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第27話:事案指定 第90号「夜間病棟の空床」(其の四)

内閣官房 第七準備室 事案記録抜粋】

指定番号:事案指定 第90号

事案仮称:「夜間病棟の空床(くうしょう)」

事象分類:第二種認識寄生 / 欠損生体変異

現地臨場:本庁調査部 第1セル / 保安執行部 第1班

適用手順:SOP-90-ガンマ(生体デコイ犠牲プロトコル)

使用機材:第一種領域補完杭(試作六型)


中新川総合病院の一階裏口。雨風を凌ぐために張られた機材テントの下で、第1セルの分析官が、

鉛シールドを施されたチタン製のコンテナのロックを解除した。

ドライアイスの白煙とともに姿を現したのは、

全長一・五メートルにおよぶ金属製の円柱――『第一種領域補完杭(通称:アンカー)』である。


これは通常の土木建築資材ではない。過去に第七準備室が処理した

「地図から村落ごと消滅した空間異常事案」等の研究成果を基に、

本庁開発部が実用化した事象鎮圧用の特殊機材だった。

空床や欠番といった『概念上の空白』に対し、

物理的な質量を流し込んでも空間は際限なくそれを飲み込んでしまう。

そのため、この杭の内部には、身寄りのない孤独死者の破棄された戸籍謄本を灰にして定着させた

呪物基板と、そこに絶えずダミーの住民基本台帳データを発信し続ける高密度メモリーが

物理的に融合・封入されていた。

物理空間の穴を塞ぐのではなく、空間の欠番に対して「ここはすでに満床である」という

『偽造された概念(ダミーデータ)』を強制的に流し込み、

怪異の収奪ルールを根本からバグらせて上書きする。それがこの機材のプロセスである。


分析官がアンカーの最終動作テストを完了した傍らで、異様な作業が淡々と進められていた。


第一種密閉装具(重防護スーツ)を着装した保安執行部第1班の隊員三名が、互いの胸部と腹部に、

支給された「豚の未処理臓器」を押し当てている。

生々しい血の匂いと内臓特有の獣臭が立ち込める中、隊員たちは工業用の極厚ダクトテープを引き出し、防護服の上から臓器の塊を幾重にもぐるぐると巻き付けて固定していく。

おぞましい儀式のような光景だったが、彼らの間に私語や躊躇は一切ない。

指定された六キログラムずつのデコイ(囮)を装着し終えると、班長はアンカーを台車に乗せ、

床材ごと打ち込むための空圧式パイルドライバーの圧縮ボンベの圧力を事務的に確認した。


「保安第1班、準備完了」


「了解。これよりSOP-90-ガンマへ移行する。全隊員、四階の目標地点へ」


午前七時三十分。

四階のナースステーションに設営された観測所で、調査官がモニター越しにカウントダウンを開始した。


「目標は404号室中央の空間歪曲核。タイムリミットは百四十秒。……突入せよ」


班長が404号室の木製の引き戸を乱暴に蹴り開けた。

むせ返るような血と線香の臭い。暗闇の中、コンクリートが剥き出しになった室内には、

十数体の「内臓のない肉塊」たちがひしめき合っている。

隊員たちが重いブーツで敷居を跨いだ、その瞬間だった。


――ブチュンッ!!!

――ブヂュッ! ヂュンッ!!


