66.フィオーナ姫の旅立ち前夜 (3)
フィオーナ姫は暗い気持ちになる。
自分が女王になったとして、ペントザリ公のような肝の座った厚顔な人物と会議で顔を合わせて、対抗するような意見をすることなんてできるのだろうか。
気持ちが屈し、疲労し、打ち砕かれる様子が目に浮かぶ。
強くなりたい、強くありたいと思っているが、自分が望んでいるよりずっと自分が心理的に繊細なことが悔しい。
お前には無理だ。辞退しろ、という無言の圧力をいつも感じる。
ペントザリ公と宴席で長く話しただけで、その日は疲れ切ってベッドに突っ伏してしまう。ひどいときは知恵熱を出してしまう。
長い物に巻かれろ的に、何も感じないようにしてただただ笑顔でうなずいて、戦おうと思わなければ、まだましだ。
だが、そんなことではいけないのだと分かっている。
戦って、自分の権利を主張しなくてはいけないのだと分かっている。
でも、自分は戦えるほど強い人間ではない。
ときどき、すべてを放棄してしまいたくなる。
公爵夫人は公爵夫人で、いつも娘の自慢をしてくる。
そして、姫のダンスがどれだけ上達したか、楽しみです、とけしかけるようなことを言ってくる。それを聞くと、またフィオーナ姫はストレスが溜まってしまう。
フィオーナ姫には他にすべきことがたくさんあるのである。王位継承者として、政治学、地理学、歴史や外国語の勉強に加え、魔法や武術(弓を選んでいる)も習っている。
歌や楽器やダンスにばかり時間を割いてはいられない。
それなのに、パーティーが開かれると、公爵夫人の娘たちと比較されるのがとてもつらい。まあ見て、あの下手な歌、下手なダンス、と噂されているように感じる。
男のするような学問ばかりして、娘として魅力的ではない娘。そう嘲笑されている気がする。
『あれが私たちの未来の女王様だなんて、みっともない』
『女王と言うのなら、美しく、完璧な女性であってもらいたいものだわ』
女王になりたいわけじゃない。いっそのこと王位継承権なんていらない。ただの王女として娘らしく暮らせた方がどんなに楽だろうか。
でも、ダルセニオンは、決してそんなことを言ってはいけない、と言う。
父王がフィオーナ姫が王位を継ぐことを望んでいる。
姫の弟が王位を継いだとしたら、ペントザリ公のような人物が幼王の後見人になってしまう。そうなったらこの国はどうなるか。
少なくとも、三大峰の権限は矮小化され、ダルセニオンは諮問会議への出席資格がなくなり、姫も、姫を旗印に担いだ反乱をでっちあげられた上で地方の城に幽閉されるかもしれない。
ダルセニオンの脅すそんな未来が怖いので、フィオーナ姫は気を取り直して頑張っているのだが、(時々は弱音くらい吐いたっていいじゃない……)と不満に思ったりもしている。
そんな気持ちを抱えながらフィオーナ姫が父王の部屋へ向かうと、また会いたくない人物に出会ってしまった。
父王の愛人のリール公爵夫人である。リール公爵夫人セラフィーナ・チェレスタというのが本名である。年齢は25歳。ちなみに王は現在33歳である。
月光に揺れる、花弁に夜露を置いた白百合。前に城に招いた吟遊詩人がそう形容して歌っていた美貌。
これほど美しい人に出会ったことがない。泉に映す影に、水の精霊も恥ずかしさに逃げ出すだろう。
それを思い出して、フィオーナ姫はまた不快になる。
その吟遊詩人は姫のことは「開きかけの薔薇のつぼみ」と歌っていたが、リール公爵夫人のように絶賛されはしなかった。
彼女は姫に気付くと、片足を引いたお辞儀を深々とした。その伏し目のまつ毛の長いこと。透き通るような流れる金髪はヘッドドレスで慎ましく隠されている。
その隣で、大変可愛らしい赤ん坊を抱いた乳母もお辞儀をしている。
赤ん坊は、姫の弟のルチオ・チェレスタである。リール公爵のチェレスタ姓だが、王の息子であるというのは公然の事実である。
(とても完璧。非の打ちどころの無い美人で、心映えも素晴らしい人。父の愛人でなければ素敵な女性として尊敬していたと思うのに……)
自分の父の愛人であるということで、フィオーナ姫は彼女に対して複雑な気持ちを抱いている。
ましてやペントザリ公がリール公爵夫人の亡父の弟である。父が早逝したセラフィーナの後見を務め、彼女をリール公爵の後妻として結婚させたのもペントザリ公である。
本人には政治的な野心は無さそうだが、ペントザリ公が後見人というだけで色眼鏡で見てしまう。
姫に話しかけられるまで、リール公爵夫人はお辞儀の姿勢のまま待っている。
「ご機嫌よう、リール公爵夫人」
「フィオーナ姫様におかれましてもご機嫌うるわしゅう……」
彼女はまだ深々とお辞儀をしたままである。
「ルチオ殿は相変わらず可愛いですね。よく見せてもらってもいいですか?」
そう聞くと、ゆっくり顔を上げたリール公爵夫人の頬が花片のように明るくなっており、
「はい。どうぞ、見てやってくださいませ」
フィオーナ姫がおそるおそる近付くと、ルチオはまっすぐ姫に水色の丸い瞳を合わせて来た。
姫がぎこちなく頬笑みかけると、嬉しそうに邪気の無い頬笑みを返してきた。
リール公爵夫人が「よしよし、いい子ね」と、くりくりの金髪の頭をなでると、赤ん坊は歯の無い口で満面の笑みになった。
(この人は自分の赤ん坊が可愛くてたまらないんだわ。私と王位をめぐって対立候補にあることとか、頭にあるんだろうか)
フィオーナ姫は複雑な気持ちながらも、あまりに弟が可愛いので、素直になれない自分に悲しい気持ちにもなってくる。
「いま、王に挨拶されたところですか?」
フィオーナ姫が尋ねる。
「はい。ルチオを見ていただいて、元気になっていただこうと思って」
(赤ん坊を見ただけで元気になれたら簡単よね)
いらない皮肉がフィオーナ姫の心に浮かぶ。
素直に受け取ればいいのに、と自分でも思うが、この人の言うことに何でも反発を覚えずにはいられなくていらいらしてしまう。
「明日ご出発と伺いました。どうかご無事で」
緘口令が敷かれているというのに、リール公爵夫人まで知っているなんて、いったい誰が話したんだろう、とフィオーナ姫は不快になる。彼女はただの愛人に過ぎないのに。
リール公爵夫人とも別れ、王の部屋へ入る。
ベッドに寝たままで「ああ、フィオーナか」と眉を上げる父王の様子に、姫は悲しくなってしまう。




