3.お昼休憩は神聖不可侵です。――怒れるボスは「不法投棄された粗大ゴミ」として、から揚げを食べながら片手で消去されます
午前十一時三十分。本日の俺の最重要任務は、巨大ボスの討伐ではない。
妹の琴音が詰めてくれた、から揚げ弁当を食べることである。
森の奥では、地鳴りが続いていた。
家屋ほどのグラス・ジャイアントが丸太のような剛腕を振り回し、その足元で、金ぴかの魔法鎧を泥まみれにした男が無様に転げ回っている。
「嫌だあぁぁ! 誰か、誰か助けてくれぇ!」
御堂凱。つい先刻まで一千万人に神と崇められていた、S級配信者の成れの果てだ。
宙に浮いたままの撮影ドローンが、その一部始終を律儀に中継し続けている。コメント欄は、別の意味で大炎上していた。
『凱さんだっさwww』
『公務員に論破されてBANされた挙句これかよ』
『これがS級配信者? 幻滅しました』
俺はそのすぐ脇、安全区域の木陰のベンチに腰を下ろしていた。
膝の上で弁当の包みを解き、両手を合わせる。
「いただきます」
隣で立ち尽くす綾乃が、信じられないという顔でこちらを見た。
「……先輩。状況を、理解していますか」
「氷室さんもお昼にしましょう。今日のから揚げは、琴音秘伝のニンニク醤油仕立てです。冷めると風味が落ちる」
俺はから揚げを一つ口に運ぶ。うまい。
「神聖なお昼休憩を、あの迷惑配信者に邪魔されては、たまりませんので」
御堂のギルドメンバーが、ボスの足に踏み潰されそうになっていた。綾乃が反射的に腰を浮かせる。
「先輩、彼らが――」
「お座りください、氷室さん」
俺は卵焼きを箸でつまみながら、淡々と続ける。
「私たちは、ダンジョンを管理する公務員です。彼らはガイドラインを無視して立ち入り禁止区域に侵入した、れっきとした『不法占拠者』。法的な救助の優先順位は、最下位です」
「……っ、正論です。正論ですけど」
綾乃が拳を握り、唇を噛んだ。助けられない理屈を、Sランクだった彼女の身体はまだ受け入れきれていないらしい。
その葛藤を、俺は見ないふりをする。
ボスの巨腕が、森を薙いだ。土煙が晴れたその下に、淡く光る細い若木の群れが見えた。
次の瞬間、剛腕がそれを無造作に踏み砕く。
俺の箸が、ぴたりと止まった。
「……今、踏み潰されたのは、精霊茶の幼木ですね」
声の温度が、一度だけ下がる。
「精霊茶の年間売上は、三船町の貴重な財源です。これが損なわれれば、来期の『事務消耗品費』が削減される」
俺は弁当箱を膝に置き、ヨレヨレのタブレットを取り出した。
「つまり――私のタブレットの保護フィルム、九百八十円が、経費で買えなくなる。……断じて、許せません」
俺の殺気を察したわけでもあるまいが、グラス・ジャイアントが天を仰いだ。
その巨体の内側で、緑色の光が膨れ上がっていく。
大気が、軋んだ。
怪物の口腔に凝集した光は、見る間に小さな太陽ほどの密度を帯びる。半径百メートルの樹々が根こそぎ吸い寄せられ、地面の若葉が一斉に逆立った。岩盤が罅割れ、宙へ砂礫が浮き上がる。ひと薙ぎで森の地形ごと消し飛ばす――植物の咆哮。Aランク変異種の、終末そのものの一撃だ。
「先輩! あれを浴びたら、森ごと消し炭に――!」
俺はから揚げをもう一つ口へ入れ、もぐもぐと咀嚼する。
空いた左手で、タブレットの画面をミリ秒単位で高速にフリックした。
「Error 404。該当の破壊現象は、本町における『騒音・振動防止条例第五条』の許容範囲外です。直ちにシステム監査に基づき、監査不適合――エラーとして、デリートいたします」
親指で、『不適合オブジェクト排除申請(緊急起案)』をタップ。
咆哮が、放たれた。
世界を呑むはずだった緑の奔流が、綾乃と御堂の眼前で、黒いブロックノイズを弾けさせる。
そして――シュン、と。
まるでコンセントを引き抜かれたテレビのように、音もなく虚空へ消去された。
俺は咀嚼を止めない。続けて、ボスのIDを画面上で選択する。
「ついでに。あなたは『三船町不法投棄条例』に該当する、粗大ゴミです」
『粗大ゴミ一括処分申請』の決裁アイコンを、ダブルタップ。
巨体の全身に、半透明の青いシステム監査ウィンドウが展開された。ワイヤーフレームに置き換わった輪郭が、赤く明滅する。
次の瞬間、グラス・ジャイアントは、悲鳴をあげる間もなく、モザイク状のエラーノイズへと分解された。家屋ほどの巨体が、不要なファイルのように、一瞬で電子の塵へと消える。
あとには、静寂と、食べかけの弁当だけが残った。
「ごちそうさまでした。琴音の卵焼きは、やはり最高ですね」
俺はおしぼりで、丁寧に指を拭った。
綾乃が、ぱくぱくと口を動かしている。声にならないらしい。
「お弁当を……食べながら、片手で……Aランクのボスを、粗大ゴミとして……? そんな処理、世界のどの探索者教本にも載っていません……!」
二度目の常識崩壊らしい。慣れていただくしかない。
放心したまま尻もちをついた御堂のもとへ、俺は仕事用のバインダーを抱えて歩み寄った。
「御堂凱様」
平熱で、窓口対応の声を出す。
「本日の立ち入り禁止区域への無許可侵入、ならびに森林資源の損壊、および三船町ダンジョン安全管理条例違反に基づき、貴ギルド『ゼウス・タクティクス』に対し、営業停止処分、ならびに金二億四千万円の損害賠償請求を決定いたしました。令状を、お受け取りください」
一千万人が見守る配信の前で、書類の束を差し出す。
御堂は、令状とドローンを交互に見て、口から泡を吹いた。そのまま白目を剥いて、後ろへ倒れる。
完璧だ。これで観光資源も、来期の予算も守られた。
俺は出張所へ戻り、自席のPCを開いた。
「さて。これで、保護フィルムが買える」
意気揚々と立ち上げた画面に、本庁財務課からのメールが一通、届いていた。
俺は、何気なくそれを開く。
『新条蓮治殿。申請されたタブレット用保護フィルム(九百八十円)、ならびに先の出張調査に係る戦闘食費(カツ丼代:九百八十円)につきましては、本庁財務規程第十四条に基づき、これを否決します』
事務室の時間が、止まった。
から揚げ弁当を膝に、世界を滅ぼす咆哮を平熱で消した男の目から、温度が消える。
代わりに宿るのは、ひさしく封じてきた光だ。かつて世界の滅亡を、たった一行のコマンドで書き換えてみせた――伝説の解析者の、底冷えするような輝き。
「……世界滅亡のバグを消すのは、構いません」
俺は、静かに立ち上がる。
「ですが、私のカツ丼を否決したこと。一生、後悔させて差し上げます。――財務省」




