断罪の日
私が仕掛けた爆弾は翌朝爆発した。
朝食の準備をしている私の背後で夫が慌ただしくスマホを操作していた。その顔は青ざめ額には冷や汗が滲んでいた。
「どうしたの」
私が平静を装い尋ねると彼は震える声で答えた。
「会社から……会社から呼び出しだ。すぐに来いって」
「急な話ね」
私はトーストを焼きながら静かに観察した。彼の様子から察するにただの呼び出しではない。社長や役員といった上層部からの緊急の呼び出しだろう。私の仕込んだ内容証明郵便が今頃彼らの手元に届き彼を追い詰めているのだ。
夫はろくに朝食も食べず普段着の中で最も清潔なチノパンと襟付きのシャツに着替えた。鳶職人としての作業着ではない。畏まった場へ行くという彼の焦りが伝わってきた。顔は土気色でまるで死刑宣告を待つ囚人のようだった。
「行ってくる」
彼はそう言って玄関を出ていった。その背中に私は冷たい視線を送った。
行ってらっしゃいあなたの人生の最終章へ。
私はパートを休み一日中アパートで彼の「断罪」を待った。昼を過ぎた頃私は近所のユリエの部屋から聞こえてくる異様な物音に気づいた。
ユリエが何かにヒステリックに怒鳴っている声。そして物が床に叩きつけられる音。
私はすぐに理解した。ユースケが会社で追い詰められた結果ユリエに連絡を取り二人の関係が破綻したのだろう。彼もまた自分の保身に必死なのだ。
ユリエの母親からの圧力もあったはずだ。ユリエは親権を失う恐怖と愛する男を失う絶望そしてこの私への怒りで発狂しているに違いなかった。
午後五時を過ぎた頃夫が帰ってきた。
玄関のドアが開いた瞬間異様な空気が部屋に流れ込んできた。彼は着ていったシャツも乱れ顔には生気がなかった。
「ユースケどうしたの」
私は優しい妻のふりをして駆け寄った。
彼は私を見て突然崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。そして私を睨みつけた。
「お前……お前がやったのか」
彼の声は掠れていた。
「何を言っているの私は何も知らないわ」
「嘘だ!会社で全部バレたんだ。俺がユリエと……仕事中に密会していたこともLINEのやり取りも全部!社長に突きつけられたんだ!!」
彼は怒りと絶望で私につかみかかろうとした。だが彼の体にはもう力が入っていなかった。
「誰が……誰がそんなことをしたんだ⁉」
私はゆっくりと彼から距離を取った。そしてテーブルの上に置いていた一枚の紙を指さした。
「これを書いたのは私よ」
彼の視線がテーブルの上の紙に向けられた。それは私が用意した離婚届だった。既に私の署名と捺印が押されている。
「ユースケあなたは私に私達の愛に嘘をついた。私はそれを許さない」
「アイナ……頼む……悪かった。もう二度としない。ユリエとはもう切る。だから……」
彼は必死に私に縋ろうとした。その姿はかつて私が愛した逞しい鳶職人ではなくただの哀れな敗北者だった。
「もう遅い」
私は冷静に言い放った。
「あなたには社会的責任を取ってもらうわ。会社はあなたをどうしたの⁉」
「……諭旨解雇だ。顧客情報を扱う部署で不貞行為と職務怠慢。もうこの業界では働けない……」
彼の声は絶望に満ちていた。私は心の中で勝利の雄叫びを上げた。計画通りだ。
「そう。良かったわね。社会的な制裁が下されて」
私は彼の目線に合わせるようにしゃがみ込み彼の頬に冷たい指先で触れた。
「そしてユリエ。彼女もあなたとの関係を完全に断ったそうよ。彼女のお母様が私に会いに来てくださってね」
彼は私の言葉に愕然とした顔をした。ユリエまで自分を裏切ったと思ったのだろう。
「慰謝料は請求するわ。この離婚届にサインしなさい。そうすればあなたの社会的な抹殺はここでおしまいにする」
私は冷静にペンを差し出した。彼の手は震えていたが抵抗する力は残されていなかった。
彼は自分の全てを失ったことを悟った。仕事不倫相手そして私という「情」の存在。
彼はペンを握りしめ離婚届に自分の名を書き入れた。
私はその離婚届を静かに受け取った。これで終わりではない。これは始まりだ。
「さようならユースケ。あなたは私が世界で最も憎むべき人間よ」
私は彼を残しアパートのドアを開けた。彼の哀れな姿を二度と見たくなかった。
部屋を出ると一階のユリエの部屋のドアが勢いよく開き私を待ち構えていたかのようにユリエが飛び出してきた。彼女の顔は化粧が崩れ目元は真っ赤に腫れ上がっていた。
「アイナ!あんた……あんたが全部やったのね!!」
彼女は私に掴みかかろうとした。
「落ち着きなさいユリエ」
私は冷たい目で彼女を見下ろした。
「もうあなたの居場所はここにはないわ。娘さんのためにも早く引っ越しなさい。あなたの母親様もそうおっしゃっていたでしょう」
ユリエは私の言葉に全身の力が抜けその場に崩れ落ちた。娘の親権を失う恐怖が彼女を支配している。
私は彼女に背を向けアパートを後にした。




