第9話 夕飯までには帰ります(帰省①)
「うん、大丈夫、タクシー呼ぶから。え、それはありがたいけど。うん、じゃああとで」
私は電話を切った。
「なんて?」
背後にいた先輩に振り返って答える。
「母が車で迎えに来るって言ってるす」
「そうなの?」
「タクシー代もったいないからって」
「じゃあ良かったじゃない」
「私はそれでいいすけど、先輩はいいんすか?」
「なんで?」
「車の中で、私と先輩と母だけになるすよ。二十分くらい」
先輩が察したのでちょっと苦笑いをした。
「ああ、うん、緊張しちゃうね」
「先輩が緊張すると私も緊張するす。頑張ってください」
「頑張るよ。お母さん、どんな人?」
「まあ明るい人すよ」
「君みたいに?」
「先輩は私が明るい性格だと思っているんすか?」
先輩が人差し指を顎につけて考え込むふりをした。
「暗くはないよね。特に最近は」
「そうすか、先輩といるときだけすよ」
「私にとっては、私といるときどうかが大事だよ」
「……先輩、もう少しすよ」
大きめのキャリーケースをゴロゴロと引っ張っている先輩の前に立ち、私は先に向かう。
「なんで君はそんなに軽いの?」
先輩が私に言った。
「実家に服をそこそこ残してるすからね。入れ替えるだけす」
七月末、私たちは私の実家に帰るために羽田から新千歳に飛んだ。先輩は飛行機に乗るのが初めてだったらしく、なぜか怯えていたので私が荷物預け入れからチェックインまで横に寄り添って一緒にこなした。
「飛行機って本当は飛ぶ原理がわかってないんでしょ? そういうのネットで見たよ」
「それはデマというか誤解で、私にも詳しく揚力や推力の仕組みは説明できないんすけど、わかってないってことはないみたいす。これは信じてもらうしかないすけど」
「君は信じている?」
「そうすね、科学を信じている、というと不思議なニュアンスになるすけど」
「わかった、君が信じるものを、私も信じるよ」
今なら先輩に壺かお札を売りつけることができそうだな。
荷物を預ける前に家族用にお土産を買った。弟たち用に『ひよこ』と、両親には『佃煮』を買った。先輩は先輩で、私の家族用に『とらやの羊羹』を買った。
「ひよこだ」
先輩が私のカゴを見て言った。
「ひよこってさ、福岡……」
言いかけた先輩に言葉を被せる。
「これはここで話したところで有益な結論は出ないのでやめましょう。今は東京銘菓として買っておく、それで十分です」
北海道に着いた私と先輩は特急列車に乗りながら海鮮弁当を食べ、私の地元へと向かった。実家の最寄り駅の手前で私たちは降りて、キャリーケースを引きずりながら十分ほど歩いた。
「何もない街すよね」
「んー」
先輩が曖昧な返しをした。
「ここかあ」
先輩が呟く。そこには私の母校の高校があった。
「明日でもよかったと思うすけど」
明日私と先輩はこの小さな街にいくつかある観光スポットを巡るつもりだ。
「早く見たくてさ」
「そうすか」
「中には入れないよね?」
「でしょうね。感想はあるすか?」
「いや、うん、高校だね」
「そうすね、特に珍しくもない学校す」
私たちの横を夏服のセーラーを着た後輩が数人まとまって通り過ぎていった。
「あれを君は着ていたんだね」
「はい、変わってないすね」
「ふうん」
先輩は私の足先から頭までゆっくりと見た。
「なんすか?」
「さっきの制服を君に重ねてみただけ」
「そうすか」
「かわいいね」
「普通の制服すけど」
「君が着れば私にとっては特別。東京に持ってくる?」
「制服をすか? 何のために? いや、想像はできたすけど、キモいのでいやす」
「残念」
「そういうところがキモいすね」
「それで、あっちが海なんだ」
先輩が話を逸らし校舎の横を指した。
「行きますか? 海以外に何もないすけど」
「じゃあ、いっかな」
私が校舎の上の方を見る。横にいる先輩が聞く。
「どうしたの?」
「……昔のことを思い出していたす」
「青春だね」
「はい、この小さい世界が私のすべてでした。私はここで笑って、怒って、泣いて、ここには大切な友達がいて、好きな人がいました」
「そう」
「物静かな男の子でした。付き合うとかはなく今は連絡も取ってないすけど。それから私は先輩に出会いました。だから私が付き合ったのは先輩が初めてです」
「そうだったの」
「正直に言うと、先輩の過去について知りたい気持ちと知りたくない気持ちがあります。先輩のすべてを知りたいけど、すべてを受け止める精神力が今の私にあるかはわかりません」
「うん」
「わがままですけど、私がそういう状態であることを理解して、上手い具合に情報を小出しにしてください」
「いいよ。君がそんなお願いするなんて珍しいからね」
「喋りすぎたすね。感傷的になっていたかもしれません」
「ううん、君の心からの言葉は何でも嬉しい」
「先輩は私を信じすぎ」
「そうかな」
校舎から目を離し夕日色の先輩を見る。
「『回帰不能点』って知ってますか?」
「ううん」
「航空用語で、飛行機が燃料的に出発地に戻れなくなる地点を指します。そこから先は目的地に着くか、ダメなら他の場所に無理矢理降りるかしなくてはならない」
「それが何?」
説明途中なので先輩は飲み込めていない。
「これから私たちが先に進んで、回帰不能点に到達して、さらに先を目指したけど、機体に不具合が出てどこにも強制着陸ができなかったら、先輩はどうしますか?」
自分で言っていてとても抽象的な話だ。
しかし先輩は返答に困る様子はなかった。
「私は君と一緒なら、どこに墜ちたっていいよ。君がいる場所が、私の居場所だから。君はどう?」
「ありがとうございます、私もです」
「変なの」
先輩が笑った。
「あそこに止まっているのがうちの親の車です、向かいましょう」
「うん」
「先輩」
「うん?」
「今から回帰不能点を越えますよ」




