5.「未来予測演算」は、スーパーの半額プリン争奪戦のためにある。――国家最高AIにプリン購入確率100%を書き込んだら大爆発しました
午前十一時。本日の俺の最重要任務は、故郷の防衛ではない。
駅前マートで本日十七時十五分から、限定五個だけ半額になる、極上生プリンの確保である。
昨夜、本庁は「三船町ごとダンジョンを埋め立てる」と通告してきた。妹の暮らす町を、まるごとだ。
あのとき、確かに頭の芯が冷えた。だが一晩経って、結論は出ている。激昂は非効率だ。これは要するに、俺のおやつを妨害する『業務妨害案件』にすぎない。粛々と処理すればいい。
午前十一時、出張所のロビーに、黒塗りの車列が滑り込んできた。
ダンジョン埋め立て先遣隊。降りてきた長身の男が、こちらを一瞥もせず書類を読み上げる。
「本日閣議決定された『特例措置第十二号』に基づき、三船町全域の住民強制退去、およびダンジョンの物理埋め立てを開始する。異議があれば、国会で述べたまえ」
本庁のキャリア官僚、神楽坂。仕立ての良いスーツに、地方を虫けらと見る目をしている。
「まだ避難の合意も取れていない住民が、たくさんいるんですよ! あなたたちは、地方をゴミのように切り捨てるんですか!」
綾乃が、先遣隊の前に立ちはだかった。声が震えている。
神楽坂は、その剣幕を冷ややかに受け流す。
「これは国家の未来予測演算が導き出した、最適解だ。感情論で覆るものではない」
その横で、俺はタブレットを凝視していた。魂が、半分ほど抜けている。
「……道路が、封鎖される」
俺は呟いた。
「神楽坂とかいう、仕事の遅いお役所の人間のせいで町の道路が封鎖されたら……十七時十五分に、駅前へたどり着けない。プリンが、買えなくなるじゃないか」
神楽坂が、軽く指を鳴らした。
ロビーの中央に、青白いホログラムが立ち上がる。地球を象った球体の中で、無数のデータが滝のように流れ落ちていた。
「本庁が誇る、国家最高予測演算機――『ラプラス・アイ』だ」
神楽坂の声に、隠しきれない陶酔が滲む。
「気象、魔力濃度、社会的経済活動。ありとあらゆる変数を取り込み、九十九・九九九パーセントの精度で未来を可視化する。見ろ。これが、数時間後の三船町だ」
ホログラムが、町の姿を映し出した。
町並みの上に、無数の時刻スタンプが走る。十五時四十二分、第三層の防壁が決壊。十六時十九分、商店街が魔物の群れに呑まれる。住民の避難経路が、何百本もの細い光の筋となって枝分かれし、そのことごとくが赤い×印で潰されていく。学校が、住宅が、駅前のスーパーが、寸分の狂いもない確率の網の中で、順序立てて崩れ落ちていった。
最後に、赤い文字が画面いっぱいに灯る。
『生存率――〇%』
「この決定は、絶対に覆らない。お前たち地方のモブ公務員の無駄な抵抗など、ラプラス・アイの描く未来には、パラメータの一つとしても含まれていないのだよ」
綾乃が、言葉を失って立ち尽くす。
俺は、ため息をついた。胸ポケットから愛用のボールペンを取り出し、耳の裏に挟む。
やれやれ。仕方ない。立ち上がるとしよう。
「神楽坂隊長。お言葉ですが」
俺は、面倒くさそうに口を開いた。
「その未来予測演算、仕様書の要件定義が、極めてガバガバですよ」
「……あ? 何だと?」
神楽坂の眉が、不快げに吊り上がる。
俺は構わず、型落ちのタブレットを秒速でタイピングし始めた。
「まず、貴機の予測パラメータには、『十七時十五分〇〇秒、新条蓮治が駅前マートのレジを通過し、限定半額の極上生プリンを百二十五円で購入する事象』が、定義されていません」
