第36話 やられた
ベルガ帰還の知らせを待つ総一たち。
しかし、約束どおり現れたキャナルが告げたのは、総一にとって予想外の知らせでした。
戦えば圧倒的に強い総一。
けれど、今回の相手は力だけではどうにもならないようです。
今回もよろしくお願いします!
ビジュールへ戻ってから、二日が過ぎていた。
総一たちは王家の宿泊施設で、ベルガからの知らせを待っていた。
窓の外には、相変わらず白い建物が並び、その向こうでは中央の時計塔が昼の陽射しを浴びている。宝石の街は今日も賑やかで、通りを行き交う馬車の音が時折ここまで届いていた。
総一は長椅子に深く腰を沈め、何度目か分からない溜息をついた。
「まだかねえ」
「待つって決めたの、総一さんじゃないですか」
向かいの椅子で剣の手入れをしていたシンが苦笑する。
「決めたけど、待つのが得意とは言ってない」
「昨日は楽しそうだったけどね」
窓際にいたマリンが、ちらりと総一を見る。
「昨日?」
「綺麗な女性と食事してたんでしょ?」
「なんで知ってるんだよ」
「あなた、隠してたの?」
「いや、別に」
「隠すような男でもないだろ」
ナバルが横から口を挟んだ。
「分かってるじゃないか」
「褒めてないぞ」
サリーがくすくす笑った、そのときだった。
扉を軽く叩く音がした。
「失礼いたします」
一人の女性が部屋へ入ってきた。
王家の宿泊施設で働く係員と同じ服装をしている。食事や用事でもあるのだろうと、総一は大して気にも留めなかった。
だが、女性は扉を閉めると、その場から動かなかった。
「田端総一」
「ん?」
呼ばれて、総一が顔を上げる。
次の瞬間、女の姿がゆらりと揺らいだ。
髪の色が変わり、身体を黒い毛並みが覆っていく。ほんの数秒で、宿泊施設の係員だった女は、黒豹の特徴を持つ女魔族へと姿を変えた。
「……キャナル?」
「はい」
シンが思わず扉を見る。
「係員に化けて入ってきたんですか?」
「その方が目立ちませんので」
「そりゃそうだろうけど……」
シンが困ったように眉を寄せる。
総一はそんなやり取りを横に置き、キャナルへ一歩近づいた。
「ベルガが戻ったのか?」
「いいえ」
即答だった。
総一の足が止まる。
「ジャネスト様から伝言を預かっています」
「伝言?」
「我々は、あの拠点から撤収しました」
「……は?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
マリンの表情が変わり、シンも椅子から立ち上がる。
「撤収した?」
「すでに完了しています」
「ちょっと待て。ベルガが戻ったら知らせるって話だっただろ」
「その約束は変わっていません」
キャナルは淡々と答えた。
「それと、もう一つ」
「まだあるのか?」
「ジャネスト様からです」
キャナルは一拍置いた。
「『時間を稼がせてもらったことには感謝する』と」
「……あいつ」
ようやく意味が繋がった。
あのときジャネストが急に戦いをやめた理由。
ベルガが戻るまで待てと言ったこと。
ビジュール周辺での活動を停止すると約束したこと。
全部、こちらを山から遠ざけるためだったのだ。
「では、伝言は以上です」
「え?」
キャナルの姿が再び揺らぎ、先ほどの係員の女性へと戻っていく。
「待て!」
総一が声を上げたときには、キャナルはすでに扉を開けていた。
慌てて廊下へ飛び出す。
そこでは数人の係員が、食事や洗濯物を載せた台車を運んでいた。同じような服装の女性たちが、それぞれの仕事をしながら廊下を行き交っている。
「……どれだ?」
総一が目を凝らす。
だが、もうキャナルの姿は分からなかった。
「くそ……」
部屋へ戻ると、シンたちの視線が一斉に集まった。
「逃げられたんですか?」
「それよりまずい」
「何がです?」
「移った先も、ベルガのことも、何も聞いてねえ」
ナバルが腕を組んだ。
「見事にやられたな」
「今それ言う?」
「事実だ」
反論できなかった。
◇
その日のうちに、総一たちは再び北西の山へ向かった。
結界は消えていた。
以前は空間そのものを覆っていた強力な魔力も感じられず、山肌に造られた巨大な拠点がそのまま姿を晒している。
だが、中へ入った総一は眉を寄せた。
「……本当に何もねえな」
倉庫は空だった。
机や棚は残されているものの、書類らしいものは一枚もない。地下の保管場所にも価値のありそうな物はなく、魔道具さえ綺麗に持ち出されていた。
マリンが壁際に残された棚を調べる。
「徹底してるわね」
「一昨日まで、あれだけいたのにな」
シンが周囲を見渡した。
「これだけの人数と荷物です。何か痕跡が残ってるんじゃないですか?」
「俺もそう思ってたところだ」
総一は周囲へ意識を向け、《追跡》を使った。
