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第13話:事案指定 第88号「天落変異」(其の一)

【内閣官房 第七準備室 事案記録抜粋】

指定番号:第88号「天落変異」

指定区分:第四種保全(事象同定中)

初期対処:陸上自衛隊 第11旅団普通科連隊(現地捜索・保全)

事態移管:防衛省 ──> 内閣府 宇宙開発戦略推進事務局 ──> 第七準備室

現地展開:調査部 第2セル(千歳基地経由、現場着任)


針葉樹の深い森に、濃紺の夜煙が立ち込めていた。


十一月初旬のH道N郡。山間部の気温はすでに氷点下まで冷え込み、

吐き出す息は白く凍りついて視界を遮る。

ヘッドライトの光を乱反射させながら、陸上自衛隊の高機動車三両が、

舗装の途絶えた林道のぬかるみを軋ませて進んでいた。


「――小隊長、前方に樹木の倒壊を確認。車両、これ以上は入れません」


運転席の陸士長がブレーキを踏み込み、ギアをパーキングに入れた。


助手席に座る第二普通科連隊の二等陸尉・森脇は、防寒戦闘服の襟を立て、暗視ゴーグルを跳ね上げた。

車外へ降り立つと、足元の熊笹がバリバリと凍った音を立てる。

懐中電灯のビームが切り裂いた森の奥――そこには、異様な光景が広がっていた。


数十本ものエゾマツやトドマツが、根本からへし折られ、

すり鉢状の斜面へ向けて放射状に薙ぎ倒されていた。

まるで、巨大な鉄球が空から叩きつけられたかのような圧搾痕。

直径およそ二十メートル。地面が円形に大きく抉れ、中央に深いクレーターを穿っている。


「……本当に出くわすとはな」


森脇の隣に立った陸曹長が、唾を飲み込んだ。


事の発端は二時間前、防衛省中央指揮所経由で入った内閣府からの緊急要請だった。

米航空宇宙局(NASA)および米宇宙軍の監視レーダーが、

オホーツク海上空で大気圏へ突入した正体不明の軌道物体を捕捉。

計算上の着弾地点とされたのが、このN郡の国有林内だった。

落下物の予想質量はおよそ八十キログラム。旧式の軍事衛星のデブリか、あるいは高密度の炭素質隕石。有毒推進薬の漏出、あるいは放射性同位体熱電気転換器(RTG)の搭載リスクを考慮し、

