第十話 門衛と呪術と蜘蛛
気分が芳しくない状態で、ワイプ場の出口に差し掛かった時、ミラノは驚くものを見た。
正直に言えば、「もの」じゃなくて「人」である。
ミラノの住むハーバス市(国内では大都市の一つ)の瞬間移動場の最終門で見かけた、志気の欠けた門衛のランディ君が、約1000キメルも離れたこの地でも門衛をしていたのだ。
制服の胸ポケットに「ランディ・パール」と刺繍されているのをシカと見てるから、絶対に間違いない。
同姓同名も考えられるけど、あのやる気のない表情や生気の感じられない声までもが似ているとなると同一人物と考えるのが正当だろう。
万が一、魔法を使って瞬間移動していたとなれば不思議なことでもないのだけれど、それはそれで別の疑問が生じる。
門番ってそんなにハードスケジュールで、あっちもこっちも同時に任せらてるの? と言う疑問だ。
それとも双子なのだろうか。いいやそれはありえない。だって同姓同名なのだから。
バウランは気づいていないようだ。ランディ門衛にチケットを渡してパチンと挟む小さな道具で国章を凹凸スタンプしてもらっている時も、バウランは何てことない顔をして、最後には笑顔まで見せてチケットを受け取っていた。
トロッガンが発進し、ランディ門衛から離れた刹那、ミラノはここでも彼の濁った目と視線が合致した。
やっぱり同じ人物だ。あの不透明な目に間違いない。
ただあの時と違ったのは、彼が口元を動かしたことだった。
窓を閉めていたから何て言ったのか聞こえなかったが、そのボソボソと動く唇と座った瞼の様子から、聞こえなくて正解だったと思わせられた。
奇妙な出会いに身震いしたミラノは、突然にして胸元でワサワサと蠢く感覚にギョッとした。
「ぎゃあああああああ!!」
悲鳴が終わらない内にトロッガンが急停止する。ガコンッと音がした。
「何だってんだ突然!」
バウランが怒鳴る。
瞑想中だったブレイクも飛び跳ねるように目を覚ました。
「何かいる! 何かいるぅぅぅぅ!」
ミラノは狭いトロッガンの中で中腰になってジタバタした。
胸に何かいる!
「何かって何だ!」
「ここに何かいるんだよ!」
シャツのチャックを下ろしたミラノは、屈んで必死に胸の谷間を指した。
「早く取って!! ぎぃぃぃ奥に行った!!」
下着から覗く白く柔らかそうな乳房の一部を目の当たりにしたブレイクは、首を動かしながらゴクリと生唾を飲み込む。
「ワ、ワタクシには無理デ、スッ」
蠢くモノは胸を掻き分けるように激しく動いている。足の長い大きな虫だと言うことは予想ついていた。
「ぎゃああああああああ!!」
「喧しいわい!!」
「だってだってぇ! 早く取ってぇぇぇ!!」
ミラノは自分でもどうして良いのか分からないくらいパニックに陥っていた。とにかく騒ぐことしか出来なかった。
上着を脱いでしまえば済むことだったのに、そんな余裕を得られなかったミラノは、腹部にまで進もうとする虫けらに我慢ならず、貧弱なブレイクの手を掴むと、自ら自分の胸に入れた。
「な、何をするんですかッ。ミ、ミラノさんッ」
ブレイクが腕を引こうとするも、ミラノの涙ながらの叫喚に負け(下心もあったのかもしれないけれど)、少し汗ばんだ温かい胸の谷間を滑らすように動かした。
「もっと下!!」
「あ、はいッ」
ブレイクの手は更に下へと動き、ミラノのみぞおちまで到達した。
「こ、これですかッ」
震え気味に引き抜かれたブレイクの指先が掴んでいたのは、黄色と黒の縞模様を描いた足長蜘蛛だった。
蜘蛛は十本の足を頻りにクネクネさせてブレイクの手から逃れようと必死だ。
「ぎゃあああああああ!! 早く捨てて!!」
「あ、はいッ」
言われる通り、ブレイクは窓から蜘蛛を投げ捨てた。
バウランがため息をつく。
