神保町通い
ゴールデンウィークを過ぎ一気に暑さが襲う東京。
アスファルトから、ビルの谷間から、容赦なく湿度を含んだ暑い風が吹き抜けていく。不快指数でいうと南国宮崎より上かもしれない。
新型コロナ感染症は益々広がっていったけど、僕は相変わらず通学している。
リモートワークが進んだお陰で毎員電車の洗礼を受けずに済んでいた。
両親からは生活費をバイト代で賄うように言われていたけど、課題制作に集中したいし、ゼミにも多く参加したい。
コロナ禍ということもありなかなかバイトしようという気にもなれず、極貧生活を送ってる。
とりあえず母ちゃんからパックご飯と、いつも持ち歩く炭酸水は、定期的に寮へ直送してもらってる。
それとは別に、宮崎からのオカン便が届いた時にはしばらくの間豪華な夕飯にありつける。
宮崎名物のチキン南蛮や地鶏炭火焼きの真空パック。子供の頃から大好きなささみ燻製。あとはご飯に乗せるだけで食べられる色んなレトルト料理。
寮では基本電子レンジしか使わないから、僕の好みを熟知した母ちゃんからの配給は涙が出るほどありがたい。
思い返せば高校3年間、毎朝5時に起きて弁当作ってくれてた母ちゃんに
「また冷凍食品入ってた」
なんて母ちゃんのサボりを糾弾するような事言ってたな。
寮生活で自分の飯を自分で準備するようになって、たった1人分の飯にもそれなりにお金がかかって、レンジでチンするだけでもその後の皿の片付けを考えると億劫になってる自分がいる。
ほんの数ヶ月前の事なのに自分の幼さに恥ずかしくなってきた。
それと同時に母ちゃんからの愛情とレトルトご飯を感謝とともに噛みしめた。
夏休み前には神保町辺りの古本屋を巡るようになった。
デザインの勉強を進めて行くと幅広い知識が必要になってきたからだ。
人間工学、心理学、宗教などあらゆる分野にヒントがあって、それは古い文献からも得ることができた。
バイトしてない僕は少しでも安くすますために古本屋や骨董屋や蚤の市などに足を運んだけど、いつの間にかレトロな物にも興味を持っていた。
そのなかでもひと際惹かれるお店があった。
『井口器店』
黒光りする1枚板に味のある書体で彫られ、藍色のペンキで文字を塗ってある看板が店舗の端にかかってる。
昔ながらの大きなガラスの木枠扉で、ガラガラと扉を引くと、入口正面には腰より低い高さに大きく広い陳列台があり、様々な器が並んでいる。
ぽてっと厚みがあり歪だが手に持つと不思議と馴染んでくるお猪口。
昭和初期に作られた藍色の筆さしで松の絵が描かれた小皿。
ブサイクだけど愛らしい表情のたぬきの箸置き。
一つ一つレトロだけど丁寧な仕事がわかる陶磁の器がセンス良く並べられ、間に季節の野花が親指程の徳利のような器に生けてある。
その陳列台の横の棚には昭和時代に作られたというガラスの花瓶や、卓上ランプスタンド、漆塗りのお椀や民芸品が並んでいた。
売り物のチョイスももちろんだけど、お店の棚、床、天井、梁全てが古いけれど長年大事にされて磨かれてきた『本物』がそこにあり、その全てに僕は魅了された。
しばらく惚けて首だけキョロキョロと動かす僕に、店の奥から
「いらっしゃい」
とお婆さんが声をかけてきた。
お婆さんは60代くらいだろうか。
身長は160センチくらいで着物に割烹着を着けている。
アシンメトリーの前下がりの白髪ボブで若い頃は相当美人だったんじゃないかと思わせる顔立ちだ。
まっすぐとした姿勢に美しい所作でお茶を入れてくれた。
「ゆっくりしていってね。」
いくつか置いてある丸太に座布団を載せたイスに座ってガラスの器に入れられた冷茶をいただきながら陳列台の器を眺めた。
その日は松と富士山が描かれた小皿を2枚買って帰った。
寮に戻って自分の机の引き出しにしまっていたおツマミの柿ピーをわざわざ小皿に出して、ちまちまと食べながら古本屋で買った本を読んでると心の奥にあった寂しさが妙な充足感で埋まっていく気がした。
「ああ、なんて贅沢なんだろう」
思わず呟いた。
それから週末になると器屋さんに足を運んだ。




