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2.その極大魔法、消防法違反です。――Sランク配信者、田舎の観光用の森を燃やそうとしてライセンスBANされる


 午前十時。本日の俺の最重要課題は、世界の危機ではない。

 タブレット用保護フィルム、九百八十円の経費請求である。


 昨日、第一層で二百頭をデリートしたついでに、支給品タブレットの画面へ細かな擦り傷が入った。これを消耗品費で落とせるか否か。様式第七号の備考欄を、どう埋めるか。

 俺の頭は、それで満ちていた。


「先輩」


 給湯室の入り口に、氷室綾乃が立っていた。

 目の下に、濃い隈がある。一睡もしていない顔だ。本庁仕込みの姿勢の良さだけが、辛うじて崩れずに残っていた。


「昨日のは、何ですか」

「お疲れ様です。お茶、淹れますか」

「はぐらかさないでください。魔物が二百頭、術式の一つも見えないまま消えたんです。あれは何かの……環境バグですか」


 俺は湯呑みを置く。


「ただの適切なオブジェクト処理です。それより氷室さん。この保護フィルム、消耗品で通ると思いますか。修繕費扱いだと、始末書がもう一枚増えるんですが」

「……正気ですか」


 彼女が何か言いかけた、その時だった。

 デスクのPCが、けたたましい警報を上げる。


『警告。S級登録探索者・御堂凱、第二層「精霊樹の森」防壁ゲートを無断突破。立ち入り制限区域にて生配信を開始。同時接続、一千万』


 予告は正午のはずだった。抜け駆けだ。視聴者の意表を突く、とでもいう名目の。

 俺は壁の時計を見上げる。十時十二分。昼休憩まで、まだ一時間以上ある。


「……やむを得ません。残業になる前に、片付けますか」


 第二層「精霊樹の森」。

 透き通った樹皮の巨木が立ち並び、地を覆う若葉が淡く発光する。三船町が観光資源として守ってきた、数少ない財産だ。

 その森が、踏み荒らされていた。


 宙に数十機の撮影ドローンが浮かび、その中心で、金ぴかの防具を着た男が両腕を広げている。鎧の表面は、無数のスポンサーロゴで埋め尽くされていた。


「おーい、モブ視聴者諸君! 今日はド田舎の過疎ダンジョンを大掃除してやるからな! 税金泥棒の地方職員じゃ倒せないボスを、この俺様が華麗に一撃処理してやる。見逃すなよ!」


 御堂凱。登録者一千万人のスター配信者。

 彼のギルドメンバーが、足元の幼木を無造作に踏み砕いていく。精霊茶の苗だ。来年の収穫を待つはずだった若木が、玩具のように折れていった。


「直ちに探索を中止し、退去してください! ここは立ち入り禁止区域です!」


 綾乃が大剣を抜き、声を張る。御堂は鼻で笑った。


「おいおい、左遷された落ちこぼれの氷室ちゃんじゃないか。モブ公務員のルールなんてな、一千万人が求めるエンタメの前じゃ、紙切れ以下なんだよ」


 ドローンの脇に浮かぶコメント欄が、猛烈な速度で流れていく。


『公務員邪魔すんなw』

『氷室って落ちこぼれだろ?』

『凱さんやっちゃってくださーい!』


 綾乃の頬が、屈辱に強張る。

 俺はその横で、タブレットの様式第七号を開いたまま考えていた。やはり保護フィルムは、消耗品で押し通すしかない。


 御堂が、巨大な杖を天へ掲げた。


「最高のバズを見せてやる。Sランク、極大火炎魔法――『エンド・オブ・プロミネンス』!」


 空気が、灼けた。

 杖の先に生まれた光球は、見る間に膨れ上がる。直視できない。太陽の表面をそのまま切り取り、地上へ引きずり降ろしたような、純白の熱塊だ。

 半径数十メートルの巨木が、触れてもいないのに端から炭化していく。若葉が一斉に縮れて発火し、岩肌が飴のように溶けて垂れた。熱風だけで、俺の頬の産毛がちりちりと焦げる。逃げ場はない。あれが放たれれば、森は一秒で消し炭になる。