「蜘蛛ごときで大げさな小娘だ。ちゃんとブレイクにお礼を言うんだ」
「いえいえ。ワタクシは別に……」
ミラノさんの胸を触れたのでお礼なんて。と顔に書いてある表情でブレイクはかぶりを振る。
「蜘蛛ごときって! あんなのが突然ココに入って来たんだからビックリするでしょ! あ~気持ち悪いッ!」
身震いが止まらない。当分は小さな蜘蛛を見ただけで吐き気がこみ上げてきそうだ。
「それにしてもあんな外来種がどうして小娘の胸に入ったんだ?」
トロッガンをスタートさせて出口のゲートを通り抜けたバウランが言った。「あれはこの国では見ないんだがな」
「どっかのバカが持ってきたんだよ。簡単じゃんかッ」
「もしかして瞬間移動中に何かが原因でトロッガンの中に入ったのかもしれんな」
「そんなことあんの?」
ミラノは蜘蛛の感触の残る胸元を摩った。
「聞いたことはないが、ないとは言い切れん。魔力であれば納得いくんだがな。ただ、そんなことをする人間がいたとは思えん。小娘の胸に蜘蛛を入れて遊ぶ利点もないだろうしな」
ちょっと待った。魔力――?
その単語にミラノはハッとした。
あのボソボソとした唇の動き、座った瞼――呪術をかける時の表情と酷似している。
「あの門番……」
そう気づいた時には既に遅かった。
トロッガンはゲートを通過して、ウェッジ村方角へと続く道へ入っていた。
ランディ・パールと言う名の門衛が、ミラノに何らかの呪術をかけて足長蜘蛛を胸に混入させたのだろうか。
しかし何故? どうして赤の他人の門衛に拙悪な嫌がらせを受けて悶絶しなきゃならなかったの?
「ブレイク――おい、ブレイク?」
バウランに呼ばれていることに気づいていないブレイクは、指出し手袋を嵌めた自分の手を眺めている。今しがたミラノの胸を触った方の手だ。そして三度目に呼ばれてようやく我に返ったように顔を上げた。
「え、あ、はいッ?」
「クラウン君の影法師はどうだ?」
「あ、はい」
ずれていた帽子の位置を直す。「ご自宅まで引き寄せました。自室で待機されております」
「そうか。ご苦労だったな。ありがとう」
「いいえ」
「それで、禍は起こりそうかね?」
バウランがチラと横目で見る。
「ええ。不穏な空気は変わらずです。ですが、ワタクシにも分からないんです。何がそんなに危険因子を生んでいるのか……あ、でも大丈夫です。ご心配なさらずに」
「気を使うな」
バウランが息をつく。「と言っても、ここまで来たことだ。約束の時刻も迫ってきておる。引き返すわけにもいかんだろう」
「はあ……申し訳ありません」
「ブレイクが謝ることではない」
「はあ……申し訳ありません」
こうべを垂らしたブレイクは、温もりの残る手をこっそり探った。
ミラノは、そんな二人の会話を聞き流していた。
ランディと言う気味の悪い門衛の存在が引っかかってそればかりを考えていた。
けれど、考えれば考えるほど答えが遠ざかっていく。腹立たしさを一度覚えると、もうそれしか頭にはなかった。
クソッ。門衛だかなんだか知んないけど、人を――可愛い女の子を玩具にするなんて良い度胸してんじゃん。立派な仕事してるようだけどアイツは三流のクズだ。今度会ったらタダじゃおかないよ。お返しに股間でもご馳走してやるから楽しみに待ってろ!
時刻は九.三色時。
巨大な岩石がゴロゴロと放置されている荒野から北東に入り、さらに進む。
土で作られた家が軒を連ねる集落を通り過ぎると、トロッガンの往来は急激に減った。
人気の少ない寂れた雰囲気の盛り場を無視するように通過し、山道に入る。
砂埃の舞うボコボコの道をひたすら行った先の三叉路に、小さな道標が打ち付けられていた。『ウェッジ村まで3キメル』
三人を乗せたトロッガンは、力尽きそうな音をたてながらも確実に進んでいた。




