6.労働基準法の限界を超えるので、世界滅亡OSを強制シャットダウンします。――伝説の『解析者』が36協定違反の神獣を秒速消去したら、国家反逆者になりました
午後二時四十五分。本日の俺の最重要任務は、世界の滅亡阻止ではない。
十七時十五分に退庁し、残り五個の半額プリンを死守することである。
出張所の窓の外、三船ダンジョンの大穴から、紫の光が噴き上がっていた。
大気そのものを腐らせるような、破滅の魔力。空が、毒々しい色に染まっていく。
「ラプラスの誤作動で、バグパッチが暴走した……っ。このままでは、あと二時間で日本全土のインフラが物理崩壊する!」
神楽坂が、髪を振り乱して叫んだ。手には、無骨な起爆キーが握られている。
「もう手遅れだ! 爆縮爆弾を起動し、三船町ごと物理的に消滅させる! それが唯一の――」
「町民の避難も終わっていないのに! 保身のために、町ごと見捨てる気ですか!」
綾乃が大剣を抜き、立ちはだかる。神楽坂は、迷わず懐の拳銃を抜いた。
「どけ。これは国家の決定だ」
俺は、その横で、タブレットを叩いていた。
『残業等事前申請書』。事由――『世界滅亡バグのデリート処理』。
作成、上司のPCへ転送、決裁。時刻は、十五時〇〇分ちょうど。
「……新条、先輩? 何を、しているんですか」
綾乃が、振り向く。
俺は画面から目を上げず、淡々と告げた。
「十五時〇〇分。退庁時刻の十七時十五分まで、あと二時間十五分。ここから第五層へ往復して処理するとなると、帰りのバスの時刻を考えて、非常にタイトです」
俺はタブレットを小脇に挟む。
「氷室さん。あなたの出張調査の申請を、承認しました。現地に同行してください」
通常、第五層へは、Aランクの精鋭部隊が数ヶ月かけても辿り着けない。
俺は、タブレットで空間の座標変数を書き換える。監査バイパス。出張経路の、ショートカットだ。
視界が、一度ぐにゃりと歪んだ。
次の瞬間、俺たちは、見たこともない空間に立っていた。
第五層、基幹サーバー室。
地平の見えない遺跡が、どこまでも続いている。床も壁も、人類の手によるものではない。見上げるほどの石柱に、見たこともない古代文字が、青白く脈を打って明滅していた。空気が重く、ひと呼吸ごとに肺が軋む。
そして中央に――それは、浮いていた。
巨大な、黄金の球体。
世界の物理法則そのものを記述する、テラフォーミングOS。表面を埋め尽くす無数の演算記号が、銀河のように渦を巻いている。だが今は、バグの黒い触手に幾重にも侵食され、軋みを上げて、狂ったように回転していた。触手が脈打つたび、空間に紫の亀裂が走る。
そして、それを守るものが、姿を現した。
神域の超獣――アポカリプス・ガーディアン。SSSランク。
黄金の鎧をまとった山のような巨躯。その眼窩には、星が生まれ、死んでいくほどの光が渦巻いている。ただそこに在るだけで、空間そのものがガラスのようにひび割れ、裂けていく。世界が、その存在に耐えきれていない。
「……これが、世界を、終わらせる……」
綾乃の膝が、崩れ落ちた。
「戦闘不能……いえ、そもそも人類が、勝てるわけ……」
ガーディアンが、顎を開いた。
世界の概念ごと、すべてを無へ帰す消滅の咆哮。極大のブレスが、白い光となって膨れ上がる。
空間の裂け目から、無が、こちらを覗いていた。
俺は、平熱のまま、型落ちのタブレットを叩く。
「Error 403: Forbidden」
指先が、画面の上を滑る。
「該当のエネルギー放出は、労働基準法第三十六条――いわゆる『サブロク協定』における、時間外労働の上限時間を著しく超過した違法労働に該当します。直ちにシステム監査に基づき、強制停止――デリートいたします」
俺は、『不適合プロセスの強制停止申請書』の決裁ボタンを、ダブルタップした。
ガーディアンの極大ブレスが、空中で凍りつく。
画面いっぱいに『Access Denied』の赤い警告が幾重にも重なり、世界を消すはずだった光が、砂嵐のようなブロックノイズへと分解された。
そして、音もなく――虚空へ、消去された。
「か……神の、ブレスを……書類一枚で、デリートした……!?」
綾乃の声が、裏返る。
俺は構わず、暴走するOSのルートディレクトリへ、アクセスを開始した。
十年ぶりに打ち込む、最高管理者のログインコード。
『Ex-Interpreter_Renji』。
黄金の球体が、俺のアカウントを認証する。画面に、数百万行のバグコードが滝のように展開された。
俺は、それを一括選択した。Ctrl+A。
そして、迷いなく――Deleteキーを、叩く。
黒い触手が、端から塵になって消えていく。深層の空間いっぱいに、静かな文字が明滅した。
『OS System Shutdown.(システムは正常にシャットダウンされました)』
十六時〇〇分。
予定どおり、きっかり一時間で、本日のお仕事は完了した。
「よし。事務所に戻って、退庁届を片付けねば。半額プリン、残り五個……まだ間に合う」
俺は、満足の息をつく。
出張所のロビーへ転移で戻ると、神楽坂が、こちらを見て凍りついた。
大穴の紫光は、消えている。世界が、何事もなかったように、そこにあった。
「な……世界滅亡OSが……シャットダウン、された……? お前が、たった一時間で、お昼休憩みたいに……?」
起爆キーが、彼の指から滑り落ち、乾いた音を立てて床を転がった。神楽坂は白目を剥きかけ、壁にずるずると背を預けていく。理解の追いつかない現実は、人を、ああして壊すらしい。
その隣で、綾乃が、俺のタブレットの画面を凝視したまま、石のように固まっていた。
画面の隅に、消し忘れたログイン履歴が、残っている。
『管理者ログイン:Ex-Interpreter(解析者)……』
「……Ex――インタープリター……?」
綾乃の顔から、血の気が引いていく。腕に、ぞわりと鳥肌が立つのが、横からでも見て取れた。一歩、彼女は後ずさる。
「嘘。世界でたった一人、十年前に、ダンジョン侵略プログラムをハッキングして世界を救った……あの、伝説の解析者。その本人が……目の前で、『プリン』のために、世界を救っている……? この、やる気のない、おじさんが……!?」
ようやく気づいたか。まあ、いい。今は退庁の方が大事だ。
だが、その時。
床に崩れた神楽坂の端末が、けたたましく鳴り、赤い警告ホログラムが立ち上がった。
『三船出張所、新条蓮治、ならびに氷室綾乃。先刻、本庁財務サーバーに対し、国家規模のサイバー魔力テロを感知。財務省の暗号化プロトコルがハッキングされ、国費八百五十億円が、謎の地方口座へ逆送金されたバグを検出。――犯人は、あなた方ですね?』
ロビーの四方の壁を、見慣れぬ気配が固める。本庁が誇る、最高峰のS級国家魔導探索部隊。
俺たちは、国家反逆罪の最重要容疑者として、完全に包囲されていた。
……八百五十億のバグ。あの、横領のことか。
俺は、ヨレヨレのタブレットを抱え直す。
「やれやれ。横領を暴いただけで、反逆者ですか」
俺は、静かに目を細めた。
「本庁財務省は、よほど――残業代を、払いたくないようですね」




