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Vine  作者: 四家
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chapter1-1

 その日はいつもと変わらず、憂鬱な日だった。営業という仕事を男性に交じってしている私は、今月分のノルマのペースから少し遅れていた。月のノルマだからその月全体を見て達成できていればいいというのが建前だが、実際はそんなことはない。外回りに出た日は会社に帰るとその日の状況を必ず報告し、それがノルマ達成のペースから少しでも遅れたり、他の月よりも契約の額が足りていなかったりすれば、同じ課の上司からネチネチと嫌味を言われたり、いつもの得意先に今月は顔を出したのかとか、なんでもっと強引に契約をすすめなかっただとかなどとくどくどと言われた。

 今日も午後からは営業の外回りに行くことになっていたが、午前中は課長がいつもノルマを達成できずにいる私より2つ下の社員を馬鹿にする話題で他の数人の社員と盛り上がっていた。笑い声がよくあがっていたが、上司の話す声には確実に憎しみがこめられていたし、それを聞く部下の反応は自分より下の者を馬鹿にすることで決して自分が馬鹿にされることがないようにしようという必死さが感じられた。そして昼休みに入る前に、「今月はノルマが厳しそうなやつが他にもいるなぁ」とはっきり私のほうを見て言い、他の社員も蔑むようにニヤニヤと私を見た。ノルマの達成率は同じ課の他の社員よりはよかったからこの程度で済んだが、これが続いたりしようものなら課内での立場はなくなっていった。

「まあ、課長もうちの課に課されたノルマがあるから、達成できないとその上の連中にどやされるんだろう。あれも部下を鼓舞する一つの方法だと思ってやっているのかもしれない。好き好んで部下を馬鹿にしているわけじゃないはずだ」

 そう思うことで、私はなんとか自分の上司への最低限の敬意を心の中で保っていた。実際、ああやって憎まれ口を叩くのがあの人なりのやり方だからと言ってあの上司を慕っている者も何人かはいた。しかし、私はそこまで相手の行為を良い方向に解釈して自分を納得させることはできなかった。せめて面と向かって怒鳴ったほうがずいぶんとマシだと思うし、馬鹿にするばかりでほとんどまともなアドバイスもくれないあのやり方が上司として正しいと心の底から思うことは、どうしてもできなかった。

 上司に面と向かって刃向う者はあっという間に左遷されていくか、例外的に上司を黙らせるほどの実績をあげてあっという間に出世していくかのどちらかだから、同じところで何年もとどまっている連中は、出世のために必死に上司にゴマをする連中か、私のように心で唾を吐きながら嫌われないだけの最低限の礼儀をまもっている連中のどちらかだった。

「ああまったく、お金さえあったら社長やら役員やらのえばりちらしてノルマを課すだけの人たちに言いたいことを言って辞表をだしてやるのに」

 会社で昼休みを迎えたときにいつも来る公園のベンチに腰かけて、私はつぶやいた。のけぞって上を眺めると、頭上に広がる樹木の葉の間から、夏の日差しが宝石のように散らばってきた。

「会社、辞めたいですか?」

 どこからか男性の声がした。落ち着いた、ゆったりとした低い声だった。私は驚いて姿勢を戻した。突然動いたものだから、前髪が顔にかかってよく男性の顔が見えなかった。前髪を左右にわけて男性を見た。年齢は30代だろうか。わたしより少し上に見える。背は高く、180cmを超えていそうだった。髪は清潔に短く、不快にならない程度に整髪料が使われており、じっとこちらを見た目は大きかった。かっこいい人だな、と思ったが、それ以上に目をひいたのは身に着けているスーツと腕時計、靴だった。いずれもそれなりに給料をもらっているうちの同年代の社員のそれよりも明らかに上質なものだった。営業をするようになってからというものの、初対面の相手に対しては真っ先に身に着けているものからその人の収入を推測するようになっていた。

「ああ、いえ、お金があったらという話です。宝くじでも当たったらとか、そういう程度の話です」

 このあたりはオフィス街になっていて他の会社の社員もたくさん見かけたが、辞めたいなどということをうちの会社の社員に聞かれると面倒なことになりかねない。それに、よほどの額でも入らない限り、実際に私が会社をやめることはないだろうと思った。

「そうですか。やっぱりあなたも、今の仕事が楽しくないですか?」

 男性そう言って私に相対するように公園の手すりに腰をかけた。

「いえ、嫌というか、まあ、そこまで楽しくやってるわけではないですけど。でも、ほとんどの人にとっての仕事なんてそんなものでしょう?本気で心の底から辞めたいと思ってるわけじゃないです」

 男性はにこりと笑った。なにかこちらの発言がおかしいと思われた気がして、恥ずかしくなった。

「大丈夫ですよ。あなたも、と言ったでしょう?私も今の仕事にうんざりしているんですよ。私も一緒です。同じ感覚を持つものどうし、遠慮した表現をすることはありませんよ」

 言葉の、仕草の、一つ一つが魅力的な男だと思った。だが、どこか不自然さもあった。私は昔から人の嘘や隠し事に敏感だ。

 男性はにこりと笑ってフフッ鼻から息を吐き、膝の上で両手を組んだ。アメリカ映画に出てくる、背の高くて堀の深いかっこいい俳優の仕草に似ていた。

「今から、お時間はありますか?お時間と言っても、ほんの10分から20分程度のものです」

 へっ?思わず声が出そうになった。新手のナンパだろうか?ここでは暑いから、どこか近くの喫茶店にでも入りませんか、とでも言うのだろうか。しかし、そんな風にいきなり見知らぬ男性に声をかけられることは、もう5年以上なかった。特別美人でもない私が20代前半という若さを失ったら、そんな誘いがあるとは思えなかった。

 しばらく私はぽかーんとして時間が止まった。口元をしっかりとしめているかも気にしていなかった。

「ああ、すいません、大した用ではないんです。少し、会社や仕事の愚痴を言い合える相手がほしかったんです。だから、今は時間がないというのならどうでしょう、また後日にでも」

 少し考えて、宗教の勧誘だろうか、それとも仲良くなったら仕事のノルマが達成できないから何か契約をしてくれませんかとでも言ってくるのだろうかと考えた。だが、男性が魅力的だったのもあり、悪い気はしなかった。

「ええ、私が話の相手でもよければ」


 それ以来、私とその男は週に数度、公園で顔を合わせて他愛もない仕事の話や世間話をするようになった。男性は、楽しそうに話したり、私の話にうんうんと頷いたりしたが、私に好意をもっているような素振りはまったく感じられなかった。

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