東京オリンピック
東京に来て初めての夏休みになった。
初めての夏は帰省せずに東京で過ごすことにした。
街は東京オリンピック1色だ。
開会式の日、昼間は綾人と東京駅前の広場を見渡せる建物の階段上からブルーインパルスのアクロバット飛行を見ることができた。
東京オリンピックまでカウントダウンしていたモニュメントも『あと0日』と表示し、人々は足を止めて写真撮影をしている。
夏の日差しが拷問のように照りつけるなか、ひとしきりオリンピックの高揚感を堪能したら綾人と別れ僕はまた1人神保町へと足を運んだ。
今日はひとつの決断を実行しようと思っていた。
頭の中には開会式さながらファンファーレのラッパが鳴り響いているようだ。
僕は神保町駅を出るとまっすぐ井口器店に向かった。
15時過ぎ、街は暑さが増す時間帯ということもあり人通りはまばらだ。
店のガラス戸の前に着くと、僕は深く深呼吸をしてガラガラと扉を引いた。
店には客が誰もいない。
「いらっしゃい」
奥から店主のお婆さんが声をかけてきた。
僕はまっすぐ店の奥に進んだ。
ちょうどお婆さんが冷たいお茶を入れてくれているところだった。
いきなり店の奥まで入ってきた僕に気づいた店主は顔を上げて少し驚いた顔をした。
「バイトさせてください。」
僕はなんの前置きもなく発した。
「え!」
突然の僕の言葉に冷茶を入れる手が止まる。
「僕を働かせてください。」
自分で言いながらまるで千と千尋みたいだなと心の中でツッコんだ。
突然の申し出に困惑するお婆さんに僕は構わず続けた。
「僕は世田谷美術大学1年の大川大志と言います。このお店が大好きで働きたいのです。なんでもします。役にたちます。重いものでもなんでも持ちます。働かせてください。」
中学、高校と6年間バスケ部で鍛えた声量と、体育会系のきっちりしたお辞儀で熱意を伝えた。
店主は突然現れた青年が何を言い出したかと困惑したが、徐々に状況を理解すると止まっていた手を動かして冷茶を入れ、いつもの美しい所作で僕をイスに促し、冷茶をそっと置いた。
店主は隣のイスに腰掛けると軽くふぅと息を吐き
「うちはね、私一人で営んでる小さな店なの。今だってお客がいない。バイト雇う必要がないの。」
まるで小さい子を宥めるような口調で僕に話した。
「わかってます。それでもここで働きたいんです。バイト代はいりません。この空間が好きなんです。ただ、ここで働きたいんです。」
僕の熱烈なアプローチに店主は面食らった様だ。
「働きたい。」
「ダメだ。」
何度かのラリーの末、とうとう
「わかった。ただしバイト代は小遣い程度しか出せないよ。それでもいいならいつでも好きな時に来なさい。」
呆れた店主が根負けして了承してくれた。
「ありがとうございます。これからよろしくお願いします。」
そう言うと僕は思わずガッツポーズをして店主と目が合い2人で笑い合った。
僕はまるで表彰台に乗り、誰よりも早く金メダルを手に入れた気分だった。




