71.旅立ち
「なんでフェルがここに?」
城へ集合して、アッチェルは目を見開いた。
しばらく会わないと思っていたのに、こんなふうに突然登場されると激しく動揺してしまう。
「アッチェル、俺が行くことになったから!」
そんなアッチェルの動揺にも気づかず、ただ嬉しさで目をきらきらさせてフェルが答える。
昨日の今日で、またフェルの姿を見て向かい合うと、アッチェルの中で簡単に冷静さが崩れる。
今朝しがた、恋だのキスだの浮かれていた自分を馬鹿馬鹿しい、と思ったばかりだった。
忘れよう、と、そう思ったばかりだったのに……。
地面がぐらぐらする。
「おっと大丈夫かな」
アッチェルの両肩を受け止めたのは、背の高い筋骨隆々とした、口ひげのある男性だった。
「は、はい。すみません」
「アッチェルさん……で良かったかな。あの、失礼ながら驚いてしまったんだが、女性ですよね」
「はい、まあ、一応」
初対面で性別を単刀直入に聞かれるとは思わなかった。
その男性は何か問いたげな顔をしてフェルを見ている。
フェルはなぜか憤慨したような顔をしている。
「親父、足の骨折れてんだろ(その手を離せよ)」
「アッチェルさんは軽いから問題ない」
男の服を着ているにしては華奢なアッチェルの両肩をリゾルーテンの手が支えているのが、フェルは我慢ならない。
「あの、フェルのお父様なのですね。リゾルーテン様ですね。足の骨を折られたとは……」
そんな人に支えてもらうのは申し訳なく、アッチェルが身を離すと、
「昨日の夜、息子と練習試合をして負傷しましてね」
「はあ」
リゾルーテンの足には添木がしてあり、杖も持っている。
なぜかリゾルーテンは好奇心満々といった顔でアッチェルをじっと見ている。
そこへ、向こうを向いて馬の状態をチェックしていたダルセニオンが振り返って口を挟む。
「旅の前日に練習試合をするこの馬鹿親子が!」
ダルセニオンはかなり不機嫌だ。
確かに。何もわざわざ旅に出る前日に練習試合することはないんじゃないか、とアッチェルも思った。
馬鹿親子と言われても、リゾルーテンとフェルマーテンは平気な顔をして、お互いに目配せし合ってにやにやしている。
(この人たち、本当に大丈夫かなあ……)
アッチェルも少々不安になる。
「ま、そういうわけで、俺が責任取って旅に行くことになったから!」
フェルが白い歯を見せながら、にかっと笑うと、ダルセニオンがさらに不機嫌になる。
「お前は反省しているのか? やけに嬉しそうだな。公私混同するなよ」
「公私混同ってなんだ?」
「愛だの恋だの浮かれておめでたい奴だということだ。今が王国の一大事だということを忘れるなよ」
フェルは赤くなってダルセニオンに詰め寄る。
「ちょっ、アッチェルさんの前で何言うんだよ。そういうこと、言うなよな、アッチェルさん、聞いてるじゃないか」
アッチェルはぴんと来ず、ぽかんとする。
フェルは、愛だの恋だの浮かれているんだろうか?
それが旅に行くこととどう関係しているのだろう?
