第11話 月の裏側は見えない(特筆すべきことなし②)
私と先輩はキッチンにある電子レンジを見ていた。レンジは静かな唸り声を上げている。
「三分?」
先輩は私の背後に立ち、その身長差でもって私の頭頂部に顎を乗せている。
「はい」
「そう、楽しみ」
先輩が喋るたびに私の身体に振動が伝わる。
「あまりくっつかないでください」
「いいじゃん」
先輩は腕を組んでいる私の腰に手を回している。私の実家への訪問以降、前にも増して先輩は私に甘えるようになった。外ではもう少し大人しくしてくれるのだけど。
レンジの中でポンと弾ける音がした。この音は私の気分も弾ませてくれた。レンジで作るポップコーンメイカーを私たちは眺めている。
「夜はお月見?」
「天気は悪そうすけど」
「ベランダに出ても意味ないかな」
「そうすね、残念す」
「お団子はあるからそれで許そう」
「誰への許しすか?」
「お空の神様」
「そうすか」
先輩は明るい口調で言った。
「君は月にウサギが住んでいるっていつまで信じていた?」
「それ信じる余地最初からなくないすか? 月すよ? 空気がないことくらい知ってないすか?」
「夢のない子供」
「先輩は?」
「そうだね、幼稚園までかな」
「そうすか。そうすね、私は小学校に入るまで、その月にウサギがいるという話を知らなかった気がするすね」
「そうか、そういうのもあるか」
レンジでポップコーンがポンポン鳴り続けている。
「面白いとは思うすね。カニ、ライオン、ワニ、そんなのよりは夢があるす」
「何それ?」
「日本以外でどう月の模様が見られているかのバージョンす」
「へえ」
先輩はガコっと顎で一度頷き、ちょっと腰を下げて私の右肩に顎を乗せて耳元で秘密話を伝えるように囁く。
「月の裏側にはエイリアンがいる」
ええ……。
「人類は月に降りたっていない」
えええ……。
「あの映像はキューブリックが撮影した」
ええええ……。
「なんて嘘だよ」
「よかった、そこまでではなかったすね」
「君、毎度心の声が漏れているよ」
「わざと……、いっ!」
先輩が私の耳をくわえた。
「私がそんなことを信じていると思ったの?」
声と一緒に吐息がかかる。
「少しは思ったすね」
「心外」
そう言いながら先輩は耳全体を口に含んだ。
「やめてください」
「はーい」
先輩が私から離れた。と同時にレンジがピコピコと鳴った。
「できたできた」
先輩がレンジを開け、容器を取り出してリビングに持っていく。
「おお、こんなに膨らむんだねえ」
ソファに座った先輩が蓋を取って感嘆している。私も先輩の横に座った。出来たてのポップコーンが確かにそこにあった。良い匂いがするが二人で食べるには多い。
「次はどうしよう、毎回塩味じゃ飽きるよね」
ポップコーンを一掴みして先輩が口に入れうんうんと何かに納得している。
「甘くするというのは?」
私もポップコーンを食べ、まあポップコーンだな、と思いつつ、買ったコーンを使い切れるか悩む。
「キャラメルソース!」
「そうすね、カルディで探してみましょう」
それからポップコーンを摘まみながら映画を見た。今日は『2001年宇宙の旅』だ。中盤でちらりと横を見ると、先輩があくびをしていた。私もつられてあくびをする。先輩がそれに気がついて笑顔になる。
「あくびのうつる距離」
映画を邪魔しないような声で先輩が言った。なんだか恥ずかしくなる。
「どうだった?」
「先輩は?」
映画が終わり、私たちは並んで夕食のパスタを食べていた。このあと月見用に買ってきたお団子があるから量は少なめだ。
「私が先に聞いたから、君から感想言って」
「そうすね、あんまりわからなかったすね」
素直に言うと、先輩は右手を上げてこちらに差し出した。
「なんすか?」
「いいから、左手上げて」
「はあ」
私が言う通りにすると先輩がその手に右手でタッチした。
「これなんすか?」
「君と同意見ってこと」
「そうすか」
「君にも理解できないことがあってよかった」
「私はそういうものでは……」
「いやいや、謙遜なさらずに」
先輩は何の立場?
「シーン単位ではわかるすけど、全体を通して何が主軸だったのかはいまいち判然としない、というのが私の感想すね」
「うんうん」
「映像が当時として画期的だったのはなんとなく知っていたすけど、今観てどうかと言われると」
「SFなら先週観た『インターステラー』の方が良かったかな。あれ、ちょっとモノリスっぽいよね」
「TARSすか?」
「そう」
先輩が手をパタパタさせた。
「AIの暴走的なのも、今の私たちだと逆に身近過ぎてそこまでではないというか」
「まあ、観たという記憶だけ残しておきましょう」
「うん、君と観るものはなんでも素晴らしいよ」
面と向かってそういうこと言えるのが先輩だなあ。
「言い過ぎす」
食事を終えて、たまにはとグラスに入れたワインを片手に持ちつつ、みたらし団子を食べる。絶妙に合わない。
「次はなんすかね」
「ハロウィン!」
「月末すね」
「仮装しようか」
「嫌すね」
「そんなこと言わないでよ、クリスマスにはサンタコスしてたじゃない」
「あれは仕事で仕方なくす」
「良かったのになあ。ちゃんと家でも着てくれたのに」
一気に酔いが醒めて頭を振る。
「忘れてください。一生の恥す」
「じゃあさ、あれ着てよ」
「あれ……? いや、本気すか?」
「マジ、家の中でだけでいいからさ」
二人の頭には私が先輩に懇願されて渋々持ってきた私のセーラー服が浮かんでいる。
「私も自分のブレザー着るから、それでおあいこ」
「元々乗り気の人間だとレートが釣り合ってないんすよね」
「なに、私の制服姿が見たくないの?」
「……今回だけすよ」
先輩が両手を上げた。
「わーい」