何かが光るわけではない。ただ、普段なら見落としてしまいそうな違和感が、妙に目についた。
床に残った細かな擦れ。
外へ向かう無数の足跡。
重い荷物を運んだらしい車輪の跡。
「こっちだな」
総一は拠点を出た。
山道を下る痕跡はかなり多い。
これなら追える。
そう思ったのだが、しばらく進んだところで総一の足が止まった。
「……なんだこれ」
痕跡が消えていた。
周囲を調べる。
右にも左にも続いていない。引き返した形跡もなかった。
「総一さん?」
「ここから先がない」
総一はしゃがみ込み、土へ指を触れた。
間違いなく大勢がここまで来ている。それなのに、その先へ進んだ足跡が一つも見つからない。
マリンが周囲を見回し、やがて空を仰いだ。
「たぶん、上ね」
「上?」
「ここから空を使ったんだと思う。飛行魔法か、空を飛べる魔物か。それなら地面に痕跡は残らない」
総一も空を見上げた。
青い空を白い雲がゆっくり流れている。
《追跡》を意識してみても、当然そこには何も感じない。
「……そんな逃げ方ありかよ」
「追われてるって分かってるんだから、対策くらいするでしょ」
「便利だと思ったのにな、これ」
「レベル一で何でも追えたら怖いわよ」
もっともだった。
総一は立ち上がると、何も残っていない山道を振り返った。
ジャネストと戦えば負ける気はしない。
実際、奴の魔法は総一を止められなかった。
それでも今回は、欲しかった情報を得られないまま逃げられた。
「……完璧にやられたな」
拳が強くても、殴る相手がいなくなればどうしようもない。
総一は小さく息を吐いた。
「次に会ったら、あいつの話は半分くらい疑うことにする」
「半分でいいの?」
マリンが横から覗き込む。
「じゃあ七割」
「そこは全部じゃないんだ」
「全部疑ってたら話できないだろ」
「変なところで真面目ね」
マリンは小さく笑った。
やがてシンたちが先に歩き始める中、総一は隣に残ったマリンを見る。
「そういやマリン、アジトもなくなったけど、このあとどうするんだ?」
「このあと?」
「もうここにいる理由もないだろ」
マリンはすぐには答えなかった。
長い間、森の奥の家で一人で暮らしてきた。
静かな森と、本と、魔法の研究。それで困ったことなどなかった。
けれど、この数日は騒がしかった。
真面目すぎる勇者がいて、おっとりした僧侶がいて、ぶっきらぼうだが面倒見のいい騎士がいる。
そして、魔力が一切ないくせに、とんでもない魔法を素手で掴む変な男がいる。
五百年以上生きてきた。
それだけ長く生きていても、総一のような人間には会ったことがない。
「……私も行くわ」
「どこに?」
「あなたと一緒に」
「俺と?」
「五百年以上生きてきたけど、あなたみたいな人間は初めて見たもの。ちょっと興味があるの」
「俺に?」
「観察対象としてね」
「珍しい魔物みたいに言うなよ」
「似たようなものでしょ」
「どこがだ」
マリンは楽しそうに笑った。
「それに……ずっと一人だったから」
その声だけが、少し柔らかくなる。
「誰かと一緒にいるのも、たまには悪くないって思っただけ」
総一は少しだけ目を丸くした。
そして、すぐに口元を緩める。
「もしかして俺のこと好きになった?」
「やっぱり帰ろうかな」
「なんでだよ」
「今のでかなり帰りたくなった」
「冗談だって」
「どうだか」
マリンは呆れながらも、家へ向かおうとはしなかった。
総一もそれ以上は何も言わず、再び山道へ目を向ける。
「でも、これからどうするかな」
追跡は途切れた。
ベルガの居場所も分からない。
魔王軍へ繋がっていた糸が、また切れてしまった。
その横で、マリンがふと足を止めた。
「……待って」
「どうした?」
「あいつら、レベルストーンを探してるのよね?」
「ダイアもそう言ってたし、ベルガの連中も集めてた。間違いないだろうな」
マリンは何かを考えるように目を細めた。
「だったら……あそこにもいるかもしれない」
「あそこ?」
総一が振り返る。
マリンはゆっくりと頷いた。
「レベルストーンが見つかる可能性の高い場所よ」
最後までお読みいただきありがとうございます!
今回はジャネストに完全にしてやられてしまった総一。
戦闘ではまったく歯が立たなかったジャネストですが、そこから戦わずに逃げ切るあたり、なかなか厄介な相手になりそうです。
そして、マリンが総一たちと一緒に旅をすることになりました。
五百年以上生きてきた彼女にとっても、総一はかなり珍しい「観察対象」のようです(笑)。
魔王軍への手掛かりを失い、再び振り出しに戻ったかと思われた総一たち。
しかし最後に、マリンが新たな可能性に気づきました。
「レベルストーンが見つかる可能性の高い場所」とは、いったいどこなのか。
次回もよろしくお願いします!




