔に目がいってしまう。これは毎度のことだ。
「は~ん。案外良い顔してんじゃんか」
灰赤色の頭髪は前髪と襟足が長くて無造作に伸ばされているように見えるが、それが意外にも、少し吊り気味のクリクリとした瞳を持つ童顔にとてもよく似合っている。
顔の輪郭は丸く、鼻は小さく、笑うと八重歯が覗く。体格も小柄だし、こうやって見ると、ミラノより二歳お兄さんじゃなくて二歳弟みたいだ。声質も少し幼い。
ミラノはクラウンの黒い瞳をグッと覗き込んだ。
「可愛いじゃん」
「口調を変えるんだ、小娘」
バウランが咎める。
「分かってるって」
いちいちうるさいね~。
ミラノは咳払いをした。
「初めましてバウランさん。オイラ、クラウンって言います」
てな感じかな。口数が少ないってことだから、あんまり社交的じゃないんよね。極力は静かにして何か聞かれたら答えるのが妥当かもね。
「カカァ。いつもありがとな――てかさ、教員たちの前でもオイラとかカカァなのかな?」
「そんな言葉遣いしたら高院を卒業できん」
バウランが小突く。
「僕と母上だ。いい加減教養せい」
「そんな言い方しなくたっていいじゃんか」
だって高院に通ったことないし、教員たちと喋るのすら初めてなんだからさ。
ミラノは想像でベーッと舌を出した。
「ほら、分かったら早く着替えるんだ」
「はいはいはい」
適当に返事し、ミラノはクラウンの服装を鏡に映した。
そこには一般的の旅服である黒の上下に、強固そうな革のベストと腰ベルトを身に着け、両肩には甲冑の一部を拝借したような大きい装甲が乗っていた。腰に巻きつけられた青色の一枚布は、冷温を調節できるアーサーと言う織物だ。主に旅人が提携する代物だった。
「なんだよコイツ、旅にでも出てんのか?」
「早くしろい小娘!」
とうとうバウランが怒鳴った。ツルツル頭がピカリと光る。
「はいはいはい。はいよ」
これ以上時間をかけることにミラノ自身も危険だと察知した。着替えるにも時間はかかるし、次の瞬間にでもキリエ婦人が呼びに来るかもしれないのだ。
着替える素振りを見せると、外見は全て男の子に成り代わったというのに、ブレイクが決まり悪そうに背を向ける。
ミラノは腰に巻いたアーサーを取ろうと手を伸ばした。が、柔らかい肌触りの内側に、硬くて物騒な感触が指先に触れた――何かが隠れている。
手先に神経を集め、様子を見た。
ベルトで固定されたそれは、弧を描いた箇所と真っ直ぐの棒がある道具――紛れもないクロスボウだった。
想像すらしなかった射撃武器に、ミラノはたじろいだ。
腰から引き抜くと、バウランとブレイクが目を見張った。
お遊びで持っているような代物じゃないことくらい、ミラノも知っている。
「見なかったことにしろ」
と言われても、素直に聞くことは出来なかった。十七歳の少年が持つには早過ぎる。玩具なのか本物なのか調べるっきゃないでしょ。
クロスボウはとても小型だった。若男の片手でも容易に扱えるくらい軽くてしなやかだ。ミラノ本来の握力でも問題はないだろう。
クロスボウの操作方法はとてもシンプルであることがその造りから推測できる。
矢を手前から穴に挿入し、弓の中心から伸びる弓床を、短銃を握るように持ってレバーを指にかけて引く。それだけだ。
既に弦が張られているのは、ベルトから外すと、弓が傘のように開いて自然にセッティングされる仕組みになっているからだ。
射るまでの作業が片手でこなせてしまう手軽さである。連続で射るには少々の手間がかかるが、一回の射撃を遠くからじっくり実行できるようにレンズが備え付いている。
腰ベルトにはもう一つ、数本の矢が入った筒が取り付けられていた。
ミラノは腰から矢を一本引き抜こうとしたが、既にクロスボウにセットされていた。射撃しようとしてやり損ねたのだろうか。それともセットする時間を短縮するために常に入れてあるのだろうか。
腕力で弓を閉じると、レバーがロックされた。開くと、解除になる。
ビンッ!
ミラノは無意識にレバーを引いてしまっていた。
一瞬妖しく光った矢は、ブレイクの足下を掠め、クラウンのベッドに深々と突き刺さった――結果、本物だった。
「ひぃぃぃ。ワタクシを殺す気ですかミラノさん」
矢の威力を目の当たりにしたブレイクは飛び跳ね、すっかり身を縮めてしまった。
「ごめんッ。そんなつもりじゃなかったんだ」
舌を出して詫びる。が、バウランが拳を作ってわなわなと震える様子に、本気でヤバイとミラノが思った矢先、突然、ドアが勢いよく開けられた。
婦人にしてはえらく手荒い扱いだなと思ってドアの方を振り向くや否や、「やぁクラウン・サイバード。ご機嫌はいかがかな?」と、短身で恰幅の良い初老の男が入って来た。
「アリドン教授。勝手に困りますわッ」
アリドン教授の短い腕を引っ張る婦人は、泣きそうな顔で笑顔を作っている。
顔がギトギトにテカっているアリドン教授は、クラウンの姿を見つけるなり、彼の服装とクロスボウに目を止めた。
崖っぷちの猫のような怯え方で、婦人は床に蹲る。
その後ろから、教授よりも若い男が二人、入って来た。残りの教員たちである。
二人は婦人の落胆振りを見、続いて教授のほくそ笑む様子を見、ニヤリと笑った。全てを見通したような態度だ。
アリドン教授は、カカカカと汚い笑い声を上げた。
「クラウン・サイバード、やはり君は期待を裏切ってはくれなかったようだなッ」
ミラノはクロスボウの弓を畳んでベルトにしまった。
にんまりするアリドン教授が何を言いたいのか見当がつかないから、視線を外さないでジッと見ていた。
教授のそれは、模範にはならない邪な目だった。何人もの人間を陥れている目を見抜く自身がミラノにはあった。