「……は? そんなくだらないプライベートイベントが、国家の未来予測に含まれるわけ――」
「いえ。含まれます」
俺は平熱で即答した。
「私の行動は、このダンジョンのプログラムにとって、『絶対のシステム管理者ログイン』と同義です。私が十七時十五分に駅前へ存在するためには――この町の崩壊フラグも、あなた方の埋め立て作業も、すべて『システム不整合』として排除されなければならない」
俺は、画面に呼び出した『未来予測パラメータ是正申請書』の決裁ボタンを、ダブルタップした。
キィィィィン――。
ロビーに展開していた『ラプラス・アイ』の精緻なシミュレーションが、突如、砂嵐のようなブロックノイズに包まれた。
崩壊する三船町の映像が、お絵描きアプリのキャンバスをリセットするように、ぐしゃぐしゃに溶けて消えていく。
『生存率〇%』の赤い警告が、勝手に書き換えられた。
『Override Code: Renji_Shinjo. 未来予測変数を再計算中……。三船町生存率:一〇〇%。半額プリン購入成功確率:一〇〇%』
「な、何だこれは!? ラプラスのメインサーバーが……並列演算処理のすべてが、十七時十五分のプリン購買イベント一つにハイジャックされて……熱暴走を起こしている!?」
ドン、と乾いた音がした。
神楽坂の傍らで、本庁の最高予測演算機が黒煙を噴き上げ、物理的にショートする。
綾乃が、その煙を、ゆっくりと振り返った。
「……国家の、最高予測AIが。九十九・九九九パーセントの未来が。先輩の、百二十五円のプリン一個に……負けた」
もはや叫ぶ気力もないらしい。声が、乾いている。
「五回目です。私、もう数えるのをやめません。先輩、あなたという人は、本当に……」
言葉の続きは、出てこなかった。これで五度目の精神崩壊である。慣れていただくしかない。
「う、嘘だろ……。国家のラプラス・アイが、ただの……『半額プリン』の存在ひとつで、デリートされただと……!?」
神楽坂が、煙を吐くデバイスを呆然と見つめている。
俺は腕時計を確認した。十四時三十分〇〇秒。深く、ため息をつく。
「やれやれ。未来の上書きに、無駄な魔力リソース……ではなく、CPUを使ってしまいました」
ちょうど、おやつの時間だ。
俺はスマホを開き、妹へのメッセージを打つ。『琴音。今日のプリン、無事に確保できそうだ』。送信。よし。
その時だった。
ショートしたはずの演算機の奥で、見慣れない通知が、狂ったように明滅し始めた。本庁が、強制自壊用に仕込んでいたのだろう。『ダンジョン破壊コード』の、暴走ログだ。
『Warning: 未来予測の強制改変に伴い、第五層〈テラフォーミングOS〉の覚醒トリガーが誤作動。ナイトメア種暴走開始まで、残り時間――三時間』
「バ、バカな!」
神楽坂が、今度は本気で青ざめた。
「埋め立て準備用の爆縮パッチが、狂った……! このままでは、スタンピードの規模が十倍以上に膨れ上がる。町どころか、県全域が吹き飛ぶぞ!」
残り三時間。タイムリミットは――十七時三十分。
俺の退庁時刻、十七時十五分と、ほぼ同刻だ。
俺は、目を閉じた。
今日のお昼寝の予定が、音を立てて崩れていく。
「……仕方ありませんね」
愛用のボールペンを、耳から抜く。
ひとつ、長く息を吐いた。窓口対応の気だるさが、その呼気とともに体から抜けていく。
「お昼寝の予定をキャンセルして、少々、残業――もとい、世界救済の事前申請書を、作成するとしましょう」
定時に帰り、妹とプリンを食べる。
そのために、世界を救う。
顔を上げた俺の目に、ひさしく封じてきた解析者の光が、静かに灯った。




