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口調から薄々察してはいたが、お前さんは関東出身だった。
そう言うと都会育ちのように思えるが、生家は県庁所在地から少し離れた下町のさらに端にあるらしかった。大
学に近い親戚の家に間借りしながら、日雇いで稼いだ金を学費に充てている。所謂苦学生だということを、私は女中たちのお喋りから知った。
お前さんは自分のことを話さなかった。下世話な女中に問い詰められたときも、微かに口元に笑みを浮かべただけで己の過去を一言も語ろうとはしなかった。それ故にお前さんの周りでは虚言妄言の類が蔓延ったが、お前さんは肯定も否定もせずただ静かに立っていた。
私と母だけは、お前さんのことを父から聞き及んでいた。
父の話によると、東京の大学で教鞭を執っている植物学者はその筋では有名な人で、父の元教え子らしい。その学者のゼミでお前さんは優秀な成績を収め、一番弟子として扱われるようになったそうだ。卒業論文を書くにあたって田舎での植物の生態を調べたいと要求するお前さんに、学者はかつての師である私の父を紹介した、とそんな経緯だった。
夏の間この家に滞在することをお前さんに提案したのは、父だった。もし父が言わなくても、母が勝手に話を纏めていただろう。
東京から訪れた美しい苦学生に、母は見るからに浮かれていた。
仮の住まいには、離れにある八畳の和室が当てられた。
かつて父方の祖母が祖父を亡くした後に一人で過ごしていた部屋だ。数年ぶりに開かれたそこはひどく埃っぽく薄暗かった。
女中に掃除させるつもりだったが、お前さんは一人で全てを済ませてしまった。
日に焼けて変色した畳の上に、シーツと枕で寝床を作った。窓際に小さな文机を置いた。他の空間は、大学の研究室から持ってきたという数十冊の本で埋め尽くされた。
他人の家で過ごすことに骨の髄まで慣れているお前さんは、まるで空気のように私たちの暮らしに溶け込んだ。
三日に一回、お前さんは父に連れられて様々な野生植物が繁茂する川辺や山肌、何年も手入れされていないそこらの畦道へと出かけて行った。後は論文を書いたり、膝に乗せた本に読みふけったりしていた。
野生植物の繁殖に関する分子生態学的研究が、お前さんの専門だったか。お前さんと父が出かけたときを見計らって百科事典ほどもある本のページを捲ったが、全て英語で書かれていた。
私はよく宿題やら本やらを抱えて、お前さんの部屋へと足を運んだ。客の目から隠れる位置に作られた渡り廊下は、いつ行ってもしんと静まり返っていた。
離れへ足を踏み入れるとき、私は自分の肉片が剥がれ落ちる心地がした。お前さんの元へ向かうときだけ、私は名家のお嬢さんではなくなった。
障子の前で、私はとんとんと床を叩く。お前さんがいると、どうぞと声がした。私が障子の隙間から体を滑り込ませると、また来たのですかとお前さんは笑って、ほらあの机をお使いなさいと文机を指し示すのだった。
自室を共有している姉が数か月ほど前から感染症を患っていることが、お前さんの部屋を訪ねる丁度いい言い訳だった。
私が同じ空間にいても、お前さんはペースを乱さなかった。私だけではない。誰に対してもそうだった。
コップ一杯の水に墨汁を一滴垂らしても、水が透明であることは変わらない。お前さんにとっては、私も母も女中もその他一切の事柄が一滴の墨汁だった。
そんなお前さんが好ましくもあり憎くもあった。
だからだろう。お前さんが私に話しかけたときのことを、まるで昨日のように鮮やかに思い出せる。




