第17話:事案指定 第88号「天落変異」(其の五)
【内閣官房 第七準備室 事案記録抜粋】
指定番号:第88号「天落変異」
指定区分:第一種消去(第四種焦土プロトコル執行)
執行機関:内閣官房 第七準備室 特命航空運用班
投下兵器:特殊熱量過負荷弾頭(極超高温焼灼兵器 / 非公認兵装)
投下目標:H道N郡N村 開拓集落(北緯43度/東経142度周辺)
事後処理:道警・陸自一般要員に対する忘却措置、および地質災害偽装
午前五時四十八分。
N郡国有林、林道入口のゲート前。
道道との交差点には、道警のパトカー三台と陸上自衛隊の高機動車が横付けされ、
赤色灯とハザードランプが雪の壁を鈍く照らしていた。
山頂のクレーターから撤収を命じられた第二普通科連隊の森脇二尉は、
防寒戦闘服のポケットに手を突っ込み、凍てつく吐息を漏らしながら林道の奥を睨みつけていた。
「森脇小隊長、本当にこのまま待機でいいんですか」
隣に立つ陸曹長が、小銃を抱え直しながら苛立たしげに呟く。
「クレーターには内閣府を名乗る連中が入り、
麓のプレハブには厚労省の感染症班が乗り込んできた。
……我々自衛隊も、そこの道警さんも、ただの門番扱いですよ」
数メートル離れたパトカーのボンネットの脇には、道警本部の鑑識腕章を巻いた伊達警部補が、
無言で衛星端末の画面を凝視していた。
伊達の視線は、林道の上流――谷の奥深くへと向けられたままだ。
その横顔には、普段の鑑識官としての落ち着きは微塵もなく、張り詰めた緊張の色が濃く刻まれていた。
突如、森の奥から猛烈な排気音が響いてきた。
ギュルルルッ、とスタッドレスタイヤが雪泥を跳ね飛ばし、
第3セルの大型パネルバンと第2セルの四輪駆動車が、横滑りしながらゲート前へ滑り込んできた。
急ブレーキとともに停止した車両から、タイベックスーツ姿の第3セル班長と、
泥まみれの第2セル班長が転がり出るように降り立つ。
「おい、一体何があったんです!」
森脇が駆け寄ろうとした瞬間、第2セル班長が鋭い怒号を叩きつけた。
「全員伏せろ! 車両の陰に入れ!」
「なっ――」
「車両を遮蔽物にしろ! 谷の方向を絶対に見るな!」
第3セル班長も叫びながら、路面の雪だまりへ身を投げ出した。
伊達が即座に所轄の警察官二名の首根っこを掴んでパトカーの陰へ引き倒し、
森脇も反射的に隊員たちへ向けて怒鳴った。
「総員、伏せて 頭を抱えろ!」
自衛官と警察官たちが雪面へ張り付いた、その刹那だった。
――ゴォォォォォォォッ。
頭上の厚い雪雲を切り裂いて、空を引き裂くような重低音が大気を揺らした。
民間機でも、自衛隊の通常哨戒機でもない。国籍マークも機体番号も一切記されていない、
濃紺一色の双発大型戦術機。
三沢沖の領空外縁から超音速で進入してきた漆黒の機影が、音速の壁を突破する衝撃波とともに、
集落の真上を低空で通過していった。
機体の腹部から、一本の無骨なキャニスターが投下された。
パラシュートは開かない。自由落下した金属筒は、開拓集落の中央、
牛舎と民家の密集する雪原へ向けて垂直に突き刺さった。
次の瞬間、世界の音が完全に消え失せた。
爆発音ではなかった。
ドン、という衝撃すらなく、ただ視界のすべてが純白に染まり上がった。
パトカーの鋼鉄のボディ越しに、目を閉じた瞼の裏まで焼き尽くすほどの、圧倒的な白色閃光。
数千度の極超高熱――サーマル・オーバーロード。
外宇宙吸熱生体が持つ吸熱変換機構の物理的限界値を、一瞬にして数万倍上回る絶対熱量が、
直径一キロメートルの空間に隙間なく叩き込まれたのだ。
遅れて、猛烈な熱風が林道入口を襲った。
氷点下の山気配が一瞬で吹き飛ばされ、パトカーの窓ガラスがバキバキと熱膨張でひび割れる。
積もっていた路面の雪が蒸発し、分厚い白煙となって周囲を覆い尽くした。
牛舎を食い破り、村人たちの肉体を乗っ取って増殖していた数千匹の幼生群。
中途半端な熱を餌として活動を加速させていた異形の生命体は、逃げる暇も、
熱を吸い込む余地すら与えられず、細胞の原子結合そのものを焼き切られ、
一瞬で不可逆的な炭化灰へと還元された。
宿主とされていた村人六十名の肉体も、家屋も、木造の牛舎も、すべて等しく、
白い閃光の中で炭素の塵へと昇華した。
十数秒後。
熱風が収まり、蒸気と灰が混じり合った黒い雨がパラパラと降る中、
森脇は震える腕で雪面から身を起こした。
「……あ、ああ……」
森脇の横で、若い陸士長が言葉を失って立ち尽くしていた。
林道の先、つい先ほどまで開拓集落の赤いトタン屋根が見えていた谷底。
そこには、集落の痕跡など何一つ残っていなかった。
十数軒の家屋も、電柱も、牛舎も完全に消失し、ただ直径数百メートルにわたって、
ガラス状にドロドロに溶け落ちた黒いクレーターが、赤熱した蒸気を上げているだけだった。