ダルセニオンは相変わらずアッチェルの目には20代後半のいい大人に見える。
どことなく憂いや陰のある顔立ちをしているが、彼は愛だの恋だの浮かれたりしないんだろうか、とアッチェルはふと思った。
そうしているうちにエスプリと姫も到着した。
「ああ、旅の間はこんな地味な色の服を着なければならないとは残念だ」
カーキ色のフード付きマントを着たエスプリが嘆いている。そりゃあ、前に着ていたような、金糸刺繍の絹の服なんて目立つから着せられない。盗賊に襲ってくれと言っているようなものだ。
「私なんて見てよ、この格好!」
アッチェルの目から見ると姫は可愛いと思うのだが、文句を言っている。
田舎のお嬢さん、という設定だ。袖と襟がくしゅっと絞ってある白いブラウスの上に、胸のところを黒い紐がじぐざぐと交差している赤いワンピース。刺繍付きの、裾にレースの付いた白いエプロンも可愛い。
「田舎くさい! スカートの丈だって、短いし!」
短いと言っても、ひざ下まではある。普段、姫が着ているドレスの丈が長いのだ。
髪は三つ編みを巻いてお団子にして止めてあり、頭に白いスカーフまでつけて、首の後ろで結んである。
あんまり可愛らしいのでアッチェルは嬉しくなってしまう。
そもそも、みんなの衣装はアッチェルが選んで用意して、荷物と一緒に渡しておいたものなのだ。
「フィオーナ姫様。とっても可愛らしいですよ。よくお似合いです」
「アッチェラードさん、あなたが選んだのよね! もう少しなんとかならなかったのかしら!」
「でも、すごく可愛いですよ? こんなにお似合いになるなんて思いませんでした。ほんとに、なんて可愛らしい……」
アッチェルがうっとりとしてべた褒めしていると、姫もまんざらでもない気になってきたのか、
「そ、そう? 似合うかしら? それなら、ま、まあ仕方ないわ」
と、照れて赤くなりながら納得してくれた。
「旅程を確認しよう」
ダルセニオンが地図を広げて、みなの真ん中に進み出たので、輪になって覗きこむ。
「まず、1日目、ヴィオラ伯の城へ行く。
2日目、――候の城で一泊。3日目、――卿の城で一泊。
4日目、――伯の城で一泊、5日目、――町の宿屋で一泊。
6日目、ガイヤルド公の城で一泊、7日目――町の宿屋で一泊。
8日目、黒魔女の館へ到着。」
地図のポイントポイントを指さしながら、説明される。
できるだけ貴族の城へ泊まる行程になっているが、あまり遠回りもできないので宿屋で泊まる日もある。
「天候によってはこの限りではない。昨日、この行程について早馬を飛ばして、事前に連絡済みだ。ただし姫が同行することは隠して伝えてある」
突然訪問するわけではなく、事前に連絡済みなのだ。
早馬は途中の町で馬を取り替えながら、ろくに休まず情報を伝える伝令だ。
王位第一継承者が旅をするのだ。
本来であれば侍女や荷物の荷馬車を引き連れた大行列になるだろうし、姫のおもてなしのための準備の計画も何カ月も前から練られてもおかしくない。
しかし遊覧旅行ではなく非常事態なので、前日の早馬という格好になった。
しかも姫が行くことを隠して伝えたということなので、迎える領主の城の方も驚くだろうと思う。
そこは事前に伝えてあげても良かったのではとも思うが、どうなのだろう。
エスプリが言う。
「問題はやはり、ガイヤルド公の城以降だな。ここから旧街道か」
「旧街道?」
「黒魔女の館のあるヴァルナの町は、10年前のヴァルナ公の反乱以来、ほとんど廃墟になっている。
ヴァルナ地方の中心都市は沿岸部のルーエンに移ったんだ。
現ヴァルナ公は先代のヴァルナ公の従弟なんだが、その居城がルーエンにあって、元々そこに住んでいるんだ。
だから、現在の街道はガイヤルド公の城以降はルーエンへ向かう。
でも我々は黒魔女の館のあるヴァルナの町を目指すので、ガイヤルド公の城を分岐点として、旧街道を進むことになるわけだ」
フェルがうなる。
「そっか……、そういうことか。旅人を守るために街道上の魔物や山賊はよく討伐されていて、俺らも時々駆り出されるけれど、旧街道までは手が回ってないよな。結構魔物出るかもな」
