軟禁生活
夏休みの間、週3日の間隔で井口器店に通った。
店主は井口カヤさんといって、年齢は72歳だった。
年齢より若く見えるのは姿勢が良く、所作が美しいからだろうか。
まさか70代とは思わず、年齢を聞いた時に驚いた顔をしたらカヤさんは嬉しそうにニヤッと笑った。
バイトは1日4時間から5時間ほどだったが、都心の場所柄か客足が途絶えることはなかった。
僕は店の掃除や器を磨きながら、カヤさんとお客さんの会話に耳をすませ、カヤさんの流暢な器の説明に聞き入った。
決して押し付けがましくなく、それでいてお客さんの好みや求めているものがわかっているかのようなカヤさんの観察眼に何度も敬服した。
お店には新しい作家さんの器もあれば、骨董品のような年代物の器もある。
お客さんがなにを尋ねても、カヤさんは深い知識と審美眼でサラッと応えた。
時々客足が止まって暇になると、カヤさんの肩もみをした
華奢な体に小さい肩だがかなり凝っている。
お年寄りにどのくらいの力を加えていいものか最初は慎重だったけど、カヤさんは
「なんだい若いのに力がないねぇ。ご飯ちゃんと食べてるの。ほれほれちゃんと力込めな。」
と、かなり強めを好んだ。
「ふふ、孫が出来たようだわ。」
カヤさんは嬉しそうに呟いた。
聞くと、カヤさんは20代で結婚し、30代でご主人とこの店を開いたけれど、すぐにご主人に病が見つかり、数年後には旅立ったそうだ。
結局、子供に恵まれなかったけれど、ご主人との思い出が詰まってるこの店を我が子のように大切にしてきたと静かに語ってくれた。
「お店を我が子の様に大事にしてたら大志くんという孫が出来たって訳ね、ふふ。」
カヤさんは自分で上手いこと言ったと思ったのか、しばらくの間一人で楽しそうに笑っていた。
それから段々と常連さんの顔も覚えてきた。
隣の刃物屋さんのマサさんは、刃物とぎの御用聞きに3日に1度はやってくる。
そんなに頻繁に包丁研ぐこともないだろうから「ないよ」と言われて「そっか」とそのままイスに座ってカヤさんが淹れたお茶を飲みだす。
要はサボりにきただけなんだけど、突然店に現れた僕にこの街の昔話を色々聞かせてくれた。
「新型コロナが流行る前はよぉ、インバウンドだか、オーバーツーリズムだか知んねぇけど外国人がぎょうさんこんな裏手の狭い道にも来てよぉ、日本の包丁をありがたがって沢山買ってくれたんだよ。
今はこんなんなっちまったけど、もうちょい辛抱したらまた外国人が押し寄せてくるだろうねぇ。儲かるのは嬉しいが、忙しすぎるのは勘弁だよ。英語だってわかんねぇしよぉ。」
「あんた!いつまでサボってんだい。問屋のタケさん待ってんだよ!」
マサさんがダラダラと喋ってると、奥さんのエミさんがやってきて、耳を引っ張られながら帰っていく。
まるで吉本新喜劇の鉄板ネタを見せられてるかのように、毎度毎度このパターンで帰っていく。
月に1、2回のペースで来店するのは同じ器屋のしず江さんだ。
京都で芸妓だったというしず江さんはおそらく40代くらいの着物が似合う和服美人。
仕入れも兼ねて情報交換に来るようだった。
「あたしは店を持たないで、気に入った作家さんの展示会なんかを銀座のギャラリーでやってんのよ。
へぇ、あなたデザイナー志望なの。じゃあ今度の展示会の案内あげるから、お友達といらっしゃいな。
若いうちに良い物を沢山見ることが良いデザイナーになる近道よ。
あら、あなた九州の出身なの。あたし佐賀にはよく行くのよ。ほら、唐津焼とか有田焼とかあるでしょ。あっちの作家さんにも会いに行くから。」
ひとしきり喋ったあと、展示会のチラシを置いて嵐のように立ち去った。
他にも老若男女色んな人が店に訪れ、カヤさんとお喋りをしていく。
みんなこの店とカヤさんが好きなんだ。
僕はお客さんと挨拶することで、この極上の空間の1ピースとなることを許された感触がした。
夏休みも残り1週間という頃、とうとう僕の住む寮にも新型コロナの感染者がでた。
約 60人が住まう寮では遅いくらいだったかもしれない。
部屋は相部屋。
トイレは各階共同。
お風呂は地下の大浴場のみ。
こんな状況での隔離生活は困難を極め、僕らには外出禁止命令が下された。
唯一の外出は、近くのコンビニに食材を買いに行くための約15分だ。
夏休みの間はマメに行こうと考えていた井口器店でのバイトは、強制的に終了となった。




