↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

32/37

第30話:事案指定 第91号「影喰い」(其の二)

【内閣官房 第七準備室 事案記録抜粋】

指定番号:事案指定 第91号

事案名称:「影喰い」

事象分類:第一種物理干渉 / 概念連動変異

事後処理:本庁調査部 第1セル / 保安執行班(正規部隊)


『――はい、119番消防です。火事ですか、救急ですか?』


『きゅう、救急だ! 早く来てくれ! 腕が……作業員の腕がいきなり腐って千切れやがった!』


北部県境の広域消防指令センター。壁一面を覆う巨大なディスプレイと、

絶え間なく明滅するコンソールの光に照らされたフロアに、

スピーカー越しに悲痛な叫び声が響き渡った。

受話器を握る指令員が、キーボードに置いた手を止め、怪訝な顔つきでマイクに顔を寄せる。


『腕が千切れた? 重機に巻き込まれたんですか。落ち着いて、現場の住所を――』


『違う、機械じゃねえ! 影だ! 影が……ああっ!? 来るな、俺の足に……ヒィッ!』


直後、通信の向こう側で、太い丸太をプレス機でへし折ったような『ゴキボォッ!』という

凄惨な破断音が鳴り響いた。


『ギャアアアアアアアアアアッ!! 足がぁぁッ、俺の足がァァァァッ!!』


指令員が息を呑み、椅子を蹴り下げるようにして立ち上がった。

彼が即座に所轄の救急隊とレスキューへ出動指令を出すべく、

エンターキーへ指を振り下ろそうとした、まさにその瞬間だった。

彼の目の前のモニターが、不意にフリーズしたかのように硬直した。

直後、画面の中央に赤いアラートボックスが無機質に割り込む。


【広域行政管轄移行/出動保留(ステイ)】

【事案引継先:県警本部・労働基準局 特同捜査本部】


「な、なんだこれ……システムエラーか?」


指令員が困惑してマウスを叩くが、カーソルは微動だにしない。


「――当該通報は、現在追跡中の事案に指定されました」


指令台の背後から、ひどく平板で静かな声が降ってきた。

指令員が弾かれたように振り返ると、県防災局から出向してきている地味な中年の連絡係が、

バインダーを小脇に抱えて立っていた。彼の目は、目の前でパニックに陥る指令員ではなく、

モニターに表示された赤い文字だけを見据えている。


「待機って、あんた……今も現場で人が、腕が千切れたって!」


「大規模な有毒ガスの漏出、または不発弾起爆の疑いがあります。

二次災害を防ぐため、初動は防護装備を持った県警の特殊班が引き継ぎます」


連絡係は、指令員の悲痛な訴えを遮るように、感情を一切交えない事務的な口調で告げた。

彼は胸ポケットから黒い専用端末(タブレット)を取り出すと、慣れた手つきで画面を数度タップする。


「当該通信の録音データは証拠保全のため、こちらの端末へロック・移管処理を行います。

所轄は現状待機を維持してください」


カチリ、という微かな電子音と共に、指令台のモニターから119番の通信ログ、

現場周辺の監視カメラ映像、当該地域に紐づく基地局データが次々と消失していく。

それは、法的な協定とシステム上の絶対的な権限による、合法的かつ暴力的な隠蔽だった。

反論の余地すら与えられず、指令員は押し殺すように奥歯を噛み締め、

キーボードからゆっくりと手を離すしかなかった。


通報から四十分後。

完全に夜の闇に沈んだ北部山間部、ダム湛水予定地の廃集落・水無月村の解体現場。

すでに車で先行し到着していた連絡係――リエゾンが、現場へ続く荒れた一本道に

「有毒ガス発生につき立入禁止」と書かれた黄色い規制線を黙々と張り終えた直後、

乾いた土埃を巻き上げて、サイレンを鳴らさない漆黒のバンが三台、滑り込んできた。

首都圏に秘匿された本庁から急行した、第七準備室・調査部第1セルの実働部隊である。


「ご苦労。ここからは我々が引き継ぐ」


先頭の車両から降車してきた第1セルの調査官が、革製の防刃手袋を指先まではめ込みながら、

冷たい声で告げた。


「了解しました。これより現場管理権を第1セルへ全面委譲します」


リエゾンは短く一礼すると、脇に抱えていた分厚い紙のファイルを調査官へと差し出す。

彼は、後続車両から重装備の保安執行班が続々と展開を始めるのと入れ替わるように、

