第6話 これってなんだっけ?(花見および餃子)
「良かったね~」
ソファの上で横にいる先輩が楽しそうに揺れている。三月末になり、私たちは近所の公園で行われていた桜まつりというイベントで桜を見て、屋台のたこ焼きを食べてきた。シートに座りはしなかったものの花見というのには十分だろう。
「でもやっぱりあれすね、まだ違和感があるす」
「違和感?」
「北海道だと一ヶ月は遅いので。この時期に桜が咲いているとなんかフィクションの世界にいるみたいす」
「フィクションって」
「上京するときにもモノレールから見た景色に驚いたんすよね。ああ、東京に来たんだなって」
「君にもそういう感情があるんだねえ」
「なんすかその言い方」
「冗談だよ」
「まあいいすけど。フィクションの卒業式とか入学式とか桜が咲いているじゃないすか。そういうものの中にいる感覚すね」
「なるほど」
先輩が頷いた。花見を終えた私たちは西友で食材を買ってきて、今はテーブルの上にある餃子の餡をひたすら包んでいる。
「こんなに作っても食べきれないね」
「冷凍するす。冷凍すると挽肉の細胞が壊れるので肉汁が出やすいらしいす」
「出た豆知識」
「なんかムカつくな」
「君、心の声が漏れちゃってるよ」
「わざとす」
「あ、そう」
「先輩、器用すね」
先輩は私の1.25倍くらいの速度でひだをちゃんと作りながら餃子を包んでいる。
「そうだよ、私は器用なのだ」
得意そうな顔で先輩は両手を私の前で広げ、すべての指をぐにゃぐにゃ曲げてアピールをした。
「知ってるでしょ?」
「ええ……」
ここでそういうこと言うか?
「ニンニクは入れないんだね」
「夜勤があるんで、マスクがあってもさすがにニンニク食べては行かないすよ」
私は駅前のコンビニでバイトをしている。先輩の家の最寄り駅で交通費が出るのがありがたい。
「中国ではニンニクは入れないと聞いたす」
「それは知ってる。マンガ知識だ」
「そうす」
「こっちのは?」
「蒸し餃子用す。違う皮が売ってたので。でも蒸し器はないすよね? フライパンで作る方法があるす」
「蒸し器、たぶんあると思う」
先輩がキッチンの方を指した。
「上の戸棚」
私には身長が足りなくて届かなかったシンクの上の扉付きの戸棚だ。
「たぶんってどういうことすか?」
「ああ、私が買ったわけじゃ……」
そこで先輩が、しまった、という顔をした。私も、しまった、という顔をした。二人のしまった顔が見合わせて、互いに次の言葉を探している。先輩はそもそも面が良いし、社交的ではあるので彼氏だか彼女だか知らないけど、過去にそういう存在がいたとしてもおかしくない、というかいたに決まっている。私だってそれくらい承知の上で一緒にいるわけで、過去は過去として歴然として存在しているのであり、そこを含めて今がある。だけど、まあ、直接的に存在を自覚してしまうのは違うわけで、わかっていてももやもやするな。
「……ごめん」
先輩が申し訳なさそうに言った。
「それは、なんか、今一番言われたくない言葉すね」
これ、私結構無理めなこと言った自覚がある。みっともない。先輩も困ってしまっている。
「それもごめん」
「やめましょう」
自己嫌悪が沸いてくる。
「蒸し器は使います。あるのに使わないのはもったいないので」
「ちょっと意地になってない?」
「なってないす」
なってるけど。
「今日はバイトサボって泊まります」
「え?」
「ダメすか」
「そんなことない、いいよ」
「誰かに替わってもらうす」
「君さ、前は反応薄いと思っていたけど、案外顔に出てるよね」
「そうすか?」
「うん、よく見てると微妙に違う」
「よく見てるんすか」
「うん、見てるよ」
「……わかりました」
「何がわかったの?」
「今は今のことを考えるべきであり、具体的には餃子のことを」
「そうだね」
「蒸し器、取ってください。私は手が届かないので」
「はーい」
先輩が立ち上がってキッチンへ向かう。その姿を後ろから見ていて、まあいいか、という気持ちになる。
「前から気になっていたんすけど、それなんすか?」
私がキッチンの方を指さす。キッチンのシンクの上にある戸棚にはラックが引っかけてある。しかもシンクの内側ではなく、外側に物が置けるようになっている変な置き方をしている。ラックは不安定気味で重い物を載せられる感じはしない。
「なんだろう、使ったことない。外しちゃおう」
先輩は先輩ではない誰かが設置したラックを、留めていたクランプをくるくる回して取り外した。
「こういうときに使う格言があったような気がするす」
「なに?」
「いや、思い出せないんでいいす。ちょっと電話してくるす」
先輩の横をすり抜けて玄関の外に出る。
「ありがとう、埋め合わせはするんで」
私はそう言って、電話を切った。部屋に戻る。
「替わってもらったす」
「よかったね」
「私以外にシフト入れたがる人が一人いるす。留学生で制限いっぱいまで入れているんすよ」
「留学生かあ、すごいよね」
「よくあんなめんどくさい仕事を日本語でできるすよね」
「それは君も同じじゃん」
「私の母語は日本語すよ」
「いや、コンビニ。私にはできないなあ」
「友達のヘルプで去年末までの予定で入っていたんすよね」
「なんでまだやってるの? 君の家まあまあ遠いよね」
先輩がニヤついている気がするので回答を差し控え無視する。先輩が戸棚に手をかけた。
「思い出したす、格言」
「なに?」
先輩が私に向いたと同時に開いた戸棚からせいろが落下して先輩の頭にぶち当たる。
「いたっ」
反射的に先輩が頭を手でおさえる。せいろは床に落ちてバラバラになった。ラックがあれば少なくとも直撃は防げただろう。かつての誰かはこれを見越してラックを設置していたのだ。なぜか恨めしそうに先輩が私を見ている。私は少し愉快になりわざとらしく人差し指を立てた。
「『なぜフェンスが建てられたのかわかるまで、決してフェンスを取り外してはならない』です」
「言うの遅いよ~」




