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偽りの愛の終焉〜サレ妻アイナの冷徹な断罪〜  作者: 夏野みず


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10/12

静寂の庭

 復讐が完了してから、季節は二巡した。


 私の生活は規則正しく静かだった。正社員としての事務仕事を終え、静かなアパートに帰る。週末は図書館で本を読み、時折、駅前の小さな喫茶店で時間を過ごす。失った夫への憎しみや、裏切られた怒りは、もはや日常を支配しなかった。それらは、使い果たされた感情として、私の心の一番奥に仕舞われていた。


 私は清々しいほどの自由を手に入れたが、それは空虚とも隣り合わせだった。


 私は以前、ユースケと暮らしていた頃の自分を思い出そうと努めた。あの頃の私には、確かに「愛」があった。家族を築くという未来への希望があった。今、私の前にあるのは、誰にも邪魔されない平穏な空間だけだった。誰かを憎む必要も、誰かを愛する必要もない。


 ある日、職場の同僚が言った。


「アイナさん、いつも静かだけど、彼氏とかいないの? もったいないよ」


 私は曖昧に笑うだけだった。私にとって、他人と深く関わることは、再び傷つく可能性を意味した。愛するとは、裏切りの種を植えることだと、私は学んでしまったのだ。


 しかし、私は前に進まなければならない。復讐は過去を清算したが、未来を築くのは私自身だった。


 私は、自分のために新しい趣味を見つけようとした。ガーデニングを始めた。アパートの小さなベランダに、ハーブや小さな花を植えた。土を触り、水をやり、芽が出るのを待つ。それは、すぐに結果を求められた復讐とは違い、忍耐と静かな喜びを教えてくれた。


 特に、小さなミントの鉢を気に入った。爽やかな香りは、私の中の淀んだ空気を少しだけ綺麗にしてくれる気がした。


 そんな日常の中で、私は週に一度通う図書館で、一人の男性と出会った。彼はいつも、歴史書の棚の近くにいた。四十代半ばだろうか、穏やかな顔立ちで、少し疲れた様子のサラリーマンだった。私たちは、特に話すこともなく、ただ隣り合って本を読むだけだった。


 数週間が経った土曜日、私が手に取ろうとした歴史小説を、彼も同時に手に取った。


「ああ、すみません」


 彼はすぐに手を引っ込めた。


「いえ、どうぞ」


 私が言うと、彼は困ったように笑った。


「私、こういう時代小説が好きで。ただ、この作者の作品は、いつも途中で挫折してしまうんです。難しくて」


 彼はそう言って、気さくに話しかけてきた。彼の声は落ち着いていて、ユースケのような軽薄さはなかった。


 私たちは、その本をきっかけに、少しずつ言葉を交わすようになった。彼はIT企業のエンジニアで、仕事に疲れると、図書館で過去の世界に逃避するのが習慣なのだという。彼には妻や家族の話はなかった。私からも、過去のことは何も語らなかった。


 彼は私を「アイナさん」と呼び、私は彼を「カツミさん」と呼んだ。


 カツミさんは、決して私に踏み込もうとしなかった。ただ、静かに隣にいて、私が話すことだけを、穏やかに聞いてくれた。私は、そんな彼の距離感が心地よかった。それは、信頼とも愛とも違う、安全な距離だった。


 ある日の夕方、図書館を出た時、雨が降り始めた。


「傘、持ってますか」


 カツミさんが尋ねた。


「大丈夫です。家が近いので」


「そうですか。私は持っていますから、少し駅まで送らせてください」


 彼の申し出を、私は断ることができなかった。一つの傘の下、肩が触れ合うほどの距離で、私たちは駅に向かって歩いた。雨音だけが響く静かな道のりだった。


 駅に着いた時、カツミさんは言った。


「アイナさん、もしよかったら、今度お茶でもしませんか。図書館の外で」


 私は一瞬、戸惑った。彼との関係を、この安全な図書館の外に持ち出すのは、怖かった。だが、永遠に立ち止まっているわけにはいかない。


 私は、あの復讐によって得たものが、憎しみだけではなかったことを、この時理解した。それは、再び誰かに心を許すかどうかを、自分で決められる力だった。


「はい。ぜひ」


 私は静かに答えた。彼の顔に、小さな喜びの光が灯った。


 その夜、私はベランダのミントに水をやった。冷たい雨に打たれ、葉は力強く、青々と輝いていた。私の心の中で、何かが静かに、しかし確かに動き始めていた。

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