 その灼熱に応えるように、地が揺れた。

 樹々を押しのけ、家屋ほどの巨体が立ち上がる。苔と岩塊で組まれた腕。エリアボス、グラス・ジャイアント。Aランク変異種だ。

 だが、その鈍く光る巨体の表面さえ、熱塊の輻射で焦げ始めていた。Aランクの怪物すら、炙られる側に回っている。


「いいねえ、ボスのおでましだ! このしょぼい森ごと、ボスも灰にしてやる。それでこそ一千万人の見世物だろ!」


 御堂の顔は、もはや恍惚に近い。熱塊が放たれる、その寸前。


 俺は、役所の拡声器を口元に当てた。

 どこまでも平熱の、しかしやけによく通る声で告げる。


「誠に恐れ入りますが」


 御堂の動きが、わずかに止まる。


「そちらの極大魔法の詠唱は、『消防法第十二条――危険物の無許可貯蔵および使用』、ならびに『三船町ダンジョン安全管理条例第八条――森林資源の違法焼却』に抵触しております。直ちに処理いたします」


「は? 法律で魔法が消せるわけ――」


 言い終わる前に、俺はタブレットの『登録探索者・魔法ライセンス一時停止申請(緊急)』を呼び出した。

 指先で、決裁アイコンをダブルタップする。


 キィィィィン――。


 御堂の周囲に渦巻いていた巨大な術式が、突如、砂嵐のような黒いブロックノイズへと崩れた。世界を焼くはずだった純白の熱塊が、輪郭からモザイク状に分解されていく。

 彼の眼前に、無機質な警告ウィンドウが一枚、ポップアップした。


『Error 503: Service Unavailable.(消防法違反に基づき、貴殿の魔法行使権限は当サーバーより一時切断されました)』


 太陽が、消えた。


 ナパーム弾を思わせた熱量も、森を呑むはずだった暴威も、まるで壁のコンセントを引き抜かれた家電のように。シュウゥゥ……と、間の抜けた空気音だけを残して。

 あとには、焦げた匂いと、静寂だけが残った。


 俺の隣で、綾乃が呆然と立ち尽くしている。


「……消防法、で……? 詠唱も対抗魔法もなしに、Sランクの極大魔法が……たった一条の、条文で……?」


 声が、ほどけて消える。彼女の常識は、また一枚、音もなく剥がれ落ちたらしい。


「は……? 俺の、俺の魔法が……消え……」


 御堂が、杖を握ったまま立ち尽くす。震える指で、宙のステータス画面を何度も叩いた。


「嘘だろ、ステータスがバグって……魔力値が、ゼロになってる!?」


 コメント欄の流れが、一瞬で色を変えた。


『あれ? 凱さん何もできてなくない?』

『だっさwww』

『さっきまで神とか言っててごめんww』

『おい、配信切れてないぞwww』


 一千万人の手のひらが、残酷な速さで返っていく。


 そして御堂の正面では、焼かれかけたグラス・ジャイアントが、家一軒分の丸太のような腕を、ゆっくりと振り上げていた。


 俺は腕時計を確認する。

 十一時三十分、ちょうど。

 パチリと、タブレットを閉じた。


「さて。行政処分は、完了いたしました」


 御堂が、こちらを振り返る。すがるような目で。


「十一時三十分になりましたので、私はこれより一時間の昼休憩に入らせていただきます。役所の人間も、飯を食わないと持ちませんので」


「は……っ、おい、待て! このボスは、どうすんだよ!?」

「三船マートの弁当の残数を、確認せねばなりませんから」


 俺は踵を返す。


「せ、先輩!? ボスが、目の前に……!」


 綾乃の声を背に、俺は森の出口へ歩き出した。

 一千万人の生配信ドローンが、その一部始終を捉え続けている。


 背後で、魔法を失った御堂凱が絶叫した。


「嫌だあぁぁ! 助けてくれ、モブども――!」


 家一軒分の影が、御堂の頭上に落ちる。丸太の腕が、唸りを上げて――振り下ろされた。


 その鈍い震動を踵に感じながら、俺は弁当が売り切れていないことを、切に願った。


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