第12話 交換不可能な愛について(引っ越し準備)
「だいぶ片付いたすね」
先輩がベランダの手すりに寄りかかって外を見ていたので横に並ぶ。
「小休止すね」
「うん、ありがと」
「私の話でもあるので」
一月の終わり、開けっぱなしの窓から冷たい風を入れて先輩の部屋の掃除をしつつ荷物をまとめていた。多くは先輩の服だ。
「君が着られたらいいんだけどね」
「身長が違いすぎるす」
今は先輩の就職に伴って引っ越しの準備中だ。三月になってしまえば部屋も見つかりにくいということで先に部屋を確保して再来週、二月の頭に引っ越す予定だ。先輩は卒論も提出し終わっているので時間はあり、私もバイトの隙間を縫って手伝っていた。
「ここから外を見るのも終わりかな」
先輩がぽつりと言った。
「なんか、わがまま聞いてもらってすまないす」
「いいよ、それくらい」
先輩が肘で私を小突いた。引っ越し先はそう遠くない場所で最寄り駅も変わらなかった。
「君の方はどう?」
「あとは冷蔵庫とかテレビ捨てたり、そういうのくらいすね。元々そんなに荷物ないんで」
「万事快調って感じ?」
「はい、まあ」
「楽しみだなあ」
「そうすね」
「もっと喜んでよ~」
「喜んでますよ、バイトに歩いて行けるのはいいすね」
「また、そうやってごまかす」
先輩はくるりと周りながら私の背後に移動して両手を肩に回して抱きついた。
「私と一緒にいられて嬉しいって言ってよ」
「はい、嬉しいです」
「よろしい」
来月から私と先輩は同じ家に住むことになっている。先輩の就職先が家賃の大部分を負担してくれるのでそれに乗っかった形だ。今の私の部屋と先輩の部屋の家賃を足した額とそれほど違くないので、結局は口実というか、タイミングがいいよね、という話だ。
「部屋、ありがとうございます」
「いいよ、気持ちはわからないわけじゃないからさ」
新しい部屋は駅から少し離れるものの2LDKだ。そこに私の部屋が一部屋ある。机、本棚、パソコン、クローゼット、で満杯になる狭い部屋だ。先輩は要らないと言ったのでもう一部屋は寝室になった。
「顔合わせたくないときって、たぶんあるよね」
「それが目的というわけではないですが……」
ないとは言えないな。
「ケンカもするだろうし」
「しますかね」
「するよ、むしろした方がいい。言いたいこと我慢するくらいなら、言い合ってケンカした方がいい。そっちのが健全」
「それはそうかもしれないすね」
「そうやって家族になっていくんだよ」
こういうのを直球で言えるのが先輩なんだよなあ。
しかし、ちょっと先輩は家族というものに思い入れがありすぎるきらいがある。先輩の境遇を思えば仕方ないという気持ちもするが、そんなに良いものではないし、悪くもないはずだ。成人女性が同じ空間に二人いるだけではないのか。私も実家の血の繋がった人間以外と生活するのは初めてだけど先輩ほどではない。嬉しいのは嬉しいけど、なんかテンション高い人がそばにいると逆にテンション下がる現象だなこれ。
「同じことしてさ、同じもの食べてさ、私たちは同じになっていくんだよ」
「私はそこまでそれに価値を見出してはいませんが」
「早速ケンカか?」
「なんで楽しそうなんすか」
「んー別に。どうぞどうぞ、聞こうじゃないか」
先輩が私の頭に顎を乗せて言った。
「私たちは異なる人間で、だからこそ言葉を交わすことに意味があって、完全には理解し合えないからこそ、一緒にいる意味があるんじゃないすかね。まったく同じ人間ならいてもいなくても同じじゃないすか」
「言うねえ。それって、えーっと、『愛とはお互い見つめあうことではなく、共に同じ方向を見つめることである』だっけ?」
「サン=テグジュペリすね。微妙に外している気もするすけど、大枠で言いたいことは近いかもしれないすね」
「よかった」
いや、やっぱりかなり違うな。とはいえ改めて訂正するほどのことでもないか。説明し直した方がいいか。こういう小さいことがあとで何かで爆発するか? チリツモか? 正解のない問題が増えていくなあ。
「君もなんだか楽しそうだね」
「そうすか?」
「一年いればね、それくらいわかるよ。何を考えてるの?」
「そうすね、テセウスの船すかね」
「なにそれ?」
「ある船の古くなった部分を新しいの置き換えます。それはその船を修復しただけの存在です。それを繰り返していって、最終的に最初の船の部分がなくなったとき、それは元の船であると言えるのか、という話す」
「なるほど。さっきの話に繋がるんだね。私はそうだな、船に意識があって、自分が変わっていないと思っているのなら、それは同じ船なんじゃないかな」
「船に意識が? 面白い考えすね」
「本気で言ってる?」
「その発想はありませんでした」
「君はどう思う?」
「先輩と反対で、外からの観測者が同じ船だとみなしているのなら、同じ船でいいんじゃないすかね」
「うーん」
先輩が私を強く抱きしめる。震えている、気がした。
「それって君にも適用されるの?」
「どういう意味すか?」
「これから一緒に暮らしていって、少しずつ君も変わっていくと思う。もちろん私もそうだよ。それでも、私が君を君だとみなして君を扱っていれば、それはずっと君だってことでいいのかな。それは私の大好きな君なのかな」
「それは……」
「どう?」
声のトーンが落ちている。
「私は、私ですよ。何があっても、先輩が好きな私です」
「どっちの意味?」
「どっちの意味でもですよ」
「信じる」




