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第2話(後編):事案指定 第84号「常世浸食」

【内閣官房 第七準備室 事案記録抜粋】

指定番号:第84号「常世浸食」

指定区分:第二種排除(現場承認完了)

展開部隊:調査部 第4セル / 執行班 第2エレメント


漆黒の装甲車が、トラックの真正面にノーズをねじ込むように急停止した。

続いて滑り込んできた大型バンのスライドドアが開き、

グレーの防護スーツに身を包んだ二名の男女が降りてくる。


そのうちの一人、胸元に「調査部」と刻まれた識別タブをつけた細身の男が、

三宅のパトカーの窓をコンコンとノックした。

男の顔には、夜間用の特殊偏光グラスが掛けられている。


「開けろ、三宅巡査。ここから連れ出してやる」


三宅が震える手でロックを解除した瞬間、ドアが外側から乱暴に引き開けられた。

男は手際よく三宅の襟首と腕を掴み、ほとんど抵抗を許さない力で車外へ引きずり出した。


「た、立ってられない……足が……」


「深呼吸しろ。過呼吸を起こすな」


もう一人の女性調査員が、手持ちの端末を操作しながら無駄のない足取りで近づいてきた。

彼女は三宅の制服の裾に付着していた数滴の黒い泥を見とがめると、

ガラス製のヘラで素早くそれを掻き取り、冷却剤の入った小型の金属容器へと収めた。

容器の中で、泥が一瞬だけ激しく泡立ち、冷やされて沈黙する。


「汚染度測定……生体波形反応を確認。局所的な泥状化の拡大傾向を認めます」


女性が、耳元の通信機へ報告をする。


「本部に上げます。対象は完全に活性化しています」


パチ、と雑音混じりの通信が、男のイヤホンから漏れ聞こえた。

都内K町の地下で作戦を見届けている、統合事態評価班の声だ。


『――作戦室、受領。照合完了』


その声は、山奥の惨劇とは隔絶された、冷徹な事務処理そのものだった。

『事案指定第84号「常世浸食」。旧M隧道奥、旧軍地下施設跡の地脈汚染が旧道へ漏出。

通常火器に対する完全無効化特性を確認。……これより、事案区分を【第二種排除】へ格上げする。

執行班、交戦規定(ROE)解除。実力行使による制圧および完全収容を開始せよ』


「第二種、承認」


調査員の男が短く返し、三宅の背中を押して装甲車の陰へと追いやった。


「動くな。目を閉じろと言いたいところだが、見たければ見ていろ。……どうせ、すべて忘れる」


装甲車の後部ハッチが重々しく開かれた。

降りてきたのは、黒いCBRN(化学・生物・放射線)防護衣の上に爆発物処理用の重防爆プレートを

固定した、無骨極まりない姿の隊員たちだった。

ヘルメットに装着された夜間暗視ゴーグルが、緑色の鈍い光を放っている。

一言の私語もない。足音すら不気味なほど統一された、冷徹な執行部隊。


執行班(TRU)第2エレメントだった。


トラックのキャビンが、異音を立てて激しく軋んだ。

窓の隙間から、五十嵐の顔を模した黒い泥が、何十本もの太い触手となって噴き上がった。

トラックのルーフを飴細工のようにへし折り、鉄板を裂きながら

質量そのものを数倍に膨張させていく。


『――みやけええええええええッ!』


五十嵐の絶叫を何重にも重ねたような、鼓膜を裂く怪音が旧道の闇を震わせた。


だが、執行班の隊員たちは微動だにしなかった。


「ポイントマン、シールド前進」


エレメント・リーダーの短く硬い号令。


先頭の隊員が構えたのは、機動隊のジュラルミン盾を二重に溶接し、

裏面に防弾鋼板とゴム材を裏打ちした重量級の防護盾だった。

唸りを上げて叩きつけられた泥の触手が、シールドに直撃する。

泥の触手が叩きつけられるたび、金属の軋む鈍い衝撃音が山奥に響く。


「化学剤、塩化カルシウム散布。ボイラー回せ」


隊員が背負った散布機から、融雪用の高濃度塩化カルシウム水溶液が白煙とともに噴射された。

泥の表面が激しい熱反応を起こし、ドロドロと泡を吹きながら陶器のように白く硬化していく。


『ギ、ギギギ……ッ、ガァッ!』

異形が苦悶の咆哮を上げる。塩化カルシウムの化学反応が、その流体構造を強制的に凝固させ、

自己修復の連鎖を断ち切っていく。


「間を置くな。液体窒素、ホース引け!」


伴走車の荷台に固定された工業用液体窒素ローリーから、極太の耐寒ホースが引き出された。

バルブが回され、マイナス百九十六度の白煙がキャビン全体を白く染め上げる。


バキバキバキッ! と、大気が凍りつく凄まじい破壊音が響いた。

のたうち回っていた触手が、五十嵐の輪郭を模していた泥の顔が、白く凍りつき、

一瞬で青白い氷塊へと変異していく。

熱を奪われ、運動能力を完全に喪失した怪異は、カチカチに凍りついたまま完全に静止した。