空気を極限まで圧縮して弾いたような激しい破裂音が連続して響いた。

隊員たちの防護服の『外側』に巻き付けられていた豚の臓器群が、

一瞬にして見えない巨大な力で剥ぎ取られ、空間の彼方へ強制転送された。

ちぎれ飛んだダクトテープの破片が宙を舞う。強烈な真空の引っ張りに巨漢の隊員たちの体が

大きくよろめいたが、彼らは無言で踏みとどまり、

すぐさま台車を押して部屋の中央――図面上の「空床の中心」へと進み出た。


『外部デコイの消失を確認。タイマー作動、残り百三十秒』


インカムから分析官の無機質な声が響く。


新鮮な臓器を飲み込んだ404号室の空間が、一時的な飽和状態に陥って微細なノイズを上げる。

しかし、床を這いずり回る肉塊たちは満たされてはいなかった。


『……たりない……』


『……からっぽなの……』


顔のない頭部を振り乱し、黒い胆汁を吐き出しながら、

彼らは新たな内臓を求めて隊員たちの足元へ一斉に群がってきた。

空っぽの腹から伸びた大動脈のような触手が、隊員のブーツや防護服の脚部にべちゃりと巻きつく。


班長は感情の動かない目で足元の肉塊を見下ろすと、安全靴の爪先でその顔面を容赦なく蹴り飛ばした。

顎の骨が砕ける嫌な音が響き、肉塊が廊下まで吹き飛ぶ。他の二名の隊員も、

作業の邪魔になる肉塊たちをただの障害物として次々と蹴り退け、空間の中心点へアンカーを立てた。


『残り九十秒。遅れなし』


「パイルドライバー、起動」


班長がトリガーを引く。ガガガガガッ! という鼓膜を破るような激しい破砕音が室内に響き渡り、

アンカーの先端がコンクリートの床材を砕いて地中へと突き進んでいく。

這い寄る肉塊を蹴り飛ばし、打ち込みを続ける。単調だが、

一秒でも滞れば全員の腹が裂かれる極限の土木作業だった。


『残り四十秒』


『残り三十秒……。収奪アルゴリズムの再計算開始。事象がデコイの偽装に気づき始めています』


分析官の声がわずかに早口になった直後、

パイルドライバーを支えていた隊員の一人が「ぐっ……!」と短く呻き、片膝をついた。

彼の防護服の『内側』――腹部の装甲が、

見えない万力で内側から強く締め付けられるようにミシミシと歪み始める。

怪異が偽物の供物を処理し終え、次なる本物のターゲットとして、

防護服の内側にある隊員の肝臓と胃を指定し始めたのだ。


『残り十秒。隊員の生体反応に極度のストレス。空間収奪のロックオンが入ります』


「打ち込み完了! 固定!」


班長がパイルドライバーを蹴り退け、

深く突き刺さったアンカーの頂部にある起動スイッチを手のひらで力任せに叩き込んだ。


『残り三秒――アンカー起動確認。領域補完データを空間にパージ(展開)します』


アンカーの円柱から、鼓膜の奥を直接揺さぶるような重低音のハムノイズが放たれた。

封入された死者の戸籍基板とダミーの住民データが、

404号室を満たしていた「欠番の引力」に対して強制的に上書きされていく。

『このベッドにはすでに患者が存在する』。

その偽造された概念が空間を埋め尽くした瞬間――。


フッ、と。

隊員の腹部を締め付けていた強烈な物理的圧迫感が、嘘のように消え去った。


同時に、隊員たちの足元に群がり、触手を伸ばして蠢いていた無数の肉塊たちがピタリと動きを止めた。

彼らを動かしていた「空白を埋めようとする引力」がシステム上から遮断されたことで、

異常な物理法則が正常化したのだ。

肉塊たちは瞬く間に白蝋色の皮膚から水分を失い、ドロドロとした黒い汚泥と、

炭化した有機物の残骸へと崩れ落ちていった。


静寂が戻った404号室に、アンカーの低い駆動音だけが響き続ける。


「……空間の引力消失。事象の不活性化を確認」


荒い息を吐きながら、班長がインカムへ淡々と報告した。


『本庁作戦室より第1セルへ。事案指定第90号の物理的制圧を確認した。

これより事後処理フェーズへ移行する』


通信機越しに下された指示を受け、調査官はナースステーションの観測用モニターの電源を落とした。

【機材解説:第一種領域補完杭(アンカー)】


開発経緯と構造

空間異常(欠番や地図からの消失など)によって生じた「概念的な空白」を埋めるため、

第七準備室本庁開発部が過去の事案研究から実用化した特殊機材。

内部には、引き取り手のない孤独死者の戸籍謄本を焼成・定着させた呪物基板と、

膨大なダミーの住民基本台帳データを生成し続ける高密度メモリーが融合されている。


作用機序

物理的な力で穴を塞ぐのではなく、空白を求める空間の引力に対して

「ここはすでに満床である(データが存在する)」という偽造された概念を強制的に流し込み、

怪異の収奪アルゴリズムをバグらせて沈黙させる。オカルトと現代情報科学を融合させた、

第七準備室ならではの鎮圧兵装である。

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