「ヴァルナの町はどんな様子なんですか?」
「黒魔女の館は王家が直轄で管理して立ち入り禁止にしているので、その見張りは住んでいるが、その他は何人まだ残っているのか……。
少なくとも、昔はヴァルナ公国の都だった都市が、すっかり荒れ果てているはずだよ」
「それは、ヴァルナ公の反乱の制圧の際に、街も破壊されたということですか?」
「それもあるし、黒魔術によって街も汚染されている」
黒魔術によって汚染、と言われても、アッチェルにはピンと来ない。
「黒魔術による罠が埋まっていたり、さまざまなトラップが残っているから、危険なんだよ」
反乱が鎮圧されて10年経つというのに、未だに無関係の人を傷つける恐れがあるなんて、黒魔術はなんて恐ろしいんだろう、と思う。
と同時に、アッチェルは肌身離さず持っている、父からの誕生日プレゼントである青い骨貝を思い出す。
これも、10年以上前に作られたヴァルナ地方の物だ。
未だに強い黒魔術がかかっている。袋から出して外気にさらしていただけで、遠く離れた城からダルセニオンが察知できたほどなのだ。
アッチェルにもヴァルナの町の危険が理解できた。
「その魔法の気に触れた動物たちも、魔物化している」
「魔法に触れると魔物化するんですか?」
「そうだよ。ヴァルナ地方は元々魔法が盛んな土地で、畑を荒らす動物除けのために畑に魔法を張り巡らしたりしていたんだ。
そうすると、退治できた動物もいれば、魔法の気を帯びて魔物化した動物も出てきた。
それを退治するためにさらに強い魔法をかけ、生き残った少数の動物や魔物はさらに強い魔物化をし、という繰り返しで、ヴァルナ地方は魔物が多いんだよ。
コーダ王国はそれを悪循環だとして、30年前のヴァルナ公国併合以降、物に魔法をかける黒魔術の使用を禁止したんだけどね」
「それでは、人も魔法をたくさん浴びると魔物化しますか?」
「魔物、というと言い方は悪いが、確かに魔法使いは魔法の修行によって魔法力が強まるし、魔法に触れることで新しい能力が発現したり、ということもよく知られている」
そう言いながらエスプリがアッチェルの目をじっと見たので、アッチェルは「?」と思った。今の話のどこかに、私に関係する部分があっただろうか。
「もういいだろう。馬に乗りながらでも話はできる。そろそろ行くぞ」
ダルセニオンが声をかけた。
「フィオーナ姫。出発の祈りをお願いいたします」
「はい」
フィオーナ姫が胸の前で手を組み合わせると、神に旅の安全を祈る言葉を唱え始めた。
他の者もみな、手を組んで頭を垂れている。
アッチェルは砂漠の民なのでその祈りを知らず、一緒になって同じポーズを取ったものの、ちょっと居心地が悪かった。
いよいよ出発である。
「しかし、お前まだ言ってなかったんだな。俺はてっきり……」
「親父、その話はやめてくれ! いま一番大事な時なんだ。そっとしておいてくれよ!」
「まあ、がんばれとしか言えんが」
リゾルーテンはにやにやしている。
なんの話だろう? アッチェルには理解できない。
姫も不審な顔をしている。「ねえ、何の話?」
それにしてもフェルが一緒に旅に行くなんて、困った。
一体どんな態度を取ればいいんだろう。
困った。
あの自己中心的な使者、ダルセニオンがアッチェラードの店に来たのはつい一昨日のことである。
それぞれの気持ちに整理もつかないまま、それでもとにかく旅に出るしかない。
時の流れは、人生は、気持ちが落ち着くまで待っていてはくれないのである。
公私混同、公の使命と、私の情、が混ざり合い、どちらにも振り回されるまま旅は進行する。
アッチェルは以前の安穏な日々を懐かしく思いながら、まあなんとか毎日を乗り切って行くしかないのである。
そして、
「出発ですね」
そうつぶやいて、馬に乗った一人の旅人が、一行の後を密かに追っていることを、彼らはまだ知らない。
ここまでで第一章終わりです。読んでいただき、ありがとうございました。
第二章へ続きます。