足早に外郭待機線へと下がっていった。

彼の任務はここからだ。明日の朝刊の地方版の隅に載せるための『一酸化炭素中毒および重機事故』

という目くらまし調書の作成と、遺族への補償手続き。

その無機質で冷酷な事後処理こそが、彼の戦場だった。


「……ひどい有様だな」


現場から三十メートルほど離れた位置に停められた指揮車両の中。

調査官は、腕を組みながら、

現場上空に展開された赤外線ドローンからの映像をモニターで見つめていた。

薄暗い車内には、各種センサーの駆動音と、無線機から漏れるノイズだけが響いている。

画面に映し出された現場には、四名の作業員の遺体が、まるで乱暴に捨てられた人形のように無造作に

転がっていた。出血などの外傷は一切見られない。だが、手足や首があり得ない方向へねじ曲がり、

防寒着の内側で内部組織が完全に粉砕されていることが、その異様な姿勢から窺い知れた。

彼らの周囲には、破壊された古い石櫃(いしびつ)の残骸と、

消灯された仮設投光器が静かに転がっている。


「分析班、事象のルールと発動条件の推移を」


「はい」


隣の席でコンソールのキーボードを叩き続けていた分析官が、

複数のデータを並行してメインモニターに展開する。


「現場に残された作業員のスマートフォンの録画データ、

並びに現在の赤外線・サーモグラフィ観測の数値を統合。事象の発火起点は、

仮設投光器の点灯時刻と完全に一致します」


「光学的な干渉か。被害者の欠損部位との関連は?」


「録画データをコマ送りで解析した結果……未確認の非実体事象(黒いシミ状の陰影)が、

被害者の『影(二次元)』の部位に接触、物理的損壊を与えています。

その損壊情報が、わずか0.02秒のタイムラグで実体の肉体(三次元)へフィードバックされ、

完全な同期破壊を引き起こしています」


「概念連動型の呪法か。媒介は『光』と『影』の境界線だな」


調査官の顔には、目前の惨劇に対する恐怖も同情もない。未知の怪異を、

極めて論理的な物理法則の枠組みに当てはめ、パズルを解くように解体していく。


「過去のアーカイブとの照合結果は?」


「本庁のデータベースより、明治初期の内務省警保局『異形改方(いぎょうあらためかた)』の

記録に一件ヒット。同地の『影喰イノ石櫃』を封じた文書が存在します」


分析官がサブモニターに表示した、黄ばんだ和紙の古文書データを、調査官は目を細めて読み解いた。


「……『陰陽ノ呪ヲ以テ縛ス』『反閇(へんばい)ニテ地ヲ鎮メ』。古い手合いは、

歩法で光と影の焦点を散らし、呪術で強引に封じ込めたか。ひどく非効率で命懸けのプロセスだ」


「同意します。当時の彼らにはそれしか手段がなかったのでしょうが、

現在であればより安全かつ工学的に事象を抑え込めます」


彼らはオカルトを迷信と否定しているのではない。

過去の呪術的なアプローチを「古い手法」として客観的に分析した上で、

現代の圧倒的な工業力と科学的プロセスによる物理的制圧へと変換しようとしていたのだ。


「SOP(標準対処手順)を策定する」


調査官はインカムのマイクを引き寄せ、現場の封鎖線で待機する重装備の保安執行班へ指示を飛ばした

。

「対象は『光』と『影』の境界線が成立する空間でしか概念干渉を起こせない。

ならば祈祷も歩法も不要だ。機材班、夜間土木工事用の『超強力メタルハライド・バルーン投光器』を

四基搬入しろ」


『了解。配置座標は?』


「現場の四隅だ。数万ルーメンの光を交差・集中照射し、手術室の無影灯と同じ原理で空間から

『影そのもの』を物理的に完全消滅させる」


「対象の攻撃ベクトルを、根元から断つわけですね」


分析官の確認に、調査官は深く頷いた。


「その通りだ。干渉能力を失った隙に、砕けた石櫃を厚さ五ミリの鉛シートと

即硬化樹脂で物理的に塞ぎ、再封印する。行動開始」


『――保安班、了解(コピー)』


無線の向こうで短く応答した保安執行班の隊員たちが、重い加圧タンクを無言で担ぎ上げる。

彼らはタクティカルヘルメットに装着した暗視ゴーグルを跳ね上げ、漆黒の闇の中、

砕けた石櫃が待つ現場の中心へと、無機質で統制の取れた足音を響かせながら前進していった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。