「重機入れろ。キャビンごと落とすぞ」


隊員たちが使い慣れたエンジンカッターでトラックのフレームを切断し、

火花を散らしながら油圧ウインチで鉛内張りのコンテナへ引きずり込んでいく。

金属と氷の塊となった異形は、何の尊厳も、

何の余韻も与えられることなくコンテナの暗がりへ放り込まれ

分厚い鉄扉が重々しい金属音を立てて密閉された。


交戦開始から、わずか三分二十秒。


すべてが終わっていた。


パトカーの陰で、三宅は膝をついたまま、ただ荒い息を吐いていた。

五十嵐巡査部長の命を奪い、自分を狂気の底へ叩き落とした怪異は、

いまや番号の振られたコンテナの中に詰め込まれ、ワイヤーで固定されている。

工場で不良品を廃棄するような、あまりにも機能的で、あまりにも無機質な作業だった。


「五十嵐さんは……」


三宅の唇が、震えながら言葉を紡ぎ出した。


「五十嵐さんは……どこに行ったんですか。あの中に……まだ、いるんじゃないんですか……!」


調査部の男が、三宅の前に静かに膝をついた。

男はスーツの内ポケットから、

くすんだステンレス製の筒――高圧無針注射器(ジェットインジェクター)を取り出した。

先端に使い捨ての薬品アンプルを押し込み、カチリと装填する。


「五十嵐巡査部長は、職務中に死亡した。旧M隧道の老朽化による天井板の崩落事故だ。

同乗していた三宅巡査は奇跡的に軽傷で救出された。

……君の記憶も、警察の調書も、明朝の新聞も、すべてそう記録される」


「嘘だ……! そんなの、全部嘘じゃないか! 俺は見てたんだぞ! 五十嵐さんは、あいつに――」


「……すまないな。だが、お前が見た真実を残しても、誰も救われないんだ」


調査官の持っている銀色の金属の筒が、三宅の首筋に冷たく押し当てられた。


バシュッ――。


高圧炭酸ガスが弾ける鋭い破裂音。針のないノズルから、

超高圧で噴射された急性健忘剤が皮膚の毛穴を突き抜けて皮下組織へ打ち込まれる。

焼け付くような衝撃のあと、氷水を流し込まれたような脱力感が脳を襲い、

三宅の視界は水底へ沈むように急速に暗転した。


「忘れろ、巡査」


遠のく意識の向こうで、男の声が最後に響いた。


「お前たちが守るべき日常の裏側には、これがある。だが、それを知る権利はお前にはない」


三宅の視界は、そこで完全に暗転した。


翌朝。

都内K町、雑居ビル地下2階。第七準備室作戦室。


壁面の大型モニターには、全国ネットの朝のニュース番組が映し出されていた。


『――続いてのニュースです。昨夜十時半ごろ、N県T市の旧Mトンネル付近で土砂崩れが発生し、

パトロール中のパトカーが巻き込まれました。この事故でT署の五十嵐巡査部長が死亡、

同乗の男性巡査が軽傷を負いました。県警では昨今の記録的な大雨による地盤の緩みが原因とみて――』


カタカタ、カタカタと、キーボードを叩く音だけが室内に響いている。

情報管理班のオペレーターが、N県警のサーバーおよび自治体の災害記録データベースの書き換え完了を確認し、静かにエンターキーを押した。


【事案処理最終記録】

事案指定:第84号「常世浸食」

対処ステータス:完全収容

検体所在:都内K町 地下4階 低位収容セル B4-084へ移送完了

カバーストーリー:自然災害(インフラ老朽化および局所土砂崩れ)

被害者公的記録:職務中事故死1名、負傷1名(記憶整合措置完了)

情報統制:完了 / 事案終了(クローズ)


作戦室の赤い警告灯が静かに消灯し、室内の蛍光灯が通常の白色光へと戻る。

誰一人として言葉を交わす者はいなかった。

オペレーターたちは、全国の警察・消防インフラから休むことなく流れてくる、

次の膨大な通信ログへと視線を戻していった。

【用語解説:第七準備室の編成・装備】

◆ 執行班(TRU:Tactical Response Unit)

第七準備室直轄の実力制圧部隊。一般の警察・自衛隊では対処不能な異常事象に対し、

重装備を用いた物理破砕・拘束・完全収容を担当する。


◆ エレメント(戦術小隊)

執行班の運用における最小戦術単位(1チーム6名編成)。

作中の「第2エレメント」は現場に突入した第2小隊を指す。


◆ 調査セル

調査部が現場へ派遣する最小単位の調査班(通常2〜3名編成)。

事象の観測、属性同定、原因の解明を担う。


◆ 高圧無針注射器(ジェットインジェクター)

針を用いず、高圧ガス(炭酸ガス等)の圧力で極微小の孔から液状薬剤を皮膚下に直接浸透させる医療器具。現場を目撃した一般人・警察官へ即効性の健忘誘発剤を投与し、

記憶の定着を物理的に遮断するために用いられる。


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