北部方面隊に「現場の保全および落下物コアの回収」が極秘裏に下令されたのだ。


「各員、CBRNマスク装着。ガイガーカウンターおよび有毒ガス検知器を起動」


森脇の指示に、六名の隊員が無言でゴムマスクを被り、

測定器のプローブを構えてクレーターの斜面を滑り降りていく。


ピ、ピ、ピ、と乾いた検知音が夜の森に響く。


「放射線量、バックグラウンド値。大気中シアン、ヒドラジン反応なし」


「斜面の温度は……おい、なんだこれ?」


先頭を歩いていた隊員が、立ち止まって首を傾げた。

赤外線サーモグラフィの画面を覗き込んだ森脇も、我が目を疑った。


大気圏を突破して超音速で地表へ激突した落下物の周囲は、

摩擦熱と衝突エネルギーによって数千度まで加熱され、土壌が赤熱して火災が起きているはずだった。

だが、画面に映し出された穴の底は、真っ青――いや、完全な黒に沈んでいた。


「温度、マイナス四十二度……? 下がってるのか……?」


森脇は手袋越しに地面に触れた。

土ではない。激突の衝撃で吹き飛んだはずの黒土や岩石が、

まるで液体窒素を浴びせられたかのようにカチカチに凍りつき、表面が白く霜で覆われていた。

さらに異様なのは、クレーターの底だった。


「小隊長! 中心部に……何もありません!」


すり鉢の底を照らし出した強光ライトの下には、ただ円形に窪んだ岩盤が露出しているだけだった。

人工衛星の金属フレームも、隕石の破片も、微小なデブリ一つ転がっていない。

ただ、底の岩肌の一部が、まるで鋭利な爪で引っ掻かれたように抉れ、

白く濁った粘液のようなものが凍りついていた。


「どういうことだ……? 燃え尽きたのか? それとも地中深くにめり込んだのか?」


陸曹長がスコップで穴の底を突いた。硬質ガラスを叩いたような、澄んだ高い音が返ってくる。

貫入した形跡はない。


森脇は通信機を握りしめ、連隊本部へ向けて報告を打電した。


「小隊長より連隊本部。着弾予想地点に到達、直径二十メートルのクレーターを確認。

……しかし、内部に落下物本体および破片を視認できず。激突時の衝撃により飛散、

あるいは消失した可能性大。現場の極端な局所的凍結を認む。指示を請う」


『――連隊本部、了解。現地にて現場保全を維持。防衛省へ第一報を転送する。動くな』


同時刻。東京・霞が関、内閣府庁舎。

宇宙開発戦略推進事務局の薄暗い一室で、机上の専用端末が短く点滅した。


防衛省中央指揮所から転送されてきた自衛隊の初動報告書を、

眼鏡をかけた初老の参事官補佐が怪訝そうにスクロールしていた。


「……落下物が見当たらない? 飛散、または消失?」


部屋の隅、窓際のパイプ椅子に腰掛けていた男が、静かに立ち上がった。

地味な濃紺のスーツに、名札のない職員証を下げた男――第七準備室から内閣府へ派遣されている

連絡調整官(リエゾン)だった。


「参事官補佐。その報告書をこちらへ」


「あ、ああ……自衛隊の先遣隊が穴を見つけたんだが、空っぽだったそうだ。

大気圏突入時の高温で蒸発するような氷の彗星片だったんじゃないのかね」


「あり得ません」


リエゾンは手元のタブレットに、

米国宇宙軍およびNASAから提供された大気圏突入時の分光解析データを表示させた。


「大気突入時の発光スペクトルは純粋な炭素および重金属系化合物。質量は約八十キログラム。

地表到達時の想定速度はマッハ三。……蒸発する氷塊であれば、

これほどの質量を維持して地上まで届きません。

何より、報告書にある『マイナス四十二度の局所的凍結』という記述が物理法則に反しています」


リエゾンは画面を閉じ、胸ポケットから専用の暗号化衛星携帯を取り出した。


「デブリでも隕石でもない。……落下物は、激突の衝撃に耐え、自力で穴から移動しています」


「な、何を言っているんだ君は……」


「本件の指揮権を内閣官房へ引き上げます」

リエゾンは専用端末の暗号回線を繋ぎ、作戦室へ向けて鋭く告げた。

「……特異事案フラグ合致。直ちに北部方面第七準備室(北部支部)

の実働セルを現場へ振ってください」


『――北部支部は現在、即応不能だ』


受話器の向こうから、作戦室統括官の冷徹な声が返ってきた。

『昨日夕刻より発生している道東沖合の別事案に、

北部支部の全調査官および機動要員が拘束されている。現場の引き抜きは不可能だ』


「……現地が手薄か」


リエゾンは奥歯を噛み締め、即座に手元のフライトスケジュールを弾いた。


「やむを得ません。東京本庁の調査部・第2セルを千歳へ緊急空輸。

入間基地から航空自衛隊の連絡機を回し、千歳で陸自のヘリへ中継させます。

内閣府名義で陸幕へ緊急調整電を発出してください」


『承認。……だが、どれだけ急いでも千歳から現地山中への現着まで二時間は要するぞ』


「ええ。着弾から数えれば四時間以上の初動空白が生じる。……しかし、それ以外に手はありません」


午前三時四十分。

クレーターの周囲で警戒線を張る森脇の小隊は、極寒の森の中で体力を削り取られていた。

車載ヒーターの温風も、氷点下十度を下回る山中の冷気には焼け石に水だった。


「小隊長……遅すぎます。撤収の許可も出ないし、一体何を待たされているんですか」

鼻の頭を赤くした隊員が、小銃を抱え直しながら愚痴をこぼした。


「静かにしろ。東京の内閣府から直々に調査班が来るそうだ」


「内閣府の役人が? こんな真夜中の北海道の山奥にですか?」


森脇自身、苛立ちを隠せずにいた。

何より不気味だったのは、この四時間の間、

クレーターの底から冷気が波のように押し寄せてきていたことだ。

風もないのに、森の奥でパキ、パキと木々が凍り割れる音が不規則に響く。

さらに、先ほど確認したはずの穴の縁――雪の上に続いていた「幅三十センチの這い跡」が、

時間の経過とともにさらに遠く、山を下る方角へと伸びていたような気がしてならなかった。


その時、凍てつく森の頭上から、重いローターの破裂音が夜気を叩き割るように響いてきた。


ババババババッ、と猛烈なダウンウォッシュが吹き荒れ、

折れた針葉樹の枝葉が雪煙とともに激しく舞い上がる。

暗視ゴーグルの視界を遮る突風の中、木々の隙間の上空に姿を現したのは、

陸上自衛隊の迷彩塗装を施したUH-1J多用途ヘリだった。


機体はホバリングを維持し、開かれたスライドドアから太いホイストケーブルが降ろされる。

自衛隊員ではない。防寒タクティカルウェアに身を包み、

分厚いアルミ筐体の測定器を胸に抱えた三名の男女が、雪煙の中へ次々と滑り降りてきた。


カラビナを外した先頭の長身の男が、吹き下ろす風をものともせず、

森脇の正面へまっすぐ歩み寄ってきた。


「待たせたな。第二普通科連隊の森脇二尉」


「……内閣府の方ですか」


森脇は冷え切った口調で問い返した。


「報告を上げてから四時間以上経っています。落下物がない以上、

我々がこれ以上ここに留まる意味はありません」


「四時間か」


調査官の男は森脇の皮肉を受け流し、手元の測定器の電源を入れた。

男の視線は、森脇ではなく、すり鉢状のクレーターの底、

そして森の奥へと続く青白い這い跡に注がれていた。


「東京で書類を精査し、千歳へ飛び、そこからヘリを回す最短の時間がそれだ。

……官僚機構の伝達速度としては限界だが、現場にとっては致命的だな」


「何が言いたいんですか」


調査官が掲げた測定器の画面で、赤色LEDが激しく点滅した。


[局所熱量収支:マイナス52.8度]

移動ベクトル:南南西

生体吸熱反応:拡大中


「大気圏を突破して落ちてきたのは、燃え尽きる氷でも、ただの金属デブリでもない」


調査官は通信機のスイッチを押し込みながら、凍りついた森の闇を見据えた。


「超低温で休眠していた、外宇宙の生命体だ。……貴官らがこの穴を眺めて待っていた四時間の間に、

そいつは目覚め、活動のための熱源を求めて森の中へ消えた」


森脇の息が止まった。


「熱源……? 山を下りて、一体どこへ向かったというんですか」


「何処へ向かったかではない。何と接触したかが問題だ」


調査官の声は、酷く静かで、凍てつく森の闇に溶けていった。


「移動経路上の熱量が根こそぎ奪われている。この広大な国有林のどこかで、

何らかの温血生体――野生動物であれ、人間であれ――と接触していれば、

すでに事態は次のフェーズへ移行している。……第2セル、痕跡の追跡を開始する。

自衛隊はこれよりクレーターの半径一キロを封鎖しろ。

森から出てくるものは、たとえ人間の形をしていても絶対に近寄らせるな」

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