カリン:進めよ青二才
髭のおじさん。アジサイさんに抱えられたまま、後ろに進む地面を見つめる。
抵抗しても無理な事はもう分かっていたから、ただぼんやりしてたと思う。
横に並んで歩くマリーさんの顔は、恐ろしいものを見る目をしていた。
突然止まり、足が地面に着く。アジサイさんと目が合った。
「…行きなさい。コミュニティの人達は、僕らで何とかします」
「え…」
「ベゴニアくんも、きっと後から追いかけます。師匠に良いとこ見せてあげてください」
「……」
少し離れたところにいたハヅキさんが、義足のネジを締めている。そのために止まったらしい。
「ま、あんだけ分かりやすい未練、さっさと気づかない方がおかしいっしょ」
「…ハヅキさんは、気づいていたんですか?」
「当たり前じゃない。1年半位かな?そりゃあ、昔の恋愛とは違うからさ。それでも、みんなこの5年は濃いんじゃない?」
その言葉に、アジサイさんが反応する。
「そうですね。思えば、普通の生活が出来なくなってから、僕は10年以上経った気分ですよ。不思議ですよね」
「あんたらにとっての数ヶ月も、相当色濃いんだろうね。全く、妬ましいわほんと」
「でもベゴニアくん、ハヅキさんといた頃だけは、ヒマワリさんの話をしませんでしたもんね」
「それでも分かるよ。あんたらに聞くし、どこかふらっと行ったと思えば、向日葵畑なんて作ってさ」
そう愚痴りながら、ハヅキさんは立ち上がる。
あの夕焼けで、師匠に渡された向日葵の種を思い出し、ポケットから取り出す。
「今から行けば、ユユに追い付けますよね?」
「多分ね。頑張れよ青二才」
ハヅキさんが僕の頭を撫でる。優しいその手は、女性なのに少しごつごつしていた。
「更に馬鹿な師匠に、ガツンと言ってきなよ」
アジサイさんが、苦笑するように言う。
「…ハヅキさん、今の旦那さんが居る割に、ベゴニア君の事気にしますよね」
「あぁ…実は居ないんだ。未練がましいあいつがムカつくから、見栄はってるだけ」
「…やれやれ」
「あいつには言わないでね」
夜が明ける。コミュニティの人達とは、このトンネルで別れる。
ここは大きな山の北側。旧市街は、ここから東に進んだ先にある。
アジサイさんが立ち止まる。
「マリー。キキョウ。君たちは?」
マリーさんもキキョウさんも、コミュニティにとって大事な役割があるはずだ。
付いてきて欲しいなんて言えない。
「…行くよ、リズを助けるんだもんね」
マリーさんはこちらを見て意気込むけど、どこか不安そうだ。
「僕も行きます。アジサイ、よろしく頼みますね」
アジサイさんがキキョウさんに耳打ちをする。キキョウさんは目を見開くが、何も言わない。
「3人ともお気をつけて」
ガスマスクを受け取る。軽くて、新品の匂いがする。
ハヅキさんが説明をしてくれる。
「この電池で動くから。2日位は動くと思うけど、早めに電池交換してね」
単一電池を何本か貰う。
「ありがとうございます」
「あとこれ、ベゴニアから渡してくれって」
ハヅキさんから地図を受け取った。旧市街の西側の地図だ。
いつもの出発地点や、あの日クラウスを倒した場所。
さらにはいくつか目印が付けられている。
「その目印の所に、予備の装備を置いてあるらしいよ。一部の人しか知らないんだって、いざと言う時しか使わないから」
「…ありがとうございます」
師匠と仲違いしたのに、結局僕は師匠の後ろに付いてるだけだ。
それが悔しくて仕方なかった。
「マリーちゃんとキキョウくんも、気をつけて」
「コミュニティの人達の事、よろしくお願いします」
「…リズちゃんのこと、頼んだよ」
みんなと別れ、僕とマリーさんとキキョウさんで、廃線の小さなトンネルを通る。
水滴が落ちる音、向こうに見える日差しは、白んでいて先は見えない。
「戦闘は極力避けましょう。僕らはベゴニア君ら程戦えない」
「…そうですね」
今の武器は、キキョウさんの煙具と、僕のメイスだけだ。
先ずは、置いてある予備の装備を取りに行きたい。
3人の足音が、小さく反響する。湿っぽいひんやりした空気が地肌を撫でる。
それが、少し怖かった。
これまで僕は、僕達には、確かに帰る場所があった。
それが無くなったのに、マリーさんやキキョウさんは、むしろ少し楽しそうだった。
線路の上をバランスを取って歩きながら、マリーさんはつぶやく。
「ねぇキキョウ。何だかあの時みたいだね」
「そうですね。懐かしいです」
僕の知らない、みんなの記憶。
師匠から話だけ聞いていた「あの頃」
戻る場所なんて無い。いつ死ぬか分からないその旅路。
「…お2人も、ヒマワリさんが大事ですか?」
「うん。もちろん」
マリーさんが、直ぐに答えた。声の反響のせいで、少し震えてるようにも聞こえる。
「だから私は、ヒマワリちゃんがくれたこの生き方を否定したくない。もう誰も、あの街に置き去りにはしたくないの」
キキョウさんは何も言わず、前を見つめる。
それがきっと、肯定の証。
「だって、ひとりぼっちは嫌だから。一緒に頑張ろ?カリン」
「…はい!」
トンネルを抜ける。太陽の光で目が眩む。
緑1色の景色のずっと向こう、東に見える淀んだ空気。
あの地獄にリズが居る。全てを置き去りにした東京から、全て拾い集めてやる。
師匠より先に。