「集落が……村が……消えた……?」
森脇の唇が小刻みに震えた。
「爆弾……いや、熱線か……? 中にいた村人たちはどうなったんだ……!」
その問いに答える者はいなかった。
第2セルと第3セルの調査員たちは、すでに平然とした足取りで車載端末を操作し、
冷却測定を開始していた。
「熱量過負荷、正常終了」
第2セル班長が衛星回線へ向けて淡々と打電する。
「対象生体組織、熱暴走による完全炭化を確認。周囲地殻への残留吸熱反応、ゼロ。
……事案指定第88号、消去完了」
『――作戦室了解。現地セルの迅速な初動に感謝する。直ちに事後隠蔽シークエンスへ移行せよ』
午前七時零分。
雪が止み、薄暗い冬の陽光が灰色の山肌を照らし始めていた。
林道入口には、すでに民間企業を装った大型のダンプカーとショベルカーが三台配備され、
谷へ向けて大量の土砂と砕石を運び込み始めていた。
熱線によって抉り取られた谷底を埋め戻し、自然な山体崩壊の現場を偽装するための土木資材だった。
パトカーの横で呆然と立ち尽くしていた所轄の警察官二名と、森脇小隊の隊員たち。
その背後へ、白い防護服を脱ぎ捨て、黒い作業ツナギに着替えた第3セルの要員が無言で歩み寄った。
要員の手には、金属製の細長い器具が握られていた。
針のない、医療用の高圧無針注射器。
「……おい、あんたたち、さっきの飛行機は一体何なんだ!」
森脇が振り返り、第3セルの胸倉を掴もうとした。
「あんな兵器、自衛隊にも米軍にも存在しない! 村人全員を消し飛ばしたんだぞ! 説明しろ!」
だが、森脇の腕が届くよりも早く、後方から回り込んでいた伊達が、
森脇の肩を背後から冷徹に拘束した。
「森脇二尉、動くな」
「だ、伊達さん……!? あんた、警察だろうが!?」
「警察の仕事は終わった」
伊達の声には、一切の感情が籠もっていなかった。
「貴官らが目撃した事象は、国家安全保障上の最高機密に属する。
……これ以上の認識は、貴官の生命と軍歴の双方にとって不利益にしかならない」
第3セルの要員が、森脇の首筋へ無針注射器のノズルを押し当てた。
シュッ――。
炭酸ガスの短い高圧噴射音が響く。
高圧で射出された微小な薬剤の霧が、皮膚の毛穴を通り抜け、森脇の頸動脈へと直接浸透していった。
痛みはない。ただ、冷たい金属の板を首筋に押し当てられたような感覚とともに、
思考の輪郭が急速に霞み始めた。
「な……にを……」
森脇の膝から力が抜け、雪の上に崩れ落ちる。
周囲を見れば、小隊の隊員たちも、所轄の警察官たちも、同様に首筋へ器具を押し当てられ、
次々と雪の上へ倒れ伏していた。
「逆行性健忘導入剤、投与完了」
要員が無機質に告げ、空になったアンプルを収納ケースへ戻した。
「直近六時間の短期記憶の断片化を確認。……三十分後に覚醒します」
伊達は手元の端末を操作し、
あらかじめ本庁作戦室から配信されていた偽装調書のテンプレートを展開した。
【事故調査報告書(案)】
発生日時:十一月四日 午前四時頃
発生場所:H道N郡N村 開拓集落
事象概要:旧日本軍遺棄弾薬、あるいは未確認の地下メタンガス層への
落雷・引火による局所的大規模ガス爆発。
人的被害:集落全住民(十二世帯・六十一名)の死亡確認。
被害状況:爆発の衝撃およびそれに伴う大規模土砂崩落により、集落全域が埋没・壊滅。
出動部隊:陸上自衛隊・道警による災害派遣および救助活動(二次災害危険のため立入制限)。
「……完璧な筋書きだな」
伊達が自嘲気味に呟いた。
「ええ。誰も疑わないわ」
第3セル班長が、黒煙を上げる谷底を一瞥した。
「村人は全員死に、現場は土砂で埋められる。隕石も、宇宙生物も、
最初からこの山には落ちてこなかった。……ただの痛ましい自然災害よ」
遠くの空から、遅れて出動要請を受けた道警の航空隊ヘリのローター音が、虚しく響き渡っていた。
名もなき公務員たちは、誰一人として振り返ることなく、機材を黒塗りの車両へと積み込み、
夜明けの雪道を静かに走り去っていった。
【用語解説:記憶処理と公的擬装】
高圧無針注射器(ジェットインジェクターによる忘却処置)
第七準備室が運用する標準記憶処理プロトコル。針を用いず、
高圧ガスによって薬液(超短時間作用型ベンゾジアゼピン誘導体およびNMDA受容体遮断薬の混合製剤)を皮膚から直接血管内へ浸透させる。
対象者の直近数時間の記憶を不可逆的に解離・断片化させ、
「混乱した夢」や「濃霧による錯覚」として再構成させる。
擬装調書
特異事象による壊滅的被害が発生した際、
関係官庁(警察・消防・自衛隊)の公的記録を上書きするために策定される公文書。
本件においては「地下メタンガス爆発および大規模土砂崩壊」として処理され、
現地には立ち入り禁止区域が設定された後、数ヶ月をかけて完全な緑化・埋め立て工事が実施された。




