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第6話:事案指定 第86号「残響家族」(其の二)

【内閣官房 第七準備室 事案記録抜粋】

指定番号:第86号「残響家族」

指定区分:第三種遮断(発令完了)

展開部隊:調査部 第3セル(音響・事象解析)


K団地4号棟の周囲には、通報からわずか数分で、完璧な遮断網が敷かれていた。


「配水管破裂およびメタンガス漏出事故」と書かれた仮設フェンスが道路を塞ぎ、

外周には警察官が立っている。だが、彼らは背を向け、

団地内部を直視しないよう厳密に指示されていた。


4号棟の前に停められた黒い機動指揮バンの車内で、山根は毛布に包まり

、温かい紙コップを握りしめていた。

手の震えが止まらない。


目の前では、グレーの防護スーツを着た調査部の男たちが、

大型モニターに映し出される団地の立体音響マップを注視していた。

画面上、4号棟の3階を中心として、赤黒い同心円の波紋が不気味に脈打っている。


「……主席調査官、302号室の内部計測データが出ました」


女性の鑑識技術官が、耳元の端末を操作しながら報告する。

「松永氏の遺体は完全な白骨化・乾燥壊死。部屋の空気滞留時間は推計四十二年分。

外の世界の数秒が、室内では数十年として消費されています」


主席調査官の男が、モニターの波形を睨みつける。


「トリガーは特定できたか」


「はい。被災者の発言音声から照合完了。事象を誘発する言語トリガーは『おかえり』、

およびそれに対する肯定の返答です。301号室から発信される擬似音声に応答し、

受容の言葉を返した瞬間、対象空間の局所的時間加速域が臨界に達します」


「昭和五十六年の記録と完全に一致するな」


主席調査官が低く呟いた。


「4号棟301号室。一家三人が夜間に行方不明となり、

数ヶ月後に密閉された室内で白骨死体となって発見された未解決事案。

……あの部屋は、死んだ家族を呼び戻そうとする強い残留念波が、

建物の鉄骨や配管を媒介にして『擬似家族の残響』を形成している」


「あの……」


山根が、恐る恐る声を上げた。


「松永さんは……本当に、死んでしまったんですか……? あんな、一瞬で……」


主席調査官が山根を振り返った。

その瞳には、侮蔑も哀れみもなく、ただ深い疲労と冷徹さだけがあった。


「彼にとっての一瞬は、あの部屋の中では孤独な四十年だった。

……家族の幻影を待ち続け、誰にも看取られず、密閉された部屋で餓死するまでの四十年だ」


山根は息を詰まらせた。

あまりにも残酷な真実だった。松永は、一瞬で殺されたのではなく、時間の檻の中に閉じ込められ、

四十年分の孤独を凝縮されて死んだのだ。


その時、バンの天井に設置された高感度集音スピーカーから、ザザッ、と激しいノイズが走った。


『――ピンポーン――』


車内の全員が凍りついた。

音は、団地の換気ダクトを通じて、棟全体へ響き渡っていた。


『お父さん、ただいま。あけて』


『あなた、帰ったわよ。晩酌のお酒、買ってきたわ』


今度は、一人の部屋ではない。

4号棟の全戸――一階から五階までの換気口、排水溝、インターホンの配線から、

一斉に「家族の声」が聞こえ始めていた。


「事態が変異しました!」


女性技術官が叫ぶ。


「残響音声が給排水管を共振体として利用、棟全体の住居へ同時伝播しています!

4号棟には現在、独居老人を中心に七世帯が在宅中。

応答者が一人でも出れば、棟全体が連鎖時間加速に巻き込まれます!」


モニターの中で、四階の住居の扉が内側からガチャリと開く映像が映し出された。

認知症を患う別の老人が、虚ろな目で廊下へ出ようとしている。


『――ただいま、おじいちゃん。あけて――』


「応答させるな!」


主席調査官が通信機を掴み、都内K町の作戦室へ叫んだ。


「評価班! 対象は広域認識捕食へ移行! これより事案区分を【第二種排除】へ格上げ要請!

執行班を突入させろ!」


『作戦室、了解。第二種排除を承認。……執行班第3エレメント、交戦規定解除。時間場を破砕し、

核を無力化せよ』


バンの外で、重厚な地響きが轟いた。

何者でもない名前を持たない者たちの漆黒の装甲車が、4号棟の階段室へ向けて急発進していった。


指定区分:第三種遮断 ──> 第二種排除(緊急発令)

事象属性:共振型広域時間汚染

展開:執行班 第3エレメント(特殊音響制圧)

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