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第14話:事案指定 第88号「天落変異」(其の二)

【内閣官房 第七準備室 事案記録抜粋】

指定番号:第88号「天落変異」【関連疑い】

指定区分:第四種保全

初期覚知:H道警察本部 刑事部鑑識課(潜伏要員アラート)

現地臨場:調査部 第3セル(生体鑑識班 / 林道地上進入隊)

偽装名義:厚生労働省 健康危機管理・特定感染症緊急調査班(外部向け)

協力機関:道警 N署 地域課 / 刑事課

現場状況:N郡国有林 第4林班 作業員詰所における変死体検分


午前四時二十分。

夜明け前の針葉樹林は、青黒い闇と凍てつく静寂に閉ざされていた。


道道から分岐した未舗装の林道脇に、赤色灯を弱く明滅させた道警N署のパトカーが一台、

雪をかぶって停車していた。

トタン屋根の平屋プレハブ――森林組合の「第4林班作業詰所」。

四時の定時無線連絡が途絶えたことを不審に思った森林組合本部からの通報を受け、

麓の駐在所とN署のパトカーが山を登ってきたのは、わずか十分前のことだった。


「……おい、鑑識。これ、本当に人間か?」


詰所の土間で、N署の若い巡査が懐中電灯の光を震わせながら呟いた。


土間の先、六畳ほどの板張りの部屋の中央。

畳の上に、衣服を身につけた「何か」が横倒しになっていた。


衣服は、夜間巡視当番だったベテラン作業員・安藤武(56)の紺色の防寒作業着と

作業ズボンのままだ。泥のついた安全靴も履いている。

だが、その衣服の中身が、異常なまでに収縮していた。

全身の肉という肉が削ぎ落とされたように布地が平たく潰れ、床に張り付いている。


その遺体の傍らに、一人の男が膝をついていた。

道警本部の鑑識腕章を巻いた男――伊達警部補。

第七準備室が警察組織内部に配置している潜伏調査要員(オフィサー)だった。


「巡査、それ以上近づくな」


伊達は使い捨てのラテックス手袋越しに、安藤の赤茶色に変色した顔面を覗き込んだ。

皮膚は極度に乾燥し、頭蓋骨に直接へばりついていた。唇はめくれ上がり、

剥き出しになった歯列が凍りついている。

そして――右の眼球が消失していた。


眼窩の奥、骨の空洞の中央に、親指ほどの太さの円形な貫通孔が穿たれている。

穴の縁には、白く濁った粘液のようなものが、ガラスのように硬く凍りついていた。


「……体温測定」


伊達が小型の非接触型赤外線温度計を死体の首筋に向けた。

ディスプレイの数値を見て、伊達の眉が跳ね上がる。


[測定値:マイナス19.2度]


(凍死ではない。……熱を奪われている)

伊達は周囲を見回した。

土間から勝手口の雪の上へ向けて、長靴の足跡が続いていた。

踏み抜かれた雪の角はまだ崩れておらず、表面の霜も降りていない。


(足跡が新しい。……出てから三十分も経っていないぞ)


もう一人の巡視員である若手・佐伯(24)の姿がない。

割れた鏡の前には、佐伯のものと思われる抜け落ちた爪と毛髪、

そして凍りついた嘔吐物が散乱していた。


伊達はポケットから専用端末を取り出し、

道警の通信網から完全に遮断された暗号化衛星回線を立ち上げた。

遺体の眼窩穿孔部、凍結粘液、そして真新しい足跡の写真を添付し、短く打電する。


[発信:道警鑑識・伊達]

事象確認:完全組織脱水死1名 / 体幹マイナス19度

頭蓋底穿孔侵入痕、凍結粘液の残留あり。

同宿の作業員1名離脱。足跡新鮮、林道下流へ進行中。

特異事案フラグ合致。指示を請う。

送信から数秒、端末のバイブレーションが低く唸った。


[本庁作戦室:受領]

変死体発見地点は、事案指定第88号「天落変異」推定着弾点より南南西直線3.8km。

着弾時刻および推定移動ベクトルと整合あり。

――第88号【関連疑い】として一時登録。

林道入口より地上進入中の調査部第3セル(生体鑑識)を現道へ急行させた。

現着予定:約10分。

潜伏員は所轄官吏を現場より即時離隔し、第3セルを引き入れよ。


(第88号……山の上で何かが落ちた事案か)

伊達は冷え切った息を吸い込み、端末を収めると、

腕章を誇示するように土間の巡査と外の警部補へ鋭い視線を向けた。


「――二人とも、今すぐ外へ出ろ。遺体から離れるんだ」


「えっ? 伊達さん、一体何が――」


「極度の脱水と異常な体温低下だ。旧軍の遺棄化学剤か、未知の強毒性病原体の疑いがある」


伊達は本部の鑑識腕章を指先で叩き、有無を言わせぬ語気で命じた。

「これ以上吸気すれば二次被曝を起こす。道警本部から厚労省の専門対策班へ直通通報を入れた。

まもなく現着する。……お前たちは林道の分岐点まで下がり、一般車両の進入を完全遮断しろ」


本部の鑑識幹部から発せられた明確な命令と、化学兵器・感染症という単語の重圧に押され、

二名の警官は慌ててパトカーへと走り、雪道を下っていった。


午前四時三十五分。

薄暗い林道の霧の奥から、金属チェーンを巻いた重厚な駆動音が近づいてきた。


現れたのは、青色と黄色の作業警告灯を静かに明滅させた大型四輪駆動のパネルバン。

車体側面には、対外偽装用の『厚生労働省 検疫所 特殊感染症緊急調査車』のレタリング。

第七準備室調査部・第3セル(生体鑑識班)の車両だった。


プレハブの前で車が停止し、降りてきたのは全身を白いCBRNタイベックスーツと

P100防護マスクで密閉した三名の男女だった。

手には、ステンレス製の大型サンプリングケースと吸引シリンジ。


先頭に立つ第3セル班長の女性が、伊達の前で立ち止まった。


「所轄の排除、確認した。引き継ぐ」


「遺体は土間の奥、安藤武(56)。死亡推定時刻は三時四十分から四時の間です」


伊達は現場の状況を短く伝達し、勝手口を指差した。


「もう一人の作業員・佐伯(24)が離脱。足跡は南南西、林道下流の集落へ向かっています。

出てから三十分以内です」


「了解した。……伊達警部補は直ちに林道入口へ戻り、警察側の外郭封鎖と無線統制を維持しろ。

本件を炭疽菌疑いとして処理するための偽装調書を作成準備」


「了解」


伊達は短く頷き、足早に自身の捜査用四駆へ乗り込むと、

警察側の情報遮断を固めるべく麓の規制線へと下っていった。


詰所に残された第3セルは、無言のまま検分を開始した。


ポータブル超音波エコーのプローブが、安藤の乾ききった腹部に当てられる。


「……腹腔内エコー、画像描出不能。軟部組織の水分が瞬時に奪われ、完全に干肉化しています。

動脈血、完全炭化」


班長がピンセットで安藤の右眼窩から凍結粘液を削り取り、可搬型質量分析器へ投入する。


[有機アモルファス高分子 / 未知アミノ酸配列検出]

炭素系非地球外殻成分:陽性


「……頭蓋底を破壊して侵入、視床下部と脳幹の熱量を吸熱。さらに――」


腹部を切開した分析官が、メスを止めた。


干からびた大動脈の周囲に、無数の半透明な結節がびっしりと蠢いていた。

白く濁った微小な生命体が、血管壁を喰い破りながら爆発的に細胞分裂を繰り返している。


「体内で幼生の急速分裂(インキュベーション)を確認。

……奪った熱と血液中の鉄分・タンパク質を動力源として自家受胎している。

この遺体内だけで二百以上」


班長は立ち上がり、割れた鏡の前の嘔吐物、そして勝手口から外へ続く足跡を検分した。

右足が外側へ九十度ねじれ曲がったまま、地面を深く引きずる異常な歩行痕。


「佐伯の爪と毛髪の剥落を確認。親個体は佐伯の脳幹に張り付き、

運動神経を強制駆動させて肉体を前進させている。

そして今も、佐伯の体内で第2世代の幼生群を孵化させ続けているわ」


分析官が即座に携帯端末で熱力学特性をシミュレートする。


[熱力学特性シミュレーション]

通常火気(〜300℃):吸熱変換率98%(幼生孵化を爆発的加速)

極超高温域(2000℃以上):サーマル・オーバーロード(不可逆自壊)

「通常の火炎放射やバーナー程度の中温熱は、すべて吸熱変換されて幼生の孵化を加速させる。

完全に無力化するには、

吸熱処理能力を一瞬で超過させる数千度の極超高熱――サーマル・オーバーロードを起こすしかない」


班長は頷き、端末の送信キーを押した。


[第3セル ──> 作戦室 / 第2セル(暗号化データリンク同報)]

・対象:外宇宙吸熱生体(宿主:佐伯)

・状態:体内幼生爆発増殖中(インキュベーター化)

・進行:林道下流・N村集落方向(三十分以内、現在徒歩移動中)

・対処特性:通常火気無効(吸熱加速)。極超高温(サーマル・オーバーロード)のみ有効。

・即時要請:第2セルは直ちに林道へ合流し、集落手前で物理遮断網を展開せよ。


データ送信完了のシグナルが青く点灯した。

班長は拘束資材を抱え、分析官二名とともに、夜明け前の薄暗い雪道へと足を踏み出した。


【用語解説:現場引き渡しと戦術データリンク】


現場接収(リエゾンからの引き継ぎ)

潜伏調査要員(オフィサー)

第七準備室が主要都道府県警察本部(鑑識課、公安部)や

地方行政機関へ極秘に潜入させている正規職員。「伊達」という氏名や道警警部補という階級も、

警察組織の人事記録や戸籍データベースへ完全に浸透するために割り当てられた

公的な偽装身分(カバー・アイデンティティ)に過ぎず、

本室内部における本来の個人識別は秘匿コードで管理されている。

その主務は、日常の公務を装いながら特異事象の兆候を水際で覚知し、

一般警察官の排除と現場保全を行うことにある。

専門の実働セル(調査部)が現着した時点で即座に現場管理権を委譲し、

自身は警察側の外郭待機線へ戻って情報遮断・目くらまし調書の作成など防諜任務に専念する。


暗号化戦術データリンク

第七準備室の各セルが運用する携帯端末網。採取された質量分析スペクトル、熱力学シミュレーション、宿主の生体データ等は、現場での口頭伝達を介さず、

本庁作戦室および周辺の全展開ユニットへミリ秒単位でリアルタイム同期